人は過ちを犯したらおしまいなのか?

2019年09月06日 | 社労士
自動車の免許更新に行ってきた。
違反者講習を受けたので3時間近くかかった。お金も4000円近く…
平日だし少ないだろうと思いきや、年配者ばかりわんさわんさといた。午前中行った町の図書館とは大違いである。
飲酒運転についてとにかくやかましく言われ、最後はたった一杯のビールですべてを失った真面目なサラリーマンのドラマ鑑賞だった。
後味はすこぶる悪かった。
「人間は過ちを犯さない」が前提となっていたからだ。
妻子のあるサラリーマンが会社の接待でやむなくビール1杯を飲んでしまい、社用車で自宅へ帰る途中、ゴミを出すために道ばたでかがんでいた人を轢いてしまい、気づかずにいたためひき逃げとなってしまい、実刑判決を受けて服役。(飲酒をすすめた上司は執行猶予がついた)被害者は亡くなり、身ごもっていた妻も無理して働いて亡くなってしまった。(お腹の中の赤ちゃんも)残された小さな子どもは施設に預けられた。被害者はシングルマザーだった。中学生の娘は決して加害者を許さず、墓前に供えられた花を地面に何度も叩きつけ、加害者が土下座するシーンで終わった。
ドラマの中では、加害者の勤務する会社に、「殺人犯の会社など潰れてしまえ!」といった電話や、取引先からの契約解除の電話がかかってきていた。
飲酒運転がいかによくないかといったことをわからせるためのドラマなので仕方がないともいえる。
取り返しのつかないことだと教えるにはこれぐらい必要なのかもしれない。
しかし、このドラマには「憎しみ」しか描かれていない。「過ちを犯した者は法によって罰せられ」「社会的に罰せられ」すべてを失ってもそれは過ちを犯した者の必然である。このような論理がまかり通っている。
交通事故の被害者になったら人権はなくなるのか。
抹消されても文句は言えないぞと言うのか。
では、過ちを犯さない人間というのがいるのか。
このドラマと同じ筋立てで冤罪被害者のドラマを法務省は作っているか?
本当に後味が悪かった。
帰りの駐車場で、同じ映像を見たと思われるおっさんが平気で一時停止もしないで出て行った。
「人間は過ちを犯さない」を前提とした制度は絶対にうまく運用できない。
予防という観点で見ればこの教育はゼロ点だ。
コメント
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