寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2806話) 思いやり

2019年06月29日 | 出来事

  “異様な光景だった。取材の帰り道。稲沢市内で車を走らせていると、高齢の女性が一人、信号のない道路の横断歩道を対向車線側から渡ろうとしていた。視線が右に左に動いていた。だが、数台の車が前を通り過ぎていく。私が横断歩道の手前で停車すると、女性は自転車を押してようやく渡り始めた。その途端、バランスを崩してその場に倒れた。「危ない!」。すぐに車から降りて自転車を起こすのを手伝った。だが、周りの運転手は気にも留めず、何事もなかったかのように通過していった。
 愛知に赴任して約半年。横断歩道に歩行者がいても、止まらない車が目立つ。運転手に一番大事なのは、思いやりのはず。今回の一件に、県の交通事故死者数が全国ワーストをなかなか返上できない一端を垣間見た気がした。
 自分には関係ないー.そう言わんばかりに悠然と通り過ぎる車を横目に、もやもやが心の底に残った。「助かったよ。ありがとう」。その女性が掛けてくれた言葉に少しだけ故われた。”(6月6日付け中日新聞)

 「モーニング」という欄から牧野さんの文です。牧野さんは異様な風景と言われる。ボクにしたら特に異様でも何でもない。横断歩道で車が止まらないのは、愛知県では普通のことである。と言うより、止まる車の方が珍しい。他県から来ると、愛知県の交通状況を見ると、これでは交通事故死者が一番で当然と言われる。愛知県民は本当にもっとこのことを自覚する必要がある。
 何事にしても、その中で過ごしてしまうと、異様を異様と感じなくなる。これは非常に恐いことである。正しい、正常な社会を知って今の自分をみることが必要である。例えばボクには今のテレビの中味も異様に感じられることが多い。特に何をと言わないが、余りそんな番組を見ないボクだから、異様と感じるのであろう。この番組に浸ってしまうと異様と感じない。制作者はこれで本当に良いと思っているのであろうか。視聴率がとれるのなら何でも良いと思っているのだろうか。テレビ番組について書いたが、ゴミのポイ捨てや犬の糞の始末などについても同じである。広がり始めると、あっと言う間にそんな場所になってしまう。ボクの家の近くに犬の糞で歩けないような歩道があったが、その前に店ができた。そしたら、そんな人はなくなった。誰かが見ているから、できなくなったのであろう。大人のほとんどは事の是非は知っている。良い環境にすれば、すべてが良い方向に向いていく。


(第2805話) 必要なものだけ

2019年06月27日 | 出来事

  “夏の海釣りシーズンを控えて釣り具の準備をしていたら、五十本近いさおの中には用途が重複している物が結構ありました。新製品が出たり店でのセールがあったりするたびに衝動的に買い求めたからでしょう。四時間ほどの整理作業を終えてお茶でも飲もうと冷蔵庫を開けると消費期限が近づいた食品や似たような調味料がたくさん入っていました。妻も似たようなことをしているな。思わず苦笑してしまいました。
 社会人になったばかりの五十七年前、初任給をもらうにあたり亡き父に諭されたことを思い出しました。「ほしい物はいくらでも売っているが、必要な物だけを給料の範囲内で買いなさい」と。質素な暮らしで知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が「貧乏とは、多くの物を必要とすること」とつましい生活を呼び掛けていたこともよぎりました。年金生活の身だけに、見えを捨て、背仲びもやめて物を大切にした暮らしをしようと思いました。”(6月6日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の農業・岡田さん(男・76)の投稿文です。消費社会である。消費によって経済社会が支えられている。これでもかこれでもか、と押しつけてくる。その結果が岡田さんの竿であり、冷蔵庫の中である。これは多くの家庭でそうであろう。ボクの家でも使わないものが沢山積んである。特にもらい物は、全く使ったことがないものも多い。資源は有限である。有意義に使ってこそ価値がある。全く愚かなことである。全く矛盾した社会である。
 57年前の岡田さんのお父さんの言葉「必要な物だけを給料の範囲内で買いなさい」、これは堅実な言葉である。当時はこれが通じる社会であった。多くの人がそうしていた。それがローンやクレジットカードなど借りて使う社会になっていった。給料を超えて使うことも有りになった。いろいろ理屈はつけられようが、端的に言って正常、堅実ではない。人間の欲望にはキリがない。それだから「貧乏とは、多くの物を必要とすること」の言葉が生きてくる。キリのない欲望に振り回されていてはいつまでたっても貧乏である。足るを知ることが必要となってくる。


(第2804話) 100歳を目指し

2019年06月25日 | 人生

  “大正の生まれだ。昭和に成人し、平成で高齢期に入った。ついに四つ目の時代となる令和を迎えた。いよいよ死を受け入れる覚悟をしなければならないと思っている。
 ドライブが好きで週末になると京都や福井へ日帰り旅行に出掛けてきたが、三年前に運転免許証を返納してから遠出はすっかりご無沙汰になった。学友や戦友は皆亡くなった。シルバー人材センターで知り合った仲間も次々とこの世を去っている。七歳年下だがわが人生の師と仰いだ男性は最近、老人会に姿を見せなくなった。
 私は、今まさに孤独であることを思い知った。そんなあしたも知れぬわが身の心の支えといえば、大病を患っても不死鳥のように復活された大正生まれの作家で尼僧の瀬戸内寂聴さんが.私より二歳年上で今もお元気で活動されているということか。百歳までは生きていたいー。そう思って私は毎日、近所のスーパーヘ歩いて出掛けている。”(6月2日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の三輪さん(男・95)の投稿文です。高齢になり、いろいろ悲哀を感じながらもまだまだ、100歳までは生きたいと言われる。元気なればこそであろうか。これが人間というものだろうか。ボクの母が90歳の時、いつ召されてもいいと言いながら「わしはまだ90歳だから」と言っていた。しかし、どう考えようと安楽死が認められていない現在、死ぬまで生きねばならない。これも権利であると共に義務である。そうであるならばできるだけ前向きに生きたいものである。それには意欲と感謝である。
 6月6日の「(第2796話)新時代の思い」で「百歳まで元気であったとして、あと三十年弱か」とさらりと言われた梶原さんの文を紹介した。そして今回は「100歳を目指して」と言われる95歳の三輪さんの文である。こう簡単に100歳と言われると、本当に人生100年時代が来たのか、と思ってしまう。ボクの机の上には「明日死にと思って生きなさい」と書いた紙が張ってある。明日死ぬのだったら、もう今日はどう生きたっていいや、と言うことではなく、最後の1日をより大切に、より有意義に過ごそうということである。これを続けていけば、この後何年生きようとも、100歳まで生きようともより有意義な人生で終えることができよう。この言葉はまだボクの頭の中の教えにしかなっていないが・・・。


(第2803話) 第二の人生

2019年06月22日 | 人生

  “六月二日は夫の四十八回目の命日。その当時、夫の喪の明けぬうちに義父も逝ってしまった。二人の男手がなくなり、残された義母と小学生だった二人の息子、そして代々続いたお店があった。泣いている暇はなかった。義父の代からの店の人、さらに周りの多くの人々に助けられて、今日まで走り続けてきた。
 傘寿になり、ふっと立ち止まる気になった。旧東海道の宿場町、情緒あるレトロな街道で、半世紀近くもお米屋さんを続けてこられたこと、いろんな方々とのかけがえのない出会いがあった。頭の中を走馬灯のごとく駆け巡っている。これまで力を貸してくださった人々の顔、顔、顔。お客さまあってのことと、感謝の気持ちでいっぱいだ。一抹の寂しさを感じるのではあるが、お店を終える決心をした。
 仏壇のご先祖さま、そして夫に「これまで本当に楽しかったよ」と報告し、そっと手を合わせた日曜日の午後のひととき。しばらくは店の後始末などで忙しいだろう。でも、これは決して終活ではないんだ。第二の人生の出発のためなんだ。”(6月1日付け中日新聞)

 三重県亀山市の自営業・尾崎さん(女・80)の投稿文です。この投稿の尾崎さんは今月6月4日の【(「話・話」第2795話)関宿の新陳代謝】で紹介した人と同じ人です。ですからこの投稿はその続編ということになるでしょう。第2795話では関宿の新陳代謝と言われ、今回は「これは決して終活ではないんだ。第二の人生の出発のためなんだ」と言われる。80歳にして何と前向きな言葉でしょう。余生、余生というボクには驚くべき姿勢です。そう感じて続いて紹介しました。
 70代半ばになるボクには、人と会えば病気の話や亡くなった人の話に自然になってしまう。これではいけないと、話を他に移そうとしても、またそんな話しに戻っている。これがボクらの世代です。尾崎さんのようにはなかなか行かない。実はボクが余生、余生というのは謙遜してです。いつまでもオレが、オレがと言っていてはいけないと思ってです。ボクが元気な人ということは、会った人はほとんどそう思うでしょう。だから元気さは内に秘め、これ以上元気さを振り回してはいけない、と思ってです。でも、本当にこれでいいのだろうか、とこうした文を読むと迷いが生じます。


(第2802話) 勉強の苦労 

2019年06月20日 | 意見

  “勉強する理由って? 子どもの頃に誰しもが抱く疑問ではないでしょうか。四月二十六日付本欄の中学生の投稿を読み、かつて苦手な数学に悪戦苦闘した日々を思い出しました。年を重ねていろいろな経験をした今だからこそ言えることがあります。大人になると理不尽なことや我慢を強いられる場面が多々ありますが、子どものときの頑張りはそうした困難を乗り越えたり踏ん張ったりする力になってくれるのだ、と。
 看護の専門学校に通っていたとき、物事の進め方や技術だけでなく、何を根拠にどのような過程から導き出されたのか、筋道を立てて考えることを教わりました。それが今の私の土台となっている気がします。勉強とは本来そういうものではないでしょうか。”(5月26日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の介護支援専門員・木村さん(女・50)の投稿文です。前々回は義務教育の大切さの投稿でした。今回の話もそれに通じるでしょう。木村さんは「子どものときの頑張りはそうした困難を乗り越えたり踏ん張ったりする力になってくれる」と言われます。小さい時に築いた人間性はいつまでも生きるのです。勉強もその後の基礎です。基礎ができていなくてはその後はより大変でしょう。それが必要になったときに、もっとしっかりやっておけばよかったと悔やむでしょう。小中学が義務なのも、人間の長い歴史の知恵からです。それが理解できてやれればより良いのですが、理解できなくてもその時その時を大切にして過ごしたいものです。きっと理解できるときが来ます。その時悔やまないようにしておきたいものです。


(第2801話) 義足の長男

2019年06月18日 | 活動

  “高校三年生の長男は生まれつきの障害のため一歳のときに右の足首から下を切断しました。父親が空手の指導者だった影響で三歳から空手を始め、体を動かすのが大好きでしたので小学生から高校一年生までの間はサッカーにも汗を流してきました。
 長男なりに夢中になれることを見つけ、少しずつ結果を出すことができ、それが自信につながってきたようです。今では私たち家族に自らの夢を語ってくれます。手や足を切断した障害者がプレーする「アンプティサッカー」でワールド力ップ(W杯)に出場することだそうです。  義足の調整に訪れた先でアンプティサッカーを知り、昨年十月から静岡のチームに所属しています。義足を着けず、クラッチと呼ばれるつえを支えにピッチを駆け回っています。月に二回の練習や月一回ほどある試合の際に長男が見せるあの充実した表情は、私にはとてもうれしくて。これからも応援していくつもりです。”(5月25日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・後藤さん(43)の投稿文です。ボクのようにさほどの身体的障害の無い人から見れば、手足がないなどの障害はとてつもない大きなハンディーです。でも後藤さんの息子さんのようにそのハンディーを持ちながら、その先をめざす人には全くびっくりし、尊敬の念さえ持ちます。誰もが身体的特徴を持ちます。走るのが早い遅いのという運動能力、目が近い遠いもひとつの特徴でしょう。それらも身のひとつです。そう考えると手足のないのも身のひとつの特徴です。そうは言いながらも、その人達がその先をめざすのは大変な努力が要ります。不屈の精神も大切でしょう。ボクにはどうしても頭が下がります。その人達に比べればボクらの苦労や努力は大したものには思えません。お母さんが応援したくなるのももっともでしょう。誇りに思われてもいいのです。パラリンピックも開かれます。そういう人達が紹介されることも多くなるでしょう。応援したいと思います。


(第2800話) 義務教育

2019年06月15日 | 意見

   “私は憲法を開いて、その中でも二六条の「教育を受ける権利、教育を受けさせる義務」が良いと思いました。私が今、高校生だからかもしれません。わが国には二六条があるから私たち子どもは普通に学校に行くことができ、そこでいろいろなことを学ぶことができるのです。
 義務教育は小学校と中学校の九年間です。その先の高校や大学などで教わる知識も大切だと思いますが、自分のことを振り返ってみても、日頃のあいさつや生活マナー、常識など日常生活で欠かせないようなものは全て義務教育の九年間に身に付けられた気がしています。そう、日本の義務教育はとても素晴らしいものなのです。”(5月24日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の高校生・中原さん(女・16)の投稿文です。素晴らしいことに気付かれたと思います。まずは義務教育の9年間が大切です。この間は勉学だけではありません。中原さんが言われる通り、日頃のあいさつや生活マナー、常識など日常生活で欠かせないような人としての基本が築かれます。高校生以上となると、こうしたことを言われることも少なくなり、またそれまでに身についた態度はそう簡単には変わりません。早い内に良いマナーを身につけておきたいものです。大人の悪い態度は限りがありません。良いか悪いかは知識としては知っています。例えば、道路にゴミを捨ててもいいか、と聞けばほぼ100%の人がいけないと言うでしょう。でも道路はゴミだらけです。ボクは毎日のように自宅前のゴミを拾っています。勉学はその気になればいつでもできます。生涯勉強と言ってもいいでしょう。義務教育の9年間は非常に大切です。だから義務です。憲法26条の「教育を受ける権利、教育を受けさせる義務」は非常に尊いものです。憲法改正の言葉が賑わってきました。どの条項を残し、どんなものを含めるのか、ここは大きな見極めが必要です。将来の禍根になるようなことを絶対してはなりません。

 


(第2799話) 感謝が大切

2019年06月12日 | 意見

  “自宅近くの国道沿いを散歩していたら前方から救急車が近づいて来ました。救急車の前を走行していた一台の乗用車が車道の左側に寄って進路を譲っていました。救急隊員は追い越しざまに「ご協力、ありがとうございます」と発していました。
 道交法で一般の車両は救屈革や消防車など緊急車両に道を譲るように定められています。私が歩道から見た限り、救急車は乗用車から当然の対応を受けたわけですが、きちんと礼を伝えていて、その様子は実に気持ちのよいものでした。殺人や虐待、いじめなどの暗いニュースが相次ぐ昨今ですが、人から親切にされたら素直に礼を言うという当たり前のことを大切にしたいものです。改めてそう思いました。”(5月23日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の農業・阿部さん(男・73)の投稿文です。感謝の気持ちを持つことは大切です。そして、それを言葉にして伝えることも大切です。阿部さんの意見に異を唱えるつもりはありませんが、でも救急車にまでこの必要があるのか、ボクには疑問に思えます。でも多分消防署では、感謝の言葉を伝えなさいと言う、指導がなされているのでしょう。でも救急業務です。車の合間を縫って走らねばなりません。現場にそんな余裕はないはずです。余分な気遣いになります。
 ボクはそれよりも、救急車が来ても譲らない車の方が問題です。救急車が来ても先を行こうとする車がいかに多いか、救急車優先という規則がない感じさえします。以前はそうでもなかったが、だんだんひどくなっている気がします。誰もが右にならえです。横暴な車が多くなればなるほど多くなります。現場では感謝の言葉より「そこのけ、そこのけ」の言葉の必要性を感じられているのではなかろうか。横断歩道では止まらない車ばかりです。車の運転については、ボクももっと慎重に、親切にしなければと思っています。


(第2798話) 担任の言葉

2019年06月10日 | 教訓

  “半世紀以上、胸に刻んできた言葉がある。中学校一年生になって最初の日、担任の先生が教室に入ってきて何も言わずに黒板に「一人はみんなのために みんなは一人のために」と書いた。それを四十人ぐらいはいた生徒全員で声をそろえて読み上げた。三つの小学校から集まり期待と不安が交錯する私たちに仲良くしなさいと言いたかったのだろう。
 私たち夫婦はこの十五年ほど、ホームステイする外国人を受け入れている。中学校の先生の言葉を借りれば「日本は他の国々のために」と言えなくもない。わが家に来たイタリアやベトナムなど十数カ国の留学生の中にはその後結婚して子を連れて日本を再訪する人もいる。それが私たちの活力になっている。”(5月18日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・堀田さん(65)の投稿文です。中学1年の時の先生の言葉を心に刻んできたとは、余程心に響いたのであろう。そしてお互い、こんな嬉しいことはない。これも出合いである。ボクも3小学校が集まって1中学校となった。そんな最初にこの言葉を皆で斉唱した。記憶に残るわけである。先生もこんな話を聞くと先生冥利に尽きるだろう。
  「一人はみんなのために みんなは一人のために」、含蓄のある言葉である。そして、今の時代こそ必要な言葉ではなかろうか。われが我がと言う時代である。「自分は自分の為に、みんなは自分の為に」、そんな言葉に言い換えてもいい時代である。自分は皆のために何ができるか、本当に困っている人には皆で何ができるか、これが成熟した社会であろう。堀田さんが留学生のホームスティを受け入れられているのも素晴らしい。外国語の苦手なボクの家庭には無縁であった。娘はホームスティをしたことがある。その後がチャンスであったかも知れないが、そのまま終わった。それだけに素晴らしさを感じると共に羨ましく思う。それができたら堀田さんのようにもっと交流範囲が広がったであろう。


(第2797話) 手紙の感性

2019年06月08日 | 意見

  “無料通信アプリ「LINE(ライン)」などの交流サイトは、実にすばらしい夢の通信手段です。なにしろ、文字はおろか写真や動画まで、瞬時に世界中に送信できるのですから。たとえば、家族でグループになれば、日々の楽しい生活の一場面を共有して時系列で繰り返して視聴できるので、一家の貴重なアルバムにもなります。しかし、その一方で、このテクノロジーもまたもろ刃の剣で、不用意な一言の切っ先が互いの心をえぐり合います。交流サイトでいじめが多発し、「入るも地獄抜けるも地獄」という言葉さえ耳にするようになりました。
 なぜそんなことが起こるのでしょうか。一つには、手紙の感性の伝統が、継承されていないためではないかと思われます。明治生まれの歌人・国文学者の窪田空穂は、こう言います。  「書簡は、直接に逢って話をする時よりも、控え目に書け、少し丁寧なものの言い方をせよ・・・行き届いた人の書簡を、多少注意して読むと、この控え目と、少し丁寧ということが、必ず守られている」
 空穂のアドバイスは、今も傾聴に値します。むき出しの言葉は危険です。たとえ気心の知れた仲間同士で通信する際にも、最低限のあいさつや礼儀を、わきまえる必要があるはずです。(後略)”(5月15日付け中日新聞)

 「伝える工夫」から手紙文化研究家・中川さんの文です。ボクはこの歳にしては早くからメールを使っている方であろう。使い始めてまもなくの平成13年頃にDMAと言うメーリングリストに入り、その中にメールの書き方のルールがあった。最初にまず自分を名乗る、挨拶は簡潔に、引用は最小限に等である。ここで基本的なことを身につけた。ボクは一宮友歩会などでよくメールを貰う。名乗らないから誰か解らないメールがよくある。多分登録し合っているので、名乗らなくても誰か解ること多く、それが習慣になっているからだろう。登録し合っていなければ解らないことを失念しているのだ。それに文章は短い。真意を見損なう危険が多い。ここに窪田空穂の忠告が生きてくる。
 ボクがメールを送るのはほとんど朝である。単なる用事以外、貰ってすぐ返信することはほとんどない。貰ってすぐや夜はいけない。考えが浅はかになるし、過激になる。書いても翌日まで寝かせることである。翌日読み直すと、かなり優しい文章に書き直すことが多い。これはよく体験した。中川さんが言われる通りである。窪田空穂は手紙について言っている。ラインやメールはそれどころではない。それ以上に慎重にならねばならない。いろいろわきまえて駆使したいものだ。