寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2951話) 反射材

2020年04月29日 | 意見

 “歩行中の高齢者が被害に遭う交通事故が目立つ。歩行者優先とはいうものの、動作が緩慢で横断歩道を渡るのにも時間を要するからかもしれない。自転車には反射材が取り付けてあるため夜間でもドライバーから存在を認識してもらいやすい。しかし高齢者は黒っぼい服装で出歩くことがよくあり、反射材を身に着けていない限り、夜や天気の悪い日、早朝や夕暮れ時、自分自身がそこにいることをドライバーになかなか知らせられない。
 私は交通安全協会の一員として高齢者らに着用してもらう反射材を配る活動をしている。「歩行者は日没、暗い日には少なくとも一ヵ所は反射物を身に暮けなければならない」といった条例があったらいいのにと思う今日この頃です。”(4月8日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の主婦・北川さん(66)の投稿文です。歩行者も反射物を付ける、これも重要なことである。北川さんも書かれているように、高齢者は黒っぽい服装が多い。これでは夜は見えない。妻は夜仲間と歩いている。必ず反射材のタスキを掛け、懐中電灯を持って出かける。ボクは外へ出るときは、ほとんど斜めかけのバックを持って出かける。そのバックには反射材が取り付けある。一応ボクの家庭では心がけているつもりである。
 今の日本社会は歩行者優先と言うことになっている。優先となっていてもそれに甘えてはいけない。人も車もお互い気をつけて行きたいものである。と言うが、歩行者優先なっていないのが現状である。交通事故に遭ったら被害者も加害者も人生が一度に狂ってしまう。このことを常に頭に置いて出かけたいものである。


(第2950話) 盗み恥じて

2020年04月27日 | 意見

 “私が暮らす愛知県豊橋市の石巻地区は農業が盛んです。道路脇には野菜や果物の無人販売所があり、妻もたびたび訪ねては野菜を買い求めています。形がふぞろいで市場には出せない物なのかもしれませんが、新鮮な上、栄養価は市販の物と何ら変わりはありません。野菜や果物を並べる農家によると、代金を払わずに商品を持ち帰る不届き者が最近増えているとか。小銭の代わりにゲーム機のコインを置いていく人もいるそうです。
 農家が丹精した農作物を手にするにはそれなりの対価を払うのは当たり前のことです。それを金銭を置かずに物だけを持って行くのはれっきとした犯罪行為です。黙って品を持っていくことを少しは恥ずかしく思ってください。”(4月2日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の中野さん(男・86)の投稿文です。ボクは農家育ちである。そして昔からおかしく思ってきたことがある。野菜の見栄えを重視することである。野菜など飾り物ではない。小さく刻んで食べることが多い。味が良ければいいのである。見栄えなど全く関係ない。それを見栄えを重視して、形や色で値段を付ける。全く農家泣かせの変なしきたりである、とボクはずっと思ってきた。
 野菜の無人販売は、市場価値の少ないものを並べることが多い。自分の作ったものを捨てるのには忍びない。皆さんに喜んでもらいたい。これは農家の好意とボクは思っている。ではただではいけないか。これはボクの考えであるが、これはいけない。ただでは不必要なものまで、また全部でも持って行ってしまう人がいる。これは余った花の球根を道路脇に置いたボクの経験でもある。少しでもお金を頂けば、必要な分だけ求められるであろう。中野さんは新鮮さや栄養価など、何も変わらないことを知ってみえる。そして、買い求められる。誰もいないことをいいことに、わずかな対価を払わない人がいることを嘆いておられる。対価を払わない人が多くなれば、その出店者は次第に止めて行かれるであろう。出せば手間はかかるのである。店がなくなれば、利用者の損失でもある。その時は何か得した気分になった不届きな人にもその損はかかって來るのである。人間とは何と浅はかなものであろうか。


(第2949話) 三つの「こうどう」

2020年04月25日 | 行動

 “米寿を迎えて、老活に挑戦中だ。私が考える老活とは、他人の世話にはならず、自立と自律ができる日を一日でも長くキープするように努力していくというものだ。そこで実践していることは三つの「こうどう」だ。
 一つ目は「行動」。愛知県春日井市の子ども応援団の一員として八年前から仲間と交差点に立って登校中の子どもを見守る活動をしている。
 二つ目は「口動」。近くのカラオケ喫茶に出向き腹の底から声を出して四、五曲歌う。趣味の月例会の席上でも、何か一つは発言するようにしている。
 三つ目は「考動」。一九五一(昭和二十六)年一月から書き始めた日記は今もつづっている。傘寿を過ぎた頃から自分史にも挑戦していて、昨年末までに三冊の本にまとめた。これからはエッセー執筆にも独力したいと考えている。本紙サンデー版にあるクロスワードや数独で脳活にも励み、常に頭を使おうと思っている。”(4月7日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の今井さん(男・87)の投稿文です。3つの「こうどう」とは「行動」「口動」「考動」である。体を、口を、頭を動かす、これを老活の指標としていると言われる今井さん。賢明な方だと思う。87歳と聞けば更に素晴らしい。最近ボクは高齢者の健康の話を聞く機会が多く、いろいろな話を聞いてきた。そしてそれは、今井さんの言われる3つの「こうどう」にたどり着く気がする。そしてその3つの「こうどう」で何をするかである。ボクの場合で述べてみよう。
 まず「行動」である。ほぼ毎朝、近くの堤防を散歩している。これで約2500歩である。これをした日は5000歩にはなるだろう。そして何と言っても一宮友歩会の運営である。これで歩く日は年に20日くらいであるが、この日は15000~25000歩になる。これができている限り、大丈夫と思っている。
 次の「口動」であるが、今年から月1回であるがカラオケの会に参加を始めた。また月1回のサロンや同級生の集まりがある。またいろいろな地域活動で説明することも多い。口を使う機会はまだ当分ありそうだ。
 3つ目の「考動」である。ボクも日記を付けている。また毎日、新聞のある欄の書き写しもしている。そして何と言ってもこの「話・話」 である。この「話・話」のコメントを考える効果は大きい。
 と言うことで、今のボクはよくやっていると自賛している。ところが、これはいつまで続けられるか、これが続けられる間はいいが、問題はその先である。87歳はまだ遠い。今井さんをめざしたい。


(第2948話) ソテツの実

2020年04月23日 | 出来事

 “わが家の庭には、樹齢五十年になる一本のソテツがある。このソテツが今年初めて、朱色の実を五、六十個びっしりと付けた。昭和四十五年、新婚旅行で奄美大島に渡った。空港では 「赤い蘇鉄の実も熟れる頃」と、田端義夫の「島育ち」が拡声器から流れていた。その奄美大島の林の中に落ちていた五、六個のソテツの実を拾い、自宅に持ち帰って植えた。それが育って現在の状態になったのである。南国育ちのソテツは、わが家の庭では到底育たないだろうと思われた。しかし、何の防寒養生もしなかったのに、雪や寒さに耐え抜き、すくすくと成長。今では人の背丈を優に超えるほどの立派な木になった。あれから五十年、楽しかった新婚旅行当時を思い起こせる唯一の有形のものであり、大切な記念樹となった。
 今年四月、金婚式を迎える。この機会をとらえてなのか、それとも偶然なのか、初の朱色の栗のような実を結び、精いっぱい祝ってくれた。それが、わが子のようにいとおしく、またうれしくってたまらない。五月には、この実を当時と同じように植え、見事なソテツになるのを夢見て、大事に心を込めて育ててみたいと思う。”(4月6日付け中日新聞)

 名古屋市の加藤さん(男・80)の投稿文です。新婚旅行で行った奄美大島で、蘇鉄の種を拾ってきて庭に植えた。それが育って、50年目の今年初めて実を付けたというのである。何かこの蘇鉄が自分たちを見守ってくれていて、そして金婚式のお祝いをしてくれた、加藤さんの感想であろう。良い記念植樹をされたものである。
 ボクら夫婦も昭和45年に結婚し、今年金婚式である。残念ながらボクら夫婦にはこうして語れるものはないようだ。でも、ちょっとしたきっかけで、結婚のいきさつから30代後半までを思い出しながら随想を書き始めた。残されている資料も久しぶりに取り出した。50年、いろいろ思い出すと感慨にふけるものがある。ボクらの時代、結婚するのが普通であったし、寿命も延びたので金婚式を迎えられる人も多かろう。ただこれからとなるとどうなるのだろう。結婚しない人も多く、また結婚しても離婚する人も多い。50年添い遂げる、やはり素晴らしいことと思う。随想は「青春放浪記」としてボクのホームページに載せた。フィクションとしているが、固有名詞を除けばほぼ事実である。


(第2947話) 孫のボール 

2020年04月21日 | 出来事

 “突然の休校に伴って1~8日、三重県で暮らす小学校一年生の孫がわが家にやって来た。家の中にいても退屈だろうと思い近くの広場に出掛けた。私を相手に孫が蹴ったボールは池に落ちてしまった。「僕のボールが・・・」と叫ぶものの、孫はなすすべもなくぼうぜんと池を眺めていた。そこへ巡回中の消防署員が通り掛かった。私が署員に状況を話すと「取れなかったらごめんな」と孫に向かって言い、ひもで結わえた「く」の字形の棒を池に投げ、ポールを引き寄せようとした。祈る思いで見守っていたらボールは岸辺に近づいてきて、拾い上げることができた。
 再び孫が広場でボールを蹴り始めると年配の女性が「あれ、ボール、取れたの?良かったね。使っていないのがあったので家から今持ってきたところなの」と小脇にボールを抱えていた。新型コロナウイルスの影響で何かとせちがらくなった気がする昨今だが、人の優しさに触れ、心が温まった一日だった。”(3月31日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の鈴木さん(女・71)の投稿文です。池に落としたボールを拾ってくれる近くにいた人、そして、落としたことを見て、拾い上げるのは無理と思って家のボールを持ってきた人、こうした小さな親切、心遣いは本当に心温まるものがある。当事者でなくても、こんな風景を見ると良い1日だったと思ってしまう。ごみを拾っている人を見た、知らない人から挨拶をされた、こんなことでも言い日と感じる。世知辛い毎日に、何かホッとするものがある。
 この「話・話」 の4月7日第2940話で、1日の評点を付ける話を紹介した。そして、ボクは4月から日記帳に付け始めた。3を基準にしているので、多くの日は3である。こんな風景を見た日は多分、0.5を加算するだろう。こんな日が多くなることを期待したい。


(第2946話) わが家の秘密 

2020年04月19日 | 出来事

 “一九四五(昭和二十)年三月十二日の名古屋空襲時、国民学校六年生たった私は愛知県の渥美半島に疎開し、名古屋市昭和区の自宅に父と姉が残った。一夜の空襲で自宅近くの住居や商店のほとんどが焼き尽くされ、高等女学校の四年生だった姉は行方知れずとなった。姉はあと数日で卒業だった。父は焦土を一生懸命捜したそうだが、姉を発見できないまま、戦争は終わった。
 その十三年後、わが家の墓石が整えられた。姉の遺骨はなかったので自宅で焼け残った女学校の制服に付いていた校章と、幼子と思われる誰かの遺骨を納めた。この遺骨は自宅近くで父が見つけたという幼子の亡きがらを供養して自宅にあったものだ。父はこの子について一切口外するなと私に何度も言った。戦後七十五年-。私はあの戦争で生かされたからこそ、伝えなければいけないことだと思い、今回わが家での秘話を明かした。”(3月30日付け中日新聞)

 名古屋市の磯田さん(男・87)の投稿文です。ボクは終戦の年生まれで、戦後の貧しい生活は知っていても、本当の戦争の悲惨さは知らない。父親は戦争で指に傷を受け、指が曲がらないという後遺症は残ったが、それで命拾いしたことも考えられる。でもその後の生活や知識で、戦争の悲惨は感じている。
 家族を亡くした心情は、重いものがあるだろう。特に子供なくした親は耐えられないものがある。飯田さんの思いや行為は秘密となった。その秘密を戦後75年の機会にこのように明かされた。戦争の悲惨さ、親の子に対する思い、これは誰も責めることはできないだろう。
 今誰も日本が2度と戦争をすることはないと思っているだろう。でもそうではないのが人間社会である。日本は戦力を持たないとうたいながらも世界6位の軍事大国である。海外派遣もできるようになった。少しずつ少しずつ、戦争放棄が緩んできている。自衛権などと理屈など何とでもできる。出れば出るほど戦争に巻き込められる可能性は大きくなる。コロナウイルスで緊急事態宣言もできるようになった。これを戦争に結び付けることなど為政者にはたやすいことである。戦争ができる国などに絶対してはならない、とボクは思っている。


(第2945話) 必要ですか

2020年04月17日 | 意見

 “十日付本欄「フェーズ分かります?」には同感です。今の世の中、訳が分からないような横文字であふれている気がします。特に政治家、報道に携わる方は自省してもらいたいです。伝えたいことを相手に理解してもらわないと全く意味をなさないでしょうから。
 私も分からない言葉に遭遇するたび手持ちのタブレツトで調べています。しかしその言葉の意味が分かると、わざわざ片仮名語を使わなくてもいいのにと思うことが少なくありません。そんな横文字の言葉を使う人は格好いいと感じてのるのかもしれませんが、聞く人の一体何割が理解できているのでしょうか。”(3月28日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の夏目さん(女・73)の投稿文です。カタカナ言葉の氾濫について、批判的な投稿は多いが、それは弱まるどころか盛んになる一方である。小学校でも英語教育が必須となり、グローバル化が叫ばれる今日の必然の成り行きであろうか。でも、ボクは夏目さんの意見に賛同したい。新型コロナウイルスが蔓延し、そのニュースが多くなっている、そのニュースには聞き慣れないカタカナ言葉が氾濫である。これこそ緊急に人に知らせねばないことである。テレビなどでは説明文字が出ている時もあるが、誰にもすぐに分からなくては用をなさない。専門家は一般人にも分かりやすく説明するのが良い専門家である。すぐ覚えられる若い人だけを対象にする言葉ならば、ボクがどうこう言うことでもないが、高齢者も分からなければならないことである。
 高齢者を相手にしたものでもカタカナ言葉は多い。フレイル、サルコベニア、ロコモ、シンドロームなど何度聞いても覚えられない。聞いてもイメージがわかないのである。会社名でも、漢字で書いたものはすぐに覚えられるが、アルファベットやカタカナのものはさっぱり覚えられない。これもイメージがわかないからであろう。しゃれたつもりであろうが、本当に利点を感じておられるのだろうか。これは高齢者の愚痴か。


(第2944話) 第二の人生

2020年04月15日 | 出来事

 “通信制高校の教員だった昨年の三月、女子生徒が産んだばかりの赤ちゃんを病院で抱っこさせてもらいました。彼女によれば「先生への退職記念です」。三十八年の教員生活の中で最も感動した出来事でした。
 今も赤子を抱いたあの感触が忘れられません。だからか、私は退職後、何かにとりつかれたかのように義務教育を十分に学べなかった人が学び直す場での指導、家庭教師、ノルディックウオーキングや英会話をそれぞれ指導するボランティアに従事する一方、新たにヨガ・ストレッチ教室に通い始めました。現役時代にできなかったことにのめり込んできました。
 ママとなった彼女は今月通信制高校を卒業し、随分大きくなった赤ちゃんと一緒の卒業式の写真と手紙がわが家に届きました。この親子との再会を心待ちにしています。退職した後のわが第二の人生は始まってまだ一年ですが、教え子に負けないよう、頑張りたいと思っています。”(3月26日付け中日新聞)

 岐阜県飛騨市のアルバイト・野村さん(男・61)の投稿文です。今の小中学校始め、教師は大変だと思う。小学校の教師の娘婿を見ていてよく思う。しかし、教師にはそれを上回る魅力がある。その1つが野村さんのこの投稿文である。生徒に慕われた先生は先生冥利に尽きるだろう。野村さんはそのおかげで、退職後も更にやる意欲を駆り立てられた。現役時代にできなかったことにのめり込んでいると言われる。これは野村さんの能力によることもある。
 しかし、人を相手にする仕事は、やり甲斐が大きいと共に、その苦労も大変である。人間関係で崩れる人も多い。人とはやっかいなものである。理屈があって理屈がない。また理屈などどうでもつけられる。最近のように自我丸出しになってくると更に大変である。でもここは人柄である。人柄が良ければ、波風は少ない。
 また、退職後に「現役時代にできなかったこと」を楽しみに始めたいと思う人は多い。ところがこれがなかなかうまくいかないのである。退職後に新たなことを始めるのはなかなかきついのである。まずは根気である。よほどの決意と目的がないと続かない。よほど前からの準備が賢明である。すべて一朝一夕ではできない。このことを早くに知ることができたか、そこが分かれ目であろうか。


(第2943話) おばあさんの卓球 

2020年04月13日 | 行動

 “毎週金曜日午後一時になると、近所の七十六歳から八十二歳のおばあさん五人が、お茶と小袋を提げてわが家に集まってきます。わが家の工場跡地の土間で、卓球を楽しんでいるからです。何のルーールもなく、誰かの指導もなく、自由に打ち合っているだけ。進歩もありませんが、口だけはよく動き、楽しいひとときです。
 しゃがんだら容易に立ち上がることもままならない人たちばかりで、たも網で球拾い。球もとんでもないところに飛んでいき大変です。二時になると休憩タイム。みんながおのおの持ち寄った今日のおやつのお菓子や漬物、果物いっぱいを分け合い、口も元気で、よく動き、よくしゃべる。家族の話、病気、服装、お墓、葬儀、年金など、実に面白い。しぱらくして「寒いで、やるよ」の合図で、再び汗ばむくらい動き回り、そして疲れます。みんな元気だからできる。感謝です。
 週一回のこの卓球は、今年で五年目。一度も休むことなく続いており、日ごろの心身の疲れを発散する場所です。「打たれたら打ち返す」。気持ちだけは中学生と同じで、青春しております。そしてこれからも、みんな元気で、いつまでも続けられることを願っております。”(3月22日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の成瀬さん(女・78)の投稿文です。近所の七十六歳から八十二歳のおばあさん五人がある家で卓球をする。そしておしゃべり、この行動力、元気さ、これだから女性にはかなわない。男性でこのような会はあるだろうか。ボクはおばさんやおばあさんに接する機会が多い。いろいろなことをやっていれば、そこに参加するのはほとんどがおばさんやおばあさんである。このパワーは本当に凄いと思う。
 性差を言うと批判を受けるが、一部特別な人は別にして、性差があるのは事実である。まず生理など肉体的に違う。これはすべての人であり、まずは根本である。それで女性が庇護されることが多かろう。女性が問題にするのは社会的扱いの差であろう。ボクもこれはあると思っている。そして、それを良しとする訳ではない。しかし、それを上回るものが女性にはあると思っている。何と言っても寿命である。平均の7歳の違いは何に増しても凄い。これはもう性差と言ってもよかろう。ボクは日本社会は女尊男卑だと思っている。威張ってやっている男性など、女性の手の平で踊らされているようなものである。いつまでも元気に過ごせることがまず第一である。その他はその次である。


(第2942話) みーんなマスク

2020年04月11日 | 出来事

 “刻々と広がる新型コロナウイルスに、少々恐怖な日々を過ごしている。三月三日、愛知県に住む孫娘が卒業式を迎えた。祝いに出向きたかったが、保護者さえ不参加の式とのこと。学校からのネット配信で送られてくる写真で、式の様子を見て過ごした。
 卒業生だけでも三百余人のマンモス中学校。学校の特別な計らいで、たくさんの写真があった。けれど、みーんなマスクの式。誰が誰だか分からない。幸いに、クラスでの集合写真のみ、マスクを外しての笑顔いっぱいの写真があった。一斉にマスクを外した瞬間だったのだろう。みんなの笑顔を見せてくださって、ありがとうございます。先生方や学校に感謝でいっぱいになりました。日本中どこも、小中学校などが休校に。どこも同じような卒業式だったことだろう。とにかくも、生涯心に残る卒業式だ。
 人類の歴史は、人間とウイルス、病気との闘いの繰り返し。これから育っていく若い力がまた、このウイルスを鎮める薬や方法を開発していってくれることだろう。私はマスク不足の今、花粉症もあってなるべく家の中で過ごしている。春の日差しがあふれた三月三日。こうして1日が過ぎた。”(3月21日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・村瀬さん(72)の投稿文です。コロナウイルス騒動はいつまで続くのだろう。まだ収まるどころか拡大である。そして皆、マスク姿である。よく知った人でも誰か分からない。顔全体で誰か何となく把握しているので、一部でも隠されると印象が違ってしまって分からない。よくあることである。ボクはウォーキングの時以外でも、ヘアーバンドを付けていることが多い。それを外すと、サッと誰か分からなくなるので、付けていて欲しいとよく言われる。そんなものである。そして卒業写真である。多くの人が写っている写真となると、また分からない。それを1枚だけ、みんなマスクを取って写真を撮った。混乱の中、粋な計らいである。ここらが知恵のだしどころである。4月2日の「話・話」 では卒業式の話を紹介した。こうした話を聞くとホッとする。いろいろウイルスに対する配慮をしながらも、どこかで息抜きをしなければ耐えられない。こんな知恵を使いたいものである。