Heal-log

つれづれなるままに。

イタリアその5:ポンペイ時間。

2006年09月19日 | 


9月19日、朝からポンペイ遺跡へ出かけた。
(写真は遺跡内の広場=フォロからヴェスヴィオ山を望む)

火山の噴火で一日で滅びたというポンペイの話を知ったのは小学生の時。
何かの本で見た「逃げ遅れた人」の骸骨の写真が印象に残っている。
その女性の指にはルビーの指輪が嵌ったままで、噴火の急さを物語っていた。


ナポリからポンペイまではCircumvesuvianaという周遊鉄道で40分ほど。
ポンペイを廃墟に追い遣ったヴェスヴィオ山の名前が含まれている路線だ。
ヴェスヴィオ山。
その名前を聞いて、急に「フニクリフニクラ」の歌詞が浮かぶ。
「あれーが火の山ベスビアスー、ひのやまー、ひのやまー」の火山はこれか!

この時に本日のテーマソング決定。
(しかし、この歌はどのような経緯で「おにのぱんつ」になってしまったのだろう)


40分でポンペイ・スカービ駅に到着。
スカービとはイタリア語で「遺跡」の意味らしい。


駅から遺跡の入り口までは5分とかからない。
チケット(11ユーロ)を購入したら、いよいよ遺跡に突入。
最初の門は自動改札だった(!)。

ポンペイが時を止めたのは、西暦79年8月24日。
2000年近くを一気に遡る。


これはバジリカ。裁判や商取引が行われた場所との事。
外側と内側、異なる2種類の柱で支えられていたようだ。


遺跡中の街区は綺麗に残っている。
道路と呼べる広いものも路地のような狭い道もある。
狭い道には馬車が入れないように車止めもあった。
写真は道に遺された馬車の轍の跡(左右に走っている)。
この道はメインストリートで、轍も私の踝まではまるほど深かった。


これは「ヴェッティの家」の内部。修復中なのか、中には入れず。
この家は壁画で有名だそうだ。
裕福な商人の家らしい広さ。


赤い文字が書かれた民家の壁。
何でもこれは、選挙ポスターのようなものだとか。
こんなに綺麗に残っているなんて、現代と同じように「ポスターには触るべからず」というお触れがあったのだろうか?
ちなみにこのように壁画や文字がある外壁はアクリル板で保護されている。


歩き回った最後は円形闘技場。
ローマのコロッセオよりも小さいけれど、保存状態は良い。


コロッセオのアリーナには下りられないけれど、ここでは降り立てる。
意味もなく走りたくなるのは何故だろう。

ちなみに建物のいくつかは物品の倉庫になっていて、中には人が安置されているところもあった。


逃げ遅れた人の石膏型。
火山灰の中に埋もれた死体は、年月を重ねるうちに腐ってなくなってしまい、空洞として残ったらしい。
そこに石膏を流し込んで、人を復元しているのだそうだ。
幾つかは骨が残っていたし、その姿勢は、紛れもなく「人」のものだと実感。


古代ポンペイの街はとても静かだ。
有名な観光地で沢山の見物客で賑わっているにも拘らず、そこにはある種の「静けさ」のようなものが立ちはだかっている。
道路の上に立ち、壁に手を触れても、景色と自分の間には一枚のアクリル板のような隔たりが存在するのを感じた。

天災である日突然滅びて、それから二度と人が立ち入ることすらなかった空間。
そんな状況が、独特の雰囲気と時間の流れ方を作っているのだろう。
フォロ・ロマーノよりもアユタヤよりも兵馬傭よりも、ポンペイは静かな場所だった。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (rayray1)
2006-10-12 00:27:37
ポンペイは、オーストラリアにいたときの歴史の授業で初めて知ったわいな。けっこう衝撃的だったのを覚えている。



最近の兵馬傭には、ドイツ人が紛れるからな。そらうるさいかもだな。
>rayray1 (hiro)
2006-10-12 19:47:07
これやな・・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000956-reu-ent



ばりわらけた!!!