ハーモニカな日乗

すばら式ハーモニカライフ、ガーデニングなどその他日常雑多を綴る。

足の踏み場もない ~コレクション考

2021年03月15日 | どうでもよい話

ここのところ、知人の知人が高齢のため、長年にわたって収集してきて本や雑誌等コレクション(テーマはいろいろ)を処分するということで、その片付けを何日も手伝っていましたが、一昨日の日曜日ようやく終わりました。

コレクションとしてどうしても残したいもの、古書店に売るもの、ゴミとして捨てるものを分別する作業は膨大。埃まみれです。
古書店も必要なモノしか引き取りません。残った本は新古書店に持ち込んでみたらとのこと。残すモノだけで段ボール箱約40箱。どこに保存するのか、それが問題。

 

 

それにしても、この方、まずもって、買ったモノ、手元に来たモノはまったく捨てなかった。
買った本や雑誌のほとんどにカバーをする几帳面さ。カバーは大型封筒や包装紙など使えるものはなんでも使っていました。従ってカバーを取れば新品同様です(カバーをはがす作業が一番時間がかかりました)。

また、送られてきた手紙、はがき、電車の切符、旅行に行ったときの観光パンフから絵はがき類まであらゆるものが残っていたのです。

 

感歎! オー・マイ・ガット!


それが何十年にもわたると、部屋中、足の踏み場もない、床がまったく見えないゴミ屋敷になる。
東日本大震災で積み上げていた本や雑誌類が崩れて以来、床が収納場所になったとのこと。20年くらい独り暮らしだったので文句を言う人もいなかったのです。


(10年前の東日本大震災の時、ボクが勤めていた会社では、10本あった書棚と書棚の間の通路は崩れた本や雑誌で埋まってしまいました。下記の写真。忙しかったので、1ヵ月半以上片付けなかったことを思い出しました)

2011年3月11日17時頃、外出から帰って来たらこうなっていました

      

 

「起きて半畳寝て一畳」とはこのこと。人はこのくらいのスペースさえあれば生きられる。別にそれで困らなかったのでしょうねと皆で納得。

 

とにかく、永年集めてきた本や雑誌、グッズ、あるいはCD、レコード、カセットテープ、写真,新聞の切り抜きなど、本人にとっても思い入れがあり、目の黒いうちは捨てられないですよね。
しかし、家族にとってみれば、ただのゴミ。邪魔なだけ。場所ふさぎ。
死んだら真っ先にゴミ焼却場行きです。

これって、思い当たる人はたくさんいらっしゃることでしょう。


それが目利きの人にとって宝の山だったとしても。

お手伝いに行った先は、私の目にも宝の山に映ります。
古本屋さんでは引き取らない雑誌やムックでも、ある年月、あるいはシリーズで揃っているので、メルカリやヤフーオークションで売れそうとか。
(ボクは売りさばく商売っ気がないので貰ってきませんでしたが)

すでに家族の方が古本屋さんに一部売ったら結構な値段になったとのこと。


いただいてきたモノがあります。
クラシックの名曲全集(フルトヴェングラーやカラヤンの古い録音で、モノラルだったりしますが名演奏です)、イージーリスニング全集(レイモン・ルフェーブル、パーシー・ヒースオーケストラなど)、贈答品の食器類、卓上鉄板プレート(新品、保証書は昭和55年!使えました)。
これも考えてみればわが家にモノが増えたことにもなり、いずれ邪魔になるかも。

 

しかし、ボクの部屋も8年経ち、見渡せば広かったはずの床が狭くなっています。
別に狭くなっても手の届く距離にあるので不便さを感じません。当人にとってはそういうものですよね。