寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2997話) テレワーク

2020年07月30日 | 意見

 “感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で、新たに社会に根付いたテレワークという働き方をウイルス収束後も継続しようとする企業が増えているそうだ。その昔自宅で仕事なんてイメージすることさえできなかったが、ITの発展でインターネット社会となったことがテレワークを可能にした。
 私はいわゆる過疎といわれる山間部で暮らしている。ここでの生活に満足しているものの、働き盛りの世代が過疎地で働ける場所は限られていて人口が減るのも致し方ないとずっと思ってきた。しかしこのウイルス禍をきっかけとしたテレワーク拡大に、過疎の問題解決への一筋の希望を私は覚えるようになった。
 自宅にいながら仕事ができるのなら、自然いっぱいの暮らしが注目されていいはずだ。青々とした田んぼの景色、鳥の声で目覚める朝・・・。こんな生活を志向しつつも夢想で終わってきた若者を、今度は山間部に呼び込めるかもしれない。私はそんな気がしている。”(7月9日付け中日新聞)

 愛知県新城市の菅沼さん(女・78)の投稿文です。コロナ禍で大きく変わったことの1つがテレワークであろう。菅沼さんが言われるように、一般にはつい先日まで考えもしなかったことではなかろうか。テレワークのできる仕事とできない仕事があろう。僕の娘婿は、4月から2ヶ月半で2日事務所に出かけただけという。そして今も週1日だそうだ。それで何も問題なく業務をこなしているという。通勤のない働き方というのは、大きな変化をもたらすであろう。時間の使い方に自由さが広がる。菅沼さんの言われるように住む場所にこだわらなくてもよくなろう。自粛が解けても、テレワークができる業務はそのメリットを享受できる体制を敷いて欲しいものである。ただボクが心配するのは、接触がなくて人間関係は本当に正常に働いていくのだろうか、そして効率が上がった分、より過密にならないかである。通勤時間というのは、ある意味自由時間であった。その時間まで、仕事で煩わされることになると、何のテレワークかということになる。例えば携帯電話がそうであった。車の運転中も煩わされることになった。ただでさえ会社人間を作ってきた日本社会である。よく考えて人間社会を構築して欲しいものである。


(第2996話) マスクでおしゃれ

2020年07月28日 | 行動

 “感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で不安と恐怖を覚えた五月ぐらいまで、テレビは一日中つけたまま絵を描いたり、文をつづったり、マスク作りに精を出したりしてきた。こうして作ったマスクは友人、知人にプレゼントしたが、マスク用のゴムひもがどの店にもなくて困った。仕方なく、使い捨てのマスクのゴムを洗って再利用した他、包帯や眼帯のひもも代用した。
 自分用のマスクも作り買い物に行く際の着る服に合わせてマスクをコーディネートして楽しんだ。この年齢になってマスクでおしゃれなんて思いもしなかったが、孫に「ばあちゃん、なかなかいいじゃん。マスク美人だよ」と言われて・・・。良い意味で「コロナのおかげ」と思えたことかもしれないな。そう苦笑した。
 ようやく外出する機会も増えたが、どこもマスク姿の人ばかり。一日も早くマスクなしの生活ができることを切に祈っている。”(7月7日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の五藤さん(女・77)の投稿文です。コロナ騒動も長引き、必需品のマスクは、今やファッション化してきた感がある。手作りが大はやりになったことが、ファッション化に拍車をかけてきた気がする。手作りが盛んになったのは、市販のマスクの不足にあったろう。マスクは白いガーゼという観念であったが、一挙に多様化した。何がきっかけになるか、面白いものである。ボクも妻の作ってくれたマスクを場所を選んで付けている。特に、美人画の日本手ぬぐいを利用したものは気に入っている。着る服に合わせてマスクをコーディネートして楽しんでいると言われる五藤さんの発想は素晴らしい。転んでもただでは起きない、そんな感じである。
 最近は男性も、特に若い人はであるが、ファッションを楽しむようになった。と言っても女性に比べればまだまだである。楽しむといっても男性はまだ黒目のものが多いし、形の変化も少ない。ボクは数ヶ月に一度、案山子の衣替えをしているが、最近は女性の姿ばかりになっている。男は変えても変わり映えがしないからである。その点女性は、変わり映えがして楽しい。


(第2995話) 余った野菜 

2020年07月26日 | 知識

 “六月十三日付本欄「食材無駄なく使いたい」には全く同感です。私は野菜が余ったら干し野菜にしてきました。わが家では米や缶詰などだいたい三ヵ月ほど生活できる分を常に備蓄していますが、生野菜はそういうわけにはいかず、保存食とすべく干し野菜をこしらえるようにしてきました。感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で外出の自粛が叫ばれた際、これらの備蓄で本当に助かりました。
 私は畑で収穫した芋やカボチャ、シイタケなども薄く切って庭で干しています。特にカボチャは驚くほどおいしくなります。みそ汁や小豆汁、天ぷらにするとさらに甘みを増します。切り干し大根は日光を浴びることでより栄養が豊富になると聞きました。”(7月6日付け中日新聞)

 長野県泰阜村の主婦・前田さん(73)の投稿文です。食材をどのように準備しておくのか、緊急時のこともある。ある程度の保存も必要であろう。ほとんどを購入する家庭はあまり知恵も必要でないかも知れないが、野菜を作っておられる家庭は知恵の出しどころがある。折角できた野菜である、捨てるに忍びない。ボクは農家で育ち、今も家庭菜園というには広すぎる畑を維持しているので、作った野菜の保存にいろいろな知恵が欲しい。芋類は冬場に少し配慮をすれば、そのままでもほぼ1年保存がきく。問題は生鮮野菜である。前田さんは多くを干すと言われる。わが家も大根やなすは干して保存している。カボチャや冬瓜はある程度持つが、多くを腐らしてしまっている。前田さんの文で、カボチャも干せるのか?。驚くほどおいしくなると言われる。今年は是非やってみよう。うまくいったら前田様々である。こうした投稿文はありがたい。


(第2994話) 駅ピアノ

2020年07月24日 | 出来事

 “母のところへ行く際に利用するJR多治見駅でピアノの音色を耳にしました。見渡すと駅構内の片隅にピアノがあり、男性がリズミカルに弾いていました。三年もこの駅を利用してきているのに、ピアノの存在に気を留めたことはこれまで一度もありませんでした。
 ピアノの上にあったプレートには「駅ピアノ」とあり、誰でも弾けるとのことでした。以前ニュースで街角に置かれたピアノが紹介されていましたが、まさか自分が利用する駅にあるとは思いもしませんでした。
 その後、多治見駅を訪れるたびに観察していたら実にいろいろな方が演奏していました。幼い女児が祖父母に囲まれながら弾いている姿はほほえましく、指一本で懸命に弾く男性もいました。楽譜を見ながら力強く弾く若い女性から上手になりたいという思いがストレートに伝わってきました。駅を訪れるたび、どんな演奏と出合えるかが私の楽しみになりました。”(7月2日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市のパート・皆川さん(女・65)の投稿文です。昔に比べ、綺麗な駅が随分多くなった。広くもなった。多治見駅もそんな駅の1つだ。そんな駅に誰もが弾けるピアノを置く。通りがかりにピアノ音が聞こえてくる。皆川さんでなくても豊かな気分になるだろう。上手でも下手でもいい。いや上手ばかりだと困る。上手でないと弾けなくなってしまう。いろいろの人があることが必要だ。
 7月6日の中日新聞には、春日井市の施設内にピアノが置かれた記事が載っていた。ロビーにおいて誰もが弾けるのである。駅ピアノと同じ発想であろう。但し施設内であるので、時間や期限が限定である。ボクが勤めていた頃、ボクが乗り降りする駅のコンコースで演奏会が時折開かれていた。こちらはプロであった。いろいろなところでいろいろなことをする。その場でできることをすればいい。人が集まるところに合理性がすべてではない。潤いも必要である。これは個人も同じである。できるときにできることをする。ボクなどまもなく何もできなくなる。


(第2993話) 防犯ブザー

2020年07月22日 | 行動

 “一年半ぐらい前、地元の消防署で救命講習を受け、命の大切さや救命の奥深さを知り、目の前に倒れている人がいたら微力でも自分に何かできることはないかを考えようと思った。それから自分でも何かできないかと思案してきた。過日、群馬県の桐生市消防本部が防犯ブザーの救急的活用を提言していることを知った。倒れている人がいたらブザーを鳴らして周囲に知らせようという取り組みだった。なるほど音だと緊急事態のサインを広範囲に送ることができ、救命により多くの方の力を結集できる。
 ブザーは自分の身を守るためだけにあると私はずっと思い込んできただけにハッとした。音で知らせるだけなら誰にでもできる。子どもからお年寄りまでブザーを持てばわが身を守るだけでなく、他人の命を救うことにもつながる。早速私は防犯ブザーを購入した。普段持ち歩くようにしている。皆さんもこの取り組みに賛同し実践してもらえたらと思う。”(7月2日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の主婦・中村さん(41)の投稿文です。この文を読んで、ボクも中村さんと全く同じ思い違いをしていた。こうした防犯ブザーは自分の為と思っていたが、他人のためでもあるのだ。ボクは会社勤めをしていたとき、東北の震災後緊急用の笛が配布された。その笛は今も、ボクがほとんどいつも持ち歩くショルダーバッグに取り付けてある。まさに緊急の時の為である。吊り下げていることをうるさいと思うときもある。でも折角もらったからと、会社を辞めた今も付けている。まだ使ったことはない。この笛も他人のために使うこともできるのだ。誰か困った人を見かけたら思い切り吹けばいいのだ。良いものをもらったと思う。
 こうしたものまで用意している人はどれだけあるのだろうか。女性は襲われたときなどのために忍ばせている人は多いかも知れないが、男性ではどうだろうか。緊急用というのは、出番が少ないだけに継続維持することは難しい。喉元過ぎれば熱さ忘れる、である。今年は梅雨末期に各地で豪雨が続いた。緊急避難袋は用意してあっただろうか。役だったであろうか。


(第2992話) ラジオ

2020年07月20日 | 行動

 “畑へ行く時、農具の一つぐらい忘れることがあっても、ラジオは絶対忘れません。何年か前、雨の降りそうな夕方、畑から帰る時、茶畑の畝を二頭の大きなイノシシが行ったり来たり。帰れない、怖い。足が動かず、困ったことがあったのです。そのころ、ある地区で収穫時に、一晩中ラジオをかけておいたら、イノシシにやられなかったという記事を思い出しました。
 さっそくラジオを購入。それを持ち畑へ行くようになりました。初めはイノシシの出た山の畑だけでしたが、今は道路沿いでも昼間でもラジオが手放せなくなりました。このごろは耳が遠く、音量を大きくして聞きながら仕事です。ニュース、スポーツ、演芸、国会中継等々。反論することも、一人で大笑いすることも。年を重ねてきて、初めて知ることもあります。仕事にも飽きることなく、時間が過ぎていきます。まさに、ラジオは一挙両得です。
 イノシシは今も相変わらず、あちこちに足跡がありますが、ラジオのおかげか、あれから見かけていません。何か出合いたいような。コロナ禍で外出先はいつも畑。今日は国会中継を聞きながら、キュウリ、ナス、トマトに肥料をやり、草を取りました。”(7月1日付け中日新聞)

 浜松市の村上さん(女・92)の投稿文です。ラジオをかけながら畑仕事をする、92歳の女性です。今スマホなど新しい情報手段がもてはやされるが、ラジオも捨てたものではない。何しろラジオは何かをしながら利用することができるのである。指を使うスマホや目を使うテレビは、何かをしながらの「ながら」が難しい。その点ラジオは耳なので「ながら」が楽にできるのである。村上さんのように畑仕事などをするときは、最高の友である。そして、耳からだけの情報であるので、結構想像力が必要となる。頭の活性化にもなる。妻も料理をするときは必ずラジオがかかっている。その他の時も結構ラジオはかかっている。主婦はまさにながら族である。これが女性の長生きの1つの理由かも知れない。ボクはほとんど使わない。同時に違う2つのことができない。これがボクのだめな理由かも知れない。


(第2991話) テークアウト

2020年07月18日 | 活動

 “ー宮商工会議所は、新型コロナウイルス感染症の拡大で売り上げが落ちこんでいる一宮市内の飲食店を応援するため、テークアウトや宅配を行う飲食店の情報をまとめたリーフレットを作成した。尾張一宮駅前ビル内の市観光案内所や市役所で配布している。
 リーフレットにはテークアウトや宅配を行う市内九十五の飲食店をジャンル別に記載。営業時間や定休日も分かり、表紙には掲載店舗のメニューの写真を掲載した。四月には商議所が運営するインタ-ネットサイト「いちみんナビ」で、市内の飲食店のテークアウト情報を紹介したところ、四~五月で五万五千件以上の閲覧数があった。さらなる周知を図ろうと、リーフレットを作ることにした。担当した宮田京さん(五八)は「お気に入りの店の料理や地元の味を楽しんで、応援してもらえたら」と利用を呼び掛けている。”(6月25に付け中日新聞)

 記事からです。このコロナ騒動の自粛で、飲食店、観光業等来店の客を待つ業界は全く大変である。自粛であるので、当然客は来ない。死活問題である。だからその中でも知恵を出して、少しでも活路見つけ出さねばならない。その中で生まれたのが飲食店のテイクアウトである。作ったものを持って行ってもらうだけであるので、問題は少ない。店も負担にならない。ボクの知り合いで、毎回店を変えて注文している人がいる。いろいろなものが食べられて、この利用も一つの知恵であろう。ボクの家も利用したことがある。ネットで紹介したら結構反応があったので、今度はリーフレットも作ったというのである。コロナに負けてはおられない。生き延び、コロナでできた知恵を今後に生かさねばいけない。テイクアウトは、コロナ後にも生きるやり方ではなかろうか。


(第2990話) 父ちゃん

2020年07月16日 | 人生

 “先日、近くに住むひ孫が二歳の誕生日を迎えた。初ひ孫の男の子である。ひ孫が「父ちゃん、読んで」と言い、父親の膝に乗る。父親は上手に絵本を読み聞かせる。ちょっと舌足らずの「父ちゃん」の響きがかわいい。
 二人の様子を眺め七十余年も昔、私も父を「父ちゃん」と呼んでいたのを思い出し、胸に熱いものが込み上がるのを覚えた。私の父ちゃんは幼いとき、病で右目を失い、さらに左目も少しずつ悪くなり、私が物心ついたころの視力はかなり低かったようだ。父ちゃんは自分で目薬をさせなかった。私は小学校入学のころから、左手の小さな指で父ちゃんのまぶたを広げ、ガラス瓶に入った目薬をスポイトでポトリとさした。子ども心に父ちゃんに目薬をさすのは私の使命と思っていた。そんな私を父ちゃんは「おたからさん、おたからさんやなあ」と言って褒めてくれ育ててくれた。
 父はどんな時でも、粗末な野良着姿で、晩年はつえをつき風采は上がらなかった。がしかし、心は子どもを尊重し、その成長を楽しみながら慈しむ、懐の深い人であった。貧しい生活を卑下することなく、真正直に生きた父。孫たちもそんな私の思い出話に耳を煩けてくれた。”(6月27日付け中日新聞)

 名古屋市の金田さん(女・82)の投稿文です。ひ孫を見ながら自分の父親を思い出す。貧しくながらも真正直に生きた父を誇りに思っている。これは82歳になる娘さんの投稿文である。
 6月25日は「お母ちゃん」と題して、86歳に娘さんの投稿文があった。その一部を紹介すると、終戦間近の6月19日「母は赤ん坊を背に、両手で三人の幼子を引き連れ、火の中、水の中をものともせず、わが子を守り抜いた。あの若くたくましい母の姿。今なお鮮やかによみがえる」とある。そして「思い切り呼んでみたいな。お母ちゃんと、大声で」ともある。子の親に対する思いである。それが80歳を超えた娘さんである。親に対する思いは幾つになっても変わらない。いや、若いときは自分のことや生活のことで精一杯で、親のことを考えている余裕など無いだろう。また逆に親子がいろいろ対立することもあろう。親のことがしみじみ思い出されるのは、歳いってからである。「孝行をしたいときに親はなし」と言う諺があるし、「亡くなって知る親の恩」と言う諺もある。その頃の歳にならないと、親のことに思いが行かないのは自然なことかも知れない。でもこの自然を待つのは、悔いを残すことでもある。早く気づくことに及くはなしである。80歳を過ぎて親を思うという姿に、人間とは底知れぬものとつくづく思う。


(第2989話) 心の距離

2020年07月14日 | 意見

 “目元や口元から感じる第一印象が、良好な人間関係を築く重大な要素とは限らないことは重々承知しているが、感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響ですっかり定着したマスク着用によって、直感的に人柄を認識する力が衰えてきてはいないだろうか。目は悔い口ほどに物を言うというものの、マスクで隠されていない目元だけで人柄や感情を読み取るのはやはり至難の業だ。
 私は以前接客業をしていた。そのときの経験も踏まえれば、マスクをしたままでお客さまに好印象を与える表情をこしらえるのはとても大変だ。現在のソーシャルディスタンスを維持した上で会話もできるだけ控えてという状況が続くと人間関係は希薄となり疎遠化か進むのではないか。人付き合いも不要不急とされるような社会だけは絶対に避けたい。こんな懸念を杞憂にするためにもウイルス禍の終息を切に願っている。”(6月24日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の鈴木さん(男・63)の投稿文です。コロナ対策の「3密」で心配なのは、人間関係の希薄である。人間関係は密であってこそ信頼が進む。その逆の対策である。もう誰にも経験のあることだと思うが、マスクをしていては誰だか分からないことも多い。まして表情など分からない。どうしても避けがちになってしまう。このコロナ騒動が終わったら、この3蜜はもう言われないだろうか。それがいつまでも続くのだろうか。一時的なことなら仕方がないが、気になるところである。
 ボク自身もこの自粛で、積極的に動く気がかなり減少した気がする。静かに過ごすことに慣れれば、煩わしいことはもう避けたい。動くと言うことは煩わしさを伴うのである。人との接触も煩わしさを伴う。でも煩わしさ以上の良さがある。老いるほど煩わしさを乗り越える必要があると思う。まもなくしたくてもできなくなるときが来る。今日午後、4ヶ月ぶりにサロンの再開だ。


(第2988話) 路面電車

2020年07月12日 | 行動

 “私は通勤に路面電車を利用しています。最近の運転士は皆、安全でスマートな運転をされている気がしますが、中でもひときわ運転が丁寧な女性の運転士がいます。路面電車では進行方向に沿って左右の各列に座席があり、特に発進や停止のとき、横っ腹に力をいれて踏ん張らなければ隣の人に肩がもたれてしまうことがままありますが、その女性運転士だと全く力を込めなくていいのです。いつの間にか発進して、気付けば止まっているといった感じなのです。カーブでもしっかりとスピードを抑えてから曲がっていて、ほとんど揺れることはありません。仕事でくたびれて帰宅するときは心底安心して乗っていられます。
 彼女はきっと自動車の運転でも丁寧なハンドルさばきなのでしょう。そんな彼女の電車に乗るたび、私は自らマイカーを運転する際、しっかりと気をつけなくては駄目だと思います。”(6月23日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の公務員・木村さん(男・50)の投稿文です。これは豊橋の路面電車だと思うが、ボクも会社勤めをしているときに、この路面電車はよく利用した。豊橋の顔としての側面も持つ街のシンボルでもある。まずカラフルである。時期によって「納涼ビール電車」や「おでんしゃ」も企画される。信号でも一信号余分に待つくらいで、急ぐときにはいらだつこともあろうが、ゆったりした気分になる。木村さんは、その中でも一女性の運転手さんをこのように褒め称えている。ついいろいろ急ぎがちの中で、こうした電車に乗るのも良いものである。
 昔は全国に路面電車があったと思うが、車の普及と共に邪魔者扱いにされ、廃止されてきた。ボクの近くで言えば、名古屋市や岐阜市にあった。名古屋市の路面電車は遙かに遠い記憶である。岐阜市は昭和63年から順次廃止が始まり、完全になくなったのは平成17年という。岐阜市の電車はよく乗った。これも時代の流れ、歴史であろう。ただ流れに流されるのではなく、うまく乗り越えたところに新たな活躍の場がある。これは何事も同じであろう。