カレーなる隣人

カレー(華麗)なる隣人。それは日々街の至るところで出会ってしまう、すくうカレースプーンの先に映る人間像

於:自宅

2008年08月19日 | 隣人(カレー)
「財布なくしました↓」


昨日会社でランチに行こうとしたら、財布が鞄に入ってなかった。
いつものように家に置き忘れたなと思い、
非常用の鞄のポケットに入っている1000円札でランチを済ます。

夜はこれまた、「カードがあれば」ということで、会社の先輩のYさんとAさんと飲みに行ってしまう。

そして、半ば安心して帰宅し、「さて、財布はどこかな」と軽い気持ちで探し出すも、いつもの棚の上にない、このあたりからちょっと不安に。
そして日曜日に使ったバッグの中を期待を込めて、逆さにして漁ってみたが「ない」。やばーい、もう完全に酔いはさめた。

洗濯物の中やベッドの下など、かなり可能性は低くなっているポイントにも一抹の期待を込めて探すアクションを起こしてみたものの「やっぱりない」

完全に紛失

という現実を受け入れなければいけない時間に差しかかってきた。


しかし、受け入れてしまえば意外とあっさりしたもので、私の昨晩の睡眠はすこぶる快適であった。


さて、朝起きたら早速近くの交番に紛失届けを提出した。
そしてその後、心当たりのある藤沢警察署に電話をしてみる。
すると、幸運なことに「私の免許証が入った財布」が届いていたのだ。

「ありがたや、ありがたや、届けてくれた人、ありがたや」

早速夕方に引き取りに行き、なんでも落し物は会計課というところが担当しているようなので、そこに行き、自分の財布と対面した。

「やった、カードがある」と喜んでいると、

「はい、あと210円」

と担当者が渡してくれた。

「さすがに甘かった」
たぶん1万数千円の現金が入っていたのだが、さすがにそれはなかった。
「まあ、免許証とカードさえ帰ってくれば御の字だ」


現金を持っていった人にはきっとポリシーがあったに違いない。

「女には手をあげない」っていう男とか
「貧乏人は騙さない」とかいう詐欺師
みたいな類の自らの行動基準だ。

きっと、この現金を持っていった人は、
「お札は持っていくが、小銭には手をつけない」
「名前の入っていないカードは持っていくが、名前入りには一切手を出さない」
みたいな。

だから、
お札の1万数千円はもっていかれ、小銭の210円は残り、
図書カードは持っていかれ、クレジットカードは残った。

やっぱり人間、行き過ぎとか、全部っていうのはダメで、自らにラインを設けなければいけない。それがきっと大人である。


今晩、私は「夏限定レトルトカレー Lee30倍」を食べた。

このカレー、はっきり言ってかなり辛いです。カレー好きな私でも多少手に余るくらいに辛い。しかもこの30倍を45倍までパワーアップさせるアイテムがこのカレーにはついている。
「ジョロキア」という唐辛子を使った小袋の辛味調味料だ。

若い私だったら間違いなく、いくら辛くても「使わなきゃ損」という貧乏根性丸出しな気合で、このチャレンジアイテムを使い切っていたに違いない。そして後悔するのだ。使わなければよかったと。

しかし、私は大人になり自らのラインを引くようになった。ポリシーがある。
とにかく使い切るなんていう行動はとらない。



「34倍までにしておこう」
これが私のポリシーである。使い切って45倍にはしないけど、ちょっと使ってだいたい34倍くらいにしておいた。
「お札はもっていくけど、小銭には手をつけない」
そんな彼と共通する、自らを踏みとどまらせることができるラインを私は手に入れたのだ。




★Lee30倍

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