寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2982話) 退職後

2020年06月30日 | 行動

 “三月に退職してからしばらくたち、気づいたことがある。「今、私は無職だ」ということだ。銀行の窓口などで「職業は?」と聞かれるたびにハッとする。自分の意思で再就職を断り、現在に至るのだから致し方ない。
 そんな私ながら、一方で「本当に無職なのか」と自問することがある。炊事、洗濯、掃除、買い物などの家事に加え、家庭菜園の世話、母の介護やリハビリ施設への送迎、夫の病院付き添い、庭木の剪定や消毒、車や家のメンテナンス、税金や各種料金の支払い・・・。やるべきことは山積していて実に忙しい。
 フルタイムで働いていたときは「早く退職して、悠々自適の生活を満喫したい」と思ってきたが、そんな生活は夢物語の幻想であったことを遅ればせながら知った。仕事を辞めても自分の自由な時間がぐんと増えるわけでは決してなかったのだ。今日も雑事が私を待っている。”(6月10日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の遠藤さん(女・60)の投稿文です。ボクは完全退職してもう4年が経ち、そしてこのコロナ騒動で妻と過ごす時間が多くなった。妻は専業主婦だったから、もう幾十年と1日の過ごし方が出来上がっている。もちろん家族の状況などで変わってきたと思うが、それでも勤めていた人に比べ変動の幅は少ない。そして、何もしていないと言うときがほとんど無い。テレビを見ていても何かしながらである。それでも遠藤さんの言われる雑事よりは少ない。以前は母の介護が大きかったが、今は亡くなってもう無い。夫の病院の付き添いは今までのところ無い。庭木の剪定や消毒、家のメンテナンスはボクの仕事である。それでもよく動いている。
 フルタイムで働き、退職してこの投稿である。フルタイムで働いていたときの遠藤さんは、どんな生活をして見えたのだろうか。ここに書かれているようなことは、どのようにしておられたのであろうか。気になるところである。今まで通りにしていたら確実に自由時間は増えたはずである。それが自由時間は増えなかったと言われる。どうしてこう言われるか、ボクなりに想像するが、どうも判然としない。どう分析されるか、本当に聞きたいところである。
 しかし、これが女性がいつまでも活力を失わず、元気な理由だろうと思う。男は退職して家事に励むようになったと言っても、多分たかが知れていて、余暇を持て余しているだろう。にわか仕込みと女性の違いである。ボクを基準にしての話で思い違いもあろうが、女性は家事が元気の素であり、愚痴など言わず頑張って欲しいと思う。


(第2981話) 球児へ

2020年06月28日 | 意見

 “夏の高校野球大会を中止に追い込んだ新型コロナウイルスの影響で、小・中学校、高校の各最終学年の児童と生徒はそれぞれ最後となる学校行事が縮小されたり取りやめになったりしていることに不安な思いを抱いていることでしょう。
 約六十年前、名古屋市南区にいた私が中学校三年生のときのことです。最後の運動会で準備体操のリーダーとして全校生徒の前で指令台に上ることになり、体育教師を夢見ていた私は心躍らせながら練習に励んできました。しかし運動会前夜、伊勢湾台風のため自宅は浸水して避難生活を余儀なくされました。同級生六人が亡くなりました。運動会はもちろん中止となりました。
 私の夢は霧消しました。しかし五十歳を過ぎて始めた舞踊では名取になり、今は後進を指導しています。高校球児の皆さん、今は残念な思いでいっぱいかもしれませんが、夢は持ち続ければ必ずかたちを変えてでもかないますよ。自分を信じて頑張って!”(6月9日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の加藤さん(女・75)の投稿文です。甲子園をめざして頑張ってきた高校生に、夏の野球大会の中止は悔しくてたまらないことでしょう。自分の力が及ばなかったことではないだけに、むなしさが募るでしょう。でも加藤さんが言われるように、人生にこうしたことは往々にあります。加藤さんは伊勢湾台風の話を紹介されました。ボクにとっても伊勢湾台風はいつまで経っても恐怖が消えません。トラウマです。
 ボクの孫は中学3年生です。この夏が最後の大会になったはずです。それもありません。更に孫は、先日学校で転倒し、手を骨折しました。もう運動どころではありません。成績にも影響し、来園の高校入試に関係するかも知れません。今どう思っているか、まだ本人に聞いていませんが、ボクはこれもありだと思っています。これが人生です。挫折は大きな経験です。生かすも殺すも本人次第です。高校球児も同じです。高校生も中学生もまだ人生の駆け出しです。先は長い。挑戦する機会はいくらでもあります。加藤さんは50歳過ぎから舞踏の習い始め、名取りにまで成られました。挫けること無く、先に進んで欲しいと思います。


(第2980話) 「梅子」の案内

2020年06月26日 | 知識

 “知多市の佐布里緑と花のふれあい公園までの道のりを、市の公認キャラクター「梅子」が案内する看板が設置された。同市の清水が丘から佐布里池手前までを結ぶ「佐布里パークロード」沿いの三キロに、五百メートルごとに置かれている。
 公園指定管理者の日誠が、ロードの植栽に設置した。「あと3㎞」などと載せ、全六枚。それぞれ梅にちなんだクイズも書かれている。クイズの答えは、公園内に表示している。
 ロードは、ウォーキングなどで利用する市民もいる。公園の竹内義夫園長は「看板の設置で、道のりが楽しくなれば。たくさんの人が公園に足を運んでもらいたい」と話している。”(6月8日付け中日新聞)

 記事からです。佐布里池までの道に案内看板を設置する、取り立てて言うほどのことでもないかも知れませんが、その案内看板の工夫がいい。案内看板もあるようで少ないのが実情でしょう。ボクのようにウォーキングで各地を訪ね歩く人には、案内看板は是非あって欲しいものの1つです。それがこのように楽しいものだと更に良い。
 施設の管理者によって、案内看板の設置は大きく違います。どの自治体も来客者を呼び込みたいでしょう。それなら折角に名所や見所です。大きくPRすべきです。看板などそれ程大きな費用は要しません。費用に比べ効果は確実です。読めなくなった古いものがそのままのところも多い。これなどは新しくするか、それができなければ撤去すべきです。ボクは意見を言う機会があれば、このことをよく言います。このように道案内に気を配ることは更にいいでしょう。関係者は是非参考にして欲しいと思います。


(第2979話) 文通始めました

2020年06月24日 | 出来事

 “知人への連絡はメールやラインが当たり前の現在に、文通という言葉はもはや死語と感じている人もいると思います。面倒と思う人もいるかもしれませんが、私、文通を始めました。昨年二月、コンサート会場で隣席となった女性と休憩時間に話をしていたら、同じファンと知り、意気投合。携帯電話番号と住所を交換しました。
 何日か過ぎて、彼女からはがきが届きました。うれしくて、すぐに返事を出しました。次回のコンサート終了後にお茶しようと、約束の手紙を交換して文通が始まりました。
 家族のこと、近況、趣味、ファンとしての思いなど、書くことはいくらでもあります。彼女は私より五歳も年下ですが、美しい文字と優しい文面から、お姉さんのような印象を受けています。また、便箋選びのセンスが素晴らしく、毎回うっとりしてしまうことがあります。
 手紙は書く時間も届くまでも時間がかかりますが、手書きはぬくもりが感じられ、相手を思いながら書く時間も至福の時です。便箋や封筒を買う楽しみもできました。古希を迎え、新しい文通友達ができたことは幸せなこと。この出会いを大切に、下手な字も個性と思って、ずっと続けたいと思っています。”(6月5日付け中日新聞)

 愛知県大府市の主婦・関さん(70)の投稿文です。コンサートで隣り合った縁で文通が始まる、男性同士にこんな話はあるだろうか?。広い世間であるので無いとは言い切れないが、ボクには皆無としか思えない。これだから女性には勝てないと思う。
 関さんは文通の楽しみをいろいろ書いておられる。便箋選びもあるのか。楽しみ方が本当に上手だと思う。今やスマホのラインやメールばやりである。これは確かにたやすく便利である。送れば瞬時である。また多くの人に一斉に知らせることもできる。しかし、誰にもいつも本当に必要だろうか。意識することもなく、関さんのような楽しみを失ってしまったのではなかろうか。逆説的に言えば、楽をすると言うことは楽しみを失うことでもある。前話の花にも通じるが、苦労してこそ楽しみも大きいのである。高齢者は、残された寿命は短いが1日1日の余暇時間は十分にある。余暇時間を楽しみながら、残された余生を過ごすのが賢い時間の使い方と言えないだろうか。


(第2978話) 花の縁

2020年06月22日 | 出来事

 “母の日に合わせて私はここ数年、宮城県名取市の農家からカーネーションを取り寄せています。九年前の東日本大震災と津波でこの地域は大きな被害を受けました。そのときにわずかに残ったカーネーションを送ってもらったのがきっかけで、農家とつながりができました。最近は東海地方で大雨が降ると「そちらはどうですか」と農家からすぐに連絡が入るほどの間柄で、今や近況を話し合う友人の一人です。
 新型コロナウイルスの感染拡大もあり、今年は一瞬力ーネーションの取り寄せを諦めようかという気になりましたが、農家の主人の「くじけたくない」という言葉を思い出して早速連絡しました。電話口の奥さんは「いつものように花は咲いています。皆さんが花を見て笑顔になるといいですね」と話され、数日後、たくさんの奇麗な花が届きました。
 既に母は亡く、家族を支える妻に私は「お母さん、ありがとう」と言って花を手渡しました。”(6月1日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の障害者相談員・大谷さん(男・73)の投稿文です。何が縁となり、どう発展するのか、全く分からないものである。大谷さんはいい縁を結ばれた。カーネーションが取り持った縁である。それも宮城県と岐阜県である。ボクの推測も含めるが、大谷さんは東日本大震災の時にカーネーションを買い求められた。大変な被災地に少しでも助けになればと思われたのではなかろうか。以後毎年買い求め、それが縁で、近況を確かめ合う間柄になられた。そしてこのコロナ禍である。そんなこと我関せずと花は時期が来れば咲く。こんな時に花は大きな癒やしをくれる。大谷さんはこの縁でこの花で、大きな癒やしをもらわれた。いい発展は相性と人柄であろうか。
 ボクの家も今次々と花が咲いてくれる。もうこの花が咲いた、次は何が咲くだろうか。育てる苦労もあるが、それも楽しみの内である。咲けば更に嬉しい。そして野菜も同じである。苦労もあるが、成ってくれればもう実利である。花や野菜作りで最大の悩みは、草の方が成長が早いことである。草も同じ植物、楽しみにならないだろうか。草でも綺麗な草はある。しかし、草は育てなくても育つし、成長も早すぎる。量も多すぎる。育てる苦労のないことが、草と言われるところであろうか。人間とはあまのじゃくである。話がだいぶ横にそれた。


(第2977話) たんす

2020年06月20日 | 出来事

 “数年前から、母が住む実家の片付けをしている。一人暮らしには出番のない火鍋、火皿、中華鍋。洗剤、ラップ類は一生分くらいある。途方にくれながらの片付け作業。母との「いる」「いらない」の攻防戦で、何度も挫折を繰り返している。
 今回のコロナ禍で、思いがけずまとまった時間ができ、母と過ごす時も増えた。「これはチャンス」と、古い使いにくそうなたんすの処分を提案した。今はもっと軽くて低いたんすもあるからと。「そうかね~」とあまり気乗りしない返事。「来月の粗大ごみに間に合えばいいか」と考えていた。
 ある日、母の着替えの様子を見る機会があった。例のたんすに身を預け、器用にズボンをはいていた。前に圧迫骨折したとき、引き出しを少し出して手すり代わりにしていたことを思い出した。このたんすでなければ、母は支えきれないだろう。処分はやめだ。以前、ヘルパーをしていたとき、柱に白い湿布が貼ってあるお宅があった。「夜中にトイレに行くときに光るので、柱にぶつからずに済む」とのことだった。体が自由にならない中での知恵と工夫。母も同じだと気付いた。まだまだせめぎ合いは続きそうだけど。”(5月30日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・稲垣さん(女・59)の投稿文です。コロナ禍の自粛の中で、今まで気にしていてしなかったことに、着手された人も多かろう。その1つに家の中の整理である。ボクも結構した。本などかなり処分した。稲垣さんは実家の片付けをされた。親と子、実際住んでいる人と住んでいない人などではかなり意識が違う。このように、親子の葛藤の話もよく聞く。そして、稲垣さんには新たな発見があった。特に高齢者のことは、若い人には分からないことが多い。寄り添ってみて初めて知ることは多い。高齢者の言い分ばかり聞いていたらほとんど進まないことにもなるが、ここはやはり慎重を要するであろう。
 ボクも整理したと書いたが、少し空間ができた程度である。そして、処分した本をすぐに悔いたものもある。妻は処分処分と言うが、ボクは積極的ではない。場所がなければ処分する必要もあろうが、あれば残しておけばいいのだ。断捨離の本を読めば、数年使わなかったものは処分しなさいとあるが、数年どころか何十年も使わないものもたくさんある。先日、直径60センチほどある大火鉢を取り出してきた。これなど石油ストーブを使い出してから使ってないので、もう50年以上使っていないだだろう。今、メダカがすいすい泳ぐ格好のすみかになっている。


(第2976話)  共忍・共越・共創・共生

2020年06月18日 | 行動

 “「共忍」「共越」「共創」「共生」。これははがきに筆で書いた言葉です。
 私は十年ほど、書道教室をやっていますが、冒頭の文字は生徒さんに送ったものです。生徒さんは二十一人。六十歳から最高齢は八十五歳。月二回の教室は、体調が悪くてもお稽古日までには治して笑顔でいらっしゃるなど、生活の一部になっています。教室の仲間と楽しく習い、話し、笑い合う。「教室に行くのが張り合いになっている」とおっしゃられます。
 それが新型コロナウイルスの影響で、突然その時間が奪われてしまいました。この数カ月、皆さんどうされているのでしょう。お一人で生活されている方もいます。皆さん、ステイホームで人と会う機会がほぼありません。先が見えないために、大きなストレスを抱えてみえると思います。
 私に何かできることはないか。それで冒頭の文字を書にして、皆さんに送ることにしたのです。一枚ずつ四日に分けて。「共に忍び、共に越え、共に創り、共に生きる」これは私の造語です。そこに込めた思いは、会えなくても皆一緒にいるよ、頑張ろう、必ず会えるから。コロナを越えて、少しでも新しい何かを生み出し、新しい世界を生きよう、というものです。”(5月28日付け中日新聞)

 名古屋市の書道講師・松崎さん(女・60)の投稿文です。「共忍」「共越」「共創」「共生」と言う言葉を造語され、書道教室の生徒さんに送られたという、ここにもいい行動があった。「共に忍び、共に越え、共に創り、共に生きる」コロナ禍で自粛中の人に勇気を与えたであろう。
 この自粛で、高齢者にとってはコロナ以上の懸念を招いているのではなかろうか。先日ボクのところに市の担当課長から「お出かけ広場主催者」へと言うことでFAXが届いた。「外出自粛が長期化することにより高齢者の閉じこもりや健康への影響が懸念されるため、宣言解除後において、地域の身近な通いの場であるお出かけ広場での活動がますます重要となってきます」とあり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に配慮しながら再開して欲しいというものである。ボクが中心となって開催しているサロンは4、5、6月と中止にしてきた。7月は何としても開催するつもりであった。そこにこの文書である。いろいろ配慮しながら元気に開催しよう。
 こういう事態で何かしようとすると、必ず「何かあったらどうしますか」と言う意見が出る。地域活動などボランティア活動に責任など取れるはずがない。保険など入っていれば気持ち程度の見舞金が出ることがあってもそれ以上のものはない。こう言う人が一人でもいるとほとんどのことが中止になる。実はこの5月、ボクにもあった。神社掃除である。ボクはやってくれと言ったが、結局中止となった。


(第2975話) 配達員ねぎらう

2020年06月16日 | 意見

 “宅配従事者が除菌スプレーをかけられたとの報道に触れ、殺伐とした気持ちになりました。私の動める郵便局では新型コロナウイルス感染者が局内で出たら十分なサービスを提供できなくなるという強い緊張感で日々仕事をしています。
 紙類に付着したウイルスは二十四時間程度残留するという話もあり、配達員は感染を恐れつつも作業に当たっています。窓はもちろん、ポストに投函された郵便を集めたり郵便を仕分けたりする局員も感染の危険性と隣り合わせです。しかも私の勤務先は二十四時間稼働しています。その作業形態から「三密」を避けての作業は絶対にできません。
 このウイルス禍でも通常通り勤務をする人が少なからずいます。先が見えない不安に駆られる方もいるでしょうが、そんな人たちをいきなり消毒するのでなく、ひと呼吸置いて「お疲れさま」と言葉を掛けられる余裕がほしいものです。”(5月25日付け中日新聞)

 岐阜市の郵便局員・佐伯さん(男・62)の投稿文です。宅配従事者に除菌スプレーをかける、これはウイルス扱いである。本当にこんなことをする人があるのだろうか、信じがたい。こうした従事者は人と接触する機会も多い。この人たちの方がはるかに戦々恐々で働いてみえるのだ。そんな中で自分の家にものを配達してくれたのである、感謝すれども、ひどい仕打ちをすることではない。何か気に入らないことがあったとしても、してはならないことである。こんなことをする人は、全くの一部とは思うが、こんな時こそ、その一部もあってはならない。
 ボクの家のポストは門にあるが、その前でくまのプーさんが迎えてくれる。首には「ごくろうさま、ありがとう」のプラカードを掛けている。更に住所の番地も書いてある。門の表示には名字だけが多い。田舎では同じ名字の家が何軒もある。ボクの名字も十数軒あり、名字だけでは分からないことが多い。ボクもよそ村の家を訪ねていくと、名字だけでは自信が持てなく、ウロウロすることがある。また、ポストを玄関前に置いている家もある。門に置いたら配達員も楽だろうと思うが、こうした配達員の方の苦労を少しでも少なくなるような配慮をしたいものだ。


(第2974話) 感染者捜し 

2020年06月14日 | 意見

 “世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で昨今感じたことが二つある。まずは感染源となった人や感染を広げた場所を世間が必死になって見つけようとしていることだ。インターネット上では寄ってたかって誰かを攻撃してその対象者をいかに排除するかに熱狂しているよう。これはれっきとしたいじめだ。次は自分か。そう戦々恐々としている人も少なくないのではなかろうか。過去の戦争や大震災などにあったことが繰り返されているみたいだ。
 もう一つは命ははかないということだ。明日が来るとは思っていても現実はそう信じているだけだ。親しい人に言い残す言葉を発したり残したりすることもできず、私はいつの間にか死んで白骨化しているのではないか。新型コロナウイルスに感染しようがしまいが、家族にみとられようが孤独死であろうが、最後は一人でさんずの川を渡るのだ。こんな騒がしい世情であっても私は心静かに命の重さを感じたいと思う。”(5月23日付け中日新聞)

 三重県尾鷲市の公務員・藤井さん(男・49)の投稿文です。コロナウイルスの感染者は本当は被害者なのだ。感染すると病との闘いは大変なようだ。それが加害者扱いされる。感染源探しに躍起となる。今回はクラスターとか言って、感染源が非常に問題にされている。それを一般の人まで躍起になっている。噂話が広がっていく。噂話などどこまで真実なのか、全く疑わしい。これが毎日繰り広げられている。特にSNSが広まってとどまるところを知らない。それが匿名でもいいのだから全く無責任である。SNSの便利性はあるだろうが、一人の冤罪者を作ったら何をか言わんやである。ボクも長いことメーリングリストやフェイスブック、今はラインのグループもある。これらもSNSと言うのだろうが、ほどほどにしている。噂話などは絶対しないことにしている。
 命のはかなさについては第2972話の「疫病」でも書いた。命のはかなさについては誰もが知っている。ただ順調なときには意識しないだけである。今回はそれを特に意識させられた。この機会を忘れないようにしたい。ボクは毎朝の散歩で、お墓、寺院、薬師堂、神社と4回手を合わせている。手を合わせると、何かを振り返り何かを祈る。このコロナ禍の中で定着した日課である。


(第2973話) 娘からの宅配便

2020年06月12日 | 出来事

 “わが家の子どもたちは、それぞれ家庭を持ち、遠くに住んでいる。コロナ禍のもと、連休、母の日も主人と二人の静かな生活だった。「もう私は母の日じゃなく、敬老の日の世代ね」と笑いながら主人と話していたある日、宅配便が届いた。京都の料理店からで、依頼人は東京の娘だ。
 すぐ電話すると、娘は「お母さん、いつもありがとう。今年はコロナで誰も帰省できないから、たまには気分転換して、お父さんと味わって」。お礼を言ってわけを聞くと、コロナが長引く中、この料理店も客足が減り、宅配便を始めたとのこと。少しでもお役に立てぱと、娘が申し込んだのだった。
 老夫婦と娘、料理店。三者三様の思いはあるが、そこには喜びと感謝があり、この時期、心が和む。娘から「おばあちゃん」と言われるのもうれしいが、「お母さん」の言葉は、子育てに忙しかったあのころが思い出されて懐かしい。
 さっそく、夕食はおうちレストラン。まず目で楽しみ、心はもう京都。風薫る街を思い浮かべ、おいしくいただく。そして、この困難な状況で頑張っている人々に思いをはせ、コロナが終息したらこの店に足を運びたい、と主人と話した。”(5月22日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・都築さん(73)の投稿文です。このコロナ禍で大変になっている商売は多いと思うが、飲食店もその1つであろう。客足の激減に、このように、宅配便やテイクアウトで今をしのいでいる店も多かろう。都築さんは、東京にいる娘さんの配慮で、京都の店から弁当が届いた。東京、京都、名古屋と1つの弁当がこんな経過をたどるとは、今の日本とはこんなものかと感嘆する。実はわが家も母の日には、娘がテイクアウトで料理店の弁当を持ってきてくれた。例年ならレストランであるが、その時その時の知恵を出すのである。
 先日妻と昼食外食に出かけた。お気に入りの料理店へ久しぶりに行ったら、どうも閉店された様子である。がっかりと共に、大変な世だと改めて知る。ビフォーコロナ、アフターコロナと言う言葉が使われ始めたようだ。もうコロナ騒ぎの前に戻るのは、多くの分野で無理だろう、コロナを境に時代様式が大きく変わるというのである。確かに新たな生活で、いろいろなことが確かめられた。良いことは残るだろう。問題は良いことが何かと言うことである。このコロナ禍で最大に減ったのは人との接触である。絆は更に減るのだろうか。人間は楽で怠惰な方向に流れがちである。それが気にかかる。