寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3132話) 歩射神事

2021年04月29日 | 出来事

 “一宮市の真清田神社で二日、桃花祭の行事「歩射神事」が行われた。市内の高校の弓道部員六人が射手として、豊作か凶作かを占い、邪気を払うための矢を射った。神職や射手らは本殿でおはらいした後、境内の庭に集まった。桃を表す赤色の装束姿で烏帽子をかぶった射手は、二人ずつ前に歩み出て交互に矢を放った。六人で計三十六本中、十五本が的に命中。神社によると、例年は命中が十本程度のため、今年は豊作が予想されるという。
 射手を務めた一宮興道高校弓道部の副部長椿山駿介さん(一六)は「練習の成果を出すことができた。今年は大豊作になると思う」と笑顔で話した。”(4月3日付け中日新聞)

 記事からです。真清田神社の桃花祭と言えば、一宮市最大の行事でしょう。一宮市は、尾張の一宮、真清田神社の門前町です。4月3日を中心にいろいろな行事が催されます。ボクの子供頃の思い出では、市内中心部にある叔母さんの家に皆が集まります。それこそお祭り騒ぎです。そして、午後飾り馬が繰り出す頃、それを見に出かけます。100頭以上の飾り馬が本町通りを練り歩きます。1頭を何十人もの酔った若者が引きずり回します。観衆の方にどっと寄ってきます。怖くて逃げ回ります。これが思い出です。次第に馬の数も少なくなり、今はどのようになっているのか、もう何十年も見たことがなく知りません。この歩射神事の記事でこんなことも思い出させてくれました。


(第3131話) 頑張ってね

2021年04月27日 | 出来事

 “いつも利用しているスーパ-は、男子大学生数人がアルバイトをしています。その中に背が高く、色白のとっても感じの良い青年がいます。その日は私が並んだレジにはいませんでしたが、順番待ちをしていたら「こちらへどうぞ」と、その彼が手招きしてくれました。
 すると「今日が最後です。ありがとうございました。また機会がありましたら、会えるといいですね。短いような長かったような」と四年間を振り返っていた感じでした。「名古屋で営業の仕事です。頑張ります」。私は胸が熱くなり、何も言えませんでした。とうとうその日が来てしまいました。きっとあいさつがしたかったので、手招きをしてくれたのでしょう。
 店の上司らの信任が厚かったように見受けられましたし、私が気付いていないときにも、後ろから「こんにちは!」と言ってくれました。社会人になっても、きっと顧客から好かれることでしょう。ご両親の育て方が良かったのだと思います。
 私の後ろには次の客が待っていて、はなむけの言葉を言えず、後悔しています。あらためて「いそむらさん、こちらこそ、ありがとうございました。体に気を付けて、仕事頑張ってね。陰ながら応援しております」”(4月3日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の山田さん(女・74)の投稿文です。スーパーでの4年間のアルバイト店員とお客の関係です。この関係は、ものを尋ねる以外ほとんど会話らしい会話をしないものです。それでもこれだけの思いが語れる、何によるのでしょうか。これはお互いの人柄でしょうか。
 人生の善し悪しは、一言で「人間関係」と言っても言いすぎではないでしょう。人間は一人では生きていけません。親から始まり、いろいろな人の間で生きていきます。良い関係も悪い関係も生じます。良いと言える関係をいくつできるかに、人生の善し悪しは関わっている気がします。そして良い人間関係を作るのは良い人柄でしょう。では良い人柄は何によってできるのでしょうか。山田さんは、ご両親の育て方を挙げておられます。これは大きいでしょう。でもこれは努力、精進、生活のすべて、人生のすべてがかかっている気がします。一朝一夕ではできません。常にその意識を持つことでしょうか。


(第3130話) 郷土愛

2021年04月25日 | 行動

 “町内会の役員をした五年前、自身も含め地域への関心が低いことを痛感した。建物や道路、公園などを指す「見えるまち」とは別に、地域の文化や伝統、人と人とのつながりなどの「見えないまち」を強く意識するようになった。
 「地域を知るきっかけに」と私は文化財や史跡を中心にまとめた郷土史の小冊子を作成し全世帯に配った。図書館や博物館、役所にある文献や参考史料を調べ、聞き取りや現地調査も重ね、歴史的事実とその背景に触れられたと自負している。江戸時代、隠れキリシタンの中心人物が四人処刑されたとの史実は衝撃的だった。隠れキリシタン殉難碑や水かけ地蔵が存在することは知っていたが、「バテレン人形」と題する隠れキリシタンに関する昔話を掘り起こしたときの喜びはひとしおだった。大人は言うに及ばず子どもたちが地域を身近に感じる一助になると確信し、ぜひ紹介したいと思った。
 近年、昔の地域事情を知る人は少なくなってきている。歴史や祭り、習慣などを語り継ぎ、郷土愛を次の世代に確実に紡いでいきたい。”(4月2日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鵜飼さん(男・67)の投稿文です。地域の歴史を調べ、小冊子にして地域全世帯に配る。何かの役員をされていたのだろうか、全く無関係の自発的行為であったのか、気になるところである。全くの自発的行為で、これだけのことをする人があれば、ただうなるだけである。この行動力、勇気にはただ感心するばかりである。
 ボクも昨年から今年にかけ、神社の由緒や祭典の言われを書き、役員に配ったり、神社に掲示したりした。これは自分が神社総代だからしたことである。いいことと思っても、全くの無関係のことにこんな差し出がましいことをする勇気は無い。でも本当はしてもいいのだ。いや、するべきかも知れない。ボクも鵜飼さんと同じように、地域の歴史が気になっている。昔の地域の行事などを、古老といわれる人が見える間に聞き取りをしておきたいと思って、昨年話しかけた。そして、今年5月頃聞きたいとも話した。もうまもなくその時期である。結果を気にせず、まずすることである。少しでも、鵜飼さんを見習いたい。 

 


(第3129話) 「大切にしたい会社」

2021年04月23日 | 出来事

 “一宮市の建築会社が今月、従業員や家族、取引先、顧客に対する姿勢を評価する「『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞」で、審査委員会特別賞を受賞した。同大賞は、人を大切にする経営学会(会長・坂本光司元法政大大学院教授)などが主催。百三十八社から応募があった。同社はパート社員含めて全社員五十三人が無期雇用で、女性の管理職比率が三割以上。社員の五人に一人は元顧客で社風に引かれて入社していること、住宅づくりに良質な国産木材を使用していることなどが評価された。
 同社の喜多茂樹社長(四二)が三十日、一宮市役所を訪れ、中野正康市長に受賞を報告。「社員、顧客、仕入れ先、地域の人あっての受賞。今後も皆でもっといい会社にしたい」と話した。喜多社長は、同社などが2018年から取り組む「家を守ろう川柳」PRへの協力も要請。(後略)”(3月31日付け中日新聞)

 記事からです。この建築会社は、次女の自宅を作ってもらった会社である。娘夫婦が、いろいろな探し回って決めた会社である。ボクはそれまでこの会社の存在を知らなかった。工法も独特であった。客への対応も独特であった。その会社が、「『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞」で、審査委員会特別賞を受賞」という記事に目を引いた。「いちばん大切にしたい会社」とは、お客にも会社員もいい会社ということであろうか。
 この記事を娘に送りながら、決めた経過を聞いた。どの社員の対応にも好感が持てたこと、国産木材であったこと、建築後のアフターケアーがいいこと、各種イベントの実施などが気に入ったと言っていた。もう十数年経つが、まだイベントに参加しているという。そしてここで良かったと、言っている。娘の評価は満点である。これでは、この賞を頂くのもうなずける。


(第3128話) 交通安全地蔵

2021年04月21日 | 活動

 “私の住む地区には交通安全地蔵があります。国道や県道の交差点付近に一九六七(昭和四十二)年に建立されました。交通量が多く交通事故が多発し地元の人も犠牲者が出ました。このことを憂慮した当時の地区老人会会長が会員に諮って「交通安全を祈願し、犠牲になった人を弔おう」と浄財を募り地蔵を建てたのです。それから毎年八月二十四日に法要をし、地区住民が多数参拝しています。しかし昨今、老人会の会員の高齢化は進み、その数も減ってきたため、この地蔵の維持管理は年々難しくなってきています。半世紀以上続いたこの試みをこの先も私は守っていければと思いますが・・・。”(3月30日付け中日新聞)

 岐阜県揖斐川町の農業・高橋さん(男・77)の投稿です。時折街角に交通安全地蔵を見受けます。犠牲者の関係者が作られたのだろうか、といつも思っていた。が、老人会が作られたという、こんな場合もあるだ。老人会がこんなことまでするとは、この時の老人会会長さんは行動的な人であったのだろう。素晴らしいと思う。どんな会も会長さんの果たす役割は大きい。
 しかし、その老人会も風前の灯火である。実は私の町内もこの事態に陥った。理由は、会員の減少よりも会長の引き受け手がないことである。なくなっていく町内のほとんどの場合、これである。今年2月下旬に近年クラブ長をした人、8人が集められた。ボクにも招集がかかった。そしていろいろ対策が話されて行くが、肝心の会長候補が出てこない。このままでは潰れてしまうと思って、ボクが手を挙げた。すべてボクに任された。これで一件落着である。このまま潰れてしまったら、今老人会で活動している人の場をなくし、また町内にとっても大きな損失である。ボクはやれるだけのことはやろうと思っている。こういった高橋さんの話も参考にしていこう。


(第3127話) 孫の優しさ

2021年04月19日 | 出来事

 “東京の大学に通う孫が久しぶりに帰省しました。食事に誘えば「ウナギが食べたい」と言うので夫と三人で出掛けました。いつも老夫婦の生活だけに、若い孫がそこにいるだけで浮き浮きしてきました。若者の食欲は本当にすごかったです。追加注文して、席に届けられるとすぐにきれいに平らげられるのですから。見ていて気持ち良いほどでした。
 「おじいちゃん、おばあちゃん、僕が就職して初任給をもらったらごちそうするね」。そう言ってくれる孫の優しさで胸がいっぱいになりました。それが何年後に実現するかは分かりませんが、その日まで自力で歩け、しっかりと食べられるように健康でいたいものです。一層前向きな気持ちになれました。”(3月30日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・河原さん(79)の投稿文です。わが家も同じような状況にありますので、よく分かります。近くに住む男孫2人は、兄は大阪の大学、弟は今年名古屋の高校に進学しました。わが家も老夫婦2人だけ、今年3月に兄が帰省したおりに4人で食事をしました。和食が食べたいというので、近くの料理店へ。若いから食べて当然です。こうして付き合ってくれるのは嬉しいこと。そして若い人の夢のある話は楽しいもの。2人とも少し違った道を歩き始め、ボクの知らない話も多かろうと、聞くのを心待ちにするようになりました。
 ただ「初任給をもらったらごちそうするね」はまだ聞けません。でもそんなことが起こるかも知れない。楽しみは先の方が良い。その楽しみまで頑張らねばならない。


(第3126話) 農業の苦労

2021年04月17日 | 意見

 “夫婦で農業を長年営んできて五年ほど前にやめましたが、今でも農業の難しさを日々痛感しています。思えば天候に左右され、種まき、草取り、水やり、間引きなどどんなに丹精しても台風の影響で目もあてられないような状況になることがよくありましたから。
 わが家で栽培した柿に虫が付いたり、虫食いがあったりする実は消費者に好まれません。虫が付かないようにするには消毒が必要ですが、出荷時に調べられる残留農薬の数値が基準を満たしていないと出荷停止となります。
 金を払いさえすれば何でも手に入れられる昨今ですが、少しの傷にも文句を付けて安く購入しようとするのが消費者です。作物を育てる苦労に思いをはせ、農業従事者の気持ちも考えてもらえたら幸いです。”(3月27日付け中日新聞)

 岐阜県瑞穂市の主婦・鹿野さん(67)の投稿文です。自家用野菜の栽培なら全く易しいが、これが商品となると全く難しい、と言うのがボクの感想である。自分で食べるなら形が悪かろう、少々虫が食っていようが、苦にならない。野菜はほとんどが切り刻んで料理するものである。形などほとんど関係ない。また自家用野菜など、種を蒔いておけば自然が勝手に育ててくれる。もちろん肥料をやったり、手入れも大切であるが、しなくてもできない訳ではない。ボクなど自家用野菜には広すぎる畑であるので、丁寧に作ってできすぎると返って困ってしまう。
 ところが商品となると全く違ってくる。形、大きさ、色、消毒の量、事細かに選別される。野菜栽培は自然の力を利用しなければならない。自然は人間の思うようにはいかない、全く気まぐれである。そんな自然相手の物が一定の規格に合わせるのは全く無理である。食べるのに何の違いもないものが、規格外れで商品にならず、無駄にされる。必要最低限の規格にして、農業従事者を楽にさせてほしいものと、常々思っている。消費者に迎合するのではなく、消費者を導いて欲しいと思う。


(第3125話) 桜の木の下で

2021年04月15日 | 出来事

 “春を告げる花々が咲き始めました。毎日寒暖を繰り返し、春はもうそこまでやってきています。五年前の春、息子が入院していた病院の敷地に岐阜県本巣市(旧根尾村)の淡墨桜の二代目という大きな桜の木がありました。美しくつぼみが開いた頃、息子と看護師さんと家族で桜を見に出向いたことがありました。
 淡墨色の花を見上げる私たちを、桜は大きな枝を広げて迎えてくれるようでした。「きれいだね」と話し掛けると、車いすの息子は小さく「うん」と答え、じっと見つめていました。間もなく「帰ろう・・・」と。それが息子との最後の会話だった気がします。病と闘った息子は、その六日後、静かに天国へと旅立ちました。
 しばらくはどの桜も見上げることができなかった私ですが、昨年家族と出向いたあの桜は美しい枝を広げ、私たちを迎えてくれました。孫二人が桜の木の下で無邪気に遊びます。あの時と同じ桜を見ることができました。息子もこの淡墨桜を高い空の上から見ているだろうか。あなたがずっと心痛めていた娘二人は明るく素直な子に成長しています。あなたの奥さんは二人の娘と元気で頑張っています。今年もみんなで桜に会いに行こうと思います。“(3月25日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の主婦・高木さん(70)の投稿文です。桜の時期、どこを見ても桜が咲いている。日本にはこんなにも桜の木があったのかと、驚く。まさに日本は桜の国である。
 病院の庭に、淡墨桜の2代目の木が植えてあった。その木の下で、息子さんと見た思い出である。推定するに息子さんは、30代で亡くなられたのであろうか。親にとっては堪えられないことである。でも、奥さんや娘さんは元気にやっておられる。せめてもの救いであろう。桜の木はそんな思い出も残してくれた。
 今年の一宮友歩会の4月例会は3日の日で、まだ十分に桜は見られた。本当に常時どこかに花の開いた桜の木が目に入る。桜の名所も桜並木も歩いた。時折、1本だけの大きな桜の木も見た。その1本だけでも名前を付ければ名所になりそうな木もあった。良い国である。でもそんな国も政治世界は魑魅魍魎がうごめき、世情も穏やかでない。何が国民の幸せか、冷静に考える必要がある。


(第3124話) 怒り抑える

2021年04月13日 | 行動

 “報道されているみたいな怒りを爆発させてあおり運転をする人は怖いと思いますが、私も運転する際、「前の車遅いなあ」「信号が青になったのに・・・。早く進んで」とつい口に出していることがありました。でもよく観察すれば遅いと思った車の前に年配者の自転車があったり、直後に交差点を救急車が通ったりして、「何にも知らず、ごめんなさい」という気になるのがしばしばです。
 「洞察力があればすぐに怒ることはない」という趣旨の言葉が聖書にありました。いらいらして口に出す言葉は同乗者に良い影響を与えませんし、自分自身の価値も下げます。六秒数えれば怒りが収まると、どこかで聞いたこともあります。何かあったらそれを思い出して落ち着こうと思っています。”(3月20日付け中日新聞)

 岐阜市のパート・宮沢さん(女・53)の投稿文です。車の運転はいくら慎重でもし過ぎと言うことはない。怒りなどはもってのほかであろう。相手の車にいかに非があっても、運転中は仕返しなどできない。仕返しをして事故に巻き込まれたら悔いが残るだけである。ところが最近のテレビでは、あおり運転の凄まじさがよく報道されている。信じられない光景である。自分に避ける技術があったと思っても、相手にそれがあるかどうかは分からない。一つの事故がどのくらい多くの人に迷惑をかけるか、考えられないだろうか。
 ボクは元々運転は下手だと思っている。その分、慎重に運転しているつもりである。でも時折、後でぞっとするような危ない運転のときがある。それを思い出してみると、自分の思い込みと違った時のとっさの判断の時である。例えば直進するつもりの時、左折や右折車を走っていると気づいた時にとっさに車線変更することがある。切りかえることだけに頭がいって、周りの安全を確認していないのである。これはボクが先日起こしたことである。今思い出してもぞっとする。事故など起こせば今やっているこのすべてができなくなる。これも老化であろうか。


(第3123話) タニシ

2021年04月11日 | 出来事

 “三月に入ると田んぼの水は少しずつぬるんでくる。私が今でいう小学校四年生で終戦となり、それから世の中は落ち着いてきたが、わが家には田畑がなかったため育ち盛りの時期はいつも空腹で食べ物を探して山、川、田んぼを歩き回った。
 一番確実に入手できたのはタニシだった。ズボンを膝上までめくって毎日のように近くの田んぼへ通った。他人の土地だが、秋の稲刈りが終わった後も来シーズンまでは切り株はずっと放置されていて泥田へ指を突っ込むとタニシはどんどん採れた。小さな呼吸穴からタニシの居場所はすぐ分かった。二時間ほどでバケツ三杯分も採れた。帰宅して大きな釜でゆで、木綿針でサザエの子分みたいな中身を引っ張り出しては口に運んだ。”(3月16日付け中日新聞)

 三重県亀山市の勝田さん(女・85)の投稿文です。タニシをボクのところでは「ツボ」と言った。調べてみると、ツボというところは他にもあるようだ。勝田さんのこの文によると、ツボを取った時期は稲の取り入れ後から春まで続いたようである。ボクも小学生の頃、稲刈り後の田でツボ、つまりタニシを取って歩いた。両親が稲を刈っていく。その後をボクがツボを取っていく。小学生低学年までの覚えである。食べたと思うが、どのようにして食べたのかは、覚えていない。当時は全く自給自足である。ザリガニやイナゴも取ってきて食べた。その後、農薬が撒かれるようになり小生物がいなくなった。そして、そんな生活ともお別れとなった。
 勝田さんの投稿から、ツボのことを思い出させてくれた。すっかり忘れていたことである。戦後の生活の変化は大きい。