寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3207話) お月見泥棒

2021年09月29日 | 知識

 “先日、食事中に母が子どもの頃の思い出話を始めた。お月見の頃、友達と各家庭の縁側にお供えしてある里芋を一軒につき一人一個、箸で突き刺して食べて回ったという。信じ難い内容だが、父が「それは『お月見泥棒』と言うらしいよ」と言ったので、調べてみた。
 お月見泥棒は、全国各地の農村部で行われていた風習のようである。昔、食べ物が少なかった時代に、他人への施しと地域の子どもたちを大切にするという精神の表れだとのこと。この日に限り、子どもたちが月見団子を「泥棒」することが許されていた。団子が貴重だった時代は里芋で代用されていたようだ。
 「子どもは月からの使者だから大切にしよう」という趣旨らしい。何とユニークでお茶目な風習だろう。喜んで走り回る子どもたちの姿が想像できた。今でも続いている所があり、母が育った三重県四日市市の一部では、十五夜に子どもたちが近所を回り「お月見泥棒でーす」と声を掛け、お菓子や飴をもらっているようだ。団子や里芋からお菓子に形を変えているが、この風習には準備する大人側の心の余裕が感じられる。児童虐待が増えている時代、「子どもは月からの使者」という言葉を心に留めておきたいと思った。”(9月4日つけ中日新聞)

 金沢市のパート・加藤さん(女・62)の投稿文です。「お月見泥棒」については、2005年10月9日の「話・話」 第426号で掲載している。大分内容は重なるが、もう15年以上の前の掲載なので、再び取り上げた。今も行っているところがあると言われる。こうした風習があるのはもう貴重品、文化財ではなかろうか。426号でも書いたが、ボクのところでは破魔矢や七夕があった。破魔矢は新生児が生まれた家で、七夕は小学1年生に上がった児童がいる家で、回ってくる子供に菓子類が与えられた。七夕はスイカが多かった。いつの頃から無くなったかは、もう数十年の前ことと思うが、ボクには分からない。ただボクには回った記憶があるからこうして書いているのである。
 ともかく地域の絆が薄れている。先日ある家庭について、ボクに苦情を言ってきた人がいる。その人の家庭状況を話したら納得された。近所なのに何も知っていない。ボクの村で最もまずいと思っていることは、亡くなった人の情報が全く知らされないことである。近所の人の亡くなったことを何ヶ月も後に知ったりする。地域の伝統をそう易々となくしてはいけない。なくしたらもう戻らない。


(第3206話) 義父の新盆 

2021年09月27日 | 人生

 “その時、確かに義父の口が大きく開いて何かを言おうとしていた。「じいちゃん、俺、結婚するよ!」。コロナ下のリモート面会。息子が婚約者を連れて、義父に結婚報告をした。
 一年前に脳出血となり、寝たきりだった義父。意思疎通が難しくなっていた。息子は待望の内孫。男の子誕生に誰よりも喜んだのは義父。その息子の声に反応したように見えた。それからニカ月後、桜の散る頃、義父は九十三歳の生涯を閉じた。
 生前、私が「お父さんは長生きで幸せだね」と言うと、「さわこ、長生きするって大変なことなんだぞ」としみじみ言った姿を思い出す。代々続くこの家を守り、必死に生きてきた義父の重い言葉。最期に義父は、身をもって私たちに命を全うすることの凄まじさと尊さを教えてくれた気がする。
 葬儀の後、親友からラインが届いた。「長男の家に嫁いだあなたは、私には想像できない苦労を沢山してきた。でもあなたにしか味わえなかった幸せもきっとあったはず」。本当にその通り。ずっと大事にしてもらった。今は感謝の気持ち以外ない。初盆を迎えた夏。かわいいお嫁さんが、息子の横に座っている。見えているよね、お父さん。幸せそうな二人が。”(9月3日付け中日新聞)

 静岡県浜松市の療育指導員・間渕さん(女・54)の投稿文です。この投稿で、2つの言葉についてコメントしたい。まず「長生きするって大変なこと」である。長生きはただめでたいばかりではない。生きた分だけ苦労もあるのである。特に、自分で自分が思うようにならない終焉間近は大変である。間渕さんのお父さんも、脳出血で倒れられ、1年は寝たきりであった。1年はまだよかった方とも言える。ボクの母は老人性痴呆症と言われて15年ばかり生きた。最後の数年は寝たばかりであった。ピンピンコロリは誰もの願望であろう。ボクもそうである。しかし、こればかりはそうは行かない。自分の意思ではどうにもできない部分がある。まさに生かされているのである。
 「長男の家に嫁いだ」の部分である。昔に比べれば非常に良くなったと言えようが、それでも他の兄弟に比べれば長男は大変だし、その嫁も大変である。これは家庭環境によって大きく違うとは思うは、親と同居した大半の方はそうであろう。家でなく個人だと言っても、家の部分は少なからず残っているし、今後も残っていくだろう。苦労の分良かった部分もあろうが、比較できるであろうか。もうここらはその人の心の持ち方である。間渕さんは「感謝の気持ち以外ない」と言われているが、これはひとえに間渕さんの人柄である。ボクは一人息子であり、妻は本当に苦労したと思うが、義父母の亡くなった今は何の愚痴もこぼさない。


(第3205話) 生ゴミ

2021年09月25日 | 行動

 “生ごみは、十年ほど前に愛知県武豊町からもらった発酵合成型有機肥’料をかけた上で庭に埋めています。土中からトウガンやカボチャ、ゴーヤーなどが芽を出し、ぐんぐんと育って実を付けることもあります。これまでで一番大きな収穫はビワだと思います。高さ数メートルの大木となり三年ほど前からは小粒ながらも毎年実を付けます。たわわになると近所に配るようにしていて、今年もおいしくいただきました。
 他にも生ごみを、家庭菜園で作る野菜のための天然肥料としています。この結果、わが家で廃棄する可燃ごみは、私たち夫婦と娘の大人三人で月に四十五リットルの一袋だけで済んでいます。”(9月3日付け中日新聞)

 愛知県武豊町の公務員・粕壁さん(女・58)の投稿文です。生ゴミは、回収置き場に置いておけば焼却処分とされる。水気をたっぷり含んだごみであるから焼却熱をたくさん使う。大気を汚す。自分で処分することをできるだけ努めたいものである。粕壁さんは庭で処分されている。多くの生ゴミは土に埋めれば土に帰るのである。バクテリアが力を発揮し、土も良くなるのである。庭のない家庭でも方法はいろいろあるようだ。
 土地のあるわが家の生ゴミはもちろん自家処分である。コンポストを使う、穴を掘って埋める。そして腐敗すると畑に蒔く。まだ生きている種がある。すると粕壁さんの言われるように芽を出し、うまくいくと収穫もできるのである。今年も冬瓜やゴーヤ、南瓜が自然生えしてきた。スイカが出てきたのには驚いた。そして収穫もできた。それぞれの家庭環境があるが、知恵を出し、ゴミ出しは少なくしたいものである。回収場所に出せば終わりではないのである。


(第3204話) 誕生日の電話

2021年09月23日 | 行動

 “私の実父は八月で九十三歳になった。さすがに足腰は弱ってきたが、自立歩行もでき、八十八歳まで税理士をしていたので頭もしっかりしている。誕生日の前日、父が自分の二歳上の兄との話をしだした。長く会っていないが、お互いの誕生日には電話をかけ合っている。
 今年も父が兄の五月の誕生日に電話したところ、留守電になっていて話せなかったが、父が残したメッセージを聞いて、かけなおしてきたと話してくれた。そして父の誕生日当日の午前十時ごろ、電話が鳴った。父の兄からだった。本人がかけてきた。父は聞こえにくくなった耳なのに、一生懸命に聞いて、自分の近況を話していた。「かかってきたね、良かったね」と母と喜んだ。最近、少し健康面で弱気になってきていたので、元気をもらえたに違いない。
 それにしても、九十五歳と九十三歳の兄弟がお互いの誕生日を覚えていて、その当日に電話をかけ合うとは、すごいことだと感心した。私は三歳上の姉と二人姉妹だが、私たちも父たちのように電話をかけ合っていけるかどうかと思ってしまった。来年も、この兄弟が電話をかけ合えることを祈った。”(9月2日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の団体職員・平尾さん(女・62)の投稿文です。90歳を超えた兄弟が、誕生日に電話をかけ合う、と言う。いい話ですね、また凄いですね。歳はもちろん、このように兄弟が仲のいいのも幸せです。親が亡くなると兄弟の行き来は次第に薄れていく。それを乗り越え、もう何十年でしょう。兄弟は他人の始まり、という諺がある。それぞれが家庭を持つと家庭が大事になり、兄弟姉妹も疎遠になる。これは本人ばかりでなく、周りの人も関係する。いい家族関係であろう。
 ボクは妹が一人いる。母親が亡くなり、一時あまり行き来がなかったが、最近復活してきている。ラインでやり取りもしている。コロナが収まったら食事会をしたいと思っている。妻は弟が亡くなって、今は3姉妹である。ここは昔から仲がいい。結構行ったり来たりしている。


(第3203話) 久昌寺取り壊し 

2021年09月21日 | その他

 “織田信長の側室・吉乃の生家として知られる生駒家の菩提寺「久昌寺」(江南市田代町)の建物が取り壊されることが分かった。老朽化に伴う所有者の意向で、市は跡地を買い取り、公園にする方針。購入に向けた関連費用約五十八万円を盛り込んだ本年度一般会計補正予算案を九月二日に始まる市議会九月定例会に提案する。
 市によると、寺の創建は一三八四年と伝わるが、現存する本堂と庫裏は後に建て替えられ、築年数は把握していないという。市などの文化財にも指定されていない。雨漏りするなど老朽化が進み、修繕して管理していくのは難しいとして、土地を所有する宗教法人から、建物を取り壊すので跡地を買い取ってほしいと要望があった。
 建物の北側と南側の敷地はすでに、市が土地を無償で借りて公園として整備しており、同法人はこれらの土地を譲渡する意向も示している。二十六日の会見で沢田和延市長は「公園として大切に活用していく」と話した。(後略)”(8月28日付け中日新聞)

 記事からです。久昌寺という文字に気を引かれた。久昌寺は平成19年8月4日の一宮友歩会第9回例会で訪れている。そして、来年2月の例会で再び訪れようと計画したばかりである。その久昌寺が取り壊されるのか。取り壊されるのは2年先のようだが、少し残念な気がする。しかし、その前に訪れる機会を作って良かったと、安堵の気持ちも起きた。
 何ものも永久というものはない。木造の建物は、管理さえ良くすれば比較的長く持つものである。法隆寺など国宝と言われものなどは千数百年持っている。しかし、文化財にも指定されていなければ、その維持管理は難しい。これからこのように取り壊されていくものが多くなるのではなかろうか。特に近年の寺院、神社に対する意識の変化は凄まじい。関心、関わりが全く希薄になっていく。歴史的由緒のあるものはまだしも、ただ信仰の対象として市中に存在する寺院、神社は風前の灯火ではなかろうか。ボクは十数年前から寺院、神社の総代をしてきた。この間の変化だけでも大きいものがある。今日明日とは言わないが、数十年後にはどうなっているだろか。


(第3202話) 親切の3連続

2021年09月19日 | 出来事

 “病気の治療で三週間に一度、名古屋市の病院に通っています。名古屋駅の名鉄バスセンターからJRに乗り換えようとスーツケースを抱えて地下街の階段を上ろうとしたときのことです。若い女性が「お持ちしましょうか」と声を掛けてきて荷物を持ってくれました。その後の上り階段でも、別の若い女性が私の荷物を持ってくれたのです。さらに歩を進め、JRの駅ではホ-ムヘ上がるエスカレーターが故障中で、休み休み階段を上っていたら、駅員が気付いて「中央線はこちらですよ」と言い、荷物を運んでくれました。
 こんなにも心優しい三人から断続的に助けてもらえるなんて・・・。私はうれしくて涙がこぼれ落ちました。”(8月27日付け中日新聞)

 長野県飯田市の主婦・長沼さん(82)の投稿文です。階段を上がっているとき、連続して3人が手助けをしてくれたという話です。別の場所で3人が次々というのに長沼さんは感激された。弱者に優しい社会になってきたとは思うが、これはやはり幸運だったと、ボクにも思えます。
 今の社会、何事にも2分されている気がする。感心するほど親切な人と無関心な人、逆に迷惑を顧みない人。人のことを考える人と自分のことばかり考える人。富める人と貧しい人。誰もがこの中間であると穏やかないい社会と言えるが、現実は両極端に分かれていく気がしている。一億総中流社会と言われていた時代が懐かしい。今は一億総中流社会から格差社会、そして階級社会へ突き進んでいるといわれる。時代は逆戻りしている感じである。歴史は繰り返すでしょうか。


(第3201話) 歴史語る家

2021年09月17日 | 人生

 “小学生の頃、お盆になると名古屋市瑞穂区にある母の実家に行って泊まるのが常でした。2階和室の壁の上方に大きな丸い穴がありました。直径が三十センチはあったと思います。外側はふさいでいましたが、部屋の中からは穴の存在が分かりました。
 「あの穴は?」と祖父に聞いたら、「おう、気が付いたか」と戦時中のことを語りだしました。一九四五(昭和二十)年三月の空襲で、焼夷弾が壁を突き抜けて裏庭の防空壕の入り口付近に到達して爆発しました。壕には祖母、母とその妹二人がいましたが、もう一つの入り口から脱出して皆無事でした。母によると、勤務先から急いで帰宅した祖父は家族の姿を見るや、「よう生きとったもんだ」と涙ながらに一人ずつ抱き締めたそうです。幸い、家は焼失を免れ、祖母のおなかの中にいた叔父も四ヵ月後に生まれました。
 壁の穴は祖父が戦争の記憶としてあえて残したようです。祖父が空襲警報のたび米軍爆撃機を捜したという双眼鏡の形見とともに、ずっと忘れずにいたい、わが家の歴史です。”(8月27日付け中日新聞)

 名古屋市の大学日本語講師・久野さん(57)の投稿文です。戦争の傷痕を残した家の話である。傷痕はいつまでも記憶を生々しくしてくれる、歴史を語る家である。人間はすぐに忘れるし、知らない人も多くなる。特に戦争を語るものは残したいものである。
 各地に日清日露戦争から第2次世界大戦の戦没者碑がよく立っている。寺社の境内から個人の敷地、道路脇の公有地などでよく見かける。第2次世界大戦からももう75年である。こうしたものの処置に困っている話もよく聞く。管理する人が無くなっていくのである。実は今年、ボクの村の寺院境内に立っていた戦没者碑が取り壊された。今までは遺族会が管理してきたが、その遺族会が無くなっていくのである。ボクの中学校の一角に戦没者を奉る神社が建っていた。それも昨年取り壊された。遺族も世代変わりしてもう関心が無いのである。そうして国はどんどん戦争ができる国に邁進している。


(第3200話) 11-18

2021年09月15日 | 出来事

 “街中を走る車のナンバープレート。誕生日、記念日と思われる数字が多いが、中には「11-88(いいパパ)」など意味を持たせているナンバーもある。そして、目撃頻度が比較的高いのは「11-18」。十一月十八日生まれの方が特別に多いわけはないと思い、調べてみた。すると、その日はミッキーマウスの誕生日だった。スクリーンデビューの日で、ディズニーファンの方々が付けているらしいのだ。
 一九二八年十一月十八日。昭和三年である。くしくも、お袋の誕生日と同じ日。早速、お袋に伝えると「ほ~、そうかい、ミッキーマウスってのは熊か、何だ?」。こちらの興奮をよそに、当の本人はいたって冷静な反応だ。
 六十すぎで親父に先立たれ、ご近所の仲良しばあちゃんたちも見送り、寂しい思いをすることもあるよう。耳は遠くなり、補聴器に頼る毎日も「悪口が聞こえんで都合がいい」とポジティブである。家事全般を一人でこなし、スマホも使いこなすお袋。ミッキーマウスとお袋は、今年満九十三歳。ミッキーは言うまでもなく、現役バリバリ。お袋にも元気でいてもらいたいものだ。「あ~、ネズミか。私は辰年だで私の方が強いな」。参りました。”(8月25日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の会社員・鬼頭さん(男・57)の投稿文です。車のナンバーを選べるようになって、確かに同じナンバーをよく見かけるようになった。鬼頭さんは「11-18」を取り上げられた。この番号が多いことは知らなかった。11月18日がミッキーマウスの誕生日とも知らなかった。ミッキーマウスの誕生日を付ける人が多いとはまた驚きである。それだけファンが多いと言うことであろう。そして、鬼頭さんの93歳のお母さんの話である。この機知に富んだやり取りである。長生きされる訳だと思う。
 ボクも毎回ナンバーを選んでいる。だから車を変えても同じである。妻は結婚記念日を選んでいる。この機会にこのナンバーのことを調べてみた。希望ナンバーと言うことを知り、また抽選対象ナンバーがあることも知った。料金も知った。知らないことは多い。この「話・話」 を書きながらいろいろ知るのも楽しみの一つである。


(第3199話) 「みんなの保健室」

2021年09月13日 | 活動

 “岐阜県瑞浪市のJR瑞浪駅前のビルで「みんなの保健室」と題し、医療や福祉に携わる仲間とボランティアの相談所を毎月第三月曜に開いています。看護師の私をはじめ保健師、ケアマネジャー、薬剤師らが地域の方の妊娠、出産、子育て支援、生活習慣病、みとりなどについての相談に気軽に応じることを目的としています。六月に始めてから毎回六、七人が訪れてくれます。
 ある高齢女性は自身の終活を話題としました。この先入所するかもしれない高齢者施設や、老後の資金についていろいろと語り合いました。市民の率直な意見に耳を傾けつつ、地域との関わりの大切さを改めて感じる今日この頃です。”(8月19日付け中日新聞)
 
 岐阜県瑞浪市の看護師・梅村さん(女・64)の投稿文です。駅前のビルで医療や福祉に携わる仲間とボランティアの相談所を開いている、なんと素晴らしいことであろう。専門家に気楽に相談できる、何とありがたいことであろうか。身近な事柄の専門家だからできることである。このようにスキルを持っている方が羨ましい。
 ボクにできることはあるか?。残念ながらない。ボクにも専門というものはあるが、身近な人助けにはならない。と言いながら、今さら無い物ねだりではない。今できることをする。それが一宮友歩会や老人会の運営である。これにスキルはいらない。ただ健康とやる気があればできる。ボクの健康とやる気はあと何年あるだろうか。あと5年欲しい。あと5年、あと5年でやっていきたい。この持ち主は大いにやって欲しい。


(第3198話) 不完全と盲目

2021年09月11日 | 知識

 “   【宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である。】
                      アインシュタイン(物理学者)
 広島と長崎に原爆が投下されて早くも七十六年の歳月が流れたが、八月を迎える度に、アインシュタインが、原爆が投下されたことに関して語ったという一言を思い出す。
 まずは「科学のない宗教は盲目である」の一言。「鰯の頭も信心から」の類は、まさに迷信というべきであろう。一方「宗教のない科学は不完全である」の一言。科学がどんなに発達しても、それをどう使うか、使う人に宗教心が欠如していると、人殺しなどの凶器を作る方へと使ってしまう。原爆、水爆などがまさにそれといえよう。
 「最も偉大な科学者は、最も敬虔な宗教者でなくてはならない」という考え方もあるだろう。科学ばかりではない。政治と経済も、あらゆる学問や文化を使う人間の根底に正しい宗教観が働いていないと方向を誤る。現代がまさにそうといえよう。”(8月17日付け中日新聞)

 「今週の言葉」から愛知専門尼僧堂長の青山俊董さんの文です。ここで言われる宗教とは、根本精神と言い換えてもいいだろう。その人の持つ心根である。智だけに走ってもいけないし、気持ちだけに走ってもいけない。精神と智、宗教と科学、相まって行動していく、この大切さを説いているのである。宗教を根本精神とか心根と言い換えたが、この言葉が適切かどうか自信がないが、日本人の宗教意識は希薄な人が多いからである。宗教心は希薄でも、人それぞれ、心の中には自分の生き方を持っているだろう。譲れない気持ちがあるだろう。
 今の科学の進歩は計り知れない。ITなどできることはもう人間を超えている。使う人によってはもう制御が効かないところまで来ている。核爆弾の量は地球を滅ぼすほどの量があるという。政治も経済も人類全体を忘れ一部の人の利益のためになってきている。人間の欲望には際限がない。もうここらで科学の追究は止めてもいい気がするが、そう思うのはボクだけだろうか。