バラバラでいっしょ(2005年8月5日)
墓参りの参道を歩いているとカラーで「パラパラでいっしょ」の看板がずらりと並んでいます。「へエー、大谷さんも粋なモンや。ディスコパーティか?」(「大谷さん」は東本願寺の墓所の通称です。)しかし近づいて、よくよく見ると「バラバラでいっしょ」「うん。うーん。」「ブログをヨイショ」でクドクドと話したことがこの言葉に凝縮されている。参った!!
長屋のお墓(2005年8月8日)
墓参りの続きです。大谷墓所は、山の斜面に有ります。しかも敷地の広いこと。そこに、小さいお墓がひしめき合っています。立錐の余地がないとはこのことです。およそ墓石の廻りに空間がないのです。ですから、雑草が生える余地もありません。「墓掃除無用」です。供える花も色花は余りなくて、質素に。所々、少し大きいお墓もありますが、さしずめ、長屋の大家さんの感じです。
京都市内を見下ろせて、その景色を自慢するのですが、墓参りに来て、景色を褒めてどうする?景色ばっかりで選んだのでは無さそうです。多分安かったのだろうと思います。正に「長屋のお墓」という感じがします。
お墓へ行く道は舗装されています。最近「手すり」も設置されました。介護保険から捻出したのではないでしょうが、大助かりです。昔、婆さんと墓参りした時に、遙か下で「私はここから拝んでおく。」と言って、下で待っていました。そして、帰りには外食か「南座」へ。それに釣られて「さいら」は喜んでのお供でした。
「さいら」もボチボチ「下で待っている」年齢になりました。
法名板(2005年8月8日)
もう一つ墓参りの話。これがとりあえず最後。
どの宗派も同じかも知れませんが、真宗では、墓参りをすると必ず、法名(他の宗派では戒名)板をお墓に立てて帰ります。法名板は大層なものではありません。長さ20センチ、巾5センチ、厚さ0,5ミリ位のものです。そこに、墓参りした日にちと氏名、そして、法名、或いは先祖代々と書きます。法名や先祖代々は一番大切なので、大きい字で中央に書きます。
しかし、真に重要なのは氏名と日にちです。「この人、久し振りやなあ。来てくれはったんや。」「あの人この頃来てないなあ。元気かしら?」
法名板は墓参りをした証拠となる大事な「お名刺」なのです。
2011年 親鸞聖人 750回御遠忌 テーマ(2006年8月15日)
先日京都へ墓参りに行った。東本願寺の墓所への参道には今年も標語が幾つも並んでいた。

去年の標語は「バラバラでいっしょ」去年は知らなかったが、どちらも、2011年 親鸞聖人 750回御遠忌のテーマ。今年のテーマは昨年とがらりと変わっていた。今年のテーマは「さいら」には理解が難しい。しかし、何回か見る内に何となく、分かるような気もする。昨年と同じ流れの中のテーマの様に思える。
昨年は空間の広がりの中で。今年は時間の流れの中で、「人」と「自分」との繋がりを考えてみよう。間違っているかも知れないが・・・。
明日は墓参り(2007年8月10日)
今日は、和歌山の和尚さんに念仏を。明日は京都の東大谷へへ墓参り。と言う訳で、明日の分を今晩に。昔、母親が未だ未だ元気だった頃であるが、墓までの長い石段を見上げながら「私は今日はここからお参りするから、あんたらで行って来て」と言って下から手を合わす。「さいら」が小さい頃婆さんが言った台詞である。それを見て、「そんなんでええんか?」「なまくらな」と思ったが、今はその婆さんと母親の気持ちが十分過ぎる程理解できる年齢になってしまった。
それと夏の京都は暑い。よくそんな所に冷房もなく住んでいたと京都人の我慢強さに今更感心する。そのためか、我が家ではお客様以外の時は冷房無しである。
墓参りの参道を歩いているとカラーで「パラパラでいっしょ」の看板がずらりと並んでいます。「へエー、大谷さんも粋なモンや。ディスコパーティか?」(「大谷さん」は東本願寺の墓所の通称です。)しかし近づいて、よくよく見ると「バラバラでいっしょ」「うん。うーん。」「ブログをヨイショ」でクドクドと話したことがこの言葉に凝縮されている。参った!!
長屋のお墓(2005年8月8日)
墓参りの続きです。大谷墓所は、山の斜面に有ります。しかも敷地の広いこと。そこに、小さいお墓がひしめき合っています。立錐の余地がないとはこのことです。およそ墓石の廻りに空間がないのです。ですから、雑草が生える余地もありません。「墓掃除無用」です。供える花も色花は余りなくて、質素に。所々、少し大きいお墓もありますが、さしずめ、長屋の大家さんの感じです。
京都市内を見下ろせて、その景色を自慢するのですが、墓参りに来て、景色を褒めてどうする?景色ばっかりで選んだのでは無さそうです。多分安かったのだろうと思います。正に「長屋のお墓」という感じがします。
お墓へ行く道は舗装されています。最近「手すり」も設置されました。介護保険から捻出したのではないでしょうが、大助かりです。昔、婆さんと墓参りした時に、遙か下で「私はここから拝んでおく。」と言って、下で待っていました。そして、帰りには外食か「南座」へ。それに釣られて「さいら」は喜んでのお供でした。
「さいら」もボチボチ「下で待っている」年齢になりました。
法名板(2005年8月8日)
もう一つ墓参りの話。これがとりあえず最後。
どの宗派も同じかも知れませんが、真宗では、墓参りをすると必ず、法名(他の宗派では戒名)板をお墓に立てて帰ります。法名板は大層なものではありません。長さ20センチ、巾5センチ、厚さ0,5ミリ位のものです。そこに、墓参りした日にちと氏名、そして、法名、或いは先祖代々と書きます。法名や先祖代々は一番大切なので、大きい字で中央に書きます。
しかし、真に重要なのは氏名と日にちです。「この人、久し振りやなあ。来てくれはったんや。」「あの人この頃来てないなあ。元気かしら?」
法名板は墓参りをした証拠となる大事な「お名刺」なのです。
2011年 親鸞聖人 750回御遠忌 テーマ(2006年8月15日)
先日京都へ墓参りに行った。東本願寺の墓所への参道には今年も標語が幾つも並んでいた。

去年の標語は「バラバラでいっしょ」去年は知らなかったが、どちらも、2011年 親鸞聖人 750回御遠忌のテーマ。今年のテーマは昨年とがらりと変わっていた。今年のテーマは「さいら」には理解が難しい。しかし、何回か見る内に何となく、分かるような気もする。昨年と同じ流れの中のテーマの様に思える。
昨年は空間の広がりの中で。今年は時間の流れの中で、「人」と「自分」との繋がりを考えてみよう。間違っているかも知れないが・・・。
明日は墓参り(2007年8月10日)
今日は、和歌山の和尚さんに念仏を。明日は京都の東大谷へへ墓参り。と言う訳で、明日の分を今晩に。昔、母親が未だ未だ元気だった頃であるが、墓までの長い石段を見上げながら「私は今日はここからお参りするから、あんたらで行って来て」と言って下から手を合わす。「さいら」が小さい頃婆さんが言った台詞である。それを見て、「そんなんでええんか?」「なまくらな」と思ったが、今はその婆さんと母親の気持ちが十分過ぎる程理解できる年齢になってしまった。
それと夏の京都は暑い。よくそんな所に冷房もなく住んでいたと京都人の我慢強さに今更感心する。そのためか、我が家ではお客様以外の時は冷房無しである。