寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3281話) 喪中の年賀状

2022年02月27日 | 出来事

 “昨年は義父母がともに逝ったため喪中はがきを出して新年の年賀状をしたためるのは遠慮したのに、わが家のポストに元日、中学校時代の恩師から唯一の賀状が届きました。例年通り手作りの版画に「大変失礼かとは思いますが賀状の一枚もない新年は寂しすぎるじゃありませんか。せめて一枚ぐらいあってもいいかなと思いまして」とありました。ここ数十年で最も温かい年賀状でした。
 年齢が近いこともあって、私たちにあだ名で呼ばれても笑ってくれる先生でした。修学旅行の思い出文集はガリ版印刷で作って配ってくれました。気付けば先生も八十代に入る頃ですが、いつまでもお元気でいてください。”(2月1日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・山田さん(71)の投稿文です。いろいろなしきたりや儀式は遠のいても、なぜか喪中の年賀状を控える風習は続いている。当然ボクもこうしたことは何度もあり、その時の自分の考えで進めてきた。この投稿文を機会に、調べてみた。いろいろな意見がある。慣例もキチンとしていないようだが、こんな文に出合った。「喪中はがきは、あくまでも喪中で年賀状を出せないことの報告です。相手方から年賀状が来ることを拒否するものではありません」。山田さんの恩師はまさにこの文に沿ったものです。山田さんはこの気遣いを嬉しく思われた。
 多くの意見は、喪中は1年間、喪中はがきは2親等までの人が亡くなった場合、喪中葉書をもらったら出さない、また喪中葉書をもらったら寒中見舞いなどを出す、となりそうだ。ボクの体験からすると、喪中葉書をもらったらその時が年賀状の縁の切れ目となることも多い。寒中見舞いはほとんどない。その程度の人と多くは年賀状をやり取りしている、ということにもなろう。たかが年賀状であるが、どう捉えるか、もう一度考えてみよう。遅くなったが、余寒見舞いを少し書いてみよう。


(第3280話) ふみ出す勇気

2022年02月25日 | 行動

 “去年は中学生になり、さまざまな挑戦がありました。応援リーダー、学級委員、議員、選挙管理委員。しかし、僕は一つも挑戦できませんでした。本当はやってみようと、どの時も思っていました。だけど、それ以上に、はずかしい、やっても意味がない、とマイナスの思いばかりが頭の中にありました。それは、自分自身の弱さであり、その時に一歩ふみ出せば変わったはずです。
 そんなある日、先生に呼び出されました。「本当にそれでいいの?」。僕は「もういいですよ」。本心ではありませんでした。言った後に、悔しい気持ちがこみあげてきました。その後、母と、先生と友達のおかげで、合唱の伴奏をするチャンスが来ました。嫌なような、でも心の中ではうれしいような・・・。僕は与えられたチャンスを頑張ってみようと思います。今年こそは一歩ふみ出す勇気をもって去年できなかった生徒会にも立候補してみたいです。 ”(1月30日付け中日新聞)

 「今月のテーマ・始めたいこと」の欄から岐阜県各務原市の中学1年生・川瀬さん(男)の投稿文です。先生から「本当にそれでいいの?」といわれることから、多分瀬川さんは能力のある人でしょう。先生はその能力の出し惜しみを嘆かれたいた、と思う。そして、チャンスが巡ってきた。踏み出す勇気も沸いてきた。これからどんどんこういう場面に遭遇し、能力を発揮されるだろう。良い展開になった。こういうのが縁、運、チャンスである。
 ボクの男孫2人も全く、人前に出ることを嫌ってきた。児童会の役員など全く出る気がなかった。ボクが言うのも何であるが、2人とも学校の成績は良い。学校の勉強ばかりでなくその他の能力もある。ボクはいつも惜しんできた。ところが兄の方は高校に入ってから全く変わり、積極的になった。そして大学に入り、つい最近この大学も中退してしまった。大学より他の道を見つけたというのである。弟の方は親の勧める高校に行かず、自分が見つけた高校に行ってしまった。よくこんな高校を見つけたと思った。2人とも今十分に張り切っている。これからどんなことがあるか分からない。いろいろなことに挑む勇気はあるようだ。ボクは見守るしかない。


(第3279話) 子育て

2022年02月23日 | 人生

 “3人の子どもが幼い頃、森で自然体験ができる保育施設に預けました。「空間が広く、伸び伸びできる」と。私も施設のスタッフとして働きながら、家事や育児に追われる日々。でも子どもが森で寝転がり草や虫に熱中する姿から「何をしてもいい、何をしなくてもいい」と教わり、道草のような時間に救われました。
 三年前に子育て支援のNPO法人を立ち上げました。親子で散歩し、自然を味わってもらうことを大切にしています。忙しい親たちに「ゆったりしてもいいんだよ」と伝えたいと思っています。”(1月29日付け中日新聞)

 愛知県一宮市のNPO法人理事・安藤さん(女・44)の投稿文です。この欄は、道草のすすめから「私を変えた寄り道」と題して8編ばかり載っていた中の一つです。「道草のすすめ」は「話・話」 第3263話で紹介した。その続編と言っていいだろう。安藤さんは「森で自然体験ができる」という保育施設に子どもさんを預けられた。その施設を手伝い、後には子育て支援のNPO法人を立ち上げられた。自分の理念をしっかり持ち、そしてその活動的な態度にはただ感心するばかりです。
 この文からの推測だが、「何をしてもいい、何をしなくてもいい」と教わりとあるから、最初からこのような意識を持っておられたのではなさそうだ。いろいろ携われられる内に、道草の良さを知られたのだろう。「ねばならない」の義務的意識が必要な時もあるが、これは何か息苦しさを伴う。道草は余裕である。3263話でも書いたが、この兼ね合いであろう。安藤さんの文は「私を変えた寄り道」にぴったりです。今のボクはすべてが道草と言っていいだろう。「ねばならない」はほとんどないのだから。これを幸せという。


(第3278話) 大根のお礼

2022年02月21日 | 出来事

 “寒い日が続き、冷たい風が収まったある日、久しぶりに道路沿いにある畑に出掛けました。昨年の九月に種をまいた大根が随分大きくなったので、この日は収穫です。葉をしっかりつかみ、力強く引っ張り上げ、水をためた容器まで一本一本運びました。
 洗いながら腰を伸ばした時、道路を一人で歩いていた青年が私を見て、すぐさま会釈されました。八十二歳の私の心は感動で舞い上がり、颯爽と歩いていく青年の後ろ姿に思わず「大根を持っていかれませんか」と声をかけてしまいました。青年は多分、近所のアパートに一人暮らしではなかろうか、と勝手に想像しました。大きな大根では調理が大変だろうと思い、小さめのを選んで一本差し上げました。
 この件はすっかり忘れて、一人暮らしの気ままな生活をしていました。ところが、です。数日後、夕食の支度をしていたら、普段あまりお会いしない奥様が「大根をありがとう」と訪ねてきました。
 お話を伺うと、一人暮らしと想像した青年は、なんと奥様の家のお婿様でした。小さめの大根一本に、高価なお菓子まで頂き、そのお心遺いが嬉しく、感動を与えてくださいました。私の心は喜びに浸り続けることでしょう。”(1月25日付け中日新聞)

 愛知県知立市の農業・神谷さん(女・82)の投稿文です。青年が会釈をしてくれた。嬉しくなって取っていた大根を差し上げた。後日お礼に奥さんがみえた。一人暮らしの神谷さんにますます喜びは大きくなった。そしてこの投稿である。これが縁というものであろう。この縁は続いていくだろう。もっと大きな繋がりになるかも知れない。
 「袖触れあうのも他生の縁」という諺がある。この場合は会釈一つである。人は毎日多くの人とすれ違う。多くはすれ違って終わりである。このように何かに結びつくというのは滅多にあることではない。何か因縁があった、と思わざるを得ない。その縁は大切にしたい。そして、その縁を作るのも心がけである。積極的な姿勢が必要であろう。


(第3277話) 日めくり

2022年02月19日 | 行動

 “起床しての最初の仕事は台所の日めくりカレンダーをめくることだ。掛け替えたばかりはまだ分厚く、一年の重みを感じる。
 カレンダー選びはいつもわが楽しみの一つだ。近年、大型スーパーの売り場をのぞくと月めくりのものが多く、かわいらしい動物や美しい風景の図柄のものからは癒やされ、旅情を誘われるものの、私は幼少期から慣れ親しんだ日めくりに勝るものはない気がしている。その数字を眺めているだけで、かけがえのない日であることを感じさせてくれる。めくるたび新鮮な気持ちになれるのも長所の一つだ。神社でのラジオ体操や、散歩に出掛ける意欲まで湧いてくる。”(1月25日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の山田さん(男・86)の投稿文です。日めくりを毎日めくる、これだけでもいい習慣だろう。昔は日めくりをもらうこともあった。それをめくるのはボクの役目であった。日めくりにはいろいろなことが書かれている。人生の教訓のようなことも書かれていた。これを読むのは楽しみであった。今では何千円もする高価なものであろう。そのうちもらえなくなった。そして終わった。何歳の頃までやっていたろうか、思い出せない。
 山田さんは今でも自分で求められる。もう止めるのに止められない日課なのだろう。日課を止めるのは寂しい。山田さんは86歳である。続けられることは何でも続けて欲しい。それが長生きの元でもあろう。
 「日めくり」についてはこの「話・話」の2016年1月5日付け第2211話でも書いている。その時、ボクも何かをしようと思った。そして、1年分365の四字熟語を書いた日めくりを見つけた。日にちを知るのが目的ではなく、家庭内で四字熟語を目にすることが目的になった。数週間に1枚めくる。数年経つがまだ残っている。これがまた面白いことにつながった。道路脇に「四字熟語学習板」とした6枚の短冊を吊り下げた。道路を通る人に見て貰う全くの遊びである。月に1回くらい新たなものにする。この日めくりの熟語から選んで書いている。この発展が面白い。


(第3276話) 頑張れジブン

2022年02月17日 | 行動

 “名古屋市のウェブムービー「えらいぞ!ジブン!」が最近の私のお気に入りです。プラスチックのごみ削減に取り組む自分を褒める前向きな発想が好きで、見るたび気分が上がります。ちょっとした行動にも幸せを感じ、気付けば鼻歌が出ます。
 昼食はこれまでのコンビニ弁当をやめ、職場には手作りのおにぎり二個を持参するようにし具は残った食材を活用しています。これだと、ごみとしてのプラスチック容器とは無縁です。「おにぎり作りの名人だな、ジブン」とつぶやくだけで、午後も気合が入ります。スーパーで買い物をする際も、なるべくごみが出ないものを買い求めるようになってきました。”(1月22日付け中日新聞)

 福井市の会社員・山下さん(女・40)の投稿文です。このウェブムービーを見てみました。プラスチックごみ削減のページです。これからの時代、このテーマも重要な課題です。地球環境も考えず、豊かさだけを求めた人間の罪は大きいようです。
 そして「えらいぞ!ジブン!」は何にも通じます。自分の気持ちを和らげ、意欲を高めるには、反省も必要ですが自分を責めてばかりでは叶いません。自分を褒め、明るい気分で過ごすことも必要です。そうすれば意欲も高まります。高齢者になるほど意欲は落ちてきます。昨日できたことができない、物忘れはひどくなる、もう悲観することばかりです。これらはもう当たり前と受け入れ、できたことを喜ぶ、褒める、もうこれだけでいいだろうと思っています。昨日あんないいことがあった、今日もあるだろう、明るさを保ち意欲を高める。もうこれに尽きる気がします。ボクは今老人会である新しい施策を練っています。これができた時の嬉しさを想像しています。


(第3275話) 戦後食糧事情

2022年02月14日 | その他

 “わが家には正月、孫七人が集まりにぎやかだった。皆で大きなこたつに入り、私の幼少期の思い出話をしていたら中学校教員の孫娘から「給食はどうだった?」と聞かれた。小学校入学は終戦四年後。世は貧しく小・中学校ともに給食なんてなく、児童・生徒は弁当を持参した。おかずは種類が少なく、ご飯に梅干しがのり、野菜の煮物があるぐらい。卵焼きが加わるまでさらに数年を要した。小学校高学年になると週一回、各自持ち寄った野菜を鉄製の大鍋に入れ、けんちん汁にして食べた。
 こんな話に孫たちは驚いていた。華やかなお節料理を頬張り、七十余年続く平和のありがたみをかみしめた。”(1月22日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(79)の投稿文です。子どもや孫らに戦中、戦後の話をすれば驚くことばかりであろう。食糧事情については特にだろう。ボクも小中学校とも給食にありついたことはない。弁当持参であった。その弁当も家の残り物。特にボクは小学校5年生くらいから高校まで、主体は佃煮であった。ボクの弁当用に何kgも入っている木箱の佃煮が用意してあった。小学校では、冬になると弁当に保温器が用意された。下から炭火で温める。上の方はぬるく、下の方は焦げるくらい熱かった。また、冬はみそ汁が用意された。順番にみそ汁の具を持参した。給食室の叔母さんが作ってくれた。わが家では学校に持って行く具用に大根やネギが保存されていた。卵焼きは最後まで持って行くことはなかった。万屋の息子がいて、様々なおかずを持ってくるの羨ましく見ていたものである。こんなことまで懐かしく思い出される。今とは比較にならないが、それでも悲惨な思いはない。男孫はボクの話を聞く耳を持っているので、機会があったら話しておきたい。


(第3274話) ヒマワリ

2022年02月13日 | 人生

 “正直、あまり花をめでるような性分ではない。それでも「好きな花は?」と聞かれれば、「ヒマワリ」と答える。猛暑に負けず、黄色の鮮やかな大輪を咲かせる姿に元気をもらえるからだ。
 私の事務所の机にも、二輪のヒマワリがいつも元気に咲いている。稲沢市の洋画家森田禎子さんが、一九九四年に描いた油彩画だ。百歳を超えてもキャンバスに向かう意欲の源を聞こうと、昨年九月に取材した際、大事な作品の一つを譲ってくれた。
 花が持つ生命力の強さが、細かな筆致で伝わる。現場主義を信条とし、目で見た感動を描いてきた。絵のヒマワリが、表現を続ける森田さんの姿と重なった。飾る絵としては季節外れになったが、片付けられずにいる。百三歳を迎える来月、また会いに行こうと思っていたが、もういない。昨年十月、生涯を閉じた。「いろいろなところに行って絵を描けた。わが人生に侮いなし」。最後となった取材で見せた笑顔を思い出している。”(1月20日付け中日新聞)

 「モーニング」という記事欄からです。森田禎子さん、この「話・話」 の2008年2月27日付け第900話で紹介している。その時森田さんは89歳であった。そして昨年103歳で亡くなられた。わが家には今も森田さんから頂いた色紙が飾ってある。2019年、白寿記念のもので蓮が描かれている。これが頂いた最後のものであろう。今もそのまま飾っている。
 妻と森田さんの娘さんが知り合いとなり、それから禎子さんの話を聞くようになった。そして、干支などを描いた色紙を毎年もらうようになった。何枚あるだろう、一度数えてみなくては。妻は展覧会にも毎年出かけていた。そして帰るといつも元気な姿を妻から聞からせれていた。時折新聞などに紹介されるとつい目が行くようになった。いつも本当に元気な活躍の話である。そして103歳で亡くなるのである。この歳まで活躍する、人生の手本のような人である。長寿になったといっても、ここまで活躍される人は少なかろう。身近にこういう人を知るだけでも元気がもらえる気がする。少しであやかりたいものである。


(第3273話) テレビない

2022年02月11日 | 出来事

 “テレビは置かないほうが平和な時間、有意義な時間を過ごせ、育児も支障がなく、家族の会話は増え、電気代も節約できて、良いことしかない。
 娘が幼い時は、テレビで子ども向けの番組やDVDを流し、娘が夢中になっているのをほのぼのと見守ったり、育児中は抱っこしながらあやすついでにドラマを見てみたりもした。
 でも、主人がゴルフ番組などを見ると育児も家事も手伝わず、会話もなくなるので、家族時間を台なしにしていると思い、昔からテレビを置かない主義の私はテレビを捨てようと相談した。断固反対した主人だったが、娘の幼少期の大事な時期の家族時間を大切にしたい気持ちが通じたのか、ある日、いきなりテレビから音が出なくなり、しばらくしたら映らなくなった。
 テレビから解放されたわが子との貴重な家族時間では、読み聞かせや読書、ラジオ、ボードゲームなどで過ごし、家族共通の会話も増えて時間の無駄もなくなった。たくさんの思い出づくりになり、娘が自立するまで家族時間を大切にするべく「テレビなし生活」を存続させていこうと思う。”(1月15日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・磯井さん(42)の投稿文です。テレビは情報源であり、娯楽でもある。多くの人にとってテレビは欠かせないものであろう。そして人によってメリット、デメリットは様々であろう。ところが磯井さんは、テレビが壊れた機会に「テレビなし生活」を始められた。そして冒頭のメリットである。良いことしかないとも言われる。
 テレビは道具である。使い方である。使われてはいけないし、脅かされもいけない。何人もで見ればルールも必要であろう。ボクの家ではテレビを見て食事はしない。そして、ボクは昼間にテレビを見ることに今でも罪悪感を感じる。とは言っても、用事が少なくなった老人である。ついテレビを見る時間は多くなっている。ところが最近のテレビ番組は、お笑いタレントがどこにも現れ、真面目な番組でも茶化している。これが日本人が好む番組だろうか。よってたかって日本人のレベルを下げている気がする。ボクは普通には見にくい時間帯の番組が多いので、ほとんどがビデオで撮っておいてみている。そして、少しでもテレビを見て過ごす時間を避けたいと思っている。昔ほどにテレビの有効性を感じない。


(第3272話) 郷土史

2022年02月09日 | 行動

 “定年退職して数年がたち、自分が生まれ育った地域の歴史を知らないままではいけないのではないかと考え、地元の人の誘いもあって郷土研究会の一員となりました。メンバーは教員や警察官をはじめ現役時代に各界で活躍された人ばかり。地域内から出土した縄文-弥生時代の土器を目にするたび、ロマンを感じ、遠い昔からこの地で先人が暮らしていたことに誇りすら覚えます。今や、寺社や博物館、歴史館を訪ねるだけで、心の栄養を得たような気になれる私です。過日、雑木林に古墳跡があったことを知って驚きました。
 さて、新年は郷土のどんな歴史に触れられるでしょう。今からとても楽しみです。”(1月15日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の川瀬さん(男・74)の投稿文です。退職して、こうした郷土史に関わる人は多いと思う。歴史好きな人にはいい老後になろう。実はつい最近もこういう人に出会った。一宮友歩会の2月例会で、ガイドを頼んだ人がそうであった。地元の役員をやったことがきっかけとなって地元の歴史に興味がわいたと言われた。川瀬さんもそうであった。何事にも好奇心を持って臨んでみるものである。何が発展するのか、分からぬものである。
 特に地元とあまり関わりの無かった人は、待っていては機会は訪れない。自分から求めないといけない。これがなかなか難しい。退職してホッとすると、次の一歩がなかなか踏み出せない。ボクに言わせると老人会など、最もいい機会である。毎年入会の案内が来る。会員になっておけばいろいろな機会が訪れる。多くは役員の依頼であるが、これが嫌で今はほとんど入会しないのである。そして老人会は衰退の一途である。地域にも本人にも惜しいことである。