寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2694話) ご先祖様の力 

2018年10月31日 | 人生

 “「おばあちゃん、僕の先祖ってどんな人?」ある日、僕は祖母に聞いてみた。年長者だけあって、祖母は自分より三世代前の人物まで詳しく知っていた。僕はふと計算してみた。親は二人いる。祖父母は、父方、母方合わせて四人。祖父母にも二人ずつ親がいるから、曽祖父母は八人。一世代さかのぼるごとに、その世代の先祖の人数は二倍増える。つまり、十世代さかのぼれば二の十乗で千人を超すではないか。
 もし、十世代前の千人以上の先祖のうち、一人でも欠けていたら、この世に僕は存在しない。先祖の力を身にしみて感じた。”(10月14日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県一宮市の中学生・寺澤君(12)の作品です。大切なことに気付かれたものである。本当にそうなのである。自分一人で生まれ自分一人で育っているような振る舞いをしている人も多い。これは傲慢である。親があり先祖があって自分がある。まさにご先祖様の力である。これほど明らかなことを忘れている。10代遡ると2000人以上になるらしい。こう気づくと自分があるのは奇跡といっても言いすぎではなかろう。更に親があって自分が育てられている。親ばかりではない。周りのいろいろな人の恩恵もある。感謝しなければなるまい。
 墓についてもいろいろ取り沙汰される時代になった。墓終いも進んでいるようだ。ボクの家の墓には3代前の人の名が書かれている。ボクの家は名家ではない。家系図はない。もっと父母に聞いておけば良かった。墓の墓碑銘で知るのみである。でも墓で知ることができる。


(第2693話) 宇宙人との約束

2018年10月29日 | 活動

 “今年は全国各地で大雨や台風、地震といった災害が起き、夏は命の危険を感じるほどの猛暑でした。ニュースや身近な人との会話で「異常気象」という言葉を聞くたび、私は小学校六年生のときに学芸会で演じた劇「宇宙人との約束」を思い出します。
 先生が脚本を考え、学年全員で演じました。ある日宇宙人が地球にやってきてこう言います。「美しい地球を地球人に任せておいては人間の争いや自分勝手な行動で動植物が全滅してしまう。だから自然を宇宙へ移動させよう」と。私の心に特に残っているのは最後の場面です。地球の子どもが「私たち子どもが大人になるまでに地球の自然環境を守れるようにするから、宇宙人の計画をあと十年待ってほしい」と宇宙人に約束します。子どもの言葉を信じて宇宙人は帰っていきます。
 あれから二十年以上たちました。私たち地球人は、宇宙人との約束を守れているでしょうか。”(10月14日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・中野さん(38)の投稿文です。思わず「300文字小説」かと思ってしまった投稿である。学芸会の演題だからそのように思ってもおかしくない。そして、素晴らしい演題、脚本だと思う。もう20年以上前のことと言われる。先生はこの先の地球を憂えておられたのか、良くなると信じておられたのだろうか。いまだ自然は宇宙に移動されていない。子供達が約束を守ったからであろうか。この問いに「守った」と言いきれる人はほとんどないであろう。個人的なところでは良くなったと言える人はあっても、地球となると悪くなった、としか言えないと思う。
 今年の異常気象、自然災害の多さが温暖化などの影響かどうかはボクには明言できない。でも、第2683話で話題にしたプラスチックゴミなどは明らかに人間の仕業だ。先日の中日新聞に、検査した人すべての人の便からマイクロプラスチックゴミが見つかった、という記事だ出ていた。いずれ人間の体に影響が現れるだろう。自然はドンドン破壊されていく。日本の山野は破壊の一途である。野生動物にも影響を与え、それが更に自然破壊を進めている。この「宇宙人との約束」を至る所で再演してほしいものだ。


(第2692話) 三つの言葉

2018年10月27日 | 教訓

 “人生の宝物にしたい言葉が誰にでもあると思います。私には三つあります。まず「昨日の荷物は置いていく。新しい人生、新しい気持ちで出発」です。いつ、どこで目にしたかは覚えていませんが、思い返すたびに前向きな気持ちになれ、勇気をもらえます。
 次は「人生後戻りはできないけれど、やり直しはできる」。十五年ほど前、そううつ病を患った私に、中学校三年生だっためいが手紙に書いてくれた言葉で人生のです。学校の先生から教わったとのことで、その言葉に心を揺さぶられました。
 最後は「良い面だけを見つめましょう」です。以前働いていた飲食店で「同僚からいじめられている」と店長に愚痴を言って返ってきた言葉です。意外な答えだったので頭をガツンと殴られた気持ちになりました。それから私は人を深く愛することができるようになり、人間関係が円滑になりました。時に人を傷つけることもある言葉には励ます面もあるのです。”(10月8日付け中日新聞)

 名古屋市の家事手伝い・水野さん(女・55)の投稿文です。座右の銘というか、常に心がけている言葉である。水野さんは三つ心がけていると言われる。それも体験から得た言葉である。しっかり心に刻まれていると思う。ボクはこの三つの言葉の内「良い面だけを見つめましょう」に心を置きたい。これは歳も関係していると思う。老人は楽しくである。良い面を見ていれば楽しい。
 今のボクの座右の銘はもう何度も書いたが「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」である。今日できることは今日する。その内にその内にと先延ばしをしていると、できなくなってしまったということもこれから多くなろう。気づいたらすぐに行う。その方が気持ちの負担も少ない。そして、学ぶことである。人生百年時代と言われる。先日そんな講演会にも参加した。ボクにしてみればまだ30年近くある。無為や憂いながらで過ごす長さではない。今のボクに死という言葉は全く頭をよぎらない。ただ前向きに進むだけである。学ばねばならない。
 人それぞれに思いはある。そこには重要な言葉が秘められている。それを意識して過ごす効果は大きいと思う。


(第2691話) アシスト自転車

2018年10月25日 | 活動

 “十年ほど前、私の下手くそ運転のため縁石に乗り上げ、エンジン近くの車台を壊し、夫からひどく叱られました。この事故を機に車の運転はやめ、免許更新時に返納しました。以来、どこへ行くのも自転車です。
 その後、しゅうとめが病気で入院したり、老人施設に入所することになって、週に二度見舞いを兼ねて洗濯物を取りに行く役目となりました。夫はそんな私を気遣い、へそくりで楽に走れる赤い電動自転車を買ってくれました。さすが電動自転車。オ-トマチックに設定すると、坂道で立ちこぎしなくても楽々上り、ペダルも軽く、スピードも出ます。暑い日も寒い日も片道二十分かけて通うこと三年半。しゅうとめも他界、今は買い物に行くときに使っています。
 これほどお世話になっている自転車なのに、洗車したことかありませんでした。先日パンクしたときも、ほこりまみれのまま修理に出し、恥ずかしい思いをしました。自転車屋さんから「乗る前に必ず空気の入り具合など点検してから乗ってね」と言われてしまいました。「今まで酷使してごめんなさい。これからは大事に使うからよろしく頼みます」と心でつぶやきながら、ピカピカに磨きました。”(10月8日付け中日新聞)

 愛知県蟹江町の主婦・大原さん(69)の投稿文です。アシスト自転車が増えている。ボクの住むような平坦地でも、よく見るとアシスト自転車だということがある。車を止めれば自転車になる。しかし、平坦地でも高齢者に自転車は結構重い。アシスト自転車という便利なものができた。自転車である、使い始めればよく使うものだ。自然広まる訳だ。この投稿を取り上げた機会にアシスト自転車を調べた。ボクに知っていた知識とはだいぶ違っていた。ボクの知識は最初に出た頃のものである。ものはドンドン改良される。
 昨年6月にボクは自転車を購入した。その時も全くアシスト自転車に興味を持つことはなく、従来の3段式変速の自転車を買った。普通には高で走り、登り坂になると中にする。足の運動のつもりである。楽も良いが、少し負荷をかけるのも必要だ。幸いにボクにはまだこの程度の体力はあるようだ。さて洗車の話となると、ボクも大原さんと全く同じである。空気を入れる程度で拭いたこともない。道具である大切に使わねば。早速拭いてみよう。


(第2690話) 童謡で手話

2018年10月23日 | 活動

 “わが町内で毎月一回、老人の集い「さくらの会」を開催しております。ほとんど女性ばかりですが、その都度健康対策、小旅行、室内スポーツ、子供会との交流会など無理のない程度で楽しんでいます。
 九月は八十歳になられた会員のお祝い会となり、昔ながらの鬼まんじゅうをいただきながら、民生委員の方のハーモニカの伴奏に合わせて、懐かしい童謡や、若かりしころの流行歌などを合唱し、大いに盛り上がりました。
 とりわけ良かったのは、童謡に合わせて手話を教わったことでした。今まで手話は難しくて、とても覚えられないと思っていたのですが、会員の中で手話に堪能な人がおられて、老人にも分かりやすく、丁寧な説明を受け、歌の情景を思い浮かべながら動作をすることで、初めてでもスムーズに表現することができました。家に帰ってからも、忘れないように時々復習したりして、楽しんでおります。声を出し、脳を働かせ、体を動かす。なんともよろしく三拍子そろった老化防止策といえましょう。
 老人にとっては、努力を強いられるより、何事も楽しみながらするのが、最も効果が上がるということを実感した一日でした。”(10月7日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の久米さん(女・85)の投稿文です。高齢者サロンの話である。もう何回も取り上げた。今回は童謡に合わせて手話を習ったという。いろいろな企画がある。いろいろな人がいていろいろなことができる。特に何かをしなければならない、覚えなければいけない、そんな場ではない。時折少しでも有意義であればいいし、それが楽しい。高齢者の場は楽しくなければいけない。
 ボクも今、サロン運営に力を入れている。今年度に入って今までに、警察署職員の話、落語会、在宅医療の講話会を催した。来月は体操教室を企画している。通常は雑談だけである。高齢者が集まる場があれば良い。時折特別催事を組む。楽しければ、少し有意義であれば何でもありのつもりである。会の最後はみんなで青い山脈を歌いながら、それに合わせ軽い体操をする。これがボクは気に入っている。ボクは特に何かをしようとか、無理してはいけないと思っている。無理したら続かない。まずは続けることが第一である。続けるための工夫はしたい。ささやかなボクのライフワークにしたい気持ちである。
 ボクはこのサロンを機会を見つけて話している。興味を持ってくれる人も多い。時折他地区からの見学者もあるようになった。各地でこうしたサロンが増えることを願っている。


(第2689話) 話し相手に

2018年10月21日 | 活動

 “民生・児童委員をして八年になります。私の住む地域でも年々核家族化か進んで独り暮らしのお年寄りが増えています。さまざまなお宅を回っていると、これまで歩んできた自分の人生を考えさせられます。
 「敬老の日」を前に独り暮らしの高齢女性を訪ねたら、孫から送られてきたというはがきをうれしそうに見せてくれました。色鉛筆で描かれた似顔絵に「おばあちゃん いつまでも元気でね」という優しい言葉が添えられていて。
 育ててもらった感謝を忘れたのか、親に全く会いに来ない人が最近は少なくないと聞きます。高齢者には体調を崩しても遠慮して子どもたちに連絡しない人もいます。忙しい現代社会では心の余裕がないのかもしれませんが、親子の絆を大切にしないと将来自分が寂しい思いをするのではないでしょうか。早くに両親を亡くした私は親孝行ができませんでした。せめて今は独り暮らしのお年寄りを見守り、話し相手となれるように努めています。”(10月7日付け中日新聞)

 三重県菰野町の北住さん(男・69)の投稿文です。我が田舎でも老夫婦2人の世帯がドンドン多くなり、そして一人暮らしとなっていく。そんな社会となってしまった。そんな人と話すと、今のボクは奥さんがあって良いですね、羨ましい、とよく言われる。想像するに全くそうであろうと思う。
 昨年老人会長をしていた時、一人暮らしの家を訪問する事業があった。そして、ボクも数軒訪ねた。ほとんど話したことが無い人である。それでも少し尋ねると、次から次と話される人がほとんどであった。話す機会が欲しいのだろうと思った。
 社会は豊かになった。豊かになれば余裕が生まれてよさそうである。ところが余裕どころか、忙しくなってしまった。人間の欲望にキリがないということが原因か、人をますます競争させようとしている。何か社会の仕組みやめざしているところがおかしい気がする。元気な内はいいかもしれない。しかし、老いるのである。老いるだけでも寂しいのち、社会までが寂しさに追い打ちをかけてどうするのだろう。


(第2688話) 酔芙蓉

2018年10月19日 | 出来事

 “今年も酔芙蓉が咲いた。朝は白く、夕方には濃いピンク色に変わる大輪の花。もう三十年くらい前になるだろうか。近所の公園を朝の散歩中、所々に植えられているのを見かけた。夕方、今度は赤っぽく変わっていた。「たしか白かったはず」。翌日、確認すると間違いなかった。植木に無知な私は、花の名前が分からない。後に知ったこの花は、酒に酔ったような様子から「酔芙蓉」とい名がついたらしいと。
 私は酒好きではないが、この花が気に入ってしまった。鉢植えを買い求め、そのまま 数年持っていたが、一度も咲かなかった。半分諦めながら、庭の隅に植えた。すると、まるで生き返ったように成長、四、五メートルにもなった。このころになると、毎年妻がこぼす。「今年も庭に森ができた」と。この花にはあまり関心がないらしい。花壇の花はせっせと摘むくせに。
 私は平気で酔芙蓉ばかり見ている。花が咲き終わるころになると、剪定。今年も咲いてくれたことに感謝しつつ、少々のお礼肥をやろう。そして私は今夜も、庭の防犯灯の薄明かりの中で、赤みがかった酔芙蓉を眺めながら、妻が作ってくれる梅酒をグラスー杯だけいただく。すると、私の顔まで酔芙蓉に変わっていく。”(10月2日付け中日新聞)

 愛知県安城市の原野さん(男・72)の投稿文です。酔芙蓉は平成21年10月の川柳連れ連れ草第94号で扱っている。本当に面白い花である。朝白かった花が夕方には赤くなる。まさに晩酌をしたようである。人が様々なら花も様々である。原野さんはこの花が気に入り、買い求められた。
 川柳連れ連れ草像に使用した写真は近くの畑で撮ったものである。この花が咲くのをボクは楽しみしていた。しかし今はない。その土地に今は倉庫が建っている。近くで酔芙蓉は見かけない。株分けして貰っておけば良かったと思う。ボクは今、花作りに結構力を入れている。それも道路際を花畑にしている。通る人に見てもらうためである。部屋やお墓に飾る為もあるが、どうせ作るなら人にも楽しんで貰おうと思ってである。花を見て気持ちがよくなる人はあっても、気持ちが悪くなる人はほとんどないであろう。花というのはそういうものである。今コスモスがきれいに咲いている。でも人に見てもらおうと思うとなかなか大変である。


(第2687話) ラストスパート

2018年10月17日 | 人生

 “結婚、子育て、パート生活。気が付いたら七十歳。都会の中での生活、五十年がたっていた。小さいながらも自宅も持てた。平凡ながら、まあまあの生活だったかなあ。団塊世代の私。
 自分たち夫婦二人の終末を考えると、子ども二人に面倒をかけたくない。そんな時、運良く山あいのケアハウスよりお誘いがあった。さまざまな人間関係を切り捨てて、山あいの杉木立の中に立つケアハウスに入居することを決断した。住所変更などに明け暮れる。友達は「寂しくなる」「さっぱりしてるねえ」「決断は立派」などと言う。今までの人生、半世紀の思い出をぱっと切り捨て、山あいの地に身を置こうと決め、入居した。
 毎日、ベランダから周りの緑の山々を眺め、小鳥の鳴き声に心打たれ、感動する。夜は、ベッドから窓越しにいっぱいの星空を眺める。セントレアヘ向かうだろう飛行機の明かりに目を凝らしている。静かすぎる毎日。そんな時、シルバー人材センターから声がかかった。もう少し労働してみようか。これから山あいの暮らしのキャンバスに、いろーんな色付けしていきましょうか。”(9月29日付け中日新聞)

 愛知県新城市の安藤さん(女・70)の投稿文です。随分思い切った決断である。歳いってケアハウスに入る人も多かろう。夫婦健在で入る人も多いのだろうか。それでも、都会から新城市である。新城市と言っても町中もあるが山あいとある。確かに自然は素晴らしかろう。当分見飽きることもなかろう。「さまざまな人間関係を切り捨てて」とある。知り合いも少なかろう。しかし、誰もが言われるように「さっぱりしてるねえ」「決断は立派」と言いたくなる。これだけの決断である。ご夫婦で十分に検討されたであろう。新たな出発をするにはこのくらいの決断だ必要かも知れない。中途半端では新たにならないかも知れない。70歳である。健康ならもう一時代ある。人生2度である。ラストスパートである。喜びに溢れた今後を祈りたい。


(第2686話) 三つの誓い

2018年10月15日 | 意見

 “私の出身地である愛知県蒲郡市の市民憲章の一部を紹介した八月二十九日付本欄「愛のことばで助け合い」を目にして、憲章の「三つの誓い」全文が自然と口をついて出てきた。故郷を離れて三十年以上になるが、なぜ今もそらんじることができるのだろうか。
 調べてみたら一九七二(昭和四十七)年十一月三日の制定らしい。当時の私は小学生で、きっと学校で暗唱する機会があったのだろう。いまだに全文が記憶に残っているということは子どもなりに[美しい文で大切なことを説いている」と思って心に留め置いたのかもしれない。
 「三つの誓い」の残り二つは「心と体をすこやかに、笑顔で働き いえづくり」と「海と空を美しく、みんなの力で まちづくり」。皆さんも一度声に出して読んでほしい。蒲郡だけでなく今の日本全体に言えることだと私は思った。”(9月27日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・三浦さん(女・55)の投稿文です。どこの市民憲章もその地域にあった素晴らしいことが書いてある。三浦さんのふるさとは愛知県蒲郡市、今も市民憲章がスラスラ出てくるという。これは若い時に暗唱されたからであろう。
 ボクの住む一宮市の市民憲章を調べて見た。制定は平成19年3月である。蒲郡市に比べるとかなり遅い。いろいろな行事で市民憲章唱和がなされる。ボクももう何度唱和したことか。しかし、その時唱和するだけではさっぱり覚えられない。どうしても歳を思わざるをえない。何事も若い時である。
 参考に一宮市市民憲章を紹介します。
 1.いのちを大切にし、だれもが安心して暮らせる 福祉のまちをつくります。
 1.ちきゅうを愛し、自然も人も共生できる 住みよいまちをつくります。
 1.のびやかに青少年が育ち、個性を生かす 教育と文化のまちをつくります。
 1.みどり豊かなふるさとを守り、活力ある産業のまちをつくります。
 1.やさしさと思いやりに満ち、夢と希望があふれるまちをつくります。
 良いことが書いてある。この文をいつも心していたら、素晴らしい市民になろう。


(第2685話) 日記が私の力に

2018年10月13日 | 意見

 “私は中学生から日記を書いている。特に受験生だった高校三年生のとき、毎夜のように手帳につづった「(嫌なことともしっかり)向き合った」「友達と進路の話をした」などの記述は今でもふとしたときに読み返しては、私に力をくれている。
 現在通っている大学のオープンキャンパスに参加して、この大学を第一志望に決めた日には「先輩と話ができた」と書かれていた。あのときの弾む気持ちがよみがえってくる。中学生での職場体験をきっかけに保育士を目指すようになった私は今、教育学部で学んでいる。勉強と習い事に初めてのアルバイトと自信を失いそうになったが、日記につづった文言に支えられている。
 受験生や夢に向かって突き進んでいる人には日記を書くことを勧めたい。あなたの努力は日記を通して未来につながるはずだから。”(9月26日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・片山さん(女・19)の投稿文です。一口で日記と言っても様々である。毎日記録すれば日記である。1行その日にあったことを書いても日記だし、長々と想いを書いても日記である。でもどんな日記でもそれなりの効用はある。まず書くことによって能力を高め、気持ちを確認し、また振り返ることによって新たな気持ちになることもある。継続するという力を培うことにもなるし、自信にもなる。効用は計り知れないと思う。
 ボクは3年通用日記を使い始めて12冊目34年になるが、それ以前も何かの形で書いていた。ボクの記憶では中学生になって書き始めたと思う。それまで国語の成績は全く振るわなかったが、高校生になって俄然良くなった。これは日記のお陰と思った。何か記録しておかないと、折角の体験が消失してしまう気になる。この歳になると記憶力は全く乏しい、ほとんどあてにならない。よりどころはメモや日記である。見返すことが度々である。「先を見て歩けばいい、振り返らない」と言う人もあろうが、人間は思い出に生きる動物でもある。高齢になると特にである。その時にも日記は役立つであろう。