竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌897から集歌903まで

2020年09月04日 | 新訓 万葉集
老身重病經年辛苦及思兒等謌七首  長一首短六首
標訓 老いたる身に病(やまい)を重ね、年を經て辛苦(くるし)み、及(また)、兒等を思(しの)へる謌七首
集歌八九七 
原文 霊剋 内限者 (謂瞻浮州人等一百二十年也) 平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 鹹塩遠 潅知布何其等久 益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等々々波 斯奈々等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖々波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由
訓読 たまきはる 現(うち)の限(かぎり)は (瞻浮州(せんふしゅう)の人の等(ひとし)く一百二十年なるを謂ふ) 平(たいら)けく 安くもあらむを 事も無く 喪(も)も無くもあらむを 世間(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく いとのきて 痛き瘡(きづ)には 辛塩(からしほ)を 灌(そそ)くちふが如(ごと)く ますますも 重き馬(うま)荷(に)に 表(うは)荷(に)打つと いふことの如(ごと) 老いにてある 我が身の上に 病(やまひ)をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息(いき)衝(つ)き明かし 年長く 病(や)みし渡れば 月累(かさ)ね 憂(う)へ吟(さまよ)ひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さはえ)なす 騒(さわ)く児どもを 打棄(うは)てては 死には知らず 見つつあれば 心は萌えぬ かにかくに 思(おも)ひ煩(わづら)ひ 哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 魂の期限を刻む、その生きている限りは(瞻浮州の人の寿命が百二十年であることをしめす)、病もなく平安で安寧でありたいものを、特別な事件もなく、葬儀を出すこともないままであってほしい、その世の中が憂欝で辛く思われることは、ことさらに痛い傷に辛い塩をそそぐように、ますます重い馬の荷物にさらに荷を載せると云うような、そのような年老いている私の身の上に、さらに病が重ねてやってくると、日中は日中で嘆いて暮らし、夜は夜で溜息をついて夜を明かし、長い年月に病に罹って、月日を重ね、憂え呻いていると、この状況では死んでしまうと思ってしまうが、皐月の蠅のようにうるさく騒ぐ子供たちを、そのままに打ち捨てて死ぬことも出来ずに、その様子を見ていると、心の中に想いが芽生えてくる。ああもこうもと考えあぐねると、恨みながら泣けてしまう。

反謌
集歌八九八 
原文 奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由
訓読 慰(なぐ)むる心はなしに雲(くも)隠(かく)り鳴き行く鳥の哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 人を慰めるような心もなく雲間に隠れ鳴いて飛んで行く鳥のように、ただ、恨みながら声をあげて泣けてします。

集歌八九九 
原文 周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓作夜利奴
訓読 術(すべ)も無く苦しくあれば出(い)で走り去(い)ななと思へど許良(こりよ)にさ因(よ)りぬ(子らに障(さわ)りぬ)
私訳 どうしていいのか対処の方法もなくて、ただ苦しいだけであれば、この世から飛び出て走り去ってしまいたいと思ってみても、そうする間に七十六歳ほどの年になってしまったが、後継者に障りがある。
注意 原文の「許良」とは律令の規定では賤しい身分の人が七十六歳で良民になることを許されることを意味します。ここから山上憶良が七十六歳ほどの高齢になったことを示していると解釈しています。

集歌九〇〇 
原文 富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母
訓読 富人(とみひと)の家の子らの着る身無み腐(くた)し棄(す)つらむ絁綿(きぬわた)らはも
私訳 多くの家族を持つ家の、その後継者たちが着るはずの、その肝心の後継者が無くて、その着物を腐らせて捨ててしまうのでしょう。りっぱな絁や綿で出来た着物を。

集歌九〇一 
原文 麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
訓読 麁栲(あらたえ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてに斯(か)くや嘆かむ為(せ)むすべを無み
私訳 氏の長者としての神事で着るはずの栲で作った着物を着せることをためらうので、このように嘆くのでしょうか。どうしていいのか対処の方法もなくて。

集歌九〇二 
原文 水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
訓読 水沫(みなわ)なす微(いや)しき命も栲(たく)縄(なは)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ
私訳 水面に立つ泡のような儚い命ですが、栲で作る縄のように丈夫で千尋ものように長くあってほしいと願いながら生きています。

集歌九〇三 
原文 倭父手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母可等 意母保由留加母
(去神龜二年作之 但以故更載於茲)
訓読 倭文(しつ)手纒(てま)き数にも在(あ)らぬ身には在(あ)れど千歳(ちとせ)にもがと思ほゆるかも
(去る神龜二年に之を作れり。但し、以つて故に更(さら)に茲(ここ)に載す)
私訳 舶来の韓綾より落ちる倭文で出来た綾布を手に巻くような、立派な人の数に入らない身分ではありますが、千年もかようにあることを願ってしまいます。
左注 天平五年六月丙申朔三日戊戌作
注訓 天平五年六月丙申の朔(つきたち)にして三日戊戌の日に作れり
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