後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

鳩山首相になって日本の官僚文化が変わるー組織文化から個人の文化へー

2009年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

従来の自由民主党ー大企業ー中央官僚機構の協力関係が日本の高度成長をもたらした歴史的事実は高く評価すべきです。しかし1990年のバブル経済の崩壊後はこの政治経済発展図式は機能しなくなったのです。自民党でない村山首相や細川首相が誕生したのはその苦しみの結果と思います。しかし従来の成功体験から、どうしても根本的改革へ踏み出せなかったのです。それが一昨年以来の金融危機と経済不況によって国民は決心しました。新しい政治経済体制を作らないと日本はこのまま下降し、ますます暗い不況の底に沈んでしまうと理解しました。この国民の不安感を理解しないで、何時までも従来型の利権政治を続行しようとした自民党に怒りが爆発したのです。民主党が衆議員選挙で308議席という圧倒的多数を取り、先程の国会で鳩山首相が誕生しました。中央官僚制度の打破や自民党の従来の利権政治が無くなる可能性を持つ新しい政府が出来上がることを私は心から嬉しく思います。

公平に言えば自民党は1990年頃までは国民に支持され良い政策を実施してきました。経済の高度成長は民間の努力だけでなく、このような自民党の政策に助けられ、支えられてきたのも歴史的事実です。しかし自民党の今回の悲劇は1990年以降の自民党の失敗の連続によって起きたのです。民主党がなにか良い政策を提案・実行したからではありません。

今回の鳩山政府の誕生は政治の世界の変革だけではすみません。日本の学術や芸術そして文化一般のあり方が変わると思います。欧米にあっては学術や芸術は政治組織とは距離をおいて個人の才能と努力によって展開してきました。日本の学術の多くは国立大学が担い、芸術分野でさえ上野の国立芸術大学が広く、深く関係してきました。学者になるためには旧帝国大学の有名教授の弟子にならなければなれない。一流の芸術家になるには上野の芸大を出なければいけない。このような社会風土が根本的に変革すると信じています。芸術の分野では1980年頃から日本の有名な大学を卒業しない音楽家や画家が欧米諸国で伸び伸びと活躍しています。ケーキを作るパティシエもワインのソムリエも全て個人的に外国でも活躍しています。あるいは個人の趣味としてネパールやタイに住み着いて、質の高い人生を送っている人々もいます。その上、海外ボランティアとして個人のリスクで活躍している人々も少なくないのです。

この様な人々は従来、決して日本の社会で尊敬され、丁重に扱われてきませんでした。鳩山政府の誕生でこれもすっかり変わります。従来は自由民主党の国会議員や中央省庁の国家公務員、そして大企業の社員だけが社会的に優遇されてきました。それが変るのですから、革命的な事態です。個人のリスクで学問や芸術に生涯を捧げている人々。そして高度な技術や良い趣味を持って個人的に活躍している人々が高く評価される社会になると信じています。

このような理由で私は「鳩山政府の誕生」が嬉しくで仕方がないのです。皆様はいかがお考えでしょうか? テレビによると、只今国会で鳩山さんが首相に選ばれたので一筆したためました。(終わり)


何故か心をせつなくさせるような雲の佇まいの写真

2009年09月16日 | 写真

ある風景を見ていると、せつなくなります。死んだ人々のことを思い出させて悲しくなるのかも知れません。また将来の不安を感じさせるからかも知れません。そして明るい将来への漫然とした「あこがれ」を強く感じるときもあります。それは暗い切り通しの登り坂の向こうに明るい雲が輝いていたり、足もとの白樺林の下から雲の湧き上がる風景を見ると感じます。心が揺さぶられます。湖の向こうに大きな山が見えている風景でも同じような感慨が湧き上がります。

そのような写真を掲載いたします。皆様はどのような感慨を持ってご覧になられますでしょうか? 富士山の五合目と山中湖で撮りました。

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昔から日本あったような懐かしい可憐な花々の写真をお送りします

2009年09月16日 | 写真

最近、街の花屋さんへ行くと品種改良された洋花が主流になっていて、昔から日本の野に有ったオミナエシ、キキョウ、コスモス、ハギ、アサガオ、などの可憐な花を見かけません。先日、神代植物公園へ行きましたところ遊歩道にそって懐かしい小さな花々が咲いていました。すべてが日本の花ではありませんが、小さく控え目に咲いている風情が良く、写真を沢山撮ってきました。小さな花々のお好きな方にお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。9月9日に撮影しました。

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クリスチャンは何かウサン臭くありませんか?貴方はお嫌いではありませんか?

2009年09月16日 | インポート

ある体験をするまでの私は、クリスチャンが嫌いでした。何かお高くとまっていて、他人を見下げたような態度です。それに何かウサン臭さげでもあります。要するに、“くさい人”で、無理してお付き合いしたくない人種です。ところが若い時、留学をするために英会話を習っていたアメリカ人の態度を見てから考えが変ったのです。

昭和32年頃、仙台にウイリアムスさんという、大柄で陽気なアメリカ人宣教師がいました。説教をしたり、賛美歌を教えるようなことはしないで、英会話を教えてくれました。気さくな人だったので、大学生達が彼の家によく行って、遊んでいました。

ある時、学生6、7人と一緒に郊外の田園地帯ヘハイキングへ行きます。秋の青空が広がり、水田には黄色の穂波がゆれていました。爽快な秋の風につられ、つい早足になり、かなり歩きました。 疲れたので道端で休むことになり、見ると見事な平らな大岩があります。学生達はアメリカ人宣教師へ椅子代わりに座るように言いました。自分達は草の上に座ります。

そこへ野の花の束を持った、着物姿の小さな老婆が1人現れたのです。彼女はウイリアムスさんが座っている大岩を、意味ありげに見つめます。

と、途端に大柄な宣教師が飛び上がって、岩から離れました。顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしています。我々は何が起きたか分からないで呆気にとらわれていました。ウイリアムスさんが10mくらい走って行き、老婆の方へ向いて、「すみません」とお辞儀をしています。老婆は「いいよ、いいよ」と言って、岩の陰に立っていた2本の竹製の花筒へ花を入れ、跪いて、両手を合わせて、お祈りをし始めました。そして、短いお祈りのあと、何事も無かったようにトボトボ帰って行きます。

後で大岩をよく見ると、岩の稲田へ向いた側面になにやら字らしいものが彫ってあり、花筒が2本立ててあるのです。道路側から見ると何も見えない、単なる大岩です。でも先祖代々、稲田の守神として一家の信心を注いできた自然神だったのです。宣教師のウイリアムスさんは瞬間的に気がつき、恥じ入りながら飛退いたという訳です。

彼は学生達に偉そうな説教を一度もしませんでした。学生とのピクニックの時、偶然にも自然神を拝む老婆へ最高の敬意を表したのです。その礼儀正しさに我々学生は「本物の宣教師だったのだ」と深く感動し、後でその事を話し合いました。本物のクリスチャンとはウイリアムスのような人物なのです。あれから50余年経ちますが、あのときのウイリアムさんの恥で真っ赤になった顔を、時々、鮮明に思い出します。日本人が岩や、大きな樹木や。山川草木すべて自然のものに神が宿るとして拝むのを、本物のキリスト教信者は決して軽蔑しないのです。いや、尊敬すらしているのです。よく、「洗礼を受けると仏教徒の先祖様と別れなければいけないのですか?」と聞かれることがあります。別れようとしなければイエス様は何も言いません。それは自分が決める問題で、イエス様とは関係が無いのです。私は洗礼を受けましたが、相変わらず先祖の墓参りもしますし、先祖を大切に思っています。洗礼を受けたら人生が窮屈になると思う人がいますが、私の場合は逆に自由に、広々とした人生になりました。

仏教には神様は居ません。お釈迦様は人間が慾から離れ解脱すれば苦しみも消え極楽往生すると教えます。偶像崇拝は禁止しましたが、神様については言及しなかったのです。ですから仏教とキリスト教は相矛盾しないのです。

人間はお互いにウサン臭いと思った瞬間から争いが始まると思います。どのような宗教を信ずる人でも、あるいは無宗教の人でも違いはありません。お互いを尊敬して、理解しようとすれば必ず平和が続くと思います。私は色々な信仰のあり方を欧米人へよく説明したほうが良いと思っています。国際相互理解と平和のためにも。最後に、ついでに言えば、玄奘三蔵法師は欧米人へ自慢の出来る偉大な宗教人であり、空前絶後の学者であり冒険家だったと信じています。そのような偉大な人間の前には国境や人種などは全く無意味なものなのです。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人