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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

米国一人旅(12):終章:米国出国・帰国

2006年11月04日 | 外国旅行:三題
長かったような米国一人旅も漸く帰国の日になりました。今日から章も終章になります。

米国一人旅(32)終章(1)米国出国(1)
最後の朝食
 「ホテルの朝食もこれが最後の朝食」と些か感慨深げに食べます。もう体力は考えることもないし、長い飛行機を考えて、量は半分ほどです。ウエイターはコーヒーを進めてくれますが、「水分摂取」を控える都合がありますので、今日はこれも半分です。お気に入りの「グレープフルーツ ジュース」も半分です。フロントで長い間のお礼を言って、チェックアウトを無事済ませて、色々とお世話になったボーイにタクシーを依頼します。「タクシーは(来るのに)15分位掛かります。」「何時発ですか?」この辺りは、決して英語に慣れて来たのではなくて、お互いに手振りと時計がありますし、用件は限定的ですので、十分に意思疎通が可能です。出発時刻を英語で告げると、彼は「大丈夫」と日本語で一言。そうです。彼は、ほんの少々日本語の単語を知っているのです。彼も安心したのでしょう。私も安心します。

セキュリティチェック
 これも最後です。サンフランシスコのセキュリティチェックは相当厳しいと思いました。確かに入国はシカゴで良かったと今更ながら思います。それよりも何よりも、ビズネス客が多いシカゴやボストンと違ってゴミゴミしていると言うか、ゴタゴタしています。急にアジアに近づいた感じがします。前にも触れましたが、ここで初めて、靴を脱いでゲートを通ります。ANAの制服を着用した客室乗務員達が行儀良く並んでいる長い列の中を傍若無人に、当然のように割り込んで、先頭に立ちます。航空関係者用のゲートが有るにも関わらずです。日本ではエリートの淑女で、その様な行動は決して、しないであろうにと思ってしまいます。そう言うことが許されるのが
田舎田舎したサンフランシスコの空港です。

出国
 出国はいとも簡単です。旅行会社の説明も「心配は全くない。出国は何もない。」ということでした。「何もないとはどういうことか?」とそれはそれで心配でしたが、本当に何もないのです。「どうぞ勝手に出国して下さい。」のスタンスです。
 入国の時に出入国カードの半分を審査官はパスポートにホッチキス止めをしてくれます。その半分が出国カードになっている訳です。搭乗チェックインをする時に、その半分の出国カードをカウンターの人が、パスポートから搭乗券にホッチキスで止め変えます。そして、搭乗する時に、ホッチキス止めたまま航空券と共にそれを航空会社の人が回収します。出国審査はありません。ですから、折角期待していた「出国印」はありません。どうも、不思議に思います。「出」と「入り」をキッチリと政府の責任でしないのです。ビザ無しの滞在期間が過ぎているとどうするのでしょうか?又、米国市民も同じ扱いかと気になります。まあ、文句を言うことは全くないのは確かですが何処かちぐはぐさが気になります。

自動搭乗管理システム
 ですから、搭乗券は機械に通して半券が出て来る、よく見る「自動搭乗管理システム」(本当は何という機械なのか知りません。)が有ることはあるのですが、そして一応その機械を搭乗者は通るのですが、それは全く無用の長物です。係の人が、手で搭乗券の半分を切って、渡してくれます。ホッチキス止めですから機械に通すことが出来ません。係の人の手元に残った半分に出国カードが貼付されています。確かに搭乗したことを確定するためにと思うのですが、パソコンの端末に、その半券を見ながら、なにやら入力しています。
 それが全てです。出国カードは後ほど審査官に渡されるのか入国管理のデーターベースに直接送信されるのかは分かりませんが・・・。しかし、その作業風景を見て、私は「人と機械と制度のミスマッチ」に米国らしさを実感します。入国審査で指紋と写真を最新鋭の機械で撮られたにもかかわらず、出国審査がないことと共に米国らしい「ちぐはぐさ」をここでも実感します。

免税品店:チョコレート
 セキュリティチェックが終わり、少し歩くと、出国審査がないので、もう、そこには何軒もの免税店が並んでいます。ご多分に漏れず、そこは完全に日本語が通じる店です。「やっぱり、アメリカ、お前もか?」の気分です。手持ちのT/Cも未だ残っています。そこで一応買い物をします。和歌山ではバレンタインデーにしか売っていないと言う「GODIVA」のチョコレートの山がまず目に付きます。何故米国産でないベルギー産を山のように売っているのか不思議です。空港の免税店ですから、国際的なのは分かります。それに有名には違いないのですが。チョコレートと言えば終戦直後の小さい時に食べたアメリカの「ハーシー」。それなのに何故?と思います。土産に関しては、いつも一言ある妻に「これなら」と言うことで、家庭用に幾つか買います。

米国一人旅(33)終章(2)米国出国(2)
免税品店:レシート
 次です。最近は免税と言っても、酒類は日本の酒屋の方が安くて品数も豊富にあるために、皆さんは余り買わないようですが、オールドスタイルの私はバーボンウヰスキーを買います。残りの$でボールペンを。ボールペンはハーバード大学生協で買った物がありますが、ここは端数整理です。
 ほかの人は何を買っているのかと見渡すと、化粧品とか香水を中年の男性も若年の男性も物色しています。これ等が米国土産の定番のようです。少々羨ましくは有りますが、誤解の種になりそうで、うっかり購入する訳にはいきません。これで最後の仕事が終了です。そうすると、レシートをくれます。「商品は搭乗する時にお渡しします。」

両替
 これで一段落です。土産の到着を待つばかりです。搭乗ゲートの椅子で帰国した時のために、日本用の財布を見ます。何と、千円札も入っていません。5百円硬貨と10円硬貨だけです。これでは、帰りのバス賃もありません。万が一の日本税関での関税支払いもあるかも知れません。関空で日本円両替は荷物が有って大変です。慌てて、両替をしてくれるところを探します。探しながら、ウロウロと端から端まで何回か往復。シカゴを思い出して、一人苦笑いです。有りました。$のT/Cをそこで「日本円」に両替して貰います。残った$紙幣とT/Cは米国でなくても使用できます。端数は$と¢でくれます。今更嫌ですが、仕方がありません。円レートが更に高く、ムカッとしますが、これもやむを得ません。

免税品は何処で貰う?
 搭乗待合いで幾ら待っていても肝心の商品は届きません。既に搭乗が始まっています。まあ、格安切符の搭乗は最後だから慌てる必要はないのですが、「未だ待つのか」と思案しながら、お門違いの航空会社の人に(関空便と言うこともあって、日本語が通じる人が此処にもいます。多分このサンフランシスコの国際線ターミナルで、免税店を含めて、日本語が通じるのは日本着の便がある時間帯だけだと思うのですが)「免税品は何処で貰うのですか?」と聞きます。その人は「中で」と言います。
それでもよく分からないままに、まあ、いいか」と思いながら、搭乗口に向かいます。そこで例の出国カードの回収を行っています。そして飛行機に乗る通路に入ると、商品があるのです。立派な受け渡しカウンターがあって手渡す係員がいます。ホッとします。免税品の袋は、私の分を含めてもう二つしか残っていませんでした。

出国とは?
 間違っているかも知れませんが、その出国カードが回収されるまでは、未だ完全に我々は米国の支配下にあります。そのために免税品はその後でないと免税品にならないと言うことのようです。免税店で酒を買って、そこでその品物を貰って、搭乗ゲートの待合所でその酒を飲むと、これは免税扱いでなくなるという訳です。出国はその出国カードを渡すその瞬間に、搭乗ゲートに入る時に、なります。日本の制度ではこれも多分ですが、出国審査が終了し、出国印が押されたその瞬間に出国したことになります。ですから、免税店で買った商品を受け取ることが出来る訳です。その酒を飲んでも良い訳です。帰りの飛行機の中で、漸く安心して「ビール」を飲みながら、これも「最後に」ですが、考えたことです。

アルカトラズ島
 ほぼ写した写真は網羅したのであるが、一カ所だけ抜けていた。ここに入れるのは順序としてはおかしいが、米国出国間際に入れておこう。サンフランシスコ湾にあるアルカトラズ島である。何が有名かというと、アルカポネとかの更生不可能な囚人が入っていた刑務所があるのである。今は勿論その機能は無くて米国国立公園として管理されていて、観光客が訪れる。国立公園は、何でも良いのかと思案してしまう。日本語のパンフレットもあり、又、日本語のオーディオ解説もある。その日本語のオーディオ解説は単なる説明でなくて「ラジオドラマ風」に仕立てられていて、如何にも刑務所にいるように思わせてくれる。
 最初の写真は、玄関である。1960年代だったと思うが、ネイティブアメリカンに占領された面影が残っている。

 中の写真は刑務所の中である。独房ばかりであった。立派な図書館も確かあった。

 最後の写真はその島からサンフランシスコを撮したものである。湾の孤立した島で流れが幾ら速くても、この対岸の風景を見ると脱獄したくなるのも無理はない。もっとも、囚人達がこの風景を見ることが出来たかどうかは良く分からない。



米国一人旅(34)終章(3)帰国
日本入国
 入国審査では、パスポートを返して貰った時に、「サンキュー」と
英語が思わず出てしまいます。此処はわが祖国日本ですが、2週間の慣れがそうさせるのです。日本の税関では、「他に免税品とかは有りませんか?これが全てですか?」「滞在はアメリカだけですか?」と聞かれました。「このアルコールが全てです。カナダに入国しましたが、数時間ナイヤガラだけです。」初めてです。個人の旅行では一応聞くのかなと思いましたが。米国でなくて良かった。


携帯の返却
 役だった携帯に有り難う。それを返却して、私の携帯が使えるように、手順通りの作業をします。帰りはバスです。最寄りのJR駅で荷物を持って階段を上がり下がりする元気はもうありません。妻に和歌山駅東口に着く時刻を電話し、そこで携帯は電池切れ。何となく「全てがギリギリセーフ」を象徴する旅行の最後のハプニングです。

出来なかったこと
 当初の計画から見ると、ニューヨークは滞在時間2時間ほどで、やはり一泊をと思います。鉄道を利用したシリコンバレーは、サンフランシスコで一日雨に祟られて結局行くことが出来ませんでした。車の運転はAさんの車が大き過ぎて、練習が出来なかったために、断念。これはしかし、練習できたとしても、サンフランシスコのあの坂道と一方通行の多さに戦意喪失は間違いありません。という訳で、運転の機会は有りませんでした。ボストンでは、交響楽団の演奏、サンフランシスコではジャズの演奏を聴きたかったのですが、切符売り場を見つけることが出来ずに断念しました。これらは残念といえば残念ですが、それ以上の経験をしたように思えます。


お礼
 この旅行については多くの方々の支援がありました。何はともあれ、ケンブリッジのAさんです。本当に迷惑を掛けました。有り難う御座います。旅行会社和歌山支店海外旅行課長さんの営業を超えた多くのアドバイスは色んな場面で有益で、安心感を与えてくれました。「話せなくても、心配は要りません。単語だけでいいです。表示が理解できれば何とかなります。」と言いながらも心配頂き、何かにつけてのノウハウの教えに勇気づけられました。何人かの知人の最新の体験に基づいた諸注意は有り難かったです。

 最後で恐縮ですが、リュックザックに妻が付けてくれたお守りと手縫いの「貴重品袋」です。妻が出来る精一杯のことです。「一緒に」と誘った時に「パックツアーと違って、足手まといになる。」とのことで遠慮した妻がそのために買って付けてくれたお守りと作ってくれた貴重品袋です。無事帰って暫くしてから「もっと早く行かしてあげれば・・・。」の言葉に今も感謝しています。何時もそれらを見ながら、旅行の安全と妻の心配顔を思い浮かべながらの旅行でした。お守りには、お礼参りを
しなければならないと思っています。


 長かった「米国一人旅」もこれで終わりです。愛読下さった方に厚くお礼申し上げます。




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