寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3117話) 人生百年

2021年03月30日 | 意見

 “人生百年時代―。この先の生き方を考える指針として感謝、興味、グローバル、継続、好奇心の最初の文字を並べた「かきくけこ」を大事にしようと思っています。好奇心を失わず何事もポジティブにとらえ、チャレンジしていくつもりです。
 以前よく出掛けた学習セミナーは、感染が拡大する新型コロナウイルスの影響でオンラインでの開催となりました。初めは講師の先生の表情や会場の雰囲気が伝わってこなくて、何か物足りないと感じましたが、最近はそれなりにオンラインの良さにも気づくようになりました。自宅でコーヒーを飲みながら、のんびり視聴できるのもありかたいことの一つです。”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・城部さん(男・70)の投稿文です。人生100年時代に向けて「かきくけこ」、感謝、興味、グローバル、継続、好奇心と言われる。本当に必要なものと思う。これは城部さんの創作であろうか。なかなかのものである。
 こうした五十音になぞらえたものは覚えやすい。一度覚えたら、いつも呪文のように唱える。いつも心がけることになる。こうした知恵はこの「話・話」 で数回紹介したことがある。2005年2月27日付け第210話で「たちつてと」、2014年4月2日付け第1925話で「まみむめも」、2019年8月14日付け第2826話で「かきくえこ」等である。もう一度読んで頂けると参考になるかも知れない。


(第3116話) ソックス

2021年03月28日 | 行動

 “高校生の息子はサッカー部に所属しています。ソックスにしょっちゅう穴を開け、その都度、私が針と糸で縫い繕っています。二月上旬、さすがに今度ばかりは修繕不可能かなと思うほど大きな穴ができていました。何とかふさぐことができましたが、まるで足袋みたいになってしまいました。きっとはきづらく、恥ずかしいだろうと思いましたが、息子は何も言わずにはき続けています。繕った箇所は他にもたくさんあります。本当はもう捨てたいのかもしれませんが、私が繕うゆえ、息子も使わざるを得ないのかもしれません。そう、息子とのいたちごっこです。
 その昔はすぐ物をなくしていた息子ですが、ソックスー足でも大事に使えるようになり、わが子の成長を感じる今日この頃です。”(3月6日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市のパート・岡部さん(女・46)の投稿文です。「繕う」、今の若い人が繕いを生活に取り入れている人はどの程度あるのであろうか。岡部さん宅は繕って繕って、ソックスが足袋になるまで使っていると言われる。繕う人も、使う人もものを大切にする心があるのである。今は何でも使い捨ての時代である。ボクの娘らはどうしているのだろうか。先日気になって聞いてみた。一人は繕っているようだが、もう一人はボタンのつけ直しもわが家に持ってくるようだ。躾を間違えた。
 もちろんわが家は繕って繕ってである。靴下などは、岡部さん宅までは行かないかも知れないが、ボクは破れればすぐ妻に渡す。ボクが諦めるまで妻は繕っている。豊かとものを使い捨てにすることとは別だ。ものは資源だ。お金で資源は作れない。資源には限りがある。大切にしなければならない。


(第3115話) 友の顔知らず

2021年03月26日 | 出来事

 “一月下旬のことだ。中学校一年生の娘が「○○ちゃんの顔を見て、こんな顔だったんだとびっくりしちゃった」と言っていた。給食でマスクなしの顔を初めて見たそうだ。思えば、娘は入学式に出たもののすぐ学校はニカ月間休みとなった。クラスメートの三分の二は違う小学校の卒業生だといい、感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で彼ら彼女らのマスクを外した顔をまだ知らなかったのだ。
 コロナ禍でこの一年、中学校ではキャンプも生徒会行事も文化祭もいずれもなくなり、体育祭は縮小され部活動も思うようにできていない。給食は前を向いておしゃべりせずに食べるだけで、友達の方を向いたら知らない顔がそこにあるー。なんと悲しい時代なんだろう。”(3月4日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・奈良さん(51)の投稿文です。このコロナ禍は、人間の絆をいかに阻害していることか、このマスクの話でもそれがよく分かる。このコロナ騒動以後知り合った人には、このように本当の顔を知らないままに接していることもあろう。ボクにも幾度目かに初めて素顔を見て、こんな顔の人だったのかと驚いたことがある。本当に近しい人でも、マスクをして、帽子などもかぶっておられたら全く気がつかない。このコロナ禍は、誰への影響も多くて一口には語れないが、新入生、新入社員には大きい方だと思う。全く新しい生活が機能しないのである。
 「3密」回避も、良好な人間関係構築に全く反する。この生活が長くなり、それに慣れてしまうと、元の生活に戻ることも難しくなろう。そしてこのコロナ禍の騒動を、思い出話として語れる日が早く来ることを祈りたい。


(第3114話) 新たな学び

2021年03月24日 | 行動

 “六十の手習いとして短歌を始めた。品があって知的なイメージを覚えたからだが、三十一文字を「みそひともじ」と読ませることからして粋だ。しかし私に知識はなく、そもそも短歌を詠んだのは高校の授業以来。それでも、ひたすら文字のパズル合わせにいそしんでいる。
 必要に迫られパソコンも始めた。町内会の書類作りは今までの知識で何とかなるものの、基礎がない。これまで適当にごまかしていたことの何と多いことか。今はオンライン講座を受け息子みたいな若い先生から指導を受けている。実の息子なら舌打ちされるだろうが、親切丁寧に教えてくれるので、この年になっても楽しく学ぶことができている。短歌、パソコンともに細く長く続けられたらどんなに幸せだろう!”(3月5日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・魚住さん(61)の投稿文です。60の手習い、本当はもっと早いほうが良いと思うが、マア、良いでしょう。人生100年時代である。まだ先は長い。
 短歌を始められたきっかけは何だったでしょう。何かの縁があったはずです。縁はチャンス、そのチャンスをつかまれた。短歌は創造である。すらすらできるときもあるし、いくら考えてもできないときもある。こんなことで悩んでどういう意味があるだろう、と思われるときもあろう。でも、難しく考えないで続けてほしい。続けることに意味がある、と考えて欲しい。ボクはこうして川柳をやって40年になる。川柳連れ連れ草は月1回で230号になった。20年目に入いっている。続けていればこそである。60歳から始めても20年、30年とやれるであろう。
 魚住さんはパソコンも改めて勉強を始められたと言われる。立派なものである。ボクのパソコンは我流である。仕事で使った訳でもなく、特に教えてもらった訳でもなく、困ったときに人に聞きながらやってきた。今神社総代で庶務を担当し、書類作りはボクの仕事である。前任者の作った書類に驚いている。こんなことまでできるのか、ボクの知識ではとてもそれを使いこなせない。本当はボクもきちんと習った方が良いのだろうが、その気にはならない。魚住さんに負けている。


(第3113話) ひな人形

2021年03月22日 | 行動

 “今年もひな人形を飾った。いつもの年より七段がなかなか組み立てられなかった。つくづく年齢を感じた。思い起こせば、娘が生まれてから四十五年間ずっと飾ってきた。最初の娘を死産で失ったが、どうしても娘が欲しかった。待望の女の子が元気に生まれてきてくれ、貧乏生活のわが家には不似合いな七段飾りのひな人形を買った。
 引っ越しのたびに持ち運び、お殿様とおひなさまだけを飾った年もあった。娘が大病で入院中は、病室に飾り、無事を願ったこともあった。娘が嫁いでからも、一人で毎年飾り、癒やされてきた。娘のためというよりも、半分は自分のためだったように思う。私同様、少しシミが出たりほつれたりしてきた。まだまだ処分するには惜しい気がするが「元気なうちにお別れしよう」と声を掛け、ぽんぼりに灯をともしている。訪ねてきた小三の男の孫に処分の話をすると悲しそうな顔をした。「ひな祭りの曲のオルゴールだけでも欲しい」と持ち帰った。
 三月三日の節句が過ぎたら人形供養に頼もうと思う。仏壇の中の抱いてあげることもできなかった娘の位牌にも見えるよう部屋いっぱいに並べたひな人形。心を込めて「今まで見守ってくれてありがとう」と伝え、送りたい。”(3月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・梶川さん(71)の投稿文です。七段のひな人形、引っ越しにもいつも持って行った。そして毎年飾り付けた。そして今も親元にある。梶川さんはこう言われるが、こういう家庭は多いと思う。ひな人形を娘が持って行った、という話を聞いたことがない。どこも親元にあり、もう処分を考えているという話ばかりである。先日の「話・話」 の季節行事で恵方巻きやバレンタインデーの話は出るが、ひな祭りの話は出ない。
 実はわが家も同じである。ボクは昭和50年頃、勤め先の近くにあったひな人形の製造元で、一対のお内裏様を購入した。まだ親王飾りなど広まっていない時代で、特にこの部分だけを分けてもらった。それ以来、もう50年近く、2月になると飾っている。次女は娘2人の子持ちである。持って行けと言っても持って行かない。そして今もわが家にあるのである。これが世間一般のようである。場所のこともあろうが、出し入れが面倒、関心がないというところであろう。さてわが家はこの先どうなろうか。処分せずに残したら、娘は持って行くだろうか。


(第3112話) 仕事の中で

2021年03月20日 | 行動

 “つぼみが膨らみ、メーターの上のクモの巣が大きく広がり、台所の窓からいいにおいがしてきます。同じ景色なのに、春夏秋冬いつもどこか変化しています。私の仕事はガスメーター検針と集金。一ヵ月に一度、電動アシスト自転車で町中を走ってます。
 メーターの目盛りから気をもみ、出てきた元気な姿にほっとします。草むらのドブにはまり骨折したり、犬にかみつかれたり、ハチの巣にビクビクしたりと嫌なことも多いけど、楽しく仕事ができるのは「一日中ひとりぼっちだよ。誰とも話してないんだよ」と待っていてくれる人がいるからです。
 高齢化社会の中で一人暮らしの人が増えています。コロナ禍で外出を控え、会話することも少なくなり、心も沈みがちです。家族のある人、いない人では思うことも違うでしょうが、人恋しく、ひと声を待っている人がいます。こんな毎日だからこそ、声をかけ合って、親交を深め、ふれあって、支え合い、絆をつくり、笑顔で生活していくことが一番大切なことではないかなと思います。「笑う門には福来る」と言います。みんなの笑顔でコロナ退治をして乗り越えたいですね。仕事の中で、人と接して教えられました。”(2月27日付け中日新聞)

 愛知県蒲郡市のパート・小久保さん(女・73)の投稿文です。検針の人にはこんな役割もあるのか、と改めて知った。一人暮らしの人が多くなった。ガス、水道、電気などの検針の人が訪れる。その時一言声をかける。待っている人がいる、それを知っただけで声をかける。これも気配り、心がけだけであろう。時間が取られて大変かも知れないが、して欲しいことである。会社もこうした姿勢を取ることを推奨してもらうと、検針の人もやりやすくなろう。これぞ社会貢献である。
 ボクの家で定期的に訪れる人は、水道は2月に1度、ガスは毎月、電気はスマートメーターになって来なくなった。検針票はポストに入れてある。他に新聞の集金、これはお金をもらうことであるので、必ず声かけがある。又毎月の銀行預金の集金がある。頼まれてやっているのだが、考えてみれば声をかけてもらえるという効用がある。一人暮らしの人には、お勧めかも知れない。


(第3111話) 季節行事

2021年03月18日 | 行動

 “節分に恵方巻き、バレンタインデーにはチョコレートをいただきました。これらを食する習慣はともに業者側の消費拡大が世に広まったのが起源のようです。普及したことについて日本人が「周りに流されやすい」「立場の強い人に言われると反論できない」との同調圧力に弱い側面を指摘する評論家もいます。
 私は毎年恵方巻きは黙ってその年の方角を向いて食べています。妻と娘から高級チョコレート一粒でももらおうものなら、三月のホワイトデーにはそれ以上のお返しをしていて、それが家庭円満の秘訣だと考えています。季節感も味わえる、これら二月のイベントは私には悪いものでないような気がしています。”(2月25日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の会社員・布村さん(男・63)の投稿文です。こういう考え方もあるのか、と頷く。ボクはどちらかというと批判的であるのだ。そして恵方巻きもバレンタインデーもあまり意識したことがない。妻は買い物ついでに、恵方巻きを買ってきたりはする。バレンタインデーも、昔は義理チョコをもらうこともあったが今はもうない。妻からもいつの間にかなくなった。最近はハロウィーンが盛んになっている。しかし、新しいものがはやるのに、日本の伝統行事は廃れる一方である。何事も流行、時の流れはあると思うが、なぜ日本の伝統はなくなるだろうか。ボクの子供の頃あった行事の多くはなくなった。今年度から神社総代を引き受けていろいろな行事をやってきたが、役員以外の参列者はほとんどない。コロナの原因ばかりではない。
 布村さんは商業ベースに乗せられようと、流行の行事に参加するのも家庭円満の秘訣だと言われる。ボクは良いことなら何でもいい、と言う方だが、なぜこれらにはあまり関心がないのだろうか。日々の変化が少なくなった今こそ、今まで以上に取り入れれば良いと思うので、再考したい。


(第3110話) 出会い

2021年03月16日 | 出来事

 “人生で最も心に残っているのは「君に出会えて良かった」と言われたことだ。この言葉を発した人を、私は絶体絶命のピンチから救ったわけでもなければ、何か利益になることをした覚えもない。ただの知人で、会ったとき共通の趣味を語り合う関係。それなのに、その人はあまりにも自然に先のフレーズを口にした。それを聞き「私も出会えて良かった」と感じられた。以降、私は誰かが熱中する物事を聞くのが好きになった。老若男女、好きなことを語る瞬間、生き生きとするものだ。その語り口から生き方や信念、情熱を感じられ、この人に出会えて良かったと思える。そんな出会いを私はこの先も大切にしていきたい。”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋市の高校生・丹羽さん(女・18)の投稿文です。人を喜ばす言葉にはいろいろあるが「君に出会えて良かった」は、最高の言葉ではなかろうか。もちろん、この友人は丹羽さんを喜こばせようとして言った訳ではなかろうが、言われた方は感激である。そしてその喜びから新たな発見を得られた。人の話を熱心に聞くことである。人の話を熱心に聞くことは、話すことより難しい。聞いてもらえた人は「君に出会えて良かった」と思われるだろう。また丹羽さんも「この人に出会えて良かった」と、思えると言われる。若い人の感性は素晴らしい。この感性をいつまでもなくすことなく、人生を歩んで欲しいと思う。「今の若者は」と思うこともあるが、総合的に今の若い人は素晴らしい。豊かな分、体験することも知ることも、ボクらの時代とは格段に違う。


(第3109話) 手紙

2021年03月14日 | 出来事

 “三歳年上の姉からセピア色の手紙とはがきの束を渡された。一九六五(昭和四十)年ぐらいから私が姉に出した五十通ほど。感染が拡大する新型コロナウイルスの影響で姉は外出を自粛する中、終活としての身辺整理をしてそこで見つけたという。
 切手も七円、十円、十五円、二十円などと懐かしく、文章を読むと思い出がよみがえってくる。田舎に嫁いだ私は当時の生活とともに、わが子や姉の子の成長をああだった、こうだったとつづっていた。苦しくてつらかったこと、とても楽しくうれしかったことなども書かれていた。今五十歳を超えたわが子に見せ、若い頃の私の日々を伝えたいと思う。「お姉ちゃん、ありがとう」―。”(2月23日付け中日新聞)

 三重県津市の奥村さん(女・76)の投稿文です。昭和40年ぐらいと言われるから、もう50年以上昔の頃である。その頃からお姉さんに出した50通ほどの手紙が渡されたという。もう懐かしさである。10年一昔と言う言葉があるが、50年である。この間の変わり様は凄まじいものであった。記憶は薄れるものである。何か残されているものがあると、それをきっかけにいろいろな思い出がつながっていく。手紙は特に良いだろう。事実と共に気持ちも書かれている。
 人生は思い出作り、と言う人がいる。人間は思い出で生きる、と言う人もいる。もちろん過去は振り返らず、前を見て積極的に生きるのも一つのあり方である。でも、今は一瞬にして過去となる。過去を持たなかったら、すべて忘れたら虚しいのではなかろうか。
 ボクはいろいろなものを残している方だと思う。「路」と題した綴りが百何十冊とある。思い出の品物の綴りである。人から見ればただの紙くずである。でもボクには宝物である。「私の宝物」と題した次の随想を読んでいただけるとありがたい。
  http://terasan.dousetsu.com/zu021.htm
 断捨離、断捨離と言われる。そのメリットもよく述べられている。全く否定するつもりはないが、でも無理にする必要はないと思っている。ボクも本など一部捨てたが、多くはそのままである。幸い、ボクの家には場所がある。


(第3108話) 当たり前

2021年03月12日 | 知識

 “「ありがとうの反対は当たり前だ」とは私の尊敬する先生から教わった言葉だ。当たり前と思ってしまうと、そこから感謝の念はどこかに消えてしまうものだ。そのことを見事に言い表していた。
 ちょうど一年前、感染が拡大し始めた新型コロナウイルスの影響で急きょ学校は休みとなり、いつもできていたことの多くができなくなった。そこで初めて当たり前のありがたさを知った。ありとあらゆることを日頃当たり前だと思ってきた自分か情けなくなってきた。私がこれまでに成長できたのは、たくさんの人に支えられたからだ。街角で目にするごみ拾いをする方のおかげで地域のきれいさが保たれていることに、感謝できているのだろうか?そう自らに問い掛けた。コロナ禍の収束は見通せない。ゆえに何事にも感謝しながら生きていこうと私は思っている。”(2月22日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の高校生・大西さん(女・18)の投稿文です。ありがとうの反対語?それが当たり前?これは先生の教訓的考え方で、正式には違うだろうと思った。ありがとうは感謝の言葉である。それなら反対語は、相手を非難する言葉ではなかろうか。しかし、ありがとうは「有り難う」と書く。有るのが難しいのである。有るのが難しい、の反対はよくあることとなる。当たり前となる。納得である。調べてみてもそのようになっていた。
 このコロナ下で、多くの人は今までの当たり前を封じ込められた。そして、当たり前に生活できるありがたさを知った。このコロナ下で、今まで気がつかなかったいろいろなことを知った。感謝の念をいだくことが、少しは多くなろう。何事も生かさねばいけない。