お茶くみって平和な議論や。出先で出された飲食物は屁理屈こねて辞退するのが賢明や。

2020年01月27日 | 社労士
社労士 國府田千秋(こうだちあき) さんのブログ記事「今どきのお茶くみ事情」が大変興味深かった。
女性活躍関係の説明会で、職階も年齢も関係なし、お茶くみは女性がするもの。そんな時代が確かにありました。自身の経験を交えてそう言ったところ、参加者の1人から後で「私は役職についているけど、女性だからお茶くみもしています。」と言われ、まだまだだな…と思ったとのこと。
「お茶くみ」という言葉自体なんかよく意味わからなくて調べたら、酒やお茶を、飲むための器に注ぎいれることを「くむ(酌む・汲む)」といい、「お茶を汲む」が名詞化すると「お茶汲み」になる。ヤフー知恵袋でなんですが、一応こういう説明がありました。
なるほど。お茶やお酒を酌むのは宿場の飯盛り女とかであれば、そりゃもうこれは女の仕事ってことか。
「お茶くみ」をキーワードの検索をするといろいろ出てきた。なかには「お茶くみもりっぱな仕事」とかいってるのがあったが、それは論点違う。
実はお茶くみ経験はない。介護や保育、その他サービス業に従事しているとそもそもそんな仕事がない。行政の臨時では職員がてんでに自分のものをお湯だけもらって好きなように飲んで当然自分で洗ってた。だが、地方行政ではまだお茶くみ・お茶当番というのがあるようだ。以前パワハラ裁判を傍聴したとき、お茶当番のはなしになり、裁判官から「なぜ女性にだけお茶当番があるのか」といった質問が出て、「慣例です」って聞かれた人が答えてたな。そうなんだ、慣例なんだ。やめようにもやめられないのが習慣。
お客様のところへ行くと、出なくてもいいのにインスタントコーヒーとか出ることがある。以前職場に宗教上の理由でカフェインを飲めない人がいて、いつもお断りしてたのに出す人は意味が理解できなくていつもインスタントコーヒー出してた。
出さんでいいですわ。
お茶くみってなんやねん。カネ払ってないのに飲物出てくるってなんか不審や。
男も女もない。出先で出される飲食物は危険やで。ノー天気に飲んどる場合じゃない。屁理屈こねて辞退するのが賢明や。
お茶くみって危険やぞ。ますます世知辛い油断ならないの世の中になる。
お茶くみ…そんな安全で平和な時代があったね。そうなるで。
(なぜか関西弁)

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生産性とか効率とかは横に置いといて役にも立たぬ娯楽小説でも読もうよ

2020年01月27日 | 社労士
森博嗣さんは1日に45分しか仕事をしないのに速筆でばりばり本を出しているらしい。
なので「仕事術」みたいな本の依頼がよく来るらしい。
以前森さんの書いた生産性に関する本を読んだことがあり、この人に仕事術の本は無理だろうと思ったが、出版社の人はなにをカン違いしてかよく依頼するそうだ。
アンチ整理術という本にそういうことが書いてある。
私は断捨離とか嫌いだし(物を捨てるのが嫌い)断捨離に凝っててときめきがどうとか言ってる人にはやれやれと思うし、70近いおじいさんにため込んだ資料を捨てちゃえとか言うのってどーもやさしさに欠けすぎると思ってる。
森博嗣さんは作家であり研究者である。フツーにお勤めしたことなんてちっともない。そんな人に仕事術なんて書けるはずない。作家や研究者向けの仕事術のわけないし、仕事術っていえばフツーの勤め人や経営者のためなのはわかり切ってる。
どーせまた役に立たないおもしろいこと書いてんだろと思ってアンチ整理術を読んだらやっぱりそうだった。本のためにわざとちらかしたんだろ?ってな写真が載ってて、ようするに森さんは整理整頓なんてひとつもしないがさっさか仕事をしてるってこと。
整理整頓したら元気が出る、すっきりして明るい気分になる、それだけ。仕事の効率とは無関係。当たり前のことを言っている。
おしまい。
次。
よせばいいのに、京極夏彦さんの17歳向けに語った本をみつけて読んでしまった。どうせ役に立たないことばっかりだろうと思っていたら案の定そうだった。京極さん自身も役に立たないから心しとけみたいに最初に書いてる。正しい。
京極さんは引っ越しの際業者がすごい見積もり誤算をするほど本をため込んでいた。いやため込んでいる。そのくせ整理整頓清掃は人生で最も大事とか言う。見た目はすっきりしてても(整頓できてても)どこに何があるかわからないなら整理ができてないからだめ。その逆もしかり。きれいなお宅でよくありがち。
捨てるためのテクニックを駆使するなんて思考放棄。買ったものは必要なものばかり。どうしたら捨てずにすむかを考えるのが思考。
断捨離を断罪。スッキリ感を味わいたいためだけにものを捨てるのはその人の勝手だが、そこに人生の意味をもたせたりときめきどうのというのはいかん。
私は先日10年越しの年賀状を押しかけ訪問の人に引き取ってもらった。1万円ほど手に入った。鑑定士とかいうおばちゃんとの半時間ほどはとても楽しかった。断捨離だったらこんな出会いや楽しみ味わえなかった。
今個人でも企業でも断捨離みたいなことや、それに伴う効率・生産性とかが流行ってる。
役に立たない森さんや京極さんの娯楽小説でも読んでクールダウンしたほうがええぞ。
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コンビニ経営者の労働者性と介護ヘルパーの国賠訴訟のゆくえは

2020年01月24日 | 社労士
自分的に気になる裁判2つ。
ひとつは、コンビニ経営者を労働者と認め、コンビニ本部にユニオンとの団体交渉に応じるよう命じた地方労働委員会の判断を覆した中央労働委員会の命令を取り消す訴訟、もひとつは介護ヘルパーが保険者である国に対して、移動時間に介護報酬が支払われないのは不当だとして訴えてる国賠訴訟。
コンビニ裁判のは労組法の労働者及び使用者が争点になっているが、もしコンビニ経営者が本部使用者に対し労働者なら、コンビニ経営者に雇われてる労働者にとって誰が使用者になるのだろう?
建設業界などは下請け孫請けとかすごいので、安全管理面についてのみ、親会社・発注を直接受けた会社が使用者となっているが、コンビニの場合これとは違う。
では、江戸時代の旗本・御家人の直参に対して諸藩大名に仕える藩士のことをいう陪臣といったものなのか。
あるいは、コンビニ経営者を兼務役員みたないなものと考えるのは無理があるだろうか。
このコンビニ経営者問題はどの枠組みで考えるのが適しているのか。労働法は適しているだろうか。
商法の領域、独占禁止法あたりが妥当ではないかと思う。だがしかし、コンビニユニオンが団体で公正取引委員会に申し入れることの意味ってなんだろう。労働者であると主張しているオーナーたちが事業主として独占禁止法を問うているのか?
楽天通販サイトの送料無料に対しても楽天ユニオンが公取委に調査依頼しているが、彼らは事業主なのか労働者なのか。
セブンイレブンについてはオーナーの8割が脱サラ組、残りが酒屋や食品店からの転業とのことだが、みな一国一城の主を夢見て脱サラしたのではないのか、それでも労働者として保護を求めているのか。フランチャイズに乗ることでそうではない場合より簡単に起業できたと思われるが、それについては「こんなはずではなかった」ということなのか。
介護ヘルパー国賠訴訟については、ケアマネ時代の苦い思い出がある。移動時間に介護報酬が出ないということはヘルパー当人と事業主(や報酬管理をする者)以外にはあまり知られていないことではないか。少なくとも7年程前は労働行政もほっかぶりしてたような。私はこの件で事務職のおばはんからバカケアマネ呼ばわりされたので苦い思い出として記憶に残っている。事務おばはんは介護事業所で事務パートしていたが、介護報酬はやってなかったので移動については知らなかったようだ。
介護保険と労働基準法の溝の深さに、事業主では埒が明かないとしたヘルパーたちの反乱のようだ。
ゆくえが気になる裁判でした。
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働き方改革っていうても決めるのは当事者。仕事ドタキャンされたらどうする?

2020年01月24日 | 社労士
大阪での仕事が前日になってキャンセルとなった。
ホッとした。
家を空けることが多く、多少後ろめたい気持ちもあったし、子どもの体調があまりよくなかったこともある。
しかし、たまたまだんなが休みであり、ベビーシッターなど予約しておらず、仕事のドタキャンはどこにも影響を及ぼすことがなかったからこう言えるのである。
仕事と育児や介護との両立などをごたいそうに指南しているが、そして制度説明や法令を主に説明をしているが、会社で調整するか家庭で調整するかを決めるのは当事者である。
各当事者の置かれている状況や諸事情は千差万別である。
始業時間は8時だが保育園は7時半からで通勤時間もあるのでどーしても8時は無理。
こんなとき、始業時間をずらすのか、あるいは短時間にして9時からとかにするのか、7時から預かってくれる保育所に変えるのか、あるいは別の方法を考えるのか(送っていく人の確保、朝だけ別の託児所とか)決めるのは制度や法律ではなく当事者である。
会社が譲るのか労働者が譲るのか。
制度の運用は交渉ともいえる。
弾力性とかフレキシブルとか多様とかがんがん叫ばれているが、反面というか、叫ばなければその真逆に行きついてしまうからか、とにかく硬直的・画一的・単一的なのが現状である。
なぜならそれが簡単だからである。
頭の使い方が雑でもかまわないのだ、このやり方だと。
あてがいぶちに慣れきった頭と体にはフレキシブルはキツイ。
サブウェイは今はどうか知らないが昔むかし、パンの種類、マヨネーズの種類、はさむ野菜の種類、ハムの種類なにもかも自分で選ばなければならなかった。日本人にこのやり方は向かない。包括受け入れに慣れている者にとっては自分で決めるというのは大変なハードルの高さなのである。
自分は仕事だけして、それ以外は銃後に丸投げという人間にとってあれもこれもといったマルチタスクやさまざまなことを勘案して判断するという芸当はまさに芸当であっておいそれとはできない。
働く側は制度の他社風も後押ししないと言いだしにくいし、会社は準備不足であたふたし、なんとか家庭で調整してくれないものかと期待し、ついそういう心配のない労働者を雇用できないものかと思うものの、そのようなタイプはすでにいない。ってか、そういうタイプ(例えば独身親元暮らしなど)はたいていいないほうがいいような(言うてしまえば使えない)タイプである…
もしも今日だんなに勤務変更お願いしてたり、ベビーシッターを手配してたらどうなってたか…

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成年後見制度の落とし穴(家族にとって)

2020年01月02日 | 社労士
若年性認知症のご主人を10年以上介護してきた奥さんのルポがある月刊誌にのっていた。
これまで何が一番大変だったかの問いに対して、奥さんは、成年後見制度と即答だった。
銀行から勧められて申請したが、身上監護だけしか認められず財産管理は第三者の司法書士となった。
本人名義のお金などはすべて凍結、信託預けとなり、振り込まれるのは15万円のみ。57歳の働き盛りの発症なので娘4人はまだ学生。司法書士がなにかサポートしてくれるかといったら、「とんでもない!家族で外食に行けば、食事代は割り勘にしろ、預金から払うのは本人分だけ、夫がドアを壊したら修理代は「家族で割り勘で支払え」とか、あまりに理不尽なことばかり言う。3か月で24万円も支払わなきゃいけない。状況を詳細につづって後見人の変更を申し出たら、さすがに事情を察したのか、財産管理もできることになったが、通帳から生活費まですべてを管理されているのは同じ」とのこと。
成年後見人をしている者からしたら当たり前なのだが…
だが。しかし。
多少貢献度が加味されることになったとはいえ、後見報酬は本人の財産額で決まる。
資産を守る制度であるから、資産のない人、特に生活保護が受けられない程度の人の後見人のなり手はいない。半ば強制的に「お願い」されるということに…
この奥さんのケースだと家族信託がいいのでは、と思うが、成年後見制度が全然ふるわないから、じゃあ家族信託が断然いいじゃんかとは言えない。
介護の社会化のスローガンのもと、介護保険の利用はうなぎのぼりだが、今現在この奥さんはデイサービスやショートステイを利用していない。理由はもちろんある。
ただ、このやり方は我が家だからできた。他の人ができるかどうかはわからない。認知症の人が100人いれば100通りのやり方がある。奥さんはこのように言っている。
私はお金のことも同じと思う。
この家族に成年後見は適していなかった。
でも成年後見制度じゃないと家族に骨の髄までしゃぶり尽くされる人もいる。
それでも成年後見報酬には違和感が大きい。
家族の落とし穴としては、「その働きでその金額持ってきますか?」ってなとこだと思う。
家族でもないのにわちゃわちゃうるさい人もいるが…
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