寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2550話) 事故防止へ

2017年12月30日 | 活動

 “年末の交通安全県民運動(1~10日)に合わせ、西尾張各地で地域住民らが事故防止に向けた啓発を続けている。江南市の古南地区老人クラブ連合会の会員ら約四十人が五日夕方、市役所前の交差点で、早めのライト点灯などを呼び掛けた。参加者は蛍光色の上着や反射材のたすきを着用。のぼり旗などを持ち、通行車に向けて黄色信号で止まる「イエローストップ」や、思いやりのある運転をするよう強調した。
 西部茂夫会長(七六)は「運転する際は、特に左折時に横断者を巻き込まないよう気を付けてほしい。事故で亡くなる人を一人でも少なくしたい」と話した。江南署管内では今年、五日までに、昨年より二人多い四人が交通事故で死亡。死者はいずれも高齢者だった。”(12月7日付け中日新聞)

 記事からです。愛知県はもう何年も交通死亡事故日本一を続けている。そして一宮市は愛知県市町村別で2位に位置している。この記事は隣の市の江南市であるが、一宮市でも同じような啓発運動をしている。ボクも12月5日に参加した。今年もう4回目である。蛍光色の上着を着てプラカードを持って交差点に立った。どれほどの効果があるかは疑問であるが、やらないよりやった方が良いのではなかろうか。安全な運転が必要なことは誰もが分かっているが、こんな程度のことで自分は交通事故を起こさないと思っているだけのことである。分かっていて他の方が優先してるだけのことである。他の人のことは言うまい。自分だっていろいろな危険な行為をしているのではあるまいか。そして一番肝腎なことは急がない、慌てないことではあるまいか。急ぐからいろいろな間違いを起こす。横断歩道で止まらない、スピードを出す、一旦停止を曖昧にするなどなど急がなければ起こさない。ボクは今まで無事故無違反である。でもいつ、どこで起こすか、いつもその危険性は負っている。高齢になって運転も下手になった。十分に気をつけねばならない。


(第2549話) 自由な抹茶

2017年12月28日 | 知識

 “尾張地方でも庶民の伝統文化だった抹茶を飲む習慣が廃れつつある。昔の家々では少し立ち寄った人にも抹茶をたて、縁側で茶わんを手に談笑する大人を見掛けたものだ。近年はたてるのが面倒だと言う人もいようが、毎朝我流で抹茶をたてる私からすると緑茶やコーヒーと手間に大差はない気がする。色鮮やかな緑を目で楽しみ、うまさと苦さの味わいを舌で感じている。
 妻は茶道をたしなんでいるが、守らなければならない作法が多数あるようだ。茶の湯の世界と縁が深い「御深井焼」の有名な作家だった故加藤舜陶さんや千利休は「ただ飲めば良い」と言っていたとか。それなら現代らしく、自由な抹茶を楽しめば良いと私は思う。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の加藤さん(男・76)の投稿文です。抹茶文化は尾張地方独特のものであるのか・・・そんなことを聞いた気はするが、自信はない。でも、言われてみればそんな体験もある。ボクは海部地方に勤務していたことがある。仕事で訪ねると、まず縁側で抹茶を出されたことを思い出す。度々あった気がする。そしてボクの地域でも、寺院へ行けば抹茶がでる。報恩講などあれば抹茶を出すのが年行司の仕事である。これは今でもそうである。抹茶というとまずお茶の作法が思い浮かぶ。習ったことがない人はまず及び腰になる。ボクもそうである。茶碗を手前に回して、三口半などと不器用に見よう見まねではオドオドして、お茶を味わうどころではない。これをボクも長年してきた。知らないものは知らないのである。ここは下品と思われようと何と思われようと「ただ飲めば良い」と開き直った方が得策である。加藤さんが言われるように「自由な抹茶を楽しめば良い」のだ。つい先日ボクはこんなこともしてしまった。まず半分の茶菓子を食べる。そして抹茶を飲む。そして残りの茶菓子の半分を飲み、また残した抹茶を飲んだ。あれがボクの口に一番合っている。楽しくおいしく、これが一番である。


(第2548話) 体調のバロメーター

2017年12月26日 | 活動

 “「天声人語」の書き写しを始めて10カ月余り。いまのところ、まだ続いています。これまではトライから数週間、1カ月、3ヵ月と続かず、何度挫折したことでしょう。今は字を書く機会が極端に少なくなり、やさしい漢字も書けなくて、がくぜんとすることが度々あります。何とか文字を書く機会をつくらねば、と再び書き写しを始めました。
 机に座るのは1日20分ほど。天声人語をゆっくり読み、少し覚え、書き写します。理解して丁寧に書くことを心がけています。
 ところが、元気印の私がこの夏から体調を崩し、家に居ることが多くなりました。具合の悪いときは字が乱れ、良いときはゆったりとし、丁寧にと思いながらも途中で乱雑になることも。体調のバロメーターのようにもなりました。今は1日のこの20分だけは、何としても継続したいと決めています。
 先日、小学生の孫娘が書いている私のイートをのぞき込み、「ばあちゃん、まだ続いているの?これからもがんばって続けてね」と、トンと私の肩をたたいて遊びに出かけて行きました。とてもうれしい余韻を残して。”(12月6日付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・山田さん(74)の投稿文です。体調のバロメーターと言うことでは、先日脈拍の話を紹介したが、今度は天声人語の書き写しの話である。天声人語の書き写しが体調のバロメーターになるのか、ちょっと不思議に思うが、読んでみるとなるほどと思う。体調が良く、余裕があれば字も落ち着いた良いものになろう。逆であれば乱雑になろう。特に間違いである。ボクも天声人語の書き写しを始めて数年になるが、実はほとんど書いてない。毎年今年こそと思うが、その今年も前半は頑張っていたが、後半はほとんど忘れている。言い訳ではあるが、やはり忙しさのなせることである。書き写しはきっちりマスに納めないといけない。落ち着いていない時は、つい独自の書き方になり、送り仮名を間違える。マスが合わなくなって慌てる。1行ほとんどを書き直すことも度々である。書き写しは本当に落ち着いた中でないと難しい。山田さんの言われるように体調のバロメーターになっている。今の忙しさが終わるまで、まだ当分延期になりそうだ。


(第2547話) 牧場の思い出 

2017年12月24日 | 人生

 “先日、北海道・十勝にある成松牧場からバレイショが届いた。成松さんとは私が高二の夏に二週間ほど、牧場体験でお世話になって以来三十二年のお付き合いである。牧場での毎日は大草原ののどかな景色とは違い、朝四時の乳牛への餌やりと搾乳で始まる。朝食後は牧草畑で、十五キロの牧草ブロックを何百もトラック数台に積み上げた。冬の間の分として貯蔵するためだ。夏季はほぼ毎日。ばてている私に「なんだ、ばてたのか。隣の牧場にあんちゃんと同じ年の女の子が頑張っているから見に行くぞ」と連れて行かれたことがある。
 牧場体験も終わり、駅でお別れするときに、牧場のおばあちゃんが「列車で食べなさい」とおにぎりを渡してくれた。車中で広げると、おにぎりのほかに薬と細かく折り畳んだ五千円札が出てきた。自然と涙が出てきた。今でも思い出すと、涙が出る。
 当時、園児で私に懐いていた子は、今は牧場主として頑張っている。私は成松さんへのバレイショのお礼の電話でもう一つお願いをした。「今冬に高二の息子を行かせたいのだけど」「息子か、楽しみだな」。そんな会話が四十分も続いた。極寒の真っ白な大地で過ごし、息子が帰ってくる姿を今から楽しみにしている。”(12月2日付け中日新聞)

 愛知県春日市の会社員・寺浦さん(男・48)の投稿文です。高二の時二週間ほど牧場体験をした牧場主と32年の付き合い、毎年バレイショが届く。そこへ今年自分の息子に同じ体験をさせようと送り込む。まさに人生の縁、良い出会いというのはこういうものであろう。長い付き合いでも終わればそれまでと言うのもあり、ちょっとした触れ合いが長い付き合いとなる場合もある。いい人間性なら誰とも長くなるかというとそうでもない。相性がものを言うのだろうか。人生とは摩訶不思議なものである。
 年賀状を書く時期となった。今年はボクも会社を完全退職し、今までの付き合いがかなり切れることになった。仕事上の付き合いから年賀状を出してきた人も多い。この機会に整理するのも一案か?年賀状くらい出し続けるのが良いか?迷うところである。人間の付き合いも様々である。


(第2546話) 落語

2017年12月22日 | 活動

 “特に理由はないけれど気分が落ち込んでいる日。せっかくのお休みなのに何をする元気も出てこない日。そんな日には落語のCDを聴くに限ります。五代目今亭志ん生師匠の噺を。同じネタをもう数百回は聴いているはずなのに毎回笑えるのが不思議。これぞ名人芸なんでしょうね。時には数日後に思い出し笑いをしてしまい、知り合いが「何かいいことあった?」。実に効果てきめんで安上がりな気分転換法です。
 先日、図書館で、落語の稽古をつけてくれるDVDを発見。部屋で1人で自習するには恥もへったくれもないし、誰にも迷惑はかけないからやってみようかと、いざお稽古開始。これがまた想像以上に難易度が高くて。しゃべるだけでも難しいのに、それに合わせてしぐさをつけるなんて驚異的。落語家さんって偉いなあ・・・。落語は着物で演じるものだという当たり前のことにも気づきました。
 そこで、浴衣を引っ張り出して着てみたけれどなんか変。そういえば一人で着たことなかったっけ。実家に帰ってばば様に習おうか。なんだか楽しくなってきたな。でもこれってもう気分転換っていうレベルじゃないかも。”(12月1日付け朝日新聞)

 愛知県日進市の主婦・清水さん(60)の投稿文です。清水さんは自分でも言ってみえるが「これってもう気分転換っていうレベルじゃない」は本当であろう。これほどにはまるのも良いことではあるまいか。ボクも落語のCDシリーズを持っている。もう十年以上前に買ったが、ほとんど聞いたことがない。そんなゆったりする時間がなかった、と言うのはいい訳だろう。でもこの文を読んで、ゆっくり味わう日が来ることが楽しみになった。
 ボクの先輩で、清水さんを上回る人がいる。退職後、落語を習い始め、今ではいろいろなところで披露している。老人ホームなどの慰問や、寺院境内で定期公演などもしている。昔から話の上手な人であったが、更に面白みも加わった。いい老後と思う。


(第2545話) 新聞で息子に

2017年12月20日 | 知識

 “半世紀以上前、私は離婚して当時三歳の息子と別れて暮らすことになりました。息子のことを忘れた日はありませんでしたが、会うこともできず、私はつらくて「死にたい」と思った時期もありました。そんなときに新聞への投稿を始めました。自分の思いをつづることで気持ちが少し楽になっていきました。
 月日は流れ、息子が三十代になった二十五年ほど前のことです。大阪にいた息子が趣味の陶器を岐阜県土岐市から取り寄せたら、私の投稿が載った新聞に包まれて届いたそうです。子を思う内容の私の投稿を読んだ息子は心を動かされたのか、その後、私の住所を探して「会いたい」と連絡をくれました。
 三十数年ぶりに会った息子は立派に成長していて、親子の絆も復活しました。今は時々大阪から名古屋に来てくれて、一緒に食事をしています。”(11月29日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(80)の投稿文です。息子さんが買った買い物を包んだ新聞が、自分の投稿文が載っていた新聞とは、こんな偶然があるだろうか。それも遠い距離である、もう何十年と会ったことがない親子である。投稿文であるから小さな文である。探しても見つからない位のスペースであろう。これが目についた。これはもう奇跡である。こうなる宿命があった、としか思えない。そして、息子さんもお母さんを気にしていたのだろう。住所を探して連絡をくれた。親子の再会となった。人生こんなことも起こるのだ。
 親子は切っても切れない仲にある、そういうことと思う。一つ間違った親子は他人より難しい。不仲のまま人生終わることもある。それでも忘れられない、縁が切れないのが親子である。血のつながりとはそう言ったものであろう。亡くなった後、より思うものである。ボクも少しそれを担っている。


(第2544話) オカリナ

2017年12月18日 | 活動

 “定年退職後、一生続けられる趣味としてオカリナを習い始めて十年ほどになります。オカリナの魅力はその素朴な音色です。親しみやすく、「初心者でもできそう」と思って挑戦しましたが、意外と奥が深くて飽きません。現在は十二月の定期演奏会に向けて練習に励んでいます。
 一緒に練習している仲間は女性ばかりで十人ぐらいいて、私は唯一の男性であり、しかも最高齢です。皆で花見や食事に行くこともあります。老人ホームで懐かしい歌謡曲を演奏して入居している人たちに喜んでもらえると私たちもうれしくなります。
 先日、私が所属している合唱団が近所の老人ホ-ムで合唱を披露しました。出演時間が長かったため、歌の合間に私がオカリナを独奏しました。緊張しましたが、無事演奏することができました。オカリナのおかけで私の人生はより楽しく、充実したものになっています。”(11月28日付け中日新聞)

 岐阜県瑞穂市の中野さん(男・80)の投稿文です。オカリナなるものをボクはよく知らなかったが、昨日それを聴く機会を得た。ボクが会長を務める老人クラブ連合会主催事業で昨日「童謡に親しむ会」を開催した。子供から高齢者まで参加する世代間交流事業で、童謡を皆で学び、歌い、親しんだのである。約230人の参加があった。童謡を歌っている中間に、気分転換、息抜きに何かの催しが欲しいと言ったところ、オカリナ演奏が提案された。そして、14人でオカリナ演奏が行われた。素晴らしかった。好評だった。
 中野さんはそのオカリナを70歳の頃から習い始められた。そして、10人ばかりの女性の中でただ一人の男性として・・・更に最高齢として。この心意気を讃えたい。仕事の世界でも女性は多くなったが、仕事以外となると全く女性の世界である。昨日の「童謡に親しむ会」は、老人クラブ連合会の傘下に「童謡を歌う会」があって、その会の協力を得て実施できたことである。またこの会があってこの催しを思いついたことである。そしてこの会の会員は全員が女性である。それも70人もいる。全く熱心である。


(第2543話) 祝日の意味

2017年12月16日 | 意見

 “三日は「文化の日」だが、八十代の母に何の祝日かと聞くと「天長節」と答えた。明治天皇の誕生日だ。確かにそうだが、私たちの世代には一九四六(昭和二十一)年のこの日、憲法が公布されたことの方がなじみがある。憲法施行日はその半年後の四七年五月三日で、この日付が「憲法記念日」となっている。
 このように祝日にはそれぞれ由来や意味があるはずだが、近年のハッピーマンデーに代表されるように連休を増やすために日付が変わるケースがいくつかある。年ごとに日付が違うと祝日本来の意味が忘れ去られてしまうのではないかと私は心配だ。
 六四年十月十日に東京五輪の開会式が行われたことにちなむ「体育の日」は今年は十月九日だったが、歴史が書き換えられるような寂しさすら覚えた。連休になれば休暇が取りやすい人は多く、経済効果はあるのかもしれないが、これで良いのだろうか。”(11月25日付け中日新聞)

 岐阜県七宗町の福井さん(女・53)の投稿文です。ボクも全く同意見、同じことを感じている。祝日は長いこと9日であったと思うが、今は18日ある。祝日が増えたこともあまり意識しなくなったと思うが、日にちが年年で変わることも意識しなくなった原因と思う。1月15日の成人の日や10月10日の体育の日はきっちり頭に入っていたが、今では「今日がそうですか」と驚くことも多い。今や日本の祝日の数は先進国中最多という。有給休暇を取りにくい日本の労働事情に配慮して、公的な休日を多くしているともいう。先に挙げた成人の日や体育の日は祝日の日付を固定せずに月曜日として、週末に続けて連休を取りやすくするハッピーマンデー制度である。国民の休暇を多くするために取り入れた制度のようであるが、本末転倒になった気がする。祝日に意味とありがたみを全く感じられなくなった人は多いと思う。経済の前には何でも行う、そのひとつの気がする。何でも行うのであったら、有給休暇を取りやすくすることが本筋ではなかろうか。


(第2542話) 脈拍知って

2017年12月13日 | 知識

 “長時間労働による過労死が社会問題となっている。私は外科医として忙しく働いていた四十八歳のとき自身の脈の異常に気付き、過労死を免れた経験がある。以来自らの働き方を見直してこの四半世紀、健康診断に携わってきているが、自分の脈拍数や不整脈の有無を知らない人が多い。手首の親指側の動脈に触れて脈を数える方法を知らない人も増えているようだ。
 正常な脈拍数は「一分間に規則的に60」とされている。健診では一分間に50~99を基準値としているが、健康でも100以上ある「頻脈」の人は少なくなく、スポーツをよくする人は「徐脈」といって30台の場合もよくみられる。
 脈拍は自律神経の活動に連動している。運動やストレスで交感神経が緊張すると脈拍数は増え、気持ちが落ち着くと今度は副交感神経が緊張して減る煩向にあり、ストレスや心の状態を映しているとも言える。自分で脈に触れれば心の状態を知ることにもつながるのでお勧めしたい。”(11月23日付け中日新聞)

 名古屋市の医師・小島さん(男・74)の投稿文です。投稿者は医師である。その医師が、長時間労働で脈拍以上に気づき、死を免れたという。医師は見ていても肉体的にも精神的にも辛い職業と感じる。高額を手に入れても使う時間がなかろうと、余分な心配をする。
 ボクは高血圧と診断されてから、時折自宅で血圧を測る。血圧を測ると脈拍も同時に測ってくれる。小島さんは「正常な脈拍数は一分間に規則的に60」とされていると言われる。ボクは平常時はまさにその60前後である。高い時には何かあるかと、自問する。ボクは小島さんが言われることを実行していることになる。これについてはまずは良しである。
 高齢になると、いくら健康を誇っていてもいろいろ異常が生じるし、弱っている。特に筋肉である。人は体中筋肉で覆われている。意識して鍛えても一部である。健康番組を見ていると気が遠くなる。すべてを意識することは出来ることではない。これが歳を取ると言うことであろう。脈拍も血圧も意識しやすい部類であるので、注意を払いたい。


(第2541話) 津波に備え

2017年12月11日 | 意見

 “五日は「津波防災の日」で「世界津波の日」でもあった。ともに江戸時代後期の1854年11月5日に発生した安政南海地震で、村人が稲むらに火を付けて津波の発生を知らせたという「稲むらの火」の逸話に由来しているそうだ。
 2011年3月の東日本大震災では大津波が町を襲ったことが記憶に新しい。東海地方でも近い将来、巨大地震が発生する可能性が指摘されていて、私の住む名古屋市を含め太平洋岸の広範囲にわたって巨大津波による被害が予測されている。地震に備えて家屋の補強、家具の転倒防止などの備えをしている人は多いことだろう。
 津波に備えるには自らの地域の海抜を知っておくことが身を守る上で大切なことだと私は考える。しかし残念ながら、海抜を意識している人はまだ少ないのではないか。まずは電柱などに掲げてある海抜を示す看板を意識してみてはどうだろうか。”(11月19日付け中日新聞)

 名古屋市の森部さん(男・82)の投稿文です。津波の対応に海抜は重要条件である。東日本大震災以来、防潮壁築造や高台移転が行われているのは、まさにこれである。愛知県の沿岸部では、至る所に標高が記されている。これは伊勢湾台風の教訓である。伊勢湾台風で潮の被害を受けたところでは潮が来た高さも記されている。海部地方ではボクの背より高いところに記されているところも多い。ボクの地方で、ボクの世代以上では災害と言えば昭和34年9月の伊勢湾台風である。ボクの意識でも伊勢湾台風はトラウマのように残っている。しかし、今騒がれているのは東海大地震始め地震である。ハード、ソフトいろいろな対策が取られている。しかしながら、我が尾張北部は災害に対する意識は行政も市民も低い。ありがたいことに災害はあまりないのである。近年あったことと言えば平成12年9月の東海豪雨である。これも比較的被害が少なかった地域である。
 しかし、最近は思いがけないところで、思いがけない災害が起こっている。高齢の方が初めてという言葉をよく聞く。自然災害に人間が勝てるというのはおごりであるが、勝てないけれども供えていれば被害を減らすことはできる。いろいろ情報を得て、備えたいものだ。これは自分のためばかりでなく、人の為にもである。