寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2737話) 救命処置

2019年01月28日 | 知識

 “私が住む地域の広域連合消防局が主催する「上級救命講習」を受講し、救急隊員から救命処置や応急手当てを教わりました。私は一昨年、同消防局の「普通救命講習」を受けましたが、今回はさらに詳しい内容が学習できました。
 目の前で人が倒れたときそばにいる人ができる応急手当てを救命処置と呼ぶそうです。講習では人形を使い、心肺蘇生の手順と自動体外式除細動器(AED)の使い方を学びました。隊員によると一般的に救急車が到着するには早くても数分かかり、その間心臓マッサージやAEDなどの救命処置を正しく行えば救命の可能性は高まるとのことでした。
 一般市民が救命処置を全て一人でするのは難しく、救急車を呼ぶ人、AEDを持ってくる人、心臓マッサージをする人とその場に居合わせた皆で協力する必要があります。今回のような講習を受けることは有意義だと私は思いました。”(1月9日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・55)の投稿文です。今は各所でAEDを見かけるようになった。設置が進んでいる。そして、それが活用された記事もよく見かける。命が助けられ、また後遺症が軽くなる。器具があって、それを使える人があって可能なことである。救命処置の講習を受けた人も多くなった。両輪が伴ってきたのである。
 ボクも一宮友歩会で、消防署で講習を受ける企画を2回ほどした。2回目は平成27年2月のことで、ちょうど4年前になる。皆、熱心に受けた。どんなものか知った。でもその場に立った時、本当にできるだろうか。自信はない。でも誰も行わなければやらざるを得ないだろう。この時の講習が役立つことを期待したい。でも1人の人にそれ程機会がある訳ではない・・・あっても困るが。これにはできるだけ多くの人が知識を持つことである。消防署や病院側には講習をする気持ちは十分にあるだろう。防災訓練など講習する場を提供することが必要ではなかろうか。


(第2736話) 10年前のはがき

2019年01月26日 | 出来事

 “郵便受けを開けてびっくりしました。何と十年前に私が書いた自分宛てのはがきが届いていたからです。そのときの私の顔写真とともに自分の字で「今年はいろいろあったけれど、十年後の私には笑顔で会えるかな。いや笑顔で会いましょう」とありました。自分に宛てたはがきのことはすっかけ忘れていました。真面目な表情の自分の写真を見ながら私はこの間を振り返りました。
 身内や知人が亡くなっては深く悲しみ、自分自身はけがをして入院したり病気になったり・・・。一人暮らしで治療のときは皆さんに本当にお世話になりました。大変なこともありましたが、離れて暮らす妹との長電話や義姉との食事はいつも楽しく、今の私にとってかけがえのない時間になっていることに気付かされました。
 はがきを手に私は「残りの人生は一回でも多く笑って過ごそう」と心に誓いました。十年後も笑顔でいたいからです。元気をくれたはがきに感謝しています。”(1月8日付け中日新聞)

 名古屋市の水野さん(女・72)の投稿文です。62歳の時に10年後の自分宛に手紙を書かれた。何かの催しに参加されたのであろう。手紙を見てどうだったでしょう。10年前、今より気力に溢れていたでしょう。そんな時代に戻れたのかも知れません。元気をくれたとあるから、いい催しになったでしょう。
 1月15日の中日新聞に、20年前に小学5年生が書いたカプセルが開かれた、という記事がありました。今は30歳。書いたとおりに保育士になった、という人が紹介されていた。10年後、20年後の自分を考える。余り考えることのないことを、一生懸命考える。いい刺激になろう。保育士になろうと書いて、書いたことを目指して保育士なった人がいる。ボクにはなかったが、楽しい、良い催し物である。
 さて10年後の自分であるが、もう生きているのか死んでいるのかも分からない。この10年の変化は今まで以上に大きかろう。下り坂の人生である。できることなら、今の状態にできるだけ近い形で生きていたい、これであろう。余程の精進と幸運がないと難しかろう。一宮友歩会の運営などはもう数年であろう。その他諸団体の役員はできるものもあろうし、できなものもあろう。でも10年、本気で臨みたい。やっている人もある。


(第2735話) 共助の担い手

2019年01月24日 | 意見

 “私は昨年四月からボランティアとして地域での支え合いの手伝いをしている。同じ学区内に住むお年寄りの電球交換やごみ出しなどの困り事を担っている。このボランティアを通して地域を支えている人や団体を改めて知った。ごみ収集所の管理と清掃をする保健環境委員、防災・防犯委員、育児中の人や高齢者の生活相談を受ける民生・児童委員、消防団、自治会・・・生活に直結したさまざまな場面に地域の共助があった。こんな「地域のため」と汗を流している人の多くは定年退職者で、年々高齢化してきている。
 政府は労働者の定年を七十歳に引き上げることを提案しているが、私は少し不安になってきた。皆七十歳まで働いたら地域での共助はどうなるのだろう。”(1月7日付け中日新聞)

 名古屋市の吉川さん(男・70)の投稿文です。ボクも正にこの不安があり、それが現実化しようとしている。仕事を終えた後の世界は、いつまでたってもボクの世代が一番若いのである。70歳になったのはつい最近の気がするが、もう半ばである。若い人が入ってこないのである。いくら元気でも、70歳半ばとなると老化を感じることが多くなる。物忘れや失敗が増える。役員の引き受け手がなくなる。ボクのところに持ち込まれる。断れば潰れるかも知れない。ボクにはもう何事もこれ以上潰してならない、と言う気持ちが働く。解散したら、吉川さんが心配される共助どころではなくなる。組織があって可能なものが多い。つい受ける事になる。断ったものもあるが、来年度は新たに3件引き受けることになっている。減るどころか増えるばかりである。妻には引き受け過ぎ、と叱られている。活発になっている部分もあると思うが、民生・児童委員、消防団、自治会等といった公職的なものを含め、ボクにはどう見ても社会力は衰えていると感じる。国や地方公共団体はどう見ており、どういう対策をしようとしているのだろうか。


(第2734話) 違和感

2019年01月22日 | その他

 “2020年4月東京ドーム、プロ野球開幕戦。「プレーボール」試合開始の合図が大音量のスピーカーから球場内に響き渡る。いよいよ試合開始。投手が第一球を投じる。「ストライーク」糸を引くような快速球がコーナーいっぱいに決まり、またまた球場内にスピーカーからの大音量が響き渡る。
 「久しぶりにプロ野球見に来たんだけど、なんだか雰囲気が変わりましたね」「リクエスト制度なんてルールができてから、球場のあちらこちらにカメラとセンサーが設置され、ならば最初からカメラとコンピューターに判定してもらえ、ということになったんだ」
 「そうか、なんか寒い感じがすると思ったら、審判が一人もグラウンドにいないわ」”(1月6日付け中日新聞)

 「300文字小説」から浜松市の主婦・大西さん(55)の作品です。この小説は平成30年7月29日に掲載された作品で、この度最優秀賞を受けたものです。2018年5月から10月までに投稿総数1911点、掲載された作品75点の内の最優秀作品です。
 いろいろなものが人間に頼らず、機器に頼るようになっていく現代。その風潮を皮肉ったものであろうか。AIなど人間の能力を超える機器が次々開発されていく。昔、流れ作業を皮肉ったものもあったが、今はその比ではない。自動車も自動運転されようとしている。この小説の話など、する気になれば今すぐにもできよう。しかし、人間は何をし何を喜びとしようとしていくのだろうか。手間を省けば省くほど喜びは減る。人間は生きる機械になろうとしているのだろうか。


(第2733話) 幸多かれ

2019年01月20日 | 出来事

 “職場で一緒に働く三十代の男性は待望の第一子が生まれたため育児休暇を一ヵ月間取った。夜間にミルクをあげる授乳を引き受け、妻には眠ってもらうようにしたとか。「子どもはとてもかわいいです」と目を輝かせていた。結婚してしばらくすれば相手の嫌なところが見えてくるものだが、彼は寄り添って三年以上がたつ妻とずっと仲むつまじいらしい。
 職場には結婚を視野に交際中という別の三十代の男性もいる。私が「彼女の欠点は?」と聞いたら彼はしばらく考えてから「ないです!」。これこそ、まさに恋の病だ。おせっかいな私が「結婚前は相手の欠点までしっかりと見ること。結婚したら欠点はあえて見ないようにすること」と助言すると、彼は後日、「彼女のお母さんからも、同じことを言われました」と話していた。私は人生の先輩として、若い二人の未来に「幸多かれ」と祈っている。”(12月27日付け中日新聞)

 岐阜県垂井町の派遣社員・古山さん(女・62)の投稿文です。結婚、夫婦の話である。これだけ未婚者が増え、結婚しても離婚する人が多くなると、本来は個人の問題であろうが、もう今や社会問題であろう。結婚の機会を作り、夫婦が問題なく過ごせるか、いろいろなところで考えていると思うが、効果はあまり上がっていない気がする。ここに古山さんの願いもあろう。
 お節介を嫌う、その結果、お節介をする人が減った。それが今のような状況を生んだ一つの要因であろう。ボクなど就職するとすぐに上司があれこれ言ってきた。出会いの機会がないという。ボクに言わせれば昔よりはるかに機会は多い気がする。「自分のことは自分でする」と言うが、実は多くの周りの支援、支えがないとできないのである。
 「結婚前は相手の欠点までしっかりと見ること。結婚したら欠点はあえて見ないようにすること」という助言は、正にその通りであろう。現実は逆であろう。よく心して欲しい。ボクは来年金婚式である。いろいろなことが懐かしく、嬉しく思い出せる。そんな人生であって欲しい。


(第2732話) 40年連続出場

2019年01月18日 | 活動

 “ひだ金山清流マラソン大会の事務局から、四十年連続出場者表彰の案内状が届いた。これは、第四十三回の大会に合わせて行われる表彰の案内状だった。大会当日、朝のうちは今にも降りだしそうだったが、スタート時は晴れ間ものぞき、絶好のマラソン日和となった。開会式後、表彰式があり、十年と二十年連続出場が各一人、三十年は該当者はなく、四十年連続が私一人だけだった。この大会に参加したのは三十六歳の時、名城公園で行われた新春恒例のマラソン大会に初めて参加して、ランナー仲間から紹介されたのがきっかけだった。
 あれから四十年の歳月が流れた。まさか、ここまで一度も欠場することなく参加できるとは、まったく想像もしていなかった。それだけに、自分でも信じられないほどで、人生最大の貴重な財産となった。「自分で自分を褒めてやりたい」。今は正直、そんな心境である。
 病気や冠婚葬祭、悪天侯などに一度も遭遇しなかったのが、今でも信じられない。この年齢になるまで、各地のマラソン大会を走り続けて五十数年。実にマラソン人生そのものだったように思う。”(12月26日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の上畠さん(男・76)の投稿文です。年に1回のことであるが、40年連続というのは凄い。自分の都合で動かせる日時ではない。上畠さんが病気や冠婚葬祭、悪天侯などに一度も遭遇しなかったのが信じられない、と言われるのももっともである。そして、何千何万という人の中で1人である。本人の心がけと幸運の結果である。
 こう言うと異を唱えられる人もあろうと思うが、幸運は本人の決意で呼びこめるものだという気がする。実はボクは一宮友歩会の例会を年6回、決められた予定通り組み、13年間77回を一度も欠席したことがないのである。これはボク自身もびっくりしている。この間には母の葬儀、自分の怪我等もあった。母の葬儀の時は葬儀後4日目の例会であった。前日までに当面すべき事を終えて参加した。前立腺ガン手術をして退院後9日目に例会であった。まだ尿漏れが激しかったが、出発式で挨拶をし少し歩いた後帰った。ボクの生活の中で、一宮友歩会を第一に考えてきた結果であろうか。いろいろ運がついていたと思うが、幸運を呼びこんだと思いたい。


(第2731話) 指さし運転

2019年01月16日 | 活動

 “日没時間が早く、酒を飲む機会が増える年末年始は特に交通事故に気を付けなければなりません。車のハンドルを握ったら安全確認のため指さしをして「前よし、右よし」と声に出してみてはいかがでしょうか。よく電車の運転士がやっているようにです。私は三十年以上前から車の運転時にずっとやってきています。
 初めは対向車のドライバーから不思議そうに見られて恥ずかしい気もしましたが、今ではすっかり慣れました。声を出すことや指さしをためらう人は免許取得時に習ったはずの「前よし、右よし、左よし」といった安全確認の掛け声を心の中で言うようにすればよいかもしれません。
 ひとたび交通事故が起きれば自分が大変なのはもちろん、周りにも多大な迷惑や心配をかけます。車は便利ですが、運転者のちょっとした不注意で人を傷つけてしまいます。一人一人が交通安全を心がけて明るい新年を迎えたいものです。”(12月25日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の河瀬さん(男・71)の投稿文です。交通安全についてはいくら注意をしてもし過ぎるということはない。良いと言われること、できることは何でもするくらいの気持ちが必要である。河瀬さんは長年指さし運転をされてきた。確認が確かになる。ボクの身近で指さし運転をする人は知らない。交通事故を起こせば、加害者被害者共に人生が一瞬にして暗転する。あおり運転など、ボクには信じられない。
 ボクの身近で、交通事故を起こし、車を手放した人があった。ところが1年ほどしてまた車を買った。そして、また事故を起こすのである。そして今度は本当に止められたようだ。高齢になれば運転免許返納の話もある。しかし、車の便利さはなかなか離せない。乗る機会が少なくなった高齢者には、経費等を考えればタクシーの方がよはど安上がりである。ボクも妻とよく話題にする。でもそうはなかなかならない。実は先日、納車は3月頃になるだろうが、ボクは車を買い換えた。この歳になったら被害者になっても加害者にはなりたくない。そこで、最近出回り始めた「セイフティ・サポート」を備えた車にである。その他安全に係わるものはいろいろ備え付けた。1昨年、セイフティ・サポートカーに試乗する機会があった。その時警察署長さんは「これからは元気な高齢者には、免許返納よりもこうしたセイフティ・サポートカーを勧めていきたい」と言われた。免許を返納して家に閉じ込まれて元気をなくすより、いつまでも外に出かけて活動、活躍して貰った方が良いと言うのである。正にだ。この言葉に啓発されてである。


(第2730話) 私の願い

2019年01月14日 | 活動

 “今年も残りわずかとなってしまいました。六十五歳で定年退職して、毎日がのんびり、ゆったりした月日は、あっという間に過ぎてしまいました。振りかえると、この五年間、いったい私は何をしていたのだろうか。今年の流行語大賞のトップテンに選ばれた「チコちゃん」の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の言葉がグサリです。
 六十代最後の年、そして平成最後のこの年、何か自分にとって残ることをしなければという焦りもあって、認知症介助士の資格を取る決心をしました。昨日のことさえ忘れてしまうこんな私が、久しぶりの勉強がどうなることかと心配でした。
 しかし、いざ教科書を広げると、認知症の勉強はこんな私こそ学ぶべきことがたくさんあって、毎日毎晩、ワクワク、ドキドキでした。そしてなんと、合格することができました。
 今、日本社会の高齢化によって、認知症の方の増加が問題になりつつあるとのことです。残り少なくなってきた私の人生、これからはたとえ少しでも、人さまのお役に立てるよう、この資格を生かしてゆくことができればと願っています。”(12月23日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・野杁さん(70)の投稿文です。65歳で定年退職、その後はゆっくりで何も悪くないが、野杁さんは何をしていたのだろうと、後悔された。そして、認知症介助士の勉強、めでたく資格を取得された。お見事である。認知症の勉強は自分自身にも役立つであろう。それが人の役に立てば更に良いだろう。
 特に野杁さんの世代までは、余り遊ぶことも知らず勤勉で過ごした人が多いと思われる。元気な65歳でそのまま安穏に過ごすことに、もの足りなく思われた人は多かろう。よくいろいろなことに再挑戦した投稿文も多く、ここでもよく紹介した。ボクなど典型的に時間を持てますことが嫌いである。以前は昼間からテレビを見ることなど、罪悪感さえ覚えた。そして、今でも見ることはほとんどない。今のテレビは見たいものがほとんどなくなったこともある。以前は夜の番組は見ることも多かったが、今はこれもほとんどなくなった。とても見る気にならない。話はそれたが、老後の過ごし方はほとんど自分で決められる。そして、自分で決断しなければならない。いい決断をして、悔いのない老後を過ごしたいものである。


(第2729話) 理想の最後

2019年01月12日 | 教訓

 “「いい機会だから皆聞いてくれ。今から俺の遺言を言う」。二十五年前、自らの喜寿の祝いで親族が集まった席で父が突然言いだしました。和やかに食事をしていた私たちの間に緊張が走り、父は「俺が病気になったらくれぐれも延命治療はしないでほしい」と続けました。七十代後半となっても元気で活動的だった父の言葉を、そのときの私は聞き流していました。
 ところが翌年の春、父が突然体調を崩したので病院に駆け付けたら「ステージ4の肺がんで余命一年」と医師に言われました。本人にがんだとは伝えないまま、できる限り父の希望に沿った方法での治療を選びました。その次の年の三月、父は七十八歳で亡くなりました。父の希望を聞いたおかげで私たちは納得したかたちで見送ることができたと思っています。そろそろ私も子どちらに父のような意思表示をしておかねばいけないと考え始めています。”(12月23日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・河原さん(76)の投稿文です。ボクの身近な人の亡くなることもよく聞くようになり、終末は人ごとではなくなろうとしてきた。そして、医療の発達してきた現代、いろいろの方法があり、選択をしなければならなくなっている。その一つが延命治療である。河原さんのお父さんは、延命治療を拒絶する遺言を託された。遺言を託されたことによって、残された家族が選択に迷うことは少なくなった。延命治療とは「根治や回復の望めない終末期の患者に、できるかぎり生命を維持し延命を図ろうとする治療」とある。ボクにはこの時、意識がどうかということが大きな問題だと思う。意思疎通が図れるのか、また疎通は図れないがこちらのことは伝わるのか。意識もないのにただ命を長らえさせるだけだったら、ボクもすぐ拒絶である。
 実はボクら夫婦は娘らに6年も前に伝えているのである。夫婦の一方がある程度知的に正常な状態だったら、その意向に従う。ともに知的に正常な状態でなかったら延命治療は不要である、等である。今回読み直してみたが、今書き換える必要はないようだ。残された家族が困らないようにしておくのは義務である。財産の扱いや葬儀の仕方などもそうである。こちらの方はまだ書きかけになっている。人生、これからが正念場である。


(第2728話) 年の瀬の大仕事

2019年01月10日 | 活動

 “今年も残すところわずか。毎年師走になると、庭の木のことが気にかかる。ここ数年、今まで面倒をみてくださった庭師の方が廃業されてしまったので、お鉢が自分に回ってきている。もともと庭いじりが嫌いではなかった私は、雑木ぐらいは、と庭師の方の手伝いもしてきた。
 しかし、私の家の庭には黒松が三本、女松は一本ある。黒松は私が小学生であった六十年以上も前に、今は小学校の校地になった山から弟と二人で掘ってきて植えたものである。また女松は、気丈夫であった母が、どうしてもということで植えたものである。
 一年たって、伸びすぎた枝を一本一本切っていく。身の丈に余る松を剪定するには、高い脚立に上らねばならない。高所恐怖症の私は、脚立に上り慎重にはさみを進める。一本の木にかかるのは、庭師の方の三倍以上か。それもいわゆる丸刈りの状況である。もっと切った方が良さそうな枝が伸びているが、来年大丈夫かな、と思い、なかなか切り落とせない。最後に自分に言い聞かす言葉は「松の枝ぶりには完成品はない」である。今年もなんだかんだと脳裏をよぎる言葉を思い浮かべ、やっと剪定を終えた。”(12月22日付け中日新聞)

 名古屋市の箕浦さん(男・75)の投稿文です。ボクも箕浦さんとほとんど同じ状況である。ただボクの家の庭木は父が亡くなった後に作ってもらったものである。作ってもう35年ほどたつ。作ってくれた庭師も高齢となり、数年前から来てくれなくなった。他の人に頼もうかと思ったが、誰も評価しなければ、自分でやろうと決めた。しっかり数えたことはないが、大小入れれば100本程度にはなろう。木は年々太く大きくなる。脚立に立つのは非常に危険である。脚立から落ちて大怪我をした人を何人も知っている。そこで、脚立でも無理をしなければならない木は頂部を少し切り落とした。切り落とした時は見られない形になるが、数年もたつと何とか見られるようになる。生き物とは凄いものである。今年は延べ1週間ほどかかった。なかなか進まない作業に少し嫌になる時もあったが、終えてみれば気持ちがいい。ああすれば良かった、こうすれば良かった思うところもあるが、満足しながら毎日見ている。