岸岳城 ① -謎多き天険の名城-

2012-12-16 22:12:24 | うんちく・小ネタ
岸岳城 きしだけじょう (佐賀県唐津市)


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岸岳城は、佐賀県唐津市にある山城です。
標高320メートル(比高310メートル)の岸岳山頂の尾根筋に、延長1キロメートルに渡って曲輪群を連ねる大城郭です。



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城が立地する岸岳は、標高200メートル辺りから上は切り立った急崖になっています。





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山頂の尾根筋は、広いところは幅が十数メートル程あって曲輪を構えるのに都合良く、




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逆に狭いところでは幅がわずか数メートルしかなく、露出した岩盤が侵入路を塞ぎ、まさに天険の要害と呼ぶにふさわしい名城です。




その一方で、岸岳城は謎の多い城でもあります。
いつの時代に築城され、どのような経緯で大城郭に発展していったか、確かな史料が無くて明らかではありません。

通説では岸岳城の歴史は、平安時代末期に松浦郡波多郷を分与された源持(みなもとの たもつ)が波多氏を名乗り、岸岳に築城したことに始まるとされています。
戦国時代、波多氏は大友氏・龍造寺氏の二大勢力の軍事的圧力に晒され、またある時は、相続をめぐる一族の内紛という危機にも見舞われました。
こうした軍事的な緊張の中で、岸岳城は次第に大城郭へと改修されていったと考えられます。

持から数えて17代目とされる波多親(はた ちかし)は、龍造寺隆信と和議を結びその傘下に入り、上松浦地方を領有する大名となります。
しかし文禄2年(1593)、波多親は豊臣秀吉によって突然改易され、常陸国の筑波山麓に配流されます。
こうして波多氏は断絶してしまいました。




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地元の伝承では、波多氏の改易によって岸岳城は廃城となったとされています。
しかし、現存する石垣や縄張の遺構は、岸岳城は少なくとも江戸時代の初期まで存続し、さらに堅固な城に改修されていったことを示しています。





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