お断り
この一連の記事は一度投稿したものですが、若干加筆・訂正などをして再掲するものです。
言葉
言葉(1)
チュニジアの言語はアラビア語らしい。それにホテルなどではフランス語も大体通じるようである。色々と「歴史的な訳あり」でチュニジアはフランスと縁が深かったようだ。ホテルの部屋の注意書き等はフランス語とアラビア語で書かれていて、クラスが下のホテルのためもあるが、英語は余り見かけなかった様に思う。だからそれで私は不便であったかと言うとそうでもない。私は日本語で書かれたものでないと全く理解できない。英語でもフランス語でもアラビア語でも中国語でもハングルでも関係がない。「らしい」と言うのは私には理解できないからである。案内してくれた現地案内人が添乗員に話す言葉は英語である。勿論彼はアラビア語が母国語であるが、通訳としての仕事で英語である。未だ未だチュニジアでは「直接日本語通訳」は望めないし、欧州でよくあるように在住邦人にアルバイト的な説明を依頼することも出来ないだろう。もう少し言えば、日本からの添乗員は結局のところ案内する国の言葉は知らなくても良い。英語が「少々」話せればよいと言うことである。同行者の中には、英語が達者な方が結構おられた。その現地案内人が英語で添乗員に遺跡などの説明をすると添乗員が日本語に翻訳して我々に説明する前に「うん。うん。成程。成程。」と大きく頷いている方が多かった。さすがに添乗員を差し置いて、流著な英語で直接現地案内人に質問するような失礼な吾人はおられなかったが。
言葉(2)
今回の同行者の中にご主人がアラビア語に堪能なカップル(と言うほど「お若く」はない。「ご夫妻」と言う方が正しい。更に少し付け加えると、決して私どもの様な「老夫婦」の域ではない。)がおられた。アラビア語は国連での公用語の一つであるが、我が国では他の外国語に比べて、マイナーな言葉であり、アラビア語に達者な方は珍しい。そして、その奥様は英語が堪能である様に見受けた。ご夫婦揃って外国語OKである。日本語しか出来ない我が夫婦とは大違いである。それで、そのカップルの方にメディナなどの街の中で一緒に歩いて貰うことが多かった。特に我妻は自分の旦那様が当てにならないとわかると専らその旦那を当てにしていた。店での値切り交渉をその方にアラビア語で手伝って貰うと、店の方も嬉しそうに応対してくれていた。それで、随分と交渉が進んだようである。私はと言えば、旅行中アラビア語「の話」をその方に教えてもらった。「の話」がポイントであって、決してアラビア語そのものではない。結構日本語や英語と違っていて非常に最初が難しいそうだ。右から書くこと位は何となく分かっていたが、母音は3母音しかないこと。普通はその母音を表示しないで、子音だけの表示であること。母音を表示するのはコーランの様に絶対に間違って読んではいけない書物、子供が習得するための教科書等だけであること。印刷書体と手書き書体とでは相当異なること。その子音の並びから、派生的にと言うか関連的に色んな意味があること。子音が決定的に重要であること。表音文字と言っても相当経験がいるし、辞書を引けるようになるのが難しいとの話は印象的である。アラビア語の勧めもあった。最近、娘が何を思ったのか、アラビア語の学習をしているようで、娘と競合するのも嫌なので丁重にお断りをした。ミミズが這うような字しか書けない私にその方は多分最適な言葉と思ったのかもしれない。途中本屋に寄って娘の土産用に簡単なアラビア語の絵本の類の本を数冊教えて貰って、購入した。
ホテルのロビーで、その方は現地案内人とお話をされているように見受けた。結構その方のアラビア語は通じる様であった。アラビア語は使用される地域・国などによってバリエイションが多々あるらしいが。確かにその国の言葉が話せると話せないとでは旅の楽しみは「百倍」になり、旅の苦しみは「百分の一」になる。
英語が堪能な奥様は私に仰った。「私は、ヨーロッパとかアメリカとかへ行きたいのです。」「しかし、行先は旦那の権限です。」「その結果、専らアラビア語圏だけです。」それに関して、我妻は私に感謝しなければならない。言葉で行先を決めることは、例えそれが英語圏であってもあり得ないからである。
そして、バスの中で必ず何処へ行っても添乗員さんが教える「こんにちは」のアラビア語「マルハバン」だけは覚えた。
この一連の記事は一度投稿したものですが、若干加筆・訂正などをして再掲するものです。
言葉
言葉(1)
チュニジアの言語はアラビア語らしい。それにホテルなどではフランス語も大体通じるようである。色々と「歴史的な訳あり」でチュニジアはフランスと縁が深かったようだ。ホテルの部屋の注意書き等はフランス語とアラビア語で書かれていて、クラスが下のホテルのためもあるが、英語は余り見かけなかった様に思う。だからそれで私は不便であったかと言うとそうでもない。私は日本語で書かれたものでないと全く理解できない。英語でもフランス語でもアラビア語でも中国語でもハングルでも関係がない。「らしい」と言うのは私には理解できないからである。案内してくれた現地案内人が添乗員に話す言葉は英語である。勿論彼はアラビア語が母国語であるが、通訳としての仕事で英語である。未だ未だチュニジアでは「直接日本語通訳」は望めないし、欧州でよくあるように在住邦人にアルバイト的な説明を依頼することも出来ないだろう。もう少し言えば、日本からの添乗員は結局のところ案内する国の言葉は知らなくても良い。英語が「少々」話せればよいと言うことである。同行者の中には、英語が達者な方が結構おられた。その現地案内人が英語で添乗員に遺跡などの説明をすると添乗員が日本語に翻訳して我々に説明する前に「うん。うん。成程。成程。」と大きく頷いている方が多かった。さすがに添乗員を差し置いて、流著な英語で直接現地案内人に質問するような失礼な吾人はおられなかったが。
言葉(2)
今回の同行者の中にご主人がアラビア語に堪能なカップル(と言うほど「お若く」はない。「ご夫妻」と言う方が正しい。更に少し付け加えると、決して私どもの様な「老夫婦」の域ではない。)がおられた。アラビア語は国連での公用語の一つであるが、我が国では他の外国語に比べて、マイナーな言葉であり、アラビア語に達者な方は珍しい。そして、その奥様は英語が堪能である様に見受けた。ご夫婦揃って外国語OKである。日本語しか出来ない我が夫婦とは大違いである。それで、そのカップルの方にメディナなどの街の中で一緒に歩いて貰うことが多かった。特に我妻は自分の旦那様が当てにならないとわかると専らその旦那を当てにしていた。店での値切り交渉をその方にアラビア語で手伝って貰うと、店の方も嬉しそうに応対してくれていた。それで、随分と交渉が進んだようである。私はと言えば、旅行中アラビア語「の話」をその方に教えてもらった。「の話」がポイントであって、決してアラビア語そのものではない。結構日本語や英語と違っていて非常に最初が難しいそうだ。右から書くこと位は何となく分かっていたが、母音は3母音しかないこと。普通はその母音を表示しないで、子音だけの表示であること。母音を表示するのはコーランの様に絶対に間違って読んではいけない書物、子供が習得するための教科書等だけであること。印刷書体と手書き書体とでは相当異なること。その子音の並びから、派生的にと言うか関連的に色んな意味があること。子音が決定的に重要であること。表音文字と言っても相当経験がいるし、辞書を引けるようになるのが難しいとの話は印象的である。アラビア語の勧めもあった。最近、娘が何を思ったのか、アラビア語の学習をしているようで、娘と競合するのも嫌なので丁重にお断りをした。ミミズが這うような字しか書けない私にその方は多分最適な言葉と思ったのかもしれない。途中本屋に寄って娘の土産用に簡単なアラビア語の絵本の類の本を数冊教えて貰って、購入した。
ホテルのロビーで、その方は現地案内人とお話をされているように見受けた。結構その方のアラビア語は通じる様であった。アラビア語は使用される地域・国などによってバリエイションが多々あるらしいが。確かにその国の言葉が話せると話せないとでは旅の楽しみは「百倍」になり、旅の苦しみは「百分の一」になる。
英語が堪能な奥様は私に仰った。「私は、ヨーロッパとかアメリカとかへ行きたいのです。」「しかし、行先は旦那の権限です。」「その結果、専らアラビア語圏だけです。」それに関して、我妻は私に感謝しなければならない。言葉で行先を決めることは、例えそれが英語圏であってもあり得ないからである。
そして、バスの中で必ず何処へ行っても添乗員さんが教える「こんにちは」のアラビア語「マルハバン」だけは覚えた。