寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2967話) カレー配布

2020年05月31日 | 活動

 “岩倉市大地町の「いわくら大地の里の家」で十日、子どもたちに無償でカレーが配られた。貧困家庭や臨時休校中の子どもたちのために「びほく子ども食堂」が企画した。当日までには開催を知った地元住民から、米や現金、野菜が届けられた。雨にもかかわらず、開始時間より前から数人が訪れ、カレー、ごはん、お菓子、レシピのセットを受け取った。
 子ども食堂は新型コロナウイルスの影響で休止している。代表の祖父江鈴子さん(七七)は「食べている表情が見られないのが心残り。早くこの場で食べてもらえるように、コロナが終息してほしい」と願った。テークアウトを利用した、福祉施設に勤める梅村友香理さん(三五)は三児の母。「子どもが休校になり食事の準備が大変だった。一日助けてもらえるだけでもありかたい」と話した。テークアウトは、今月三十一日にも同所で実施する。尾北地域の家庭が利用できる。”(5月11日付け中日新聞)

 記事からです。レストランやその他集まって食べることが自粛され、テークアウトという方式がいろいろなところで始められた。テークアウトの店を紹介する折り込み広告も入るようになった。わが家ももう数度、利用している。この記事は、子ども食堂もテークアウトを試みたというものである。助かる人は多かろう。いろいろな知恵を出したいものである。
 この記事の隣には、子ども食堂を開くボランティア団体がマスクを400枚ほど手作りし、福祉施設等に配ったことが載っていた。また、半田市にある「新美南吉記念館」が閉館になり、ケーブルテレビで館内の豆知識を発信している記事が載っていた。コロナ禍で皆が苦しい中、今までになかった知恵を出している。この知恵が、コロナ禍が過ぎた後の世の中でも生きていくことであろう。そうでなければ単なる禍で終わってしまう。在宅勤務等、いろいろ変わると思う。


(第2966話) 自粛の中で

2020年05月29日 | 活動

 “昨年度、愛知県社会福祉協議会主催のシルバーカレッジを一年間受講した。勉強から遠のいて久しい。不安を抱えつつ参加したが、実に楽しかった。新しい友ができたこともうれしかった。
 そろそろ卒業という時期に新型コロナウイルスの感染が広がり始め、卒業式も中止になった。以後、友と会うことはなくなった。しかし、スマホのグループラインがみんなをつなぎ、近況報告や日常の会話を楽しんだ。そんな時、一人の方から「カレッジで学んだ川柳を作ってみませんか」と提案があった。
 最初は、カレッジの講義以外では川柳なんて作ったこともないし、と渋っていた人たちも、一人また一人とグループラインに川柳が届きだした。自粛生活を嘆く句もあれば、思わず噴き出しそうな高齢者あるあるのひとこまだったり、散歩で出合った季節の草花や、休校中の孫との会話だったり。作品の良しあしは二の次である。
 制限の多い生活にも、一緒に笑い合える仲間がいる。遠く離れていても、知恵を校って暮らしている。カレッジの学びが生きている。今日の一句は何かしら。楽しみが膨らむ。暗い世の中も、乗り越えられそうな気がしてきた。”(5月11日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・滝川さん(68)の投稿文です。シルバーカレッジの同窓生が、その後もグループを作り、交流を深めていく。そしてこのコロナ禍の中で、グループラインで川柳を始められた。いろいろな知恵が出るものである。素晴らしいと思う。
 実はボクは今年の4月から始まる予定であった、愛知県社会福祉協議会主催のシルバーカレッジに参加することに決まっていた。年に30回の講義等がある。余裕ができて参加できると、昨年初めて申し込んだが、抽選で外れた。今年は幸いに当選した。2回目で当選は幸運な方のようである。ところがである。滝川さんの卒業式が中止になったように、入学式も講義も中止になり、そして先日また開講延期の連絡が来た。これでは今年本当に実施されるだろうか、不安になってきた。今年はこれに精力を注ごうと思っていただけに実に残念である。
 この受講生は滝川さんのように卒業後もいろいろ交流が続くと聞いている。それも楽しみしていた。ボクはもうかなり高年の方であろう。今年の機会をなくすとどうなるか分からないだけに、早く開講の連絡が欲しいところである。


(第2965話) 楽しんでマスク

2020年05月27日 | 行動

 “介護という仕事柄、マスクを箱入りで買ってきたが、そんなマスクのストックもついに底をついてしまった。そこで同居する娘が久しぶりにミシンを取り出して、新聞に載っていた型紙を使ってマスクを家族用に何枚か作ってくれた。四月上旬、勤め先の施設に国からの配給品というマスクが届いた。先がとがっていてくちばしのような形状のもので装着するだけで利用者の笑いを誘い、着けるのが楽しくなってきた。立体的なマスクは息がしやすかった。
 施設ヘフォークダンスなどのボランティアに来てくださった方が手作りのかわいい柄のマスクをたくさん届けてくれた。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、ボランティアに出掛けられないため家で作られたのだろう。いろいろな柄があり、私たちは楽しみながら選んで着けている。災害が起きるたび人々の善意が話題になり、その都度人間っていいなあと思ってきた。このウイルス禍も皆で乗り越えよう!”(5月6日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の施設職員・加賀さん(女・66)の投稿文です。市販のマスク不足から、手作りのマスクがかなり広まったようです。加賀さんが言われるように、新聞にもマスクの作り方が紹介され、ボクの妻も作りました。ボクは朝の散歩にこのマスクを付けていきます。マスクは買うもの、と多くの人は思っていたと思います。そして、考え出すといろいろな知恵が浮かんできます。先日の新聞には、服飾デザイナーが花の刺繍をあしらったマスクを作った、と紹介されていました。またある画家は、布マスクを作り始めて縫う作業にはまってしまったと、ありました。またボクの知人で手芸好きな人がマスクを手作りし、その内100枚位を寄付したと報告してきました。人間の良さを感じる話題です。
 国民の努力もあって、少しずつ成果が現れ、コロナウイルスの感染者もかなり減ってきました。しかし、この時期になってもボクのところに国からマスクは届きません。もちろん必要なところから届けてもらえばいいのですが、この政策には最初から子供だましか、とボクは思いました。大金をかけた国が行う政策とはとても思えません。


(第2964話) メールで例会

2020年05月25日 | 活動

 “図書館の会議室に集って創作童話グループの活動を続けて三十年余になりますが、今はこれまでとは全く違ったかたちで活動をしています。新型コロナウイルスの感染拡大のため三月初め、図書館の会議室が使えなくなり、従来の月二度の例会はなくなってしまいました。四月になって「電子メールで例会を行いましょう」との提案がありました。事前に創作した童話を仲間に電子メールで送ることはありましたが、普段の例会で語り合うような童話への感想や評もメールで送り合おうというのです。始めてみると仲間の顔は見えなくても届いた文面を幾度も読み返すうちに仲間の思いが心に染みました。今は、活動できるうれしさをかみしめています。”(5月5日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の加藤さん(女・71)の投稿文です。このいろいろな自粛で、生活様式はかなり変わりました。新たなことに挑戦して、いろいろな発見もあったでしょう。加藤さんのメールで例会もその1つです。言葉だと一瞬で消えてしまうが、メールだと残ります。何度も読むことができます。発信する方も受ける方も慎重になります。これは良いことの方でしょう。でもこのメールでの例会もよく知った仲だからスムーズに進んだことでしょう。これが新規の人だったらどうでしょう。なかなか溶け込めないと思います。ボクにはよく分かりませんが、出会い系メールがあります。メールで出会って、そのまま進行してしまう。トラブルも多く、時には事件さえあります。これは文字だけで知った気になった危険性です。やはりまず会うに越したことはありません。早く自粛の溶けるのを待つばかりです。


(第2963話) 家族の絆

2020年05月23日 | 行動

 “新型コロナウイルスの感染拡大で三月初めから思いの外、学校が長期の休みとなっています。そこで高校生と専門学校生の娘二人に「自分で考えたお手伝いを一日一つはしてほしい」と頼みました。毎日私が仕事に出掛けている間、娘たちは玄関のごみやちりを掃いたり台所や窓をそれぞれ磨いたり・・・。必ず何かをしてくれていて、その出来栄えを確かめるのが私の楽しみになっています。
 家族皆で計画していた旅行や外出も全て取りやめました。その分、家族で過ごす毎週末は昼ご飯を庭で食べたり、家の中でもダイニング以外の場で広げるようにしたりして変化をつけています。娘と三人でマスクを作り、春を探そうとフキノトウを求めて野山を歩きました。「今日は母ちゃんが庭の草引きするわ。好きなことをしてていいよ」。娘二人にそう言ったのに、気付けば皆庭に出ていました。一人だと三日はかかる作業が何と一日で終わってしまいました。”(5月4日付け中日新聞)

三重県伊賀市のパート・花井さん(女・47)の投稿文です。やむを得ず始めた新しい生活、でもその中でいいことも見つけます。家族が絆を深めるチャンスです。花井さんの家族はそれが見事に実りました。娘さん二人が家事を手伝う。多分こんなこともなければなかったことです。今子供が家事をする家庭は少ないようです。親もやらせようとしない。ボクの家庭も同じでした。妻が専業主婦でしたので、娘に手伝ってもらわなくても家事はできてしまう。ボクの家にはかなり広い畑や庭があるのに、ほとんど手伝ってもらったことがない。子供には子供がすることを一生懸命させ、それで頭ばかり大きな子供ができてしまう。本当はこれではいけなかった。子供にも分担させることが、子供には必要だったのです。
 さてこのコロナ騒動で、花井さんのように家族関係が良くなった家庭もあろうが、返ってまずくなった家庭もあろう。これはやはりそれ以前の信頼関係が大きく影響していると思う。いざというときにもやはり日頃が大切であろう。


(第2962話) 風船

2020年05月21日 | 出来事

 “中学校の卒業式から二週間ほどたったある日、担任の先生から一通の封筒が届きました。中からさらにもう一通の封筒。送り主は静岡県伊豆市の六十七歳の男性でした。何とそれは、卒業式で私が飛はした風船の返事の手紙だったのです。
 新型コロナウイルスの影響で危ぶまれたものの、なんとか実施できた卒業式。その最後に、全員でメッセージを付けた風船を飛ばしました。青空を行く風船の美しかったことを、今でもはっきり覚えています。まさか、伊豆市まで飛んでいき、お返事までいただけるとは。手紙には「遠く岡崎から駿河湾を越え、私の畑に落ちてくれたことに感謝、感激です」とあり、私の夢を応援してくださる温かい言葉がつづられていました。
 大海原の上空を悠々と飛ぶ風船の姿と、その風船を拾ってお返事を書いてくださった方のことを想像すると、心が温かくなり、勇気がもらえました。外出自粛が続く中、四月から通うはずだった高校も休校となり、登校することはできません。不安の多い毎日ですが、風船が運んでくれたご縁に感謝し、これからも希望を忘れずに毎日を過ごしていきたいと思います。”(5月3日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の高校生・奥田さん(女・15)の投稿文です。こうした風船の話題も時折あります。以前にも紹介したと思います。今回はこの騒ぎの中の昨日今日の話で、特にホッとしたものを感じました。
 岡崎市から伊豆市まで、山を越え街を横切り海を渡る。ボクには何か奇跡のような気がします。こんな長距離を一度も落ちることもなかったでしょう。落ちたらそこで終わりのはずです。風船はそんなに飛ぶものか、見つけた方もそんなことを感じられ、感謝、感謝と思われたのでしょう。そしてこのコロナ騒動で、気分も滅入りがちの今日です。いつもより嬉しく感じられたと思います。そしてすぐに手紙を書かれたのでしょう。老人と高校生の交流、これを機縁に続くでしょう。ボクには老人の方に喜びは大きかった気がします。ボクも老人ですからよく分かります。
 誰にも辛い日々でしょうが、特に高校大学などの新入生には辛いものがあると思います。希望と不安に満ちた新入生、それが始まらないのです。もう少しで始まります。耐えて下さい。


(第2961話) 死後後悔しないために

2020年05月19日 | 意見

 “いざというときのためにエンディングノートを用意したのは還暦を過ぎた頃だった。手元に置いただけで具体的な考えはなく、自分の経歴を記入してそのままにしてきた。それが最近、いつ自分がどんな最期を迎えるのかといった不安にさいなまれる機会が随分増えた。残された家族に伝えたいと思う大事な事項がノートには何も記されていないことに焦りを覚えた。
 人生の終わりは若年、老齢に関係なく、じわじわとあるいは突然やって来る。どの人にもそれまで生きてきた歴史があり、その人の周りではこれまで関わってきた人たちとのそれぞれの縁がある。残された人々に伝えたいことは? 自分の死後やってほしいことは?
 生きているうちにそれらをきちんと書き残しておかなければ死後、後悔するだろう。遺族を困惑させないためにもノートヘの記入を急がなきゃ。私は今そう考えている。
(4月29日付け中日新聞)

 愛知県安城市のパート・松田さん(女・65)の投稿文です。エンディングノートを書くのもなかなか難しい気がする。というのはボクも全く松田さんと同じ体験をしているからである。松田さんは還暦の頃と言われているが、ボクはもう少し遅かった気がする。買ってきて少し手に付け、今日までそのままになっている。松田さんはボクより10歳も若い。それを今、急がなきゃと考えられた。ボクはどうすればいいのか。
 コロウイルス騒動でここのところ活動が全く停止している。そして浮いた時間を、書斎の整理に当てようと、本等の整理を始めた。これも以前から気になっていたのである。終活終活と騒がれる、その手始めである。先日、捨てるものは捨てた。と言っても、3割も捨てたであろうか。本棚に少し空間ができた程度である。明日死ぬかも知れないが、あと20年生きるかも知れない。未練が残ってなかなか捨てられないものである。ここは当分残したものの整理に当てたい。さて、その後はエンディングノートであろうか。ボクこそ急がなきゃいけないのだ。


(第2960話) 不安あおるBGM

2020年05月17日 | 意見

 “新型コロナウイルスの影響で私も不要不急の外出を控えるようになり、家の中で過ごす時間がめっきり増えました。感染拡大のニュースはテレビを見ているだけで疲れてきます。そんな中で私が最近特に気になっているのはバックグラウンドミュージックの使い方です。
 安倍音三首相が「感染を防ぐため街に出歩くことを避けてください」と発した後、人通りが少ない渋谷の街が映し出され、「人が異様に少ないですね」と出演者がコメントしていました。そこで流されたのは視聴者の不安をあおるような旋律の調べでした。「えっ、ここは市民が感染縮小に協力している姿を褒めたたえる場面では?」と私は違和感を覚えました。
 テレビ局は、どうして市民をさらに暗い気持ちに誘導しようとするのでしょう。何者かが、悪意を持って私たちの五感に忍び込んでそれぞれの感情をコントロールしていたとしたら・・・。背筋がぞくっとしてきました。”(4月25日付け中日新聞)

 岐阜県関市の主婦・木村さん(52)の投稿文です。新聞もテレビも、毎日毎日、これでもかこれでもかとコロナ一色である。不安をあおり立て、注意を喚起することもあろう。しかし、これだけ続くとどうなんだろう。
 結果論かも知れないが、ボクには何か初動を誤った気がする。政府や行政は安易に考えていたのではなかろうか。こうした注意喚起も一挙に進めねばならなかった。いろいろ自粛要請も短期間ならできるが、長くなれば耐えられなくなり、危機感も減っていく。ボクらは自粛できるが、長くはできない人もある。
 もうここまで来たら、不安をあおるより、いろいろ頑張っている人を褒め称えることの方が良いのではなかろうか。こんなに素晴らしい日本人もあるのだ、と思えれば明るい気持ちにもなる。最近はそんな記事も少し増えた気がする。報道機関の影響力はすごいものがある。いろいろな考え方があろうが、何がいいか、もう一度しっかり考えてもらう必要がある、と思う。そして、今に到っても党利党略、我が身保守、このどさくさを利用しようとする気配を感じるのは、ボクだけだろうか。


(第2959話) 四字熟語

2020年05月15日 | 意見

 “新型肺炎、密閉状態、飛沫感染、濃厚接触、非常事態、陽性反応、集団感染、自宅隔離、院内感染、休校要請、公演中止、臨時休館、不要不急、外出自粛、在宅勤務、時差出勤、厳重警戒、雇用不安、入国制限、感染集団、患者急増、感染経路、重大局面、渡航自粛、都市封鎖、休業補償、医療崩壊・・・。
 新型コロナウイルス関連の新聞記事で二月以降、実にたくさんの四字熟語が出てきた。それまでは新聞紙上でカタカナ語が随分増えたなと思ったが、今回は四字熟語の方が圧倒的に力タカナ語よりもインパクトがあり、意味がダイレクトに伝わってくる。新聞から抽出したこれら四字熟語には振り仮名を付けて愛知県春日井市に住む小学校四年生の孫に送る予定だ。”(4月5日付け中日新聞)

 名古屋市の加藤さん(男・65)の投稿文です。カタカナ言葉の氾濫について、4月17日付けの第2945話でも紹介した。この投稿文はそれを補強する意見である。よくもこれだけ四字熟語を集められたものである。と言ってもこれらはコロナ関連の言葉であるので、数日の新聞で見つけられるだろう。そして、ボクは4月29日の中日新聞からカタカナ言葉を拾い出してみた。クラスター、スキーム、ゲノム、フェースシールド、ステイホーム、パンデミック、フリーランス等々、これらもコロナ関連の言葉のほんの一部である。しかし、四字熟語は昔から使われている言葉であるが、カタカナ言葉は最近使われ始めた言葉である。しかし、四字熟語は新しいものでも使っていなくてもおおよその意味は分かるが、カタカナ言葉は全く意味が浮かばない。インターネットやスマホで使われている言葉を拾い出したらどのくらいになるだろうか。インターネットやスマホを使っていない高齢者はまだ多かろう。これらを使わない人は、新聞の内容をどれだけ理解できるだろうか。こういうカタカナ言葉を使う人、また新聞等を作る人は知識人である。どういう人とやり合うのか、どういう人に理解して欲しいのか、そこを理解して使わないと、自己満足の域で終わってしまうだろう。


(第2958話) あたたかい手

2020年05月13日 | 人生

 “温室メロン農家へ嫁いで一年がたった。夫も私も子育ての終わった再婚同士。気楽に関わり合いながらも、仲良く過ごしている。農業とは無縁の生活をしていた私にとり、嫁いだ当初は戸惑うことぱかりだった。拙い私の作業を、夫はもちろん、義父母も長男も温かく見守り、優しく指導してくれた。
 今年も桜の季節がやってきた。数日前の夜のこと、風邪をひいたことに加え、蓄積していた疲れが重なって体調を崩した私は、気持ちが不安定になり、涙が止まらなくなってしまった。不安でいっぱいになり、悲しくてどうしようもなかった。すると突然、泣きじゃくる私の手を、夫がぎゅっと握ってくれた。何も言わず、ただただ静かに。その手のぬくもりは、私の心を落ち着かせてくれた。おかげでその夜は、安心して眠りにつくことができた。
 最愛なる夫へ。思いがけない優しさをありがとう。普段はすごく不器用で、気の利いた言葉をかけてくれることもないけれど、あなたのそのあたたかい手がある限り、この先どんなにつらいことがあっても大丈夫と信じている。そして、もしこれからあなたにつらいことがあったら、今度は私があなたの手をぎゅっと握ってあげるからね。”(4月22日付け中日新聞)

 静岡県袋井市の自営業・原さん(女・51)の投稿文です。この投稿文にもいろいろな示唆がある。「夫も私も子育ての終わった再婚同士」と言われる。まだ後が十分にある人生である。再婚同士で構わない。でもお互い子供もあって難しい環境である。前の配偶者のこともある。でもこの文から見ると、皆が温かく見守り、助け合っていると感じられる。最愛なる夫とも書かれている。こんな人生もあるのだ、と感嘆する。それ以前の結婚生活はこの文では分からない。だが、以前にも勝るとも劣らない生活ではなかろうか。夫婦とは赤の他人が一緒になるのである。本当にいろいろなドラマが生まれる。人間、どこでどんな運に出合うか分からないものである。
 農業とは無縁の人が農家に嫁ぐ、この決断も大変なことである。それも50歳になってからである。今は昔の農業と違って楽になったと言っても、農業は大変な仕事である。いろいろ管理できる農業になったと言っても、自然が相手である。なかなか思うように行かないものである。毎回試行錯誤だけにやり甲斐もある。自然相手だけに優しくもなる。原さんは人生後半の幸せを満喫されるだろう。