寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3577話) 命のありがたみ

2023年11月02日 | 人生

 “お盆に滋賀県の実家に帰省して小・中学校の同級生と数年ぶりに再会し、友の親の戦争体験を偶然耳にしました。原爆投下の数日前まで広島の爆心地近くに住んでいたそうで、「1945年8月6日、親がもし広島にいたら私は生まれていなかったよ」という友の何げない一言で涙がこぼれ落ちそうになりました。こうして今、友と話をしていることが奇跡に思えてきました。
 戦死した母方の祖父が生前、戦地から家族に宛てた手紙が母の手元にあったことを思い出し、友と別れて実家に戻って見せてもらいました。祖母や幼かった母へのいたわりがつづられていて胸が熱くなりました。戦後78年の夏。戦争を身近に感じた私は今、命のありがたみをわが子2人にも伝えたいと考えています。”(10月5日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の主婦・中島さん(51)の投稿文です。世界は戦争撲滅を訴えながら、戦争は減るどころか増え続けている。報道は毎日戦争のことを書いており、今や世界中が戦争気分ではなかろうか。なぜこれほどに人間は愚かであろうか。権力と欲がそれを上回っているからであろうか。
 広島の原爆投下の時には広島にいなかった。何という幸運であろう。でも、たまたま広島にいた言う逆の人もいたであろう。そして、原爆に出合った。阪神淡路大震災もそうである。たまたまいなかった、たまたまいた、これはもう人間の能力を超えたところである。もっと身近な日々の出来事でもあるであろう。こうしたところを運良く切り抜けてきた人に今があるのである。もう、生かされていると、考えるより仕方がない。前回、前々回と、ボクのつい最近あった高血圧のことを書いた。あの日は家にいた。その前日は旅行中であった。これも幸運であった。この幸運を生かして、もっと頑張れと言うことであろうか。


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