寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3501話) 学園ソング

2023年05月24日 | 人生

 “六十年以上前のことだ。現岐阜県下呂市の中学校を卒業した私は知人が勤める愛知県稲沢市の紡績会社へ集団就職した。当時は中卒でも労働力として重宝され「金の卵」と称された。仕事は二交代制で、給料の大半は実家へ仕送りした。
 親元を離れた六人部屋の寮生活は決して楽しいだけでなく、つらく過酷な側面もあった。仕事の疲れもなかなか取れなかった。そんな私の救いとなったのはラジオから時折流れる私より一学年上の舟木一夫さんの歌。「高校三年生」「修学旅行」「仲間たち」といった学園ソングを耳にするたび、大いに慰められた。ここに数年いて、また故郷に戻った。
 その後、名古屋であった舟木さんのコンサートに何度か行った。その都度、紡績工場のあった稲沢の町並みや、友と見に行った国府宮はだか祭が鮮やかによみがえってきた。”(5月4日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の桂川さん(女・77)の投稿文です。わが一宮の歌手と言えばまず舟木一夫でしょう。舟木一夫はボクより一つ年上、同年みたいなものです。知り合いに同級生だった人もいる。そしてデビュー曲は「高校3年生」。学園ソングはボクらのためにあったようなものだ。
 当時ボクは、自転車で遠くまで旅行に出かけていた。どこから来たかと問われると、一宮と答える。すると舟木一夫の出身地ですね、と言われる。分かりやすかった。この繰り返しである。自分まで有名になった気分であった。
 そして、ボクのカラオケは舟木一夫の歌を外すことはまずない。桂川さんがあげられた3曲はほとんど歌う。桂川さんのように学園ソングに思い出が残る我々世代の人は多かろう。ボクらに昔の歌は良かった。今の歌はあまりに早過ぎて、まず覚えられないし歌えない。そして次から次へと変わっていく。昔は同じ歌が長く流れたものである。これはもう郷愁の世界です。


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