“大学の同級生で、結婚して半世紀を経た私も夫も互いに相手に先立たれるのが嫌で、それぞれが逝った後のことが話題になれば、けんかになりました。六年間の闘病生活の末、夫が他界した半年前までは。
最愛の人を失った私は悲しみや、むなしさを覚え、とめどなく涙があふれました。そんな折、ふと脳裏をよぎったのがどこかで目にした「共依存」という言葉。私たち夫婦もそんな関係だったことに気付き、みとる直前、私が「私ももうすぐ逝くから」と言ったら、「急がなくていい」と穏やかな口調で諭した夫の姿を思い出しました。今度こそ自立するぞと心に誓いました。
きちんと食事を取り、体を鍛え、友人と旅行に行きたいな-。これが今の私の願いです。”(8月7日付け中日新聞)
三重県松阪市の三田さん(女・73)の投稿文です。夫婦どちらが先に逝くか、こんなことで争うのはたわいもない遊びである。どう思ったところでどうなるものでもないものを。しかし、それは実際にあるし、深刻な問題でもある。後に残された苦労を思えば先に逝きたい。わが夫婦もしかりである。わが家庭は日常の生活は妻が仕切っているが、主要なことはボクが仕切っている。ボクが先に逝ったら妻は苦労するだろうな、と思う。ボクの方が後の方がいい気がする。でも、先に妻に逝かれたら、ボクはすぐに日々の生活から困惑するだろう。
ボクはつい最近までは、多分ボクが先に逝くだろうと思っていた。いくらボクが元気でも、男性と女性の平均寿命を見れば、明らかである。十年妻が長生きして普通である。ところが昨年、妻がリンパ腫で手術をしてからそうとは言えなくなった。いつどうなってもおかしくないからである。それに比べ、ボクは今年6月に元気になる手術をした。どちらが先に逝くか?こんなことで言い争いができるときは平穏な良いときである。三田さんはご主人を先に亡くされた。そして、自立すると誓われた。これでいいと思う。