寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3606話) 玄関の鍵

2023年12月31日 | 出来事

 “就寝するにあたり、居間のある場所にいつもそこにある玄関の鍵がないことに気づきました。家中をあちこち捜すこと3時間、どこにもありません。午前2時すぎ、ふと玄関先の郵便箱が気になり、開けたら何と鍵がメモ用紙に巻かれた状態で入っているではありませんか。「通りがかりの者ですが、鍵が玄関に刺さっていたので、抜いて入れておきました」とのメモがありました。感動し感謝の念で涙があふれました。おそらく発見者は、鍵が刺さった状態のままだと犯罪に遭うことを心配したものの、時は深夜とあって呼び鈴を鳴らすことがはばかられたのでしょうか。
 メモは宝物として戸棚の引き出しに入れました。私も別のことで他人の役に立てたらと思っています。”(12月2日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の赤松さん(男・87)の投稿文です。玄関の鍵がない、これは大事である。誰かの手に渡っていたとしたら、もう気が気でない。一番入りやすいところである。家中掻き回されるかもしれない。でも、親切な人がいて、ポストに入れておいてくれた。その原因も鍵を抜くことを忘れ、刺したままにしていたのだ。いろいろ気を使った計らいであった。まずは感謝です。
 しかし、こうしたうっかりはどんどん多くなる。多いのは、鍵をかけたか思い出せないのである。心配になって戻ってみると、ほとんどはかけてあるのである。無意識の習慣である。ボクも何度家に戻ったことか、戻ることが徒労になっても仕方がない、と思って戻るのである。赤松さんの事例とは少し違うかもしれないが、忘れるという意味では同じである。何事も意識を持ってやる、言うほどに簡単ではない。


(第3605話) 幸せの香り

2023年12月29日 | 行動

 “季節は巡り朝晩の冷え込みが厳しくなった10月下旬、石油ストーブを出しました。この時季のわが家での一番の楽しみはストーブの上でイモを焼いて食べること。早速私と同居の娘2人が大きいものや甘さが人気の品種などのサツマイモを買い求めてきました。イモはアルミホイルに包んで焼きますが、焼き芋の食べ方もさまざま。粒あんをのせたりホイップクリームを付けたり・・・。休日なら朝早く起きて頬張るのも良く、食後のおやつとして皆でコーヒーを飲みながら食べるのもまた一興です。
 来年3月ごろまでストーブで焼くたびに部屋に充満する焼き芋の匂いを、長女は「幸せの香り」と呼んでいます。”(11月30日付け中日新聞)

 長野市の細谷さん(女・74)の投稿文です。石油ストーブの上で、サツマイモを焼く。その匂いを「幸せの香り」という。何とも情緒のある風景、素晴らしい表現である。この風景、昔は多かったろうが、今や貴重な風景ではなかろうか。わが家でも石油ストーブは石油ファンヒーターになってもう何十年であろう。安全や匂い、効率でファンヒーターは勝るであろう。ファンヒーターでは焼き芋は作れない。ボクの家では焼き芋は別の方法で作り、石油スト-ブにはもっぱら餅が乗っていた。そしてヤカンが乗っていた。焼き芋は別と書いたが、それは風呂を沸かす竈(くど)の中で作った。火が直接当たるので、表面のかなりの部分が真っ黒、炭になった。知らない人にはこの文は理解できないかもしれないが、いずれにしろ懐かしい風景である。我々には、今の人には無縁な素朴な思い出が多いのである。若い人も、そんな昔のことと拒否するのではなく、昔の話を聞くのもいいのではなかろうか。


(第3604話) 文化祭

2023年12月27日 | 出来事

 “久しぶりにあま市文化祭の作品展に出かけた。公民館の会場は1階と2階に分けられているとのこと。まず2階の展示場へと、胸をワクワクさせながら階段を上っていった。最初に入った展示室には、地元らしい七宝焼の作品が額に収められ並んでいた。またケースの中には、小さいながらも見事な作品が光っていた。体験コーナーもあり、賑わっていた。次の広い展示室には、書の大作や子どもたちの絵が所狭しと張りめぐらされていた。展示室の中央には陶芸の個性溢れる作品が並び、思わず手に取りたくなるほどだった。
 それぞれ作者の名札が付いていた。私は真ん中にある熊の作品に釘付けになった。名札こそなかったが、夫の作品に違いない。先日、陶芸クラブの人に「文化祭では、いつも飾っていますよ」と声を掛けられた。かつて夫は、この陶芸クラブにお世話になっていた。仲間の人たちとの交流が、とても楽しそうで、いそいそと出かけていた。会場で会った会員の方の「私たちも楽しい思い出を沢山もらいました」との言葉に胸が熱くなった。夫は亡くなって13年になる。今もこうして夫の作品を守ってくださるお仲間に感謝しつつ、階段を1段ずつ、涙を堪えながら帰途に就いた。”(11月29日付け中日新聞)

 愛知県あま市の佐々木さん(女・88)の投稿文です。これはまた何という心遣いであろうか?。会員だった人の作品を、亡くなった後も作品展で展示続けるとは。それだけ信望があったのであろうが、信じられない。先生なら分かる、また1年ならまだ分かるが、13年もとは。この提案に反対する人はいなかったのであろうか。こうした特別扱いは、今の時代難しいものだと思う。でも世の中にあるのだ。世の中いろいろなことを含めてではあるが、均一は公平、平等となるが、そればかりでは世の中面白くない。無駄や不合理があってもいい。いろいろあっていいのだ。奥さんにしてみれば、涙なくしてみられないだろう。こうした感激も生むのだ。ただ我欲や権力者におもねることは止めて欲しい。

 


(第3603話) 猛省と感謝

2023年12月25日 | 出来事

 “この日は娘が夕食当番だったので、仕事が終わって帰宅後、もうひとつ用事を済ませようと、自転車で出かけました。夕方の風が気持ちよく、ちょっと遠回りして豊川の堤防まで行こうと、意気揚々と自転車を走らせました。突然、自転車が停止。「えっ、なに? どうしたの?」と思った瞬間、意に反して転倒してしまいました。車輪を見るとスカートを巻き込んでいました。やってしまったー.結構見事に巻き込んでしまい、倒れたまま全く動くことができません。スマホも持っておらず、連絡を取ることもできず、途方に暮れていたところ、「大丈夫ですか」と男性の声。車の通りが多い道路。しかもタ方の忙しい時間帯なのに、わざわざ降りてきてくれました。
 すると「一度通り過ぎたけど気になって」と女性も来てくださいました。身動きできない私でしたが、女性が持ってきたズボンをお借りして、なんとか着替え。「これはひどいね」「全然動かんね」「取れないならスカートを切っても構いません」やりとりをしているうちに車輪が動き、スカートを取り外すことに成功しました。膝に擦り傷を負いましたが、転倒次第ではもっと大怪我をしていたかもしれません。猛省すると同時に人の優しさ、温かさが染みました。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県豊川市のパート・古橋さん(女・56)の投稿文です。自転車で転倒し、多くの人に助けられた、時折投稿欄で見かける話である。車が動かなくなって立ち往生し、助けられた話もある。人のことには立ち入らない、と言う風潮が強くなったこの頃であるが、まだまだこういう親切な話も多い。この話で特に感心したのは、一度通り過ぎたけど気になって戻ってきた女性のことである。事故の瞬間に出合わし、すぐに手を差し伸べることはまだできやすい。そこを通り過ぎてから戻ってまで来ることはなかなかできないと思う。余程気になったのだろう。また通り過ぎたことを後悔されたかもしれない。そして戻る行動を起こされた。気がついたら行動に起こす、これが重要と思う。そしてこの文で「女性が持ってきたズボンをお借りして、なんとか着替え」という言葉が気にかかる。女性はたまたまズボンを持っておられたのだろうか。家が近くで、家から持ってこられたのだろうか。話を聞いたら、また別の感想が出てくるかもしれない。世の中というのは意外な話が多いのである。


(第3602話) 活力源

2023年12月23日 | 活動

 “一昨年夏に夫が逝ってから足腰が弱くなってつえが手放せなくなり、人との出会いやたわいない会話が恋しくなりました。そんな中、近くの寺で毎月6日にある「いきいき集い会」が生きる力を与えてくれます。
 私も含めた高齢者15人ほどが読経し、住職による法話に耳を傾けます。その後はお楽しみの時間。地域住民による健康や福祉の講話、クイズやパズルでの脳を鍛えるトレーーニング、頭も体もともに動かすゲームや軽い体操・・・。毎回、皆童心に返ったように楽しんでいます。お堂の仏様に見守られている気さえします。俳句や絵手紙、読書といった趣味も大切に前向きに生きようと考えています。”(11月27日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の大角さん(女・82)の投稿文です。まさにボクが行っているサロンである。ボクは老人会の仲間と行っているが、大角さんの場合は寺院である。寺院で読経まで行われると言われるので、寺院主催のようであるが、お楽しみの時間は誰が企画されているのであろうか。多くの人が携わっているとよりいいと思う。
 ボクの市では毎年「通いの場マップ」という冊子が作られている。それを見ると、老人ホームや薬局、喫茶店など事業者が運営されている通いの場もあるが、ボクたちのように地域住民で運営している箇所もかなりあるようだ。高齢者はますます増える。そして遠くへ出かけられない人が多くなる。自宅近くで出かける場所があることが重要になる。
 ボクたちが行っているサロンをもっと広く知ってもらおうと、先日、町内全家庭に出前講座の案内を回覧して貰えるように配慮した。今でも高齢者に限らず、誰でも参加できる形にしているが、老人会会員以外は誰も参加はない。1月31日に開催である。どんな反響が出るか、楽しみである。


(第3601話) 動物と共存

2023年12月21日 | 意見

 “わが長野県でもクマの街中への出没が相次ぐ。折しも読書の秋。二十数年前に買った、いわむらかずおさんの絵本「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」を読み返した。主人公「ぼく」が乗ったローカル線最終列車でネズミが語り合っていて、停車するごとにイノシシやクマなど森にすむ動物が乗車してくる。
 どの動物もそれぞれの生活圏を脅かす人間に困り果てていて、地球温暖化による気候変動も要因として挙げられていた。作中の動物が、住宅街にまで餌を求めるクマと重なった。絵本では動物の「未来は人間次第」とのフレーズが印象的だった。
 私は地球環境を維持するためにごみの分別、こまめに電気を消すことを徹底し、さらに自分で何かできるかを考えていこうと思っている。”(11月27日付け中日新聞)

 長野県箕輪町のパート・大槻さん(女・57)の投稿文です。もう20数年前に、この頃を憂う絵本が書かれていたのだ。今年はクマ騒動が例年になく多い。そして、人的被害が出ているのに関係ない人が、クマの射殺を止めてくれるようにいう。これはもう無責任な発言であろう。
 先日、上げ馬神事で有名な三重県の多度大社へ行った。この神事に使う馬のことで、今関係者は頭を悩ましている。むち打つことが動物虐待に当たるというのである。年1回、数頭のことである。では競馬はいいのか。これはもう年中至る所で行われている。動物虐待で競馬を止めよという意見は聞かない。牛やブタは殺していいのか、鶏を動けないくらい狭いケージで育てていいのか、捕鯨に反対する人々もある。疑問をあげればいくらでもある。人間は動植物を殺して食べて生きている。何をどうするかはその地方、国の文化である。自分に直接関わりがないからと言って、安易な発言は人を混乱に陥れる。
 「未来は人間次第」と言う言葉はまさに至言である。先日ボクはある講演を聞いた。「地球上の生物を大量絶滅させることが過去5回あった、そして今第6回目の真っただ中である。過去5回はいずれも自然現象であったが、6回目は人間という種族である」と、いうのである。

 


(第3600話) 父の辞典

2023年12月19日 | 出来事

 “梅雨も終わりを迎えようとする6月末に、父は旅立ちました。91歳でした。父は子どもの頃、東京大空襲を生き永らえ、親戚のいるこの三重へ疎開してきました。鍛冶屋を営み、後に自動車整備店を開業しました。高度経済成長とも重なり、店は繁盛していましたが、私たち姉妹は両親と食卓を囲むこともなく、いつも寂しかった記憶があります。
 頑固な父は「子どもが親の面倒を見るのは当たり前、ありがとうなど言わんでもいい」と言っていました。しかし、老いて入退院を繰り返し「ありがとう、すまんなぁ」と口にするようになり、急に父が弱って小さく思えました。日に日に衰弱し、自宅に帰ることは叶いませんでした。
 病院の荷物の中に「漢字・国語新辞典」がありました。中を開くと、練習に使った1枚の紙が挟まっていました。そこには「有難う御座います」の文字が、用紙の半分以上を埋め尽くし、最後の1行には「回復」の文字が何度も何度も練習してありました。
 私の目は涙でいっぱいになり「こちらこそ、有難う御座います」と呟きました。辞典は、今も私の机上にあります。私も漢字練習しますね。三日坊主になりそうだけど、頑張ります。”(11月26日付け中日新聞)

 三重県伊賀市の会社員・辻本さん(女・58)の投稿文です。「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」、今この言葉をおおっぴらに言えばどう思われるだろう。反発か、賛同か?。ボクの考えはこの言葉に近い。親に恩を返す、順番で、当然だろう。恩を受けただけで、終わっていいだろうか。親は恩など考えてもらわなくてもいい、という人もあろう。でもほとんどの人はいつかは誰かに面倒を看てもらわねばならない。子どもが面倒を看なければ、誰が見るのであろう。社会でみようという意見がある。社会でみると言うことは人やお金が要る。今や人手不足である。税金や医療費の社会的負担がますます増えるのである。
 親子には親子の情がある。できることならこれが自然だと思う。辻本さんのお父さんも、いろいろ強いことを言ってみえたようだが、やはり感謝されていた。それを知った辻本さんも感激されました。人それぞれにいろいろな事情がある。一概には言えないことではあるが、より良い選択をしたいものである。


(第3599話) 4冊目

2023年12月17日 | 行動

 “還暦を機に、父の影響で日記を付け始めて15年になる。1日数行の5年日記であるが、よく読いたと自分でも驚いている。しかし近頃、その日の出来事が思い出せなかったり、前日が空白だったりと、記憶力が少々衰えてきた。読み返してみると不思議なことに、たった数行の文章なのに数年前のことが甦ってくる。これは、高齢者の回想法としていいようだ。
 父の日記は60年以上続き、日々の出来事がびっしり書いてある。都々逸の稽古、当たり屋に言いがかりをつけられたこと、結婚式と法事を掛け持ちしたことなど、私の知らない父の日常が面白いほど紙面にあふれている。晩年は毎日、「妻を風呂に入れて就寝」と、体の不自由な母を労っていた。父の日記は25年前の11月8日、「二時のバスで天文台へ」と書き、数時間後、輪禍の犠牲になり、呆気なく終わっている。
 私は4冊目の日記帳を買う時に随分迷った。5年後の自分が想像できないのだ。でも、このまま今までの流れを止めるわけにはいかないし、店頭の日記帳も一緒に連れて帰ってと言っているようだし、思い切ってレジに並んだ。この先も、私の人生をたくさん綴ろうと決心した瞬間だ。 ”(11月25日付け中日新聞)

 愛知県東浦町の主婦・川瀬さん(75)の投稿文です。5年日記を使い始めて3冊目を終えた川瀬さん、今75歳、5年は80歳、4冊目をどうするか?結局買われた。これはこの15年の習慣が大きく左右していると思う。「今までの流れを止めるわけにはいかない」という言葉が表している。今特に差し障りがあれば別だが、何も無ければこうなるであろう。それが習慣である。そして、日記を始められたのは、お父さんの影響と言われる。読んでみて良さを見いだされたのである。
 さてボクである。今年で3年日記が終わる。ボクは何の躊躇もなく、先日来年からのものを注文してきた。それ以前から日記は書いていたが、昭和60年から3年日記にした。13冊39年が終わる。さて次の3年、どんな生活を送るのであろうか。
 ところでこの川瀬さん、妻は覚えていたのである。昔同じ団地に住み、長女の同級生がいたという。更に川柳の大会で司会者をしていたという。こんなところに出会いがあるというのは、面白いものである。ボクは全く覚えがない。


(第3598話) 思いやり運転

2023年12月15日 | 教訓

 “「名古屋走り」をはじめとする地域特有のマナーの悪い運転が、以前テレビで紹介されていました。一時停止しなかったり、ウインカーを出さずに曲がったり、青信号になった瞬間対向の直進車より先に右折したり・・・。
 テレビを見ながら40年近く前、免許証取得のため通っていた自動車学校の教官の教えを思い返しました。「ここで習った運転技術は道路に出たら2割程度しか役に立たないでしょう。残りは相手への思いやり運転をすることで何とか事故を防げます。法令順守は当たり前で、自分だけでもすべきだと心がけて運転してください」
 運転する際、私はあのときの教官の教えをかみしめています。この先も思いやり運転を励行します。”(11月24日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・水川さん(72)の投稿文です。書かれている悪い運転、時折見かけることである。名古屋走り、初めてこの地方に来た人には恐くて走れない、と言う言葉を聞いたこともある。車の運転である。命に関わらない他のことならまだしも、少し間違えば死ぬこともある。気をつけていても事故は起こる。それを違反してまで行うことかと思う。そして、そんな急いでもそれ程変わらないのである。次の信号機ですぐ前にいる、何てことは度々見ることである。数分早く行こうと思うと、かなりの危険を冒して行かなければできない。そして、数分早く行って、その数分をどう使うのであろうか。余程の緊急事以外、それ程有効に使うことはないのである。
 運転には慣れ、習慣がある。悪い習慣は直しておくべきである。そしてスピードを極力控える。事故を起こしたときにも軽く済む。ボクは高齢者である。でも車はなかなか手放せない。1年でも長く乗るためには、安全運転に心がけねばならない。


(第3597話) 介護家族

2023年12月13日 | 行動

 “介護支援専門員の業務に携わって15年。自宅で暮らす高齢者とその家族の要望を少しでも実現できるように奔走しつつ、在宅介護の継続が難しいと感じれば客観的に判断してさまざまな福祉施設の情報を提供してきた。ところが、自分の身内についてはどうも冷静に考えられない。同居する83歳の母はここ数力月、急激に体が弱ってきて転倒を繰り返すようになった。次第に物忘れも増えた。自分が今、母に何をしてあげられるだろうかと自問自答する日々。どうしても元気だったときの姿を想像してしまい、弱った姿を見るだけで悲しい。
 これまで数々の相談を受けてきた介護家彼の苦しみを、身をもって痛感する日々。家族で十分話し合い、少しでも母の思いに寄り添いたい。”(11月21日付け中日新聞)

 三重県津市の介護支援専門員・金児さん(男・47)の投稿文です。金児さんは介護支援専門員で働いておられる。介護については知識、体験共に豊富である。そして今度は、自分の母親の介護である。身内となるとかなり意識が違ってくる。今までの知識、体験通りに行くだろうか。何事も仕事だと冷静に判断、行動ができる。ところが身内となると違った感情が生まれて、冷静な判断や行動が狂ってくる。そこで自分の親は人に任せ、自分は他人の親の面倒を看る。そんな話も聞いたことがある。それくらい難しのである。感情が先走って自分の子どもの勉強はみられない。これも同じである。でも自分の親の面倒を自分で看られるのは幸せである。ここは冷静に頑張って貰いたいものである。