「玩具船 豊臣棄丸所用」 (がんぐせん とよとみすてまるしょよう)
京都国立博物館で開催中の 「特別展観 遊び」 を見てきました。
今回、特に見たかったのは、豊臣秀吉が我が子・棄丸(すてまる)のために作製させた、おもちゃの船です。
おもちゃといっても、長さ202.3cm、幅99.2cm、高さ107.0cmというスケールです。
このスケールで、金を塗った船体は、まさに秀吉のイメージにピッタリな感じがします。

棄丸は、秀吉が53歳で淀殿との間に授かった待望の男子でした。
このおもちゃの船は、棄丸を乗せて子守用をするために作らせたものです。
そして、子供が喜ぶように特殊な工夫がされていました。
この写真では見えませんが、中央の船体に隠れた部分にひとつ大きな車輪があり、実は五輪車なのです。
下の写真は、その基本構造の復元模型です。

中央の車輪の軸が、わざと車輪の真ん中からずらした位置に通っています。
そのため、この車輪が回転すると船が上下して、まるで波に揺れているような動きをする設計だった。
そうした可能性が考えられています。
ただし、このおもちゃの船は、傷みが少なく、使われた形跡があまり見られません。
棄丸が病弱で、わずか数え年3歳で没したことを考えると、せつなくなってきます。
このおもちゃの船は、「玩具船 豊臣棄丸所用」として、棄丸の葬儀が行われた妙心寺(京都市右京区)に所蔵され、現在に至っています。
京都国立博物館で開催中の 「特別展観 遊び」 を見てきました。
今回、特に見たかったのは、豊臣秀吉が我が子・棄丸(すてまる)のために作製させた、おもちゃの船です。
おもちゃといっても、長さ202.3cm、幅99.2cm、高さ107.0cmというスケールです。
このスケールで、金を塗った船体は、まさに秀吉のイメージにピッタリな感じがします。

棄丸は、秀吉が53歳で淀殿との間に授かった待望の男子でした。
このおもちゃの船は、棄丸を乗せて子守用をするために作らせたものです。
そして、子供が喜ぶように特殊な工夫がされていました。
この写真では見えませんが、中央の船体に隠れた部分にひとつ大きな車輪があり、実は五輪車なのです。
下の写真は、その基本構造の復元模型です。

中央の車輪の軸が、わざと車輪の真ん中からずらした位置に通っています。
そのため、この車輪が回転すると船が上下して、まるで波に揺れているような動きをする設計だった。
そうした可能性が考えられています。
ただし、このおもちゃの船は、傷みが少なく、使われた形跡があまり見られません。
棄丸が病弱で、わずか数え年3歳で没したことを考えると、せつなくなってきます。
このおもちゃの船は、「玩具船 豊臣棄丸所用」として、棄丸の葬儀が行われた妙心寺(京都市右京区)に所蔵され、現在に至っています。
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