寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3355話) 玉葱の不作

2022年07月30日 | 出来事

 “私の家では毎年、玉葱を作ります。専門の農家ではないので、商売で作るのではありません。家で一年中、食べていけるだけの玉葱の種を種苗店に注文し、千本ぐらいの苗を育てて十月の末に定植します。家内と二人で作業し、翌年の六月の中頃に収穫します。
 しかし、どうしたわけか、今年は不作でした。順調に育つはずの四月、五月に晴天が続いたせいか、さっぱりの出来です。普通なら家には百個ぐらい残して、あとは近所や親戚に分けて喜ぱれます。今年は百個そこそこしか物にならず、それも小さく、人に分けるどころか、自分の家の分でさえ乏しい出来栄えになってしまいました。聞くところによると、今年はどこでも不出来のようで、小売店で二個で三百円以上もしていたようです。ロシアのウクライナ侵攻のせいで物価は何でも高いようですが、野球のボール程度の玉葱がそれだけしては、消費者も大変だと思います。
 八十五歳を過ぎた現在、こんな不作は記憶にありません。玉葱はいろいろな料理に使われ、体にも良い野菜です。来年はいつものような立派な玉葱を作りたいと、家内と誓っています。おてんとうさん、頼みまっせ。”(7月10日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の高野さん(男・85)の投稿文です。農作物ほど訳の分からないものはないと思っているが、専業の方はどうだろうか。専業の方は、生活がかかっているので訳が分からないなどと言っておられないだろう。人工で対応するところもあるが、多くは自然である。自然などは人間が左右できる代物ではない。だから人間が対応できることは限られる。まして、素人に到っては、わずかな部分である。
 高野さんは千個の玉葱の苗を植えられる。ボクも毎年作っているが300個くらいである。これでも普通の家庭にすればかなり多い方だろう。だから妻は知人に配って歩いている。これが配れる年と配れない年がある。それ程に年によってバラツキが大きいのである。ボクの父親は専業農家であった。百姓はいつまで経っても1年生だ、とよく言っていた。同じことをやっても同じにならないのである。天候や土の状況は毎年同じと言うことはありえない。だから結果は違って当たり前である。その当たり前を少しでもなくす、この努力が必要であり、また楽しみである。家庭菜園はいい。こんないいものは少ないだろう。高野さんは来年も楽しんで臨まれるだろう。


(第3354話) みんなの声

2022年07月28日 | 意見

 “読書が好きで小説や自己啓発本をよく読みますが、日々のちょっとした悩みの解決につながりそうなものはなかなか見つかりません。そんな中、投稿者の思い思いの考えや意見がつづられた本欄からは実に多くのヒントをもらっています。日めくりカレンダーに一日の大切さを感じたり、人目を気にせず自分の好きな服を着たり・・・。他人からさまざまな受け止め方を示されると日常が違って見えてくるから不思議です。経験豊かな年長者の意見には重みがあり、温かみのある言葉に触れると心が豊かになれます。
 気に入った投稿は切り抜いて画用紙に貼り、常に見られるところに置いています。日々の生活につい不満をこぼしがちなときこそ読み直し、他人の生き方を手本にしています。”(7月7日付け中日新聞)

 愛知県長久手市のパート・今井さん(女・52)の投稿文です。この「話・話」 の多くは「みんなの声」欄から使わせてもらっている。今井さんが言われるように、実に有益な投稿が多い。今井さんは切り抜いて画用紙に貼っておられると言われる。ボクは切り抜いて、この「話・話」 の材料にしている。このように文章をよく書くボクであるが、投稿する文を書く気にまではならない。皆さん、立派だと思う。大変勇気が要ると思う。最近は高齢者の文が多い。そして、編集者は若い人の文を特別の欄に設けている。少ないのはやはり働き盛りの人である。本当は一番多くていいのだが余裕がないのだろう。教養講座なども本当は来る人ではなく、来ない人に必要なのだが、なかなか思うように行かないものである。


(第3353話) 国語

2022年07月26日 | 知識

“  【国語を忘れた民族は滅びる】  (お茶の水女子大名誉教授)藤原正彦
 茶の間に活けた五月雨萩がはらはらと散ったのを見て、友と日本語の豊かさを語り合った。「椿は落ちる」といい、「桜は散る」という。「牡丹はくずれる」といい、「朝顔はしぼむ」といい、「萩はこぼれる」という。花が散るのにさえ、これだけの言葉を使いわける日本人の豊かな情緒と、それを育てた日本の恵まれた自然環境を大切にしたいね、と。
 素人の私の書いた文章さえ、英訳するのに言葉がないと嘆いたアメリカの友の言葉を思う。豊かな日本語が通じない若者がふえていることは悲しい。ラスター彩再現の功労者で、文字通り国際人といえる陶芸家の加藤卓男先生は「国際人とは無国籍人になるということではない」と語られた。上掲の藤原先生の言葉がそこに思い合わされる。吾々は考える時も表現する時も言葉を使う。語彙が貧しいということは、思考も貧しいということを忘れまい。”(7月5日付け中日新聞)

 「今週の言葉」より愛知専門尼僧堂長・青山さんの文です。この文を読んで、花が散るのにこの表現を知らなかった訳ではないが、これを聞かされて改めて日本語の素晴らしさに気づいた。この微妙な違い、他の国の言葉であるのだろうか。「国際人とは無国籍人になるということではない」と言う言葉にも全く同感を覚える。これはボクもしばしば言っていることである。日本語を知らず何が外国語か、あまりに外国語に傾注することに違和感を覚える。日本語があるのに、どんどんカタカナ言葉に代えていくのには違和感どころか腹が立ってくる。そのカタカナ言葉たるや、本来とは全く違った使い方も多い。カタカタ言葉を使うと進歩人と思われるとも思っているのだろうか。そしてほとんど理解されない。自己満足に浸っているとしか思えない。高齢者はもう蚊帳の外である。 【国語を忘れた民族は滅びる】、国語は単なる言葉ではない、今の状況をみると、本当にすべてが滅びに走っていて、この言葉の重さを思う。


(第3352話) 毎日音読

2022年07月24日 | 行動

 “たまたま見たテレビ番組で、音読すると脳が活性化することが紹介されていました。たとえ内容は理解できなくとも声を出して早く読むことが大切だそうです。分量的には新聞の社説がちょうど良いらしく、毎朝、開いては音読しています。
 息子が巣立ち、義父母をみとった私たち夫婦は今二人暮らしとあって、会話の機会がめっきり減っていました。だからか最初は半分ぐらい音読したところで喉が痛くなりました。途中で言果がつっかえたり滑舌が悪くなったりして落ち込む日もありました。それでも読めない字を国語辞典で調べれば理解は広がり、喉の筋肉を鍛えていくと誤嚥性肺炎の予防にもなります。頭も体も健康でいられるよう、私は音読を毎日続けるつもりです。”(7月5日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・清水さん(69)の投稿文です。音読の効用も最近よく聞くことである。コロナ禍による自粛が続き、老夫婦2人や1人住まいでは声を出す機会がめっきり少なくなった。口も動かせねば衰えていく。今こそ意識して動かす必要があろう。清水さんは社説を音読することにされた。その効用はいろいろあろう。ともかく高齢者は動く動くである。
 この「話・話」の7月11日付第3346話でも触れたが、口の重要さ、それは歯にも繋がる。体は単独では存在していない。どこかで繋がっていて、影響が出る。良い繋がりになるか、悪い繋がりになるか、これで健康状態が変わってくる。良い連鎖で健康を保ちたいものだ。
 ボクもいろいろ心がけているが、残念ながら音読まではしていない。ほとんど毎日書き写しをしている。これを声を出しながら書いたらどうだろうか。まだまだ知識を取得して挑戦する必要はあるだろう。


(第3351話) 娘の初登山

2022年07月22日 | 出来事

 “高校一年生の息子や小学校三年生の娘と五月末、三重、滋賀両県境にある標高1212mの御在所岳に登りました。初の登山となった娘は景色を楽しみながら順調に歩を進めましたが、七合目を過ぎると「頭が痛い」と言って泣きだしました。休憩しながらも表情がつらそうだったため119番しようか悩みました。通りかかった登山チームの方が塩分タブレットやチョコレートを分けてくれ、「深呼吸して水分を小まめに取るといい」と教えてくれました。おかげで娘の頭痛は治まり、そのチームのメンバーらと鎖場を乗り越え、何とか登頂できました。
 私は事前の準備不足を反省しつつ、娘の恩人でもあるチームの皆さんにとても感謝しています。”(6月30日付け中日新聞)

 三重県四日市市の会社員・樋口さん(女・41)の投稿文です。四日市の樋口さんにしてみれば、御在所だけは庭みたいなもので、毎日見ている風景であろう。気軽に登ってみようという気になっても不思議ではない。しかし、1000mを越える山である。体調がものを言うであろう。小学校三年生の娘さんが不調を訴えられた。通りがかった人に助けてもらった。そんな思い出の投稿文である。
 一時登山人口が減ったが、今はまたかなり増えているようである。山ガールという人達も盛んのようである。でも登山は、人家がある地域を歩くハイキングやウォーキングと違う。時折会う登山者意外に滅多に人には会わない。また道もデコボコで歩きにくい。高度も上がっていく。高度が上がれば体調も違ってくる。天候も変わりやすい。相応の準備が必要である。決して気軽に挑戦するものではない。
 御在所岳は妻と最初に登った山だけに思い出もある。ボクは鈴鹿の山はかなり登ったし、南アルプスや中央アルプスに登ったこともある。しかし、ウォーキングが主体になったこともあって、50代半ば頃からはほとんど山に登っていない。その時に思い出を残すことができて良かったと思っている。


(第3350話) 心に余裕

2022年07月20日 | 行動

 “毎朝五時に家を出て二時間近く計八キロほどのウオーキングをして一年半。擦れ違う人に「おはようございます」とあいさつしていますが、返してくれるのは高齢者ばかりで、通勤や通学途中の人はまず素知らぬ顔です。振り返れば六十五歳まで会社に勤めていたときの私も似たようなものでした。心にゆとりや余裕なんて全くありませんでした。退職して初めて周囲の他人にあいさつしたり言葉遣いに気を使えたりするようになりました。
 長引く新型コロナウイルスの影響でマスク着用が一般的となって他人の表情が読めない昨今です。そんなときだからこそあいさつが大事と考え、今後も続けていくつもりです。”(6月24日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の河口さん(男・76)の投稿文です。挨拶するのも余裕であろうか。少し頷き難い気もするが、それもあるかも知れない。ボクらの田舎では、知らない人でも挨拶するのが普通であった。と言いながら多くは知っているのだが。子供や孫にもそのように教えた。今は本当に少なくなった。朝の散歩で毎日のように会う人でも、知らない人には声をかけない。毎日のように会えばもう知らない人ではない。ボクは極力かけるようにして、反応を楽しんでいる。逆に先に声をかけられると、戸惑ってしまう。でも嬉しい。挨拶は交流の第一歩である。挨拶するくらい何の負担にもならないし、損にもならない。声を出すのも運動である。


(第3349話) 理由あり結婚

2022年07月17日 | 出来事

 “「ウッソー」というのは、こういう時に使う言葉だろうと思ったことがある。十二年前のある日、私は次男に思いっきり驚かされた。
 「お母さん、僕結婚することに決めたから」「あら、そうなの。で、どんな人?」「三歳年上なんだ」「へえ、いいじゃない」「それに、バツイチなんだ」「いいじゃないの、そんなこと」「あのネ、小学校二年生の男の子がいるんだ」「ええ!!」と絶句。
 見事な三段論法?に驚かされた。その時、私はお茶を飲んでいたのだが、湯のみ茶碗の中のお茶が波打っていたのを、今でもハッキリ思い出せる。
 驚愕の事実を知らされても、結婚に反対する気持ちは、不思議なことに全く湧いてこなかった。私など人一倍、甘ったれた性格ゆえに、夫にへばりつき、まるで寄生虫のように生きてきた人間だ。反対するどころか、まだ見ぬ次男のお嫁さんが愛しく、これまでどんなにか苦労したんだろうなあと思った。私は涙が溢れて止まらなくなった。夫も私同様、当初から反対する気持ちなど微塵もなかったという。
 あれから十二年が過ぎ、三人は今、呆れるほど幸せに暮らしている。おめでとう。理由あり結婚!万歳!万歳!”(6月25日付け中日新聞)

 静岡県袋井市の手作りバッグ販売・藤井さん(女・66)の投稿文です。今の時代あり得る結婚だと思います。でも聞かされる当事者には驚きでしょう。息子さんは三段論法で、上手に両親を納得させられた。親にしてみれば、普通?の結婚を望まれるでしょう。普通と言っても何が普通かは人それぞれですが。そして呆れるほど幸せに暮らしていると言われる。結婚生活など本人次第である。ところが、周りがいろいろ言ってややこしくなる例も多い。これこそ愚の骨頂である。
 今の時代、結婚するのが普通ではなくなった。でも人類が続くのは子孫を作って行くからである。子孫を作るには、結婚がすべてではなかろうが、でも世界中、ほとんどの民族が結婚という形態を取ってきたであろう。結婚にはやはり大きな意味があるのである。一人生活を謳歌する傾向もある。一部の人を除いて亡くなればすべて無くなるのが普通である。結婚して子を残せば子孫が残る。これほど確かなものはない。


(第3348話) 走りながら

2022年07月15日 | 活動

 “ウオーキングやジョギングをしながらごみを拾う「ブロギング」を二月から始めました。ニュースを読んで「走りながら町を奇麗にするなんてすごい」と衝撃を受けたのがきっかけです。週三日ほど三キロ走っていて、その都度、十リットル入るごみ袋がいっぱいになります。落ちているごみの多さに驚く一方、それを拾って環境美化に寄与しているとの満足感を味わえ、すがすがしさも覚えます。日々再利用を心掛けるようになって無駄なものは買わなくなりました。
 ボランティア団体を立ち上げ、月に一度、仲間十人ほどでプロギングをしています。参加者の健康に良い上、こうした取り組みがさらに広がって美しい町を保てられれば、それこそ一石二鳥ですよね。”(6月25日付け中日新聞)

 愛知県一宮市のパート・高木さん(女・46)の投稿文です。走りながら、歩きながらごみを拾う、最近よく見る新聞記事です。道路にしろ、公園にしろ、屋外のごみは驚くほどに多い。捨てる人があるから落ちているのである。拾う人は、このようにいろいろな努力しながらでもやっている。頭の下がる行為である。捨てる人はその好意を全く無視した、と言うより馬鹿にした行為である。そのことに気づかないのだろうか。捨てる人にとっては小さな行為である。それ程の罪悪感もないのだろう。小さな行為だけに少しの気遣いで済むことである。道徳などと言わず、もっと徹底的に批判した方がいい気がする。
 ボクの家はコンビニの道路を挟んだ東側にある。毎朝、飛んできたごみを拾うのが日課のようになっている。コンビニの経営者も客がごみを捨てることまでは関知しないと、全く知らぬ振りである。ごみのことで声をかけられたこともない。ごみを捨てる側も日常茶飯事で、とやかく言われることではない、と思っているのだろうか。


(第3347話) 喫茶店の仕事

2022年07月13日 | 出来事

 “「自分の仕事が、世のためにならないと思った。辞めた方がいいと思った」。一宮市の喫茶店「茶房万葉人」のマスター山本陽司さん(59)は、コロナ禍が始まった二年前をそう振り返る。
 飲食店は感染の恐れがある場所としてやり玉に挙げられ、客はみるみる減った。2000年に両親と開店して以来、客に笑顔になってもらえる、良い仕事だと思っていただけに落ち込んだ。それでも自分の給料を三ヵ月カットしたり、交流サイト(SNS)で情報発信したりして、存続を試みた。取り組みは奏功し、感染状況が落ち着くとともに客足が戻ってきた。二年ぶりに再会する人もいれば、レトロな雰囲気に魅了された若者も来るようになった。
 「ここで飲むコーヒーはおいしいね」と言われると、やっぱりうれしい。「お客さんが喜んでくれて、続けてきてよかった」と今は思う。物価高の影響が今後も懸念される喫茶業界だが、マスターの笑顔も続くことを祈った。”(6月23日付け中日新聞)

 「モーニング」という記事欄からです。喫茶店をやっていて、世のためにならないと思った、これが本音なら少し短絡的かな、と思う。世界中でウイルス騒動はもう何回も繰り返してきた。地球は何も人間だけのためにあるものでもありません。それでも人間の叡智で乗り越えてきた。喫茶店は多くの人の多くの楽しみを与えてきた。特に一宮はモーニングサービス発祥の地を売り物にしてきた。コロナ禍でいろいろな知恵が出されている。ボクの周りでも多くの人が毎日のように喫茶店へ行き、モーニングを朝食代わりにしている人がある。また、老人会など何か奉仕活動をすれば必ずと言っていいほど喫茶店の券を渡す。ボクは日課のようにしていく人ではないので、この券で十分用を足している。
 ところが、このウイルス騒動は喫茶店経営の困難さに拍車をかけている。多くは個人経営の小さな店である。この物価高に後継者問題もあろう。ボクらの地方にとって喫茶店は絶対なくなっては困る店である。


(第3346話) 健康な歯

2022年07月11日 | 意見

 “八十歳で二十本の歯を維持するという取り組みはとてもいいことだと思っています。私は歯科医師を五十年以上続けており、八十代となって改めて健康の維持にはそしゃくが大事だとつくづく思うようになりました。食べ物をよくかむことで唾液の流出を促すとともに消化を助ける上、若返りホルモンの分泌をもたらしてくれます。顎の運動で血流を良くできれば脳の各種大病の予防にもつながります。この他私は歯周病を防ぐために毎朝晩、手指での歯肉マッサージを続けています。
 おかげでわが歯は年齢の割に状態が良い気がします。健康寿命を延ばすためにも皆さん、歯と歯肉を保つように心掛けましょう。”(6月22日付け中日新聞)

 名古屋市の歯科医師・横井さん(男・88)の投稿文です。八十歳で二十本の歯、8020の話しを歯科医師自らの実践と重要性についての投稿です。人間どこを損なっても大変ですが、歯は特にだろうとボクも感じています。ただ食べることばかりでなく、いろいろなことに影響を及ぼしている。ぼくが会長をしている健康体操クラブに口腔衛生士が来てくれます。この人の話を聞くようになって、よりそれを思うようになりました。口や舌の体操も重要です。マスクをするようになってそれが阻害されています。従来に増して今こそ歯や口のことについてもっと意識することが必要ではないでしょうか。幸いにもボクはまだ20数本残っており、8020を目指したいと思っています。