孟子は「至誠通天」なんて言っていない。
でもみなさん孟子の言葉と勘違いしている。
中国古典に通暁しているSBI北尾吉孝さんも、「至誠通天」(至誠、天に通ず)が孟子の言葉だと解釈している(『心田を耕す』35頁)。
北尾さん、間違っていらっしゃいます。
北尾さんのように、「至誠通天が孟子の言葉」と論じるネット記事は無数。一部、吉田松陰の言葉とする人も。
いずれも間違いのはずだ。
『孟子』離婁(りろう)上十二章 には、これも有名な
至誠にして動かざる者ものは、未だ之れ有らざるなり。
ってのがあって、みなさん、これを勝手に「至誠通天」と解釈している。
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ま、孟子の精神を表しているからいいんですが、いずれにせよ「至誠通天が孟子の言葉」というのは間違い。みなさん、ウラをあまり取りませんからね、、、
今晩あたり、自宅蔵書の『孟子』で再確認を試みようかな、、いや、ネット検索した方が早いかな、、
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ちなみに、私も好きなガンディの You must be the change that you wish to see in the world (世界を変える前に自分が変われ)も、「ガンディがこれを言った」という文献はない。
なのに、世界中で、これが「ガンディの言葉」として知られています。
この孟子とガンディの2つは、ネット記事が如何にテキトーか、ということの代表例です。
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ただ、「あの人ならこういうことを言いそうだ」として、かっこいい言葉が、その人が言ったこととされる。英雄とはそういう者かもしれない。
よし。
将来、オレも、「●●●●」が中山達樹の言葉(だけどその文献は見当たらない)ってされるくらい、ぐゎんばる!