寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3252話) 全席優先席

2021年12月31日 | 意見

 “優先席は必要ないと考える。優先席があってもなくても自然に席を譲るようになってほしいからだ。電車に乗っていたとき、ある駅から身体障害者の方が乗ってきたのを見かけた。優先席ではない席に座っていた若い男性が近寄り、「席はこちらですよ」と案内した。男性のような人が増えたら自然と席を譲り合えるようになると思う。
 優先席がないと空いている席に気がねなく座れるので空席がむだにならないというメリットもある。周りの人を思いやれない人がいると、優先席がないと席を必要とする人が座れないというデメリットもある。しかし「全席優先席」の考えが広まればいいと考える。”(12月8日付け中日新聞)
 
  名古屋市の中学3年・中嶌さん(女)の投稿文です。昔は優先席はなかった。と言うことは全部が優先席であったのである。ところが譲る人が減ってきた。そこで、苦肉の策として優先席が設けられた・・・とボクは思っている。そして優先席のメリット、デメリットは中嶌さんが言われるとおりである。優先席が空いていのに立っている人がある。空いていれば遠慮無く座り、その代わりいつもまわりを気にし、対称になる人がいたらサッと代わればいいのである。目の前に立たれるのも結構嫌なものである。
 ところが今の現実は、優先席に対象外と思われる人が堂々と座っていることの方が多いのである。周りに対象の人が来ても譲らない。スマホをじっといじっているのである。優先席の意義もなくなってきた。もうなくした方がいいかもしれない。そして、中嶌さんが言われるように「全席優先席」の思想を植え付けるのである。こうしたことは優しい人が多くなれば自然にできることであるが、現実は逆に、逆に動いている気がする。


(第3251話) 漢字クイズ

2021年12月28日 | 行動

 “結婚して十五年-。妻とは毎日曜、本紙サンデー版にある漢字クイズに挑み正解数を競っている。十問中いくつ解けたかをカレンダーに記入し、週間、月間、年間チャンピオンを決めている。妻は今、漢字検定で準一級を取得するほどの強者となった。
 中学校二年生と小学校六年生の息子二人も、今年から私たち夫婦の漢字クイズに参戦してきた。長男は書ける字が増えたとはいえ、私は断トツの妻に続く二位を維持してきたが、九月の問題で私はまさかの最下位に。仕事ではほとんどパソコンを使い、漢字を書く機会が減ったためだろう。家族の皆に内緒で漢字の勉強をやり直そうかな。”(12月7日付け中日新聞)

 愛知県大口町の会社員・梶田さん(男・47)の投稿文です。家族で新聞に掲載される漢字クイズに取り組む。それも、中学校二年生と小学校六年生の息子二人という、親にとってはなかなか扱いにくい年齢である。余程穏やかな家庭であろう。一人でやるより励みになる。それもこのように成績をカレンダーに書き込み、競われる。最下位になって悔しがられる梶田さん。気持ちも若い。
 先日、今の子どもはHBのエンピツが使えないと聞いた。キーをたたくことばかりで、指先に力を入れる機会がないからと言う。先日の果物の皮むきと同じである。信じられないが、そうであれば、梶田さんの息子さんはそれも解消されよう。
 ボクの妻もサンデー版を活用している。数独からこの漢字クイズ、クロスワード。漢字クイズではあまりに分からないと、ボクにもやらせる。今のわが家はこんな程度であるが、もっと一緒に取り組んでもいいと思う。ボクの気持ち次第だろう。


(第3250話) 「かきくけこ」胸に

2021年12月26日 | 行動

 “農業人として米や柿などを栽培しつつ、素晴らしい老後を送るための「老活」にも自分なりに精いっぱい頑張っている。午前六時から一時間ほどウオーキングし、その後は時間の許す限り田畑にいて、自家用としても各種野菜や果実を育てている。新型コロナウイルスの影響でここ一年半は、一人でもできる趣味として園芸や登山、筋カトレーニング、自分史執筆などに力を入れ、認知症予防に努めてきた。近年は地域住民と一緒に農道の草を刈ったり、休耕田にコスモスの種をまいたりして農村景観の保全にもいそしむようになっている。
 自分の中では終活はまだ早い。「感動」「奇麗」「工夫」「健康」「貢献心」の各頭文字「かきくけこ」を大切に老いたいと考えている。”(12月2日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の農業・関屋さん(男・74)の投稿文です。素晴らしい老後の過ごし方と思う。それも自分で考え、積極的に行われている。それが「かきくけこ」によく現れている。精いっぱい頑張っている、と言われるゆえんである。終活はまだ早いと言われる。ボクと2歳違うだけである。人生、気持ちの持ち方が大きく左右する。こうした言葉を意識して行動することは大きな力になることでしょう。
 こうした5音による教訓を今まで数回紹介して来たと思うが、「かきくけこ」が多いのである。2005年1月10日の第166話、2012年3月17日の1582話、2019年8月14日の第2826話などがあります。関屋さんと同じものありますが、違うものもあります。こんなことにも面白さを感じます。


(第3249話) 生まれ変わったら

2021年12月23日 | 人生

 “夫が一年前に十ヵ月の療養の後に、あっけなく肺がんで亡くなった。六十三歳だった。私たち夫婦は仲の良い方ではなかった。夫が亡くなっても正直、あまり悲しくなかった。むしろ、夫は奥さん孝行で、あまり私に世話をさせずに亡くなったと思った。
 そんなある日、風呂場の水道が水漏れするようになった。パッキンを交換しなくちゃいけない。夫がいれば簡単に交換してくれたなあと思いながら、私がやってみた。蛇口は外せたけど、中のねじが動かない。こんなことで水道屋さんに頼むのも悪いと思って、姉のご主人に頼んだら「やったことがない」と言う。
 「あー、どうしよう」と困った。夫を亡くしたんだと、しみじみ思った。そういえば、器用な夫は自転車の電気や勝手口の網戸をつけてくれたり、衣紋掛けを曲げてタオル掛けを作ってくれたりした。いなくなって初めて夫の良さが分かる。
 私が仕事、仕事と言っておらずに、もっと旅行に行ったり、夫の話を熱心に聞いてあげたりすればよかった。お互い、もう少し違う生き方をしていれば、夫は長生きできたのではと後悔する。今度生まれ変わったら、夫と家族ともう一度、違う人生を生きてみるのもありかな、と思う。”(12月1日付け中日新聞)
 
 名古屋市の主婦・森さん(61)の投稿文です。夫婦仲はあまり良くなかったと思っていた奥さんが、旦那さんを亡くされて懐かしく思う、夫婦とはこんなものかと改めて思う。ボクは親よりも子どもよりも、配偶者であろうと思っている。何と言っても一緒に過ごす時間が長い。そして養われる親より養う子より、共同作業が多いのである。夫婦は元々他人である。共に健在の時は、葛藤や喧嘩もあろう。でもそれを繰り返しながらも夫婦を保っていけば、森さんのような思いになろう。
 最近は「その年に結婚した夫婦と離婚した夫婦を比較すると3組に1組が離婚している」ことになるという。それも熟年離婚が増えているという。離婚するにはいろいろな状況があると思うが、一時の感情ですることではない。特に高齢者はこれからこそ相方が必要になる。女性は強いからまだいいが、まず男から言い出すことではない。また女性から言い出されないように、気配りが常に必要である。


(第3248話) 果物味わう

2021年12月21日 | 意見

 “春はサクランボ。太陽に照らされるときれいな赤色に光る実はかわいらしい。三つ子の実があると愛らしく食べるのがもったいなくなる。口にすると甘く幸福感に浸ってしまう。
 夏はスイカ。縁側に座って食べるのもよいが、自然の中で川で冷やして食べるとみずみずしく、また違う味を味わうのもよい。砂浜でスイカ割りをして食べるのもまたよし。
 秋はリンゴ。そのまま食べるのも甘くておいしいが、バーベキューなどで食べる焼きリンゴはなめらかな食感と果汁にいやされる。昼間に食べるより、夕暮れ時に外で食べると風情を感じる。
 冬はミカン。こたつに入って口にするのは言うまでもないが、かまくらの中で口にしたら心が温まり、体も自然と温かくなる。また一人で食べるより、家族で食べるのがいい。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の中学2年・倉知さん(女)の投稿文です。季節毎に味わう果物をあげ、その気持ちを書く。快い文に詩を覚えます。果物が好物の人は多いでしょう。ボクはここにあげられた果物はすべて大好きです。スイカとミカンは家で作っています。今年もスイカはよく成りました。思い存分食べられました。そしてスイカにはボクがまだ小学生の頃の思い出があります。畑へ父といった時、父がその場で割ってくれて食べました。生暖かいスイカでしたが、いい思い出です。ミカンは、父が植えてくれたミカンの木がまだあります。父が亡くなってもう40年ですから、植えて50年くらいたっているでしょう。数は少ないが、今年も成っています。数年前に、新しい木を2本植えました。今年は2人で食べる分は成りました。サクランボとリンゴの木はありません。サクランボ狩りに出かけた時、思い切り食べるくらいです。リンゴは時折妻が買ってきます。
 最近の子どもは果物をあまり好まないと聞きます。特にリンゴやミカンなど皮を剥くのは、面倒で嫌うという話を聞きました。ボクには信じられない話です。その点、外やこたつで食べる嬉しさを語る倉知さんはボクの感覚そのままです。


(第3247話) 弱が強に

2021年12月19日 | 意見

 “今年の日本シリーズは、熱い。おもしろすぎる。ヤクルトもオリックスも前年まで二年連続の最下位チームだったのに、一転、手に汗にぎる熱戦、躍動、感動の戦いを繰り広げている。両チームとも選手がすべて入れ替わったわけでもないのに、なぜこれほど強くなったのか。その原因究明は専門家にお任せするとして、私が驚くのは、集団の力は個々の力の総和ではないという原理を結果としてみせてくれたことだ。
 明治の初め、福沢諭吉は「集団の力」についてこんな例え話で説明している(文明諭之概略)。臆病者でも三人集まれば臆病ではなくなることがある。この場合の「勇気」というのは、一人一人の勇気の合計ではなく「三人の間に生ずる勇気」なのだ、と。人と人との関係、組み合わせの仕方によって集団の力が変わってくることを化学変化にも比している。カセイソーダと塩酸は個別では劇薬だが、合成すれば食塩となって「日用に供すべし」。逆に、無害な二つの物質が合成によって劇薬となる場合もある。”(後略)(11月27日付け中日新聞)

 「風来語(かぜきたりてかたる)」という欄から編集者の文です。二年連続の最下位チーム同士で日本シリーズを闘う。学生野球のように毎年選手が大きく替わる訳でもなく、一人の選手に大きく負っている訳でもないプロチームである。本当にこんなことが生じるのだ。そしてどの試合も接戦であった。
 そしてこの編集者の文である。集団の力である。集団であるから大きな力となる。それが良い方向に向かえばいいが、悪い方向に向かったら大変である。日本人は「右向け右」と言ったたら、皆が一斉にそちらを見てしまう。個々の判断、状況はもうそっちのけである。それが世界大戦でもあったろう。近くで言えば、このコロナ禍でもあった。少し違う言葉や行動を取ればもうやり玉である。それだけに怖い。
 この日本シリーズに勇気を与えられた人は多かろう。人生、いつ逆転するかも知れない。今恵まれない人は諦めてならない。最善を尽くすのみである。逆に、今恵まれている人はいつ苦境に陥るかも知れない。驕ることなく、謙虚に、感謝を忘れず。今のボクは後者である。


(第3246話) 安否確認 

2021年12月17日 | 行動

 “昨年三月、主人が他界し、一人暮らしになった私。車で一時間くらいの他市で暮らす長男一家が時々、様子を見に来てくれます。ある日、私から長男に、安否確認のため「毎日ライン交換しようか」と話しました。横で聞いていた高校二年の男の孫が、すぐに「ぱあちゃん安否確認」と名付けて、四人のライングループをつくってくれました。
 私から朝は「おはよう」、夜は「おやすみ」のスタンプを送ると、誰かがスタンプで返事をくれます。送ったラインに既読マークがつかないと、どうしたんだろうと心配することも。逆に、こちらがすっかり忘れていると「おや?」なんてラインが来ます。大慌てで「てへっ、忘れちゃった」と返します。遅くにおやすみスタンプを送ると「きー!」と返ってきます。みんな私のことを見ていてくれるんだなと思うと、とても頼もしくなります。
 最近、小学六年の男の孫がスマホを買ってもらい、仲間になりました。ラインができるようになった孫は、うれしくて毎日かわいいスタンプをいっぱい送ってくれます。もう一年くらい続いていますが、みんなが私を楽しませてくれ、ほっこりとする毎日で幸せを感じます。優しい孫に育ててくれた嫁に感謝。”(11月26日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の近藤さん(女・74)の投稿文です。私の村を見ていても、一人暮らしの高齢者は増える一方です。老夫婦だけの家庭が多いのですから当然です。いずれわが家もそうなります。そしてその時、安否問題が生じます。近藤さんは、家族とライングループを作られました。毎日スタンプを送る。それで確認ができる。今らしい良い知恵でしょう。やっていれば安否確認だけでなく、いろいろなやり取りも生じるでしょう。いい相乗効果を生むでしょう。こうした家族はもう沢山あるでしょうし、これからますます増えるでしょう。ラインはいいグッズです。我が家族もラインを利用していますので、その気になればすぐにもできます。
 役所もいろいろな方法を試行、模索しています。スマホ利用を推進するような施策も施されています。スマホはやらない、できないと言っていると、恩恵を受けることができません。スマホに毒されてもいけませんが、可能な人は挑戦する時代でしょう。あまりも早く変化する時代に高齢者には辛いことも多いのですが、ここは好奇心、挑戦です。


(第3245話) たわしを作る

2021年12月15日 | 行動

 “洗剤の量を減らせ、水を汚さないことにも寄与するとされるアクリルたわしを、ここ二十年間で千個以上作った。二〇〇五年の愛・地球博時、積極的なPRに関わってきた知人に手渡してきた。しかし一年ほど前、アクリル毛糸のくずが海面の汚染にもつながりかねないことをテレビ番組で知った。そこで今度は番組内で紹介されたヘチマのたわしを作ろうと思った。種子から育て、九月、熟れた実を二枚重ねのポリ袋に入れて雨水に浸した。数日して腐った皮をはがし、水洗いして干した後に長さ数センチの輪切りにしてひもを通して完成させた。
 仮に微力であっても、地球環境の改善に私は貢献したい。”(11月23日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の中村さん(女・81)の投稿文です。続いて環境問題への行動です。洗剤が悪いと知ってアクリルたわしへ、更にこれにも問題があると聞いて今度はヘチマのたわしへ。アクリルたわしは20年間で千個以上作ったと言われる。今年からヘチマたわしである。これほど環境問題に真摯に接する姿勢には感動さえ覚える。今や81歳の高齢女性である。中村さんのこの姿勢は子孫への思いであろう。今の若い人は自分の問題である。
 環境問題は難しい。良かれと思ったことが悪い面を持つこともある。このアクリルたわしもその一つの事例であろう。でも一度に変えることはできない。少しでも良い物に変えることである。それがこの場合ヘチマのたわしである。ヘチマは植物、用を足せば自然に返る。これ以上のものはなかろう。日々環境を意識しながら、少しでもいいものを使用する、これに尽きるのではなかろうか。


(第3244話) 「いのちの石碑」

2021年12月13日 | 活動

 “東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で、津波の脅威を後世に伝える「女川いのちの石碑」の21基目が完成し21日、除幕式が開かれた。発生直後に町立女川第一中(現・女川中)に入学した生徒らが「1000年先の人々の命を守りたい」と建立を発案。町内の津波到達地点より高い場所に計21基建立する計画が達成された。
 最後の1基は、昨年移転した町立女川小・中学校脇に建立。式典で、同級生ら有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」会長の阿部由季さん(23)は「石碑が震災を後世に語り継ぐ一つのきっかけになれば幸いです」と話した。
 石碑は震災を記録に残し、将来の津波被害を最小限にするため当時の生徒が提案。修学旅行先などで街頭募金を行い資金を調達し、2013年11月に1基目が完成した。卒業後も活動を続け、これまでに20基を町の防災集団移転地など高台に設置してきた。(後略)”(11月22日付け中日新聞)

 記事からです。東日本大震災を忘れないようにいろいろな知恵が出されている。これもその一つである。でも驚いた、1000年先を見据えているということに。中学生の発案という。多くの人は自分の世代と数代先の子孫を考える程度である。そしてその行事も50年100年である。ボクなどこれから先の人は大変だ、と言っているだけである。これは地球規模のことである。1000年と言われても不思議ではない。若い人の着想は素晴らしい。
 今や地球環境問題は多岐にわたる。何千何万年と保ってきた地球環境を、人間がここ100年で大きく変えてしまった。温暖化問題など、生存に関わる問題も起きてきた。1000年単位で考えねばならないだろう。目の前の欲にとらわれて、取り返しのできないことにしてはならない。ジェスチャーやポーズで終わらせる時代は過ぎた。


(第3243話) 5年後こそ

2021年12月11日 | 出来事

 “私たち夫婦は十月、結婚五十年を迎えました。わが家の歴史を振り返れば今は亡き義父母、私たち、うちの三男夫婦と三世代がちょうど三十年ごとにいずれも名古屋市の熱田神宮で式を挙げました。同神宮では式後も五年ごとに夫婦が招かれる「結婚記念の年を祝う集い」が催されますが、夫婦にとって金婚式となる今年は新型コロナウイルスの影響で昨年に引き続いて集いが中止となり、とても残念です。四十周年と四十五周年のとき、ともに息子三人の各家族と皆で一泊旅行をしましたが、それも今回諦めました。
 五年後は三男夫婦の銀婚式。そのときは「祝う集い」が無事開催されますことを私は切に願っています。”(11月22日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・山田さん(72)の投稿文です。「三世代がちょうど三十年ごと」に結婚式を挙げられたという事実にまずびっくりしました。こんな偶然も世の中にはあるのだ。それも同じ熱田神宮で。なんと幸せな家族であろう。
 この文で熱田神宮では、式後5年ごとに「結婚記念の年を祝う集い」が開かれていることを知った。結婚記念日は15年目までは1年単位、以後は5年単位で祝う呼称が付けられている。全記念日で招いていたらすごい組数になってしまうので、5年ごとの20年からであろうか。結婚記念日もつい忘れるので、通知をもらうと改めて知ることになる。神宮に行かなくても、自分達でだけで何か祝い事をする気になるかも知れない。結婚記念日をほとんど忘れてきたボクには、羨ましい通知である。