寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3178話) ドクダミ

2021年07月31日 | 知識

 “ドクダミは昔から嫌われている雑草の一つだ。繁殖力が強く、他の植物の生存を脅かし、あっという間に広がるから。そんなドクダミがわが家の庭に三十本以上生え、花も咲かせた。花びらのような総苞は白い十字の形をし、中心から伸びた黄色の小花はかれんだ。ただ庭いっぱいに咲くと困るので駆除を兼ねて根から抜いた。
 駆除した花や茎、葉は袋に詰めて風呂に入れた。それらは肌に良く、吹き出物対策にいいという。花は花瓶に生け、葉は乾燥させて緑茶に混ぜて飲んだ。「十薬」とも呼ばれるだけあって利用価値はかなりありそう。別の活用法も調べようと思っている。”(7月13日付け中日新聞)

 名古屋市の河野さん(女・69)の投稿文です。ドクダミについてはこの「話・話」 ですでに書いたはずだと思って調べてみたら、2009年6月21日第1128話で書いていた。もう12年も前のことである。読んでみると、今も全く同じ気持ちである。
 河野さんはドクダミが30本以上生えて、丁寧に根から抜いたと言われる。30本などとは易しいもので、これは甘い。一度生えたら除草剤を頻繁に使うなどしないととても絶やすことはできない。少しでも根のかけらが残っていたらそれからが伸びてくる。一度侵入されたらもう上手に付き合うより仕方がない。ボクなど栽培しているかと思われるほどである。
 しかし、よく見ればいい草である。一面に花を咲かせた時など綺麗なものである。また十薬と言われるほどに、役に立つのである。妻はいつも花瓶に挿して、消臭剤代わりにしている。強すぎるが故に嫌われるのであろう。


(第3177話) 97歳の決断

2021年07月29日 | 人生

 “「スマホに替えようかと思うのだけれど、携帯電話会社の店に一緒に行ってくれないか」満九十七歳の祖父からの電話に驚いた。七十七歳で事業を廃業し、老後の生活を始めた祖父は、大正十二年生まれ。八十八歳の時、自宅で心筋梗塞で倒れた。たまたま訪れていた叔母のおかげで発見が早く、助かった。
 その後は、、読書会などに車を運転して出かけ、リポートをパソコンで打って保存、私にファクスで送ってくれる。戦争経験者で、当時の話を最近は聞かせてくれるようになった。夫婦そろって入れ歯もなく、全て自分の歯だ。
 そんな祖父が、スマホに替えると言い出したが、周りはガラケーのままでいいのではと言っていた。買い替えの理由は「これ以上、年を取ると覚えられなくなるから」だった。「なるほどね」ってならないよ! たくさんのツッコミの声が聞こえてきたが、祖父は買い替えた。慣れない操作を少しずつ覚えた。電話に出られる、フリック入力を覚え、ラインで会話ができる。コロナ禍でなかなか会えない孫、ひ孫とつながり、写真や動画に目を細め、うれしそうにしている姿が印象的だ。高校生の娘は「ひいおじいちゃんとライン友達」だと言って、友達を驚かせている。”(7月6日付け中日新聞)

 静岡県島田市のパート・登沢さん(女・45)の投稿文です。「これ以上、年を取ると覚えられなくなるから」と97歳の人が言う。こんな言葉をシャアシャアと言われたら言葉もない。もう人間の意欲、能力などと言うのは年齢で線引きなどできない。寿命も分からない。沢登さんのおじいさんは今何歳と思っておられ、幾つまで生きると言われるのだろうか。そんなこと考えたこともないと言われるかも知れない。多分これが正解だろう。人間、限界を設けていけない。限界を設ければそこまでである。
 97歳までと言われると、ボクには生まれてから大学卒業までの期間がまだあることになる。この間にはどれだけのことがあったろうか。ちょっとやそっとでは言い表せない。これからまだそれだけのことができるのである。年齢を考えなければ条件的には今の方がはるかにいい。こうなるともう年齢は考えないことである。目の前にある状況を見つめ、後は意識、意欲だけである。などと沢登さんのおじいさんに乗せられ、調子に乗っているととんでもないことになる。あと5年、あと5年がいいところである。


(第3176話) 体重ノート

2021年07月27日 | 行動

 “毎日体重計に乗り、数値をノートに記録している。最初の記録は十年前にさかのぼる。もともと健康管理の一環で何となく始めたが、ちょうどフィットネスクラブに通い始めた頃で、体重計に乗ることはその後すっかり習慣化した。他に体脂肪率、便の有無と回数、体調の変化なども記録し続けている。こんな記録ノートは全て保管してある。読み返すと付け始めたときよりも体重はかなり減ってきて、思えば腰痛は随分改善された。その時々の体の状況だけでなく、どんな医者にかかったかも分かる。
 ノートは現在四冊目。今や人生の記録となっていて、これからも毎日続けるつもりだ。”(7月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・渋谷さん(60)の投稿文です。人はいろいろ記録する。日記や家計簿はその代表であろう。歴史を知ることが必要のように、日常の生活においても現在や未来のためには過去を知ることも必要である。その為には記録が必要だ。そしてその記録も様様である。渋谷さんは体重などの体の状態を記録されている。それも種々、毎日十年以上と言われる。こうなるともう記録魔ではなかろうか。それも手書きであるようだ。いい生活の習慣である。習慣は生活を規則正しくさせる。これも人間の知恵である。
 ボクは思いつきで体重計に乗る。週に2、3回であろうか。あるメーカーの体重体組成計である。体重はもちろん、体脂肪率、骨格筋率、体年齢等を表示してくれる。そして、その記録は記憶され、時折パソコンに読み取る。こうしてもう5年以上になる。面白いのは体年齢である。ボクの体重では増えると体年齢が上がる。標準より少し重いと言うことだろうか。ボクは今のところ60歳前後を行き来している。体年齢は実年齢より15歳も若いということである。これは実に気分がいい。でも15歳というのは若すぎる。これは気分をよくさせる機種かも知れない。


(第3175話) ブタはしゃべる

2021年07月25日 | 知識

 “わたしは自転車教室を通じて知ったことが二つあります。一つ目は自分の後ろをかくにんすることの大切さです。これまで自転車で道路をわたるとき、「右、左、前」と声に出しながら周いを見てきました。しかし自分の後方について気を回したことはありませんでした。ひょっとして自分のすぐ後ろに車や別の自転車、人がいたらと思うとヒヤッとしました。
 もう一つは「ブタはしゃべる」です。ブレーキの「ブ」、タイヤの「タ」に、「は」は反しゃきライト、「しゃ」は車体、「べる」はベルをさし、それらをつなげたひょうごです。これらを思い出しながら自転車に乗るのです。自転車をひんぱんに点けんする必要性も分かりました。わたしはこの先、自転車に乗るさい周りに気を配って楽しく安全に動かすつもりです。2(7月1日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の小学生・水野さん(女・10)の投稿文です。「ブタはしゃべる」とは何のことかと思ったが、自転車教室で学ばれたことらしい。自転車のそれぞれのことについて注意を払いたいと言うことである。何とも愉快な表現である。
 自転車は便利だ。特に車の運転ができない人にとって、自転車がなかったらどうしようかとなろう。特に中高生にとっては通学の手段の人は多かろう。ところが車社会である。自転車は車両である。車と同等である。車道を走る。しかし、その大きさ、動力の程度、スピード、どう見ても車と同じには思えない。完全なる弱者である。そして、歩道がある道路では、歩道を走ることが一般であろう。認められていなくても、歩道があれば歩道を走る。その方が安全である。そして歩行者に比べれば自転車はこれまた凄い強者である。この3者が入り組んでいる道路である。自転車はその中間である。それだけに強者に対する対応と弱者に対する配慮が必要である。こう考えると自転車は難しい乗り物である。


(第3174話) 切手4万枚

2021年07月23日 | 行動

 “趣味で世界の切手をコレクションしていて、最近はインターネットオークションで使用済みの寄せ集めセットを買い求めている。購入すると一度に何百枚も届くため、朝から晩まで切手とにらめっこしている。まずスマートフォンで国名を検索し二百近い国・地域ごとに整理する。現在の手持ちは四万枚ほど。膨大な数を前にして、この上ない喜びを感じている。
 切手の魅力に取りつかれて五十年。五輪の記念切手二千種を近くの郵便局で展示したこともあった。新型コロナウイルスの影響で外出はままならないが、家の中で切手のそれぞれの国や地域に思いをはせる至福のときで浮き浮きしてくる。”(7月1日付け中日新聞)

 津市の伊藤さん(男・73)の投稿文です。切手収集を趣味にされている人も多かろう。伊藤さんは4万枚といわれる。どれ程の量か、嵩かボクには見当がつかない。この歳になると皆さん、断捨離とか言ってその処分に頭を悩まされる人が多い。先日は硬貨の処分で相談を受けたし、絵画の寄付した人も知っている。ところが伊藤さんは違うのである。まだ収集を続けられ、楽しんでおられる。人生百年と言われる時代である。70代で終活などと言っているととんでもないことになる。と言っても人間、明日も知れぬ命である。残された人が戸惑わない配慮はしておいた方が良いが、処分など最後の最後でいいし、しておかなくたって捨ててもらえばいい。楽しめる間は楽しめばいい、ボクは大いに伊藤さんに賛同したい。ボクは活動はあと5年、死ぬのはあと10年先、と毎年言っている。1年無事すぎれば1年先延ばしである。


(第3173話) 神社の石碑

2021年07月21日 | 活動

 “千年以上の由緒を持つとされる一宮市萩原町串作の室原神社で二十七日、神社の歴史や伝承を記した新たな石碑などが、関係者ら約三十人に披露された。町民の安全を願い、歯科医師で氏子総代の伊藤弘昭さん(七四)が、石碑二つとこま犬一対を自費で奉納した。石碑の内容は、地元の歴史を研究する萩原町郷土史研究会のメンバー三人が監修。約二年間で、二十回以上の校正を繰り返して完成させた。
 由緒を伝える石碑には、江戸期の絵図を刻印して年表も添えたほか、大正時代に合祀された周辺の神社との位置関係も図示した。もう一つの石碑には、現在も境内に残る池で雨乞いをすると、水の神が竜の姿になって現れて雨を降らせたという伝承を記した。伝承にはふりがなとイラストも加え、子どもにも分かりやすいように工夫した。
 この日は、神職が神に完成を伝える神事をした後、石碑の前でおはらいした。野口弘隆宮司(六七)は「神社の由緒を一般の方にも知ってもらえる。次の世代にも伝えたい」と語った。伊藤さんは「子どものころから親しみを持てる神社にしていきたい」と話した。”(6月28日付け中日新聞)
 
 記事からです。ここに写真は載せていないが、あまり見かけないほど立派なものである。それも個人の寄付である。そのお金の寄付もなかなかできないことであるし、それに呼応していろいろな人が協力をされて出来上がったのも嬉しい。神社の由緒書きがこうした協力によってできるのはまた意味が大きくなる。訪れる人に大きな印象を残すであろう。
 ボクはウォーキングで、こうした寺社を多く訪ね歩いている。こうした由緒書きがあるかないかは大きな違いである。是非各所で増えて欲しいと思っている。それがその地域のためでもある。ボクも今年、氏子総代を務める地元神社の由緒書きを作った。前々から気にしていて、氏子総代になった機会を利用した格好になった。そのついでに、村にある馬頭観音の由緒書きも作った。今、お寺さんに作られるように話し掛けている。より愛着が沸くものである。


(第3172話) 手書きでの「体得」

2021年07月19日 | 意見

 “簡単な漢字を書けなくなったという話をよく耳にする。年相応の物忘れもあるのだろうが、ITの発展からパソコンやスマ-トフォンで簡単に文章をつづれる便利な世の中になったのも一因ではなかろうか。現代の文明の利器に慣れ、手書きの機会が減ったためと推察する。
 漢字を学ぶ際、知識を習得するだけでは不十分。紙媒体の漢和辞典で意味を調べたり、実際に書いたりする「体得」が肝要だ。辞書を引くには部首や画数を知らなければならず、手書きなら筆順から身に付くため、こんな手間をかけただけ忘れにくくなるはずだ。若い方もたまには手紙を書いたり、メモを取ったりしてはどうだろうか。”(6月26日付け中日新聞)

 大津市の書道講師・宇野さん(男・81)の投稿文です。宇野さんは漢字が書けなくなった理由に、老化と書く機会が減ったことを挙げられた。宇野さんは高齢者と言っても書道講師であり、辞書まで引いておられる。これは自分の話ではなく、一般論であろう。生活で必要なことだけしているのであれば、自筆で書く機会はほとんど無いと言ってもよかろう。書いてもこのようにパソコンやスマホである。これはもう書くではない。打つである。漢字も読むだけなら知識でよかろうが、書くとなれば体得が必要である。体で覚えなければ書けない。宇野さんは81歳である。それでこの心がけは立派なものである。
 ボクは毎日自筆で日記を書き、新聞の書き写しをしている。日記で漢字が怪しいと思うと、電子辞書を引く。書き写しは500字程度と短いが、それでも効果は大きいと思っている。さらさらと惰性のように書くのと、一画ずつを確認しながら書くのとは違うのである。
 体得の重要性は何も書くことだけではない。体で覚える。これは小さいときからすることを勧めたい。


(第3171話) 背筋ピン

2021年07月16日 | 意見

 “「女の子は姿勢で二割かわいくなるのよ」―。女優の木村佳乃さんが祖母に言われたと、あるテレビ番組で語っていた。とてもすてきな言葉で、その通りだと思った。立ち姿が猫背だと自信なさげに映り、背もたれにふんぞりかえって座れば横柄に見えてしまうだろう。
 小学生となった長男が今春卒園した幼稚園の先生方は皆姿勢が良かった。笑顔や身なり、言葉遣いとともに姿勢が大事なのは男性も同じだろう。小学校入学の際、息子から「初めてのお友達はドキドキする」と言われ、「背筋を伸ばしてあいさつするといいよ」と助言した。近くある学校の保護者向け講習会には、私も背筋を伸ばして臨むつもりだ。”(6月26日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・池田さん(34)の投稿文です。背筋ピンは、好印象を与える大きな要素である。人は見かけではないと言うが、何も知らなければまず見かけから印象を持つ。最初の印象がいいか悪いかは、後々かなり影響するであろう。最初の印象は顔の表情、姿、服装からであろうか。顔が明るいか暗いか、笑顔かブスッとしているか、まずはこれであろう。これは数回前にも書いた。そして姿がピンとしているか、前屈みか、腰が落ちていないかである。ボクの孫は背が高いせいか、腰を落とし前屈みである。最悪である。来る度に注意をする。ボクは腹を引けという。腹を引くと自然に背筋が立つ。ボクはこれを心がけている。高齢になるほど前屈みになる。今のところボクは褒められている。


(第3170話) じぃ様とばぁ様

2021年07月14日 | 人生

 “私の家族は、夫、小学六年、小学一年、保育園年中、生後三ヵ月の四人の子どもの六人家族です。そして、隣の家には姉一家が住んでおり、そこには幼稚園年中と三歳児がいます。そして、その隣は私の実家で、とても元気なじぃ様とばぁ様が住んでいます。「とても元気」というところがポイントで、日々の暮らしのサポートを存分に受けています。
 子どもたちも「じぃちゃんち行ってくる」と早朝から遊びに行ったり、家で叱られると駆け込み寺のように走って行き、しばらくするとケロッとした顔で帰ってきたり。子どものいろいろな気持ちを受け止めてくれます。そして何より、今年の三月に四人目を出産した際は、夫が一ヵ月の育児休業を取得してくれたので、私は実家で赤ちゃんとゆっくり過ごさせてもらいました。
 じぃ様は赤ちゃんが泣くとすぐに抱っこし、ばぁ様は遊びに来た上の子の相手をしてくれました。おかげで高齢出産でヘトヘトだった私は、とても助かりました。いろいろな意味での感謝の気持ちを込めて、赤ちゃんには「礼」と名付けました。私の育児はまだまだ続きますが、じぃ様とばぁ様が近くにいると思うだけで心強い。いつまでも元気でいてね。”(6月25日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の主婦・山下さん(39)の投稿文です。2世代、3世代の家族がどのように住まうのか、長寿社会となった現代は大きな課題である。一昔前なら、誰かが親と同居し、他は別に家を構えるのが一般的であったろう。今やボクのような農村地帯でも同居家族は少なくなった。同居して気持ちよく過ごせれば、これに超したことはない。経費的にも楽だし、いろいろ助け合える。ところがなかなかそうはいかない。嫁姑問題ははるか昔からあったようだし、誰かが一方的に従うことではない。世代の相違はなかなか乗り越えられない。
 そしてこの山下さん家族の話である。家を別々にしながら近くに住まう。ボク今が思うに、この環境ができれば最善ではなかろうか。山下さんの話でもそれを感じる。細かな生活は覗かない。何かの機会を見つけて訪ねる。このように助けるときは好都合である。ボクの知り合いにも山下さんと全く同じような家族がる。これはかなり恵まれないとできない。この幸運を十分に味わって欲しい。
 ボクはここまでは行かないが、長女家族は150mほど離れたところにおり、次女は車で10分ばかりのところに住んでいる。十分に恵まれた方であろう。


(第3169話) 己書

2021年07月12日 | 活動

 “自由に自分だけの書をつくる「己書」の作品展が二十二日から、一宮市役所本庁舎の市民ギャラリーで開かれる。七月二日まで。「己書で彩る世界」と題し、日本己書道場(名古屋市)の上席師範で、一宮市天王で指導する林巳幸さん(五六)と、門下生計十四人の作品約五百点が並ぶ。色紙やはがきには水彩絵の具で描かれた鮮やかなイラストに「夢をかなえるためにはタイミングを逃さないことが大切」「人生は楽しんだもの勝ち」など、前向きな言葉が添えられている。
 林さんは「市民に明るい気持ちになってもらえたら」と、初めて作品展を開催した。犬山市の門下生、曽我実生さん(五五)は「たくさん良い言葉を書くので、心が落ち着く」と己書の魅力を語った。”(6月22日付け中日新聞)

 記事からです。先日市役所へ用事で出かけ、その折市民ギャラリーを覗いた。ちょうどこの「己書」の作品展をやっていた。はがき大のものが多かったが、見事なものである。自由に自分だけの書をつくる「己書」とあるが、これはかなりの修練と根気が要ると思った。
 ボクが絵を描いたのは学校時代以外無い。素養もあるとは思えない。でも、最近書いてみたいと思うことがある。絵手紙がいいだろうと思っているが、その機会が無いまま過ぎている。9月から始まる公民館の成人講座で、己書の時間があること知った。己書を見た機会であるし、この講座の話も聞いてみようと思う。何が縁となるか、分からない。