寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3609話) 庭終い

2024年01月05日 | 行動

 “「終活」という言葉を聞くと「庭終いをせねば」と、急かされる思いがあった。二十数年前、紅葉する庭に憧れて、沢山植えた雑木が高木となり、後始末が気になっていた。ところが思わぬ人生の計らい。三女の家造りが、地目変更の難航で二転三転。結局、我が家の目の前に、庭を更地にして建てることになった。娘は、私が大事にしている庭を潰すことを気にした。いずれは子どもたちに負担をかけない庭終いを考えていたので、心配は無用と伝えた。しかし一抹の寂しさはぬぐえない。珍しい花木も、手作りした雑木林の中の小径も、休憩所もみんな無くなる。その日が来るまで沢山写真を撮った。
 未練がましい思いは当日もあった。今を盛りと咲くノウゼンカズラ、槙の木に絡みついて夏の一押しだったが、根元から切られ、トラックの荷台に載せられた。そして、ショベルカーの爪でグシャッ、グシャッと押さえつけられ潰された。さすがに辛かった。
 それでも重機の力は凄い!どうしたものかと考えあぐんでいた庭終い。伐採、抜根、整地を、たった2日で終了。100坪の更地となった。思い悩んだ日々が懐かしいほどの見事さだった。「案ずるより産むが易し」とは、このようなことかと教えられた。”(12月12日付け中日新聞)

 静岡県磐田市の主婦・青島さん(73)の投稿文です。「○○終い」という言葉をよく聞くようになりました。庭終い、こんな家庭も多いでしょう。青島さんの話を聞くとビックリです。こんなに立派になった庭を更地にしてしまうとは、残念でしょう。でも後には娘さんが住まわれるのです。そして、整地を見ていていろいろ吹っ切れました。
 ボクの家も、多分ボクがいなくなれば更地になるでしょう。もう今でも、少しずつ樹木を減らしています。特に昨年秋には、大きな木をかなり思い切って切ってもらいました。剪定に脚立に乗るのがおっかなくなって来たのです。落ちてでもしたらもう一巻の終わりです。根元から切るもの、背丈ぐらいで切るもの、いろいろお願いしました。そうしてもう少しの間、剪定を続け、それができなくなったらもっと切ることになるのでしょう。
 「○○終い」、昔はあまり聞かなかった気がします。最近はこればかりです。いろいろ続かなくなったと言うことです。継続のない社会、どんな社会になっていくのでしょう。


1 コメント

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Unknown (ハナミズキ)
2024-01-08 12:29:05
庭終い。
私も昨年、六本の花木を切りました。毎年季節になるとそれぞれに癒しを与えてくれた花木。
早春に咲くマンサク、レンギョウ、ビョウヤナギ、はなみずき、オオテマリ、コテマリなど、庭の燈籠が見えないくらいになり、歳を重ねると共にに手入れもたいへんとなりました。
帰省するごとに長男が刈り込みをしてくれてはいましたが、それでも一日では済まず、
たいへんでした。
昨年5月に決心してそれらの花木とさよならをしました。
庭の景観は今一つと言った感じですが、切ったおかげで見通しがよくなり、市内のネオンや城、それにいままで二階のベランダで見ていた大花火が、縁側から寝転びながら、見えるようになりました。
 
終活は大切です。私はその点は思い切りがよく、どんどん捨てて行きます。
庭終いすっきりしました。
残っている庭の木も今年はもっと短くしょうと考えています。

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