1920年に朝鮮半島で生まれた文鮮明は、25歳までは日本人だった。
「日本統治化で生まれた韓国人が日本人になるわけではなかろう」って批判する人がいましたが、当時、文鮮明が旅券を取ったら、日本のパスポートが支給されました。と、先日、文鮮明をよく知る方から聞きました。
ってか、1941年に文鮮明は日本に留学に来ました。そのときにパスポートを取ったんだろうか。日本統治の朝鮮半島から日本の本島に来るのに、パスポートは要らなかったんだろうか。
だから何だ、というわけではありませんが、ネットにないので取り急ぎ。
日本人には日本語で喋ってました。ダジャレが好きだったよう。
そんな「身内」の日本に対し、韓国よりも遥かに先んじて経済発展していることから、「地上天国」を早期に形成しようとして、大きな期待と責任を与えた。
その「焦った」営みが、反家庭連合からの「霊感商法キャンペーン」などにつけ込まれました。