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南紀へ・・・⑤紀州藩の支城・田辺城の貴重な遺構「田辺城水門跡」

2023-06-29 15:12:55 | 旅行

きょうも蒸し暑く 只今31℃まで上がっています~が下り坂の予報~

梅雨本番になってきました~

 

それでは・・・南紀小旅行二日目は・・・ホテルから10分ほどの所にある「田辺城水門跡」へ・・・

「会津川」沿いに行くと

「錦水公園」の

小さな神社の横から

下へ下りる石段があって

わくわく!しながら下りて行きます~

田辺城水門跡(たなべじょうすいもんあと)

田辺城は錦水城(きんすいじょう)ともいわれ、浅野氏が会津川河口左岸に湊城を築いたあとに、元和5年(1619年)安藤直次が田辺藩主になってから築城した平城で内堀と外堀が掘られていました。明治初年に廃城となり城郭は解体され、その後、堀も埋められました。今では、会津川に面した水門跡がわずかに昔の面影を残しています。また、町割りは外敵の侵入を遅らせるため全てT字路で交わるように計画されました。(田辺観光協会より)

埋門型の水門

先に「会津川」

石垣が苔むして・・・

左にも階段が・・・

あとで判ったのですが、上に上がると「錦水公園」でした。

駐車場が見つからないので、私一人(小心者)恐る恐るで・・・

上がってみようかな?と思いましたが無理をしては

ここは・・・

熊野水軍が利用したのかな?と・・・帰ってから調べてみました

紀州藩の支城・田辺城の貴重な遺構

元和元年(1615年)の元和の一国一城令で廃城となり、その後は陣屋が築かれたため、藩政時代に城として機能したのは10年弱のこと。
城門は東向き、裏門は、本丸南の二の丸側に、そして水門が会津川側に配されていました。
田辺城水門跡は、錦水神社を目印にアプローチし、錦水神社脇に水門に降りる階段があります。

市街化が進み、田辺城跡周辺には駐車場がないため、車で訪れる場合には田辺市営扇ヶ浜海岸駐車場の利用を。
扇ヶ浜には「熊野水軍出陣之地」の石碑がありますが、これは平安時代末期、源平合戦の屋島の戦いで、平家とも関係が深かった21代熊野別当・湛増(たんぞう)が、源氏に味方し、紀伊田辺から出陣した熊野水軍が戦の趨勢(すうせい)を決着させたことを記念して昭和47年に建立された碑。

田辺城水門は、熊野水軍の末裔が利用した門だったのかもしれません。(ニッポン旅マガジンよりお借りしました)

入って来た石段から戻ります~

 

上がって、振り返って・・・

「すいもんばし」

道路に出て橋の上から 

 

「錦水公園」へ・・・

錦水神社の横に石段が!

下からこの階段を上がれば真っすぐ上がれたのです~

「錦水神社」

ここは穴場のようです

誰にも出会うことなく見て周れました

この後、世界遺産の「闘鶏神社」へ・・・つづきます~



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