夫がガラクタだからって困らなくてもいいんです!

2014年03月27日 | 日記
駅のキオスクで
『ガラクタを捨てれば人生はすべてうまくいく!』という本を衝動買いして、20分ほどで読み終えました。
(買う必要あるか?立ち読みで済むやろ?とのツッコミはあろうかと思いますが、私はどんな本でも必ず3色ボールペンを準備してからじゃないと読めないんですよ!)

モノを捨てる技術は昨今大流行で、この手の本はいっぱいあります。
どの本も技術以上に「気持ち」について書かれているのが特徴かと思います。

捨てるか、取っておくかの選択は、「ときめく」か「ときめかない」かで決めるなど…

この本もやはり同様で、「気持ちが上がるか」「気持ちが下がるか」が基準です。

高かったとか、毎日使っているとか、いつか必要とか
そんなこと関係ないんです。

「気持ちを下げる」物は「ガラクタ」なので処分すべし!というスタンスです。

それはまあ、よくある選別法で、ハイハイってかんじなんです。

びっくりしたのは次の記述です。

 「夫がガラクタだという場合、どうすればいいのでしょうか?」
 

という質問が、講演会の2回に1回は出てくるそうです。

もしかしてびっくりしているのは私だけですか?
他の女性のかた、奥さん方は
あんまり驚きませんか?
そうそう、簡単に捨てるわけにもいかんし、いい方法あったら教えて~とか?

著者の竹内さん(ガラクタ整理師という肩書をお持ちです)は
最初は驚いたそうですが、だんだん慣れてきて、「よし、また来たぞ!気持ちが上がるか下がるかという基準をきちんと理解してもらえている!」と思うようになり、次のようにこたえているそうです。

モノの整理を徹底的にしてから、人間関係のの整理をしましょう」って。うまい!と思いました。

そして、その通りだと思いました。

モノの整理をすると人間関係(こころ)も雲が晴れるようによく見えてくるそうです。

夫に限らず、子供や姑などの家族、近所の人、親戚、職場の人…
「気持ちの下がる」人たちはいます。一気にかたをつけたくなるときがあります。
暴言を吐いてすっきりする場合もあるかと思います。
三行半を突き付けて、辞表をたたきつけて、すっきりする場合もあるかと思います。

けれども、その前に、家の中や外回り、職場のデスク、ロッカーなどを整理整頓することから始めるのは、悪くないと思います。

仕事の始まりはいつも探し物から…
ロッカーの中は雪崩を起こしそうなほどモノが詰め込んである…

これが私の半生でした。
ガラクタって、私のことやん…  
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けっこうリアルな小6の「将来の夢」

2014年03月26日 | 日記
地域の小学校のPTA会報に、卒業生たちの「将来の夢」がのっていました。
自分が小学6年生だった30年以上前と比較し、今昔感ひとしおでした。
先生方の指導によるものと思われますが、職業名だけじゃなく、~~のような○○になりたい、というように、具体的に書かれており、感心しました。
いくつか紹介します。

失敗しないような化学者(!)
(気持ちはわかるけど…特に今の時期…でも!でも!失敗なしで化学者にはなれないぞ~)

認められるヘアスタイリスト
(そのとおり!でも!でも!誰が認めなくとも、親は認めてくれるだろうし、なによりも自分で自分を認めればいいから!)

魚が喜ぶような水族館の飼育員
(お客さんじゃなく、魚ってのがいいですね!)

強い警察官…
(そんなに気張らなくても大丈夫!と思うけど…)

住みやすさを考えられる建築士
(住みやすさを考えられない建築士が多いって、この年でもう知ってたんだね!)

ヒットが打てるプロ野球選手
パスのうまいサッカー選手
(そのとおりですね!選手になればそれでいいってもんじゃないですからね!でもヒットが打てないときもあれば、パスが下手ってこともあるから!目標を持つことが大事ですよね!)

他にも、画家や料理人、会社社長、獣医や看護師、介護士などいろんな職業がでていて、しかもみんなちゃんと説明つきで、具体的でした。

図書館司書もあり、よくこんな名称知ってるな~!と思いました。

キャリア教育?の成果でしょうか、みんなよくいろんな職業を知っていますね。
私なんて小6の頃、マンガ家になりたいと思ってました。歌手もいいかな、なんて思ってました。
現実を知らなすぎ!!友達も「女優」とか言ってたし…幸せな時代だったかも…

それはさておき

小6のみんなの夢は、3年後、10年後どうなっているでしょうか?

そして、将来どんな仕事をしているのでしょうか?

楽しみですね!と言える社会にする必要おおいにあります!

小6のみんな卒業おめでとう!がんばってね~!
  


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君の働き方に未来はないと言われても…

2014年03月16日 | 日記
 『君の働き方に未来はあるか?労働法の限界と、これからの雇用社会』

は、法学者の大内伸哉さんが書いた新書です。

大内さんの専門は労働法で、現在神戸大学大学院法学研究科の教授です。

「君の働き方に未来はあるか?」と問われているのは若者です。
だからって若者以外の人が読んだらダメってわけじゃあないんです。
実際、読んでいるのは若者よりも、その親世代の人のほうが多いらしいです。
自分自身の心配もあると思うのですが、おそらく
「このままじゃ、あいつ(娘や息子)の働き方に未来はない…」と危惧する親心ではないかと思われます。

どんなことが書かれているかは、大内さんがプロローグのところでちゃんと説明しています。

「雇われて働く」ということは実は「奴隷」と変らない面があること。
こうした状況を改善するために労働法があること。
正社員と言う身分を獲得できると、企業からの優遇があり、この状況はもっと改善されること。しかし、これからの時代は労働法もどうなるかわからず、正社員枠も減っていく…
そうしたなか、最終的に目指すのは、「やりたくない仕事はしなくてよい」と言える自分になること。たとえば、不本意な仕事なら辞めて転職したり、自営でやるといったことです。そのためには「仕事のプロになる」こと。

だそうです!!

なんかすごく難しそうじゃないですか!

壮大な理想ですよ!

言うは易し、行うは難しとはこのことじゃないですか!!

でも夢は大きく持て!ですよ。最終的に目指すところとしては間違ってないです。

興味深かったのは、第5章「イタリア的な働き方の本質」でした。
意外に思うかことがいくつかありました。
まず、1年間の総労働時間ですが、日本が1728時間なのに対して、イタリアは1774時間でした。食べて、飲んで、歌って、恋して、昼寝してのイタリア人のほうが日本人よりも働いているってのが驚きでした。もっとも、日本の場合、サービス残業が当たり前で、これをカウントしてないのだけど…一方イタリアの場合、サービス残業は基本考えられないそうです。それと、自営業の人が相対的に多いせいだとか。
もひとつ、とってもとっても意外だったのは、イタリアではパートで働く人が少ないという事実です。なんで少ないかっていったら、イタリアではフルタイムで働くことこそが、本来の働き方とされているからだそうです!そうなんだ!パートはフルタイムより劣った雇用という考え方が強く、労働者や労働組合がパートの増加を望まないということです。ヨーロッパの他の国では、雇用の創出や雇用維持のためのワークシェアリングの手段としてパートはよく用いられています。日本なんてパートだらけですよね。
年間休日は、イタリアのほうがちょっと多いくらいですが、有給休暇の取得日数が全然違うようです。日本は18.3日、イタリアは28日です。私てきには、日本の18って、そんなに多いんだ~というのが実感です。平均するとこういう数字になるんですね。ゼロに近い人がいったいどれだけいることか…大内さんは、イタリア人はダラダラ働くのではなく、集中して働き、休むときにはきちんと休んで、生産性を上げていると分析しています。私には、国民性のように思えますが…
給与面は他のヨーロッパ諸国と同様に、産業別労働組合があるので、中小企業と大企業で大きな差はなく、職務による違いが給与の差になるみたいです。イタリアは中小企業が多く(日本もですよね!)、労働規制に関しては、中小企業は大企業に比べて規制が緩やかということです。労働者にとっては不利なんですね。
あと、企業が社員の教育を行うというのは日本独自のもので、イタリアはもちろんのこと、欧米では基本スキルアップは自己責任だそうです。
イタリアでは、雇用されている人も、その職業のプロとして、腕を上げ、スキルを磨くことで、給料が上がります。日本だってそうじゃないかって?そう思っている人多いかも…実際には、資格があったり、スキルが高い人ほど、非正規で給料やすかったりしてますよね!!

私はむか~し、まだユーロではなく、リラだった頃、1ヶ月ほどイタリアに滞在したことがあります。働く人はみんな横柄で、つり銭をごまかしたり、くわえタバコで仕事してたり、わからないことは無視をきめこんだり、イヤ~な気分をよく味わいましたが、すぐに慣れました。そんなもんと思えました。今日本では「おもてなし」とかいうもんがもてはやされていますが、よいサービスってのも、慣れると「当たり前」になり、ありがたくないですよね。にたようなものに「便利」ってのがあります。今はどうか知りませんが、90年代初めのイタリアにはコンビニなかったですよ。でもバールとかいう、カフェだか飲み屋だかタバコ屋だか知りませんが、飲み食いできる店があって、朝早くから夜遅くまで営業していました。もっとも日曜日は、どこも閉まってますが。日本じゃ最近盆や正月も店やってますよね。一斉に店が閉まっていたのは、たしか昭和天皇が亡くなった日ぐらいじゃなかったか?
って、それはいいんですが、何が言いたいかって言うとですね
イタリアは不便でしたが、それもじきに慣れちゃうんですよ。ってことは、便利もすぐに慣れて、当たり前になっちゃうんです。で、何もかもが不便に思えちゃうんです。

最後こんな話になってしまいなしたが、未来のある働きかたを目指そう!ってことで!
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金子哲雄さんに聞きたいことがあります

2014年03月13日 | 日記
金子哲雄さんをご存知ですか?

流通ジャーナリストとしてテレビやラジオ、雑誌などで活躍されていた方です。
2012年、10月に肺カルチノイドという病気で亡くなられました。
享年41歳だったそうです。
だったそうです、などと言っているぐらいですから私は金子さんのことを、亡くなるまで知りませんでした。
僕の死に方・エンディングダイアリー500日が出版されたとき、誰だろう、この人?と思いましたが、名前になんとなく覚えがあり、しばらく考えていましたがわかりませんでした。数日経った頃、以前読んだ『「持たない」ビジネス・儲けのカラクリ』の著者であることをようやく思い出しました。
少子化の日本において、所有することのリスクを説き、いかに持たずにビジネスを行うかといったことが書かれた本でした。中身はほとんど忘れてしまいましたが、あとがきに書かれていることは非常に印象に残るものでした。
金子さんは、経済関連の専門誌に経営者むけに「持たない経営」について執筆していたそうです。例えば、正社員を雇用するのではなく、パート・アルバイトの戦力化といった美名のもと、人件費を限りなく抑えながら、最大限の売り上げ・利益を目指す手法などです。ところが、皮肉なことに、正社員が減り、パート・アルバイトの戦力化が進んでくると、経営者むけの雑誌であるがゆえに読者離れも顕著となり、実売部数も減り、自分の執筆機会も失うというジレンマに陥り、何が幸せなのか、わからなくなったと言うのです。
パート・アルバイトの中にも勉強熱心な人はいるが、仕事で成果をあげたからといって、賃金は多少上昇するものの、組織内の地位に大きな変化はないという労働環境のなかで、お金を払ってまで雑誌を読んで勉強する人は少数派ということです。
さんざんっぱら、持たないビジネスのノウハウを書いといて、あとがきがこうですから、なおのこと印象に残っていました。金子さんがこの本を執筆していたときは、闘病真っ最中でした。自分自身を振り返らざるを得ない状況だったのでしょうが、そんなことを知る由もない私は、シニカルでニヒルな人だなぁと思いました。勝手に銀縁メガネをかけた痩せ型のエリートサラリーマンみたいな風貌を想像していました。
ですから金子さんが亡くなった後に出た本の帯の、本人の写真を見て、意外に思いました。小さいときから安いものを買うのが大好きで、スーパーマーケットで世の中の景気を判断する、嫌いなものが一致したことで妻との結婚を決意など…『持たないビジネス』とは全く違う印象の金子さんの姿がありました。
私は実は「持たない」ことに対して、ほんとうに「持たない」ことはいいことだろうか?という思いがあるのです。「持たない」とか「捨てる」がもてはやされるのは、
持ちすぎた反省として当然のことかもしれませんが、それも「持つこと」や「消費すること」がもてはやされたこと同様に、流行でしかないのかもしれないという疑問があるのです。「持たない」ことがそれほど素晴らしいのなら、何もしないのが一番じゃないですか。金子さんにぜひ聞いてみたかったですよ。金子さんはたくさんのものを持っていたと思います。いっぱい考えていっぱい行動して、自ら獲得したものばかりだと思います。そんな両手に花いっぱいの金子さんに、今一度「持たないこと」の利点を問いたいです。
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児童養護施設で育った里親さんのお話でした

2014年03月12日 | 日記
里親研修会に行って来ました。
イヌちゃん、ネコちゃんとの付き合い方…
じゃないんです!!
実は私は人間の里親資格を持っているんです!
ちゃんと県知事から認められているんです!
悪しからず。
人間の場合、この名称はやめたほうがいいのかもしれない…
それはおいといて!
今回は、児童養護施設で育ち、現在訪問介護の仕事をしながらレスパイトケア(養育里親の急用や休養のため、他の里親が一時的に子どもを預かる制度)で子どもを預かっている女性を講師として迎えての研修会でした。

里親になった理由を彼女は次のように話してくれました。

1 児童養護施設や里親家庭で育った人たちは、こういうことがイヤだった、辛かった。もっとこうしてほしかったなど、ネガティブな思いを抱いていることが多い。でも自分はそうではない。ネガティブな部分ばかりではないということを発信していきたかった。

2 子どもたちが再び親から虐待されることがないよう、子どもたちの受け皿になりたかった。実の親に会わなくてもいい、という選択肢があってもいいはずと思った。

3 養育者の気持ちを知りたかった。

彼女は、他人の力を借りて生きてこられた
税金で育ってきた、だから社会に恩返ししたいと言います。

親から養育放棄もされず、虐待も受けなかった私には
想像すらできない考えでした。

施設で育つのはかわいそう、実の親と暮らせないのはかわいそう
そう思う人もいるかもしれません。

彼女は中学生のときに自らの意思で外部に助けを求め、保護されました。
安易な感傷など入り込む余地のない切迫した状況だったのだと思います。

誰しも支払う税金は安いにこしたことはないと思うでしょうが、ひとりの人間を救った現実を鑑みれば、脱税もどきの節税や、収入が少ないゆえの少額税金や無税でお得と思うことは恥ずかしいことかもしれません。別に誰かを批判してるんじゃないですよ!自分が支払った税金が有意義に使われるのはいいもんです、ってなことです!

彼女の話で印象に残ったのは

常識など、当然とされることや、母性のような湧き出るものがわからない…
ということでした。やはり施設で育つとそうなのか…と思ったのではなく、
このようなことは、施設育ちに限らず、よくみられることだと思ったのです。
施設と家庭の差がなくなりつつあると私は感じています。よくない意味で、です。

もうひとつ、施設にいると、将来に希望が持てないというものです。
これも同様に、よくみられることだと思います。
勉強して何になる?明日ごはんが食べられるわけじゃない…というかんじで刹那的になるそうですが、こんな人多いと思います。

施設というハコモノが悪いわけではないはずです。
家庭というハウスがあればいい子が育つわけではないですよね。

施設や里親家庭で育った人がこのような研修で講師を務めることは珍しいことです。
貴重な体験でした。


何年か前には、茨城県高萩市の前市長、草間吉夫さんが講師としていらっしゃいました。
ひとりぼっちの私が市長になった!
という著書があります。
乳児院・児童養護施設で育った人です。
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