寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3622話) 闘病中の身

2024年01月31日 | 行動

 “4年近く前に難病を発症しました。前日の疲労が残ったり、薬が効かなかったりすると脱力感に襲われ手足に力が入らず仕事に行けないこともあります。当初、職場の生徒と交わした相談の約束をかなえられないことが続き、退職の2文字が頭をよぎりました。あれは欠勤明けでした。同僚の先輩の先生から「病気の先生がいたっていいじゃない。自分のペースでやればいいから」と言われてハッとしました。以降、先輩の言葉がわが心の支えになっています。
 最近では「闘病中の私だからこそ生徒の悩みや心の葛藤により寄り添える」と考えています。生徒一人一人の頑張りに思いをはせ可能な限り褒めるようにしています。それにしても自分が職場にいることを認めてくれる生徒や同僚にはどんなに感謝してもし尽くせません。新年もなるべく出勤して周囲の皆さんへの恩返しをしたいです。”(1月4日付け中日新聞)

 名古屋市の養護教諭・松浦さん(女・49)の投稿文です。松浦さんはよい先輩に恵まれて、続けることができてよかった。半人前、サボっている、邪魔などいろいろな批判を受けることが往々でしょう。でもこうした養護の先生の場合、元気な人ばかりでは相手の気持ちが本当には分からないことがあるでしょう。病んでいるから分かることも多いでしょう。相談に来た相手も受け入れやすいことがあるでしょう。こういう人こそ適任ではないでしょうか。ボクはこういう立場になったことがないので、勝手な意見です。
 人は誰もが活躍できる場があれば、欲しいものです。これからの日本はますます人口減少、人手不足になるでしょう。その人に応じた活躍する場を作ることが、重要になると思います。健常者も障害者も、高齢者も活動できる場をいかに作っていくか、重要な施策になると思っています。


(第3621話) 切なさ

2024年01月29日 | 意見

 “家族3人で昨年11月初めに旅した三重県南部の宿泊先での夕食で伊勢エビの活き造りが提供されました。伊勢エビは身をさぱかれながらもまだ皿で体を動かし「ギーギー」と音を鳴らしていました。やがて動かなくなりました。私たちは高級食材をおいしくいただきましたが、どこか切ない気持ちは消えませんでした。
 あの旅以降、普段調理して何げなく口にする肉も魚も野菜も、もとは生きていたことをより意識するようになりました。その命を無駄にしないよう、「謹んでいただきます」の気持ちを大切にして残さず食べるのはもちろんですが、処分されがちな食材も何とか最後まで使い切るようになりました。”(1月4日付け中日新聞)

 愛知県半田市のパート・原さん(女・59)の投稿文です。この話題は以前にも書きました。いいことに気づかれたと思います。今動物愛護が盛んに叫ばれます。それ自体は悪いことではありません。ところが自分が関係ないところで非難合戦です。鯨は捕るな、熊は撃つななどです。もっと身近なところで、猫や犬、小鳥など愛玩動物もこの様に扱われることを本当に喜んでいるのだろうか。本当は野原を駆け巡り、大空を飛びたいのではなかろうか。首輪を付け、鳥かごに閉じ込めるのは虐待ではなかろうか。人間の好み、都合で勝手に善悪を決めているのではなかろうか。
 人間にはその地域の環境、文化があります。生きていくための手段があります。牛を喜んで食べる国もあれば、神聖とあがめる国もあります。鯨を捕るのは日本人の生活のためだったし、熊を撃つのはその地域の生きていく為の手段です。声高に叫ぶ人たちは何の殺生もしていないのだろうか。それはありません。原さんが気づかれたように、人間は生物の命を頂かないと生きていけません。ですから、頂いたときには丁寧に無駄にしないように扱い、「謹んでいただきます」の気持ちを忘れないようにすることだと思います。

 


(第3620話) 日記

2024年01月27日 | 行動

 “日記は人に見せるものではない、自分の思い通りのことを書けばいいと、常々思っていた。そのような気持ちで日々の行動、感情を書き続けてきた3年連記の日記帳が、いつのまにか十数冊になっていた。ところが、新聞の投稿で、親が亡くなった後、子どもが親の残した日記を読んでいるという話がいくつかあった。これはえらいことや。誰にも読まれないと思っていたけど、私が亡くなった後、娘たちに読まれるんや、と気づいた。ならば、どうすればいいのか。考えた結果、あの世へ行く前に捨てることにした。問題は、いつ捨てるのかであった。どこからともなく「今でしょ」という声が聞こえた。その声に従って、ごみ袋の中ヘー冊ずつ入れて捨てた。
 不思議なことに、何の未練もなかった。世の中には自分が生きた証しを残したいと思う人もいるが、私はきれいさっぱり、何も残さず消えたい派である。さて、もう一つ問題があった。どうせ捨てるなら、書くことをやめればいいではないか、という問題が。すぐに自分で答えを出すことができた。それは娘たちに読まれてしまうことを意識して書くことであった。日々、失敗やら度忘れはいっぱいあるけど、自由でストレスのない恵まれた生活を感謝しつつ、今年も書くことにした。“(1月1日付け中日新聞)

 三重県度会町の主婦・田中さん(76)の投稿文です。ボクも全く同じ状況にある。ボクも3年連用日記が13冊ある。今年から14冊目に入った。このまま残していっていいのだろうか。後に残った人が読んだらどう思うだろう。傷つくようなことは書いていなかったろうか。恥ずかしくなるようなことはどうだろうか。もう40年も前からのことである。何を書いたかほとんど覚えていない。田中さんのように捨てた方がいいのであろうか。
 ボクはこの「話・話」 始めよく文を書くので、いろいろな記録を探すことも多い。でも振り返ってみると、日記まで見て探すことはほとんどなかった気がする。あっても近年のものである。それなら捨ててもいいかもしれない。捨てた方がいいかもしれない。さて、いつ捨てるかである。まだ死ぬと思っていない。病を得て処分する時間があればいい。あっという間に亡くなってその時間がないかもしれない。また新たな悩みが生じた。


(第3619話) 障子の穴

2024年01月25日 | 行動

 “師走に入り、すきま風が気になるようになった。最近の住宅は障子のない家が多いようだが、築40年の我が家には畳の部屋が多く、障子が沢山ある。双子の孫たちが小さい頃、何かの拍子で手が当たって障子が破れ、彼らは面白がって、私の反応を見ながらビリッ、ビリッとやった。障子破りって、こんなに楽しいものかと感心した。張り替え予定の障子1枚を、好きなように破っていいと言ったら、大喜びで、桟が折れるのではないかと思うくらい、勢いよく破った。彼らは成長して障子破りはしなくなったが、ほかの孫たちもみんな後に続いた。女の子はやらないだろうと思ったが、やっぱりやった。でも、みんな成長につれ卒業した。
 5人の孫たちとだいぶ離れて内孫ができた。喜んだのも束の間。父親である息子が亡くなり、一人っ子だった母親とともに実家で暮らすことになった。時々遊びに来て私を喜ばせてくれる。この春休み、その孫が、やっぱりやった。私の様子を窺いながら、ブスッ、ブスッ。だんだん穴は大きくなっていった。今その穴が、すきま風をもたらす。でも、再び一緒に暮らすことのない孫の「作品」と思うと、張り替えるのがためらわれる。でも寒さには勝てない。スマホに収めて、障子紙を替えることにした。”(12月30日付け中日新聞)

 静岡県掛川市の森下さん(女・83)の投稿文です。ここにも懐かしい思い出があった。ボクが育った家は純粋な農家住宅である。田んぼの田の字の障子戸ばかりである。親は年に1回障子を張り替えていた。森下さんの言われるようにその時には今までの紙を剥がさねばならない。子どもがいればまずは子どもの仕事である。その時の気分で、思いつきで破り方は様々である。普通では破ってはいけない障子を破れるのである。楽しいはずである。ボクにもそんな記憶はある。
 今や新しい家で障子のある家は皆無ではなかろうか。娘たちの家に障子戸は1枚もない。最近、長女の息子がよくわが家にやってくる。そして障子戸のある部屋に入っている。わが家の来ると落ち着くというのである。自分の家より落ち着くとはおかしな話である。はるか昔のことであるが、二女の友達がわが家に泊まっていったことがある。彼女も気が休まったと言って帰っていった。彼女はアレルギーであった。新建材でない純木の部屋で過ごしていた。


(第3618話) 72歳の大冒険

2024年01月23日 | 行動

 “コロナ禍で、長いことしたくてもできなかったニュージーランドでのホームステイと語学学校での英語研修が、とうとう実現した。一番の心配は、ホームステイ先のお母さんと3週間、仲良くできるかということだった。それは杞憂だった。滞在先のクリスティーさんは、2匹の猫と暮らす69歳の1人暮らしの陽気で料理の上手な素敵な方だった。朝食、夕食の他にお弁当まで作ってくださった。それが毎日おいしくて、おかげで滞在中に2キロも太ってしまった。
 語学学校は、30人弱とこぢんまりしていて、ひとクラス6人前後。私の入ったクラスは中級で、22歳の若者から最年長の私まで、年齢も国籍もさまざまだった。私は英語の長期ブランクがあり、電子辞書やスマホでの単語調べもせず、中学生時代に使った60年近く前の英和辞典を持参して使った。かえって他の学生に驚かれてしまった。
 日本人の多くがそうであるように、読んだり書いたりは何とかできても、聞いたりしゃべったりがスムーズにできない。それでも無事3週間を頑張り、最終日には修了証明書を受け取ることができた。72歳の大冒険は刺激に満ち、ニュージーランドの人々の優しさに触れた忘れることのできない旅となった。”(12月26日付け中日新聞)

 愛知県美浜町の主婦・平野さん(72)の投稿文です。ニュージーランドでホームステイと語学学校での英語研修、何歳の人のことかと思えば72歳である。ボクより少し若いだけである。ボクにはとても考えられない。うなるばかりでる。本当に大冒険である。こういう人を見ると、ボクは早く引退しすぎたのではないか、もっと何かできたのではないか、そんな気がしてくる。ボクも退職後を有意義に過ごすためにいろいろやってきたつもりである。でもこのホームスティと語学研修にはかなわない。人は無限である、こういう人を見るとそう思える。ボクの座右の言葉「永遠に生きると思って学びなさい」の通りである。
 と思う一方「明日死ぬと思って生きなさい」も事実である。ボクは今年傘寿である。マスコミでも身の回りでもボクに近い人はどんどん亡くなっていく。今日の命が分からないのである。どう終えたらいいのかも分からない。言えるのは、今日与えられていることを精一杯尽くすことであろう。


(第3617話) スマホが釣れた

2024年01月21日 | 出来事

 “11月中旬、40代ぐらいの男女が「伊良潮岬周辺でスマートフォンを釣り上げた」と田原署を訪れた。その1時間半後、スマホを紛失したという別の男性が署に。同じく伊良潮岬周辺で釣りをしていて落としてしまったらしい。慌てて衛星利用測位システム(GPS)を使って調べると、署付近で反応したため、駆けつけたという。防水機能がしっかりした機種だったことも幸いし、スマホは無事でほっとした様子。
 無類の釣り好きの署員は「スマホを釣るなんて普通ありえない」。海に落としたのに、釣り上げられて無事という二重の幸運にびっくり。”(12月26日付け中日新聞)

 「よもやま事件帖」という記事欄からです。スマホを海で落とした、青くもなろう。でもそれを釣り上げた人がいる。そして落とした人に戻った。こんな幸運はなかなかなかろう。
 スマホには今や個人情報がたっぷり詰まっている。これをなくした時のことを考えるとゾッとする。人にでも拾われ、悪用でもされたら全く大事である。ボクはザックに紐を付けて入れている。時折紐につり下がっているときがある。そんな時は紐があって助かった、と思う。多くの人を見ているとポケットやバックにそのまま入れている。ボクには不用意に思われる。クレジットカードや免許証、保険証、なくしたら大事になるものをいつも持ち歩いている。今度はマイナンバーカードも持ち歩かねばならなくなるようだ。
 ボクの女性知人の数日前の話です。買物に言ったドラッグストアでバックを置き忘れたというのです。「中身は財布、貯金通帳数冊、銀行印、財布の中には全てのカード、保険証、スマホに、タブレット、愛読書等々、もう生きた心地しなくて最後に寄ったドラッグの電話番号を調べようにも、レシートもカバンの中で電話番号もわかりません。104を思いつき、電話して教えてもらいました。そして連絡したら金庫室に預かっているとの事。カートに引っかけて置いたカバンをお客様が見つけて届けてくださったとのお言葉。」彼女からのメール文です。そして感激した言葉が綴ってありました。


(第3616話) ミステリーツアー

2024年01月19日 | 出来事

 “二十数年ぶりに横浜市の旧友と10月末に食事することになり、それに合わせて息子が3泊4日の旅行を計画してくれました。行き先は分からない「ミステリーツアー」-。
 初日は横浜の中華街を散策。翌日は旧友とレストランで昼食を取りながら4時間にわたって思い出話に興じました。3日目は東京都に住む次女一家と合流し、息子が運転して車が向かった先は静岡県伊豆市の有名な老舗温泉旅館。24年前に他界した夫が亡くなる前年に訪ねた場所で、当時の記憶がよみがえってきました。最終日は同県伊東市の大室山に登山リフトで登り、頂上から望む富士山や駿河湾はすてきでした。こんなに楽しい思い出をプレゼントしてくれた息子には大いに感謝しています。”(12月26日付け中日新聞)

 愛知県碧南市の見崎さん(女・81)の投稿文です。よく旅行会社の企画するミステリーツアーに参加するボクは、てっきりそう言ったものかと思った。違っていた。息子さんらから母親に対するミステリーツアーであった。お母さんが旧友と会う機会を利用しての計画のようである。ここにも幸せな家族、知恵の使いどころがあった。
 ここ3回、喜寿の祝い、クリスマスプレゼント、そしてミステリーツアーと家族の思いやりの話が続いた。投稿されるほどに嬉しかったのであろう。家族は人との繋がりの最小単位である。まずはここからである。これが崩れていて、幸せというのは難しい。


(第3615話) お客もマナー

2024年01月17日 | 意見

 “コンビニでアルバイトをしていて「お客さんのマナーが悪いな」と思うことがたびたびあります。初対面なのにため口で話しかけてきたり、吐き捨てるかのように注文したり・・・。どうして日本ではお客さんのマナーがあまりよくないのかを考えてみました。
 思い当たったのは日本の文化です。「お客さまは神様」というように、店員より客の方が立場が上なのです。客からすれば、自分が代金を支払うことで店が成り立つのだから、少しぐらいマナーが悪くても問題ないと考えているのかもしれません。でも店員だって、客と同じ人間。決して人間の気持ちがない機械やロボットではないのです。
 どうせ商品を買うのなら客も気持ちよく買い物し、店員も心のこもった接客をした方がいいに決まっています。皆さん、心して買い物をしてください。”(12月23日付け中日新聞)

 岐阜市の高校生・中村さん(男・17)の投稿文です。お客さんの理不尽な態度はもう何回も取り上げいます。今回は、アルバイトをして知った高校生の意見です。それだから取り上げました。今の世の中、多くのことは需要と供給、その度合いによって強弱が決まっていると言っていいでしょう。この場合、供給が上回り、お客の方が強いと思っている。でも本当にそうだろうか。お互いがあって成り立つのである。災害などあれば、需要が供給を上回るだろう。今震災に遭った北陸などがそうである。その時、お客は今のような態度が取れるだろうか。何事であれ自分の優位さを誇るのは危険であり、愚かしい。いつ立場が逆転するかもしれない。何事もお互いがあって成り立つ。そのことを忘れず、感謝である。
 中村さんはこうした経験を経て、立派な大人になっていくのです。ボクの孫たちもいろいろアルバイトをしている。どんな体験をしているのだろうか。


(第3614話) クリスマスプレゼント

2024年01月15日 | 行動

 “我が家は私と妻、娘夫婦と孫3人で暮らしています。去年の11月、娘がクリスマスプレゼントの相手をクジ引きで決めようと発案しました。2千円ずつ軍資金として配り、超過分は個人負担で買い物するということで、全員が賛成しました。
 私は2番目の孫に当たりました。デパートで手袋やマフラーなど見て回りましたが、見つかりません。妻に相談すると「あんたプレゼントの相手が分かっちゃうじゃない。夢がないねー」と言いつつ、付き合ってくれました。あれこれ売り場を回り、暖かそうなかわいいジャケットを買いました。渡す相手の笑顔を想像しながらの買い物は、結構楽しいむのですね。
 いざプレゼント交換です。誰からなのか、どんな品物か、2倍の楽しみで、皆興味津々。例えば妻は娘から素敵なデザインの大皿2枚、娘は3番目の孫からブランケットといった具合で、大きな歓声と笑顔が広がりました。ちなみに私はグラウンドゴルフのボールと手袋です。妻からでした。
 今年?勿論やりますよ。クジ引きは終わりました。私が引き当てたのは、何と妻です。今度こそ本人には聞けないなぁ。帽子? 花・・・・キザだと皆に冷やかされそう。思い切って年末ジャンボ宝くじ? 妻の喜ぶ顔と渋い顔が交互に浮かびます。”(12月22日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の山田さん(男・76)の投稿文です。クリスマスプレゼントの相手をクジで決める、これはまた面白い趣向である。相手は分かっているので、的外れのものではなく、ふさわしいものを選ぶことはできる。7人でするので結構楽しめるであろう。こういうことができる家族は、前回の話と同じく、全く幸せな家族である。そして知恵は使いどころである。でも軍資金はどこから出たのであろうか。
 ボクの家も以前プレゼントをクジで引いていたことがあるが、それは妻がすべてを用意していた。これでは山田さんとは似てもいない。そろそろ子どもや孫から提案があってもいいものだが、そんな気配は全くない。


(第3613話) 名前の通り

2024年01月13日 | 出来事

 “6年前に夫を亡くしてから1人暮らし。遅れぱせながらのわが喜寿の祝いとして11月上旬、子ども3人、孫4人と愛知県南知多町の日間賀島を日帰りで訪ねました。夫とよく旅したこの島を観光し、ふぐ料理に舌鼓を打ちました。わが家に帰宅したら、先回りしていた娘2人と孫2人が飾り付けを終えた玄関でクラッカーを鳴らして私たちを迎えてくれました。そこに次女の夫も加わって皆でケーキをいただきました。所用で来られなかった孫3人もそれぞれメッセージを寄せてくれ、皆から額に入った「感謝状」をもらいました。「幸せな子に」との願いで両親が名付けてくれたわが名の通り、私はとても幸せ者です。”(12月22日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・伊藤幸子さん(77)の投稿文です。ここに一市民の幸せな家族があった、まずはそんな感想である。喜寿の祝いで、家族揃って日間賀島へ日帰り家族旅行。そして考えられる思考をこらしてのお祝い。それ程立派な、派手な、お金をかけた祝いでもない、でもここに幸せを感じる老母がいた。幸せを感じるときと言うのは、家族揃ってのこういうささやかな時でなかろうか。
 ボクの家では、金婚式の時も、喜寿の時もコロナ禍の中と言うこともあって、夫婦2人で食事に行っただけである。家族揃ってと言うのはできそうでできないのである。伊藤さんは、まさに自分の名の通りで幸せ者です。今年ボクは傘寿である。何か起こるであろうか。