竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 その卅一 万葉集、おおらかな性を鑑賞する

2013年06月15日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その卅一 万葉集、おおらかな性を鑑賞する

 万葉集の歌の性格の紹介に「万葉集の歌は、一面、性におおらかである」と云うものがあります。今回はこの「性におおらかである」と云う面から万葉集の歌を楽しんでいます。そのため、内容は大人の世界となっていますし、それなりの表現を使っています。今回は、そう云う内容であることを御理解下さい。
 性を語る時、現代もそうですが、抽象的に性やその行為を表すこともありますし、隠語でそれを表すことがあります。この視線を下に最初に集歌2963の歌を紹介します。この歌はお判りのように男女の共寝の歌です。共寝の歌であることを前提に末句の「戀将渡」の表現に注目して下さい。恋する男女が共寝をする時、改めて「恋をしましょう」と云う表現を使っています。今更、説明する必要もないでしょうが、この「恋」と云う女性が発する言葉は、今に置きかえると「Hをしましょう」と云う意味です。つまり、この歌は女性から男性に夜通しHをしましょうと甘く呼びかけている歌です。この歌のように、今回は歌で使われている言葉で「恋」は「Hをする」、「紐解く」は「体を重ねる」または端直に「挿入する」と読み替えて、理解して下さい。そうした時、万葉集の歌が実に「性におおらかである」と云う意味が判ると思います。また、ここで「Hをする」と云う言葉を使いましたが、これもある種の現代語での「性交渉」、「愛撫」、「性戯」や「挿入」などの一連の行為を示す隠語です。このように言葉を現代語に置き換えた時、歌が意味する世界がより身近に感じられると思います。

集歌2963 白細之 手本寛久 人之宿 味宿者不寐哉 戀将渡
訓読 白栲し手本(たもと)寛(ゆた)けく人し寝(ぬ)る味寝(うまゐ)は寝(ね)ずや恋ひわたりなむ
私訳 白い栲の床で貴方の手枕に気持ちがなごむ。世の人が寝るように熟睡することなく、貴方と「恋の行い」を夜通ししましょう。

 最初に東国地方の歌から楽しんでみます。インターネットで有名な壺斎閑話では集歌3361の歌を次のように解釈しています。

足柄の彼面(をても)此面(このも)にさす罠のか鳴る間静み子ろ吾紐解く(3361)

「をてもこのも」とは東国訛りの言葉だろう。大伴家持が「あしひきのをてもこのもに」と歌ったのは、東国訛りで洒落て見せたものだろう。あちこちにめぐらした罠のなる音が静まった、あたりには誰もいない証拠だから、さあ、互いに紐を解いて楽しもうというのが一首の意とするところで、朴訥ながらも恋の歌である。

 壺斎閑話でも男女が着ている物を脱ぎ、Hを楽しもうとしていると解釈しています。ほぼ、これが標準的な解釈と思います。この歌を最初として、順次、歌の私訳を紹介し、個人的な解釈を説明しようと思います。ずいぶんと下品になっていますので、ご容赦を。

集歌3361 安思我良能 乎弖毛許乃母尓 佐須和奈乃 可奈流麻之豆美 許呂安礼比毛等久
訓読 足柄の彼面(をても)此面(こても)に刺(さ)す罠のか鳴る間(ま)しづみ児ろ吾(あれ)紐解く
私訳 足柄山のあちらこちらに張り渡す罠が、時折、鳴り、そして静まる。その静まっている、そのちょっとの間にあの子と私がHをした。

 屋外で男女が逢っている風景を詠った歌です。二人は、今、林の茂みの中にいます。その林の中に時折、人か動物かが動き回るのか、何かの物音が響きます。そのような状態で二人は愛の営みをしています。なお、野暮な説明ですが、歌の「紐解く」とは物理的な意味ではありません。その時の行為を象徴した言葉です。先の約束に従って意味としては「体を重ねる」とか「挿入」です。それも、この歌では挿入の意味合いの方が強いと思いますが。従いまして、歌の感覚からは非常に短い時間での出来事です。歌には二人は誰かに監視されているかもしれない緊張感と短い時間での愛の営みをしたいと云う切羽詰まった感情があります。そのような二人がどのような体位を取ってHをしたかを想像して下さい。万葉人は、里人であるその二人の姿を想像して、歌を楽しんでいます。貴族のようなHをするための部屋(塗り籠、または籠り間)を持つような人々ではありません。平安時代までは庶民の家は掘り込みの竪穴式住居が中心で、家族単位での雑魚寝が基本です。独立していない若い男女のHは屋外でせざるを得ません。
 その屋外で男女がHをしていることを前提に次の歌を見て下さい。男は女の子とのHがとっても気持ち良かったと詠っていますが、わざわざ、どのような体位でHをしたかも詠っています。その二人の姿を想像しながら鑑賞をして下さい。このような歌があるため、万葉集の歌は、一面、性におおらかであると評価されるのです。

集歌3530 左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
訓読 さを鹿の伏すや草群(くさむら)見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
私訳 立派な角を持つ牡鹿が伏すだろう、その草むらが見えなくても、あの娘のりっぱな門を通るのは、それだけでも気持ちが良い。
注意 教室の授業で鑑賞しない場合は、古来、歌意に従って歌のさお鹿は男性の性器、金門は女性の性器、草群は女性の陰毛の寓意を以って、大人の歌として鑑賞します。

 想像して頂けたでしょうか。男は、本当は女性の陰毛がはっきり見える方向から抱きたかったようですが、それが出来ませんでした。でも、あの娘とのHは気持ちがよかったと詠っています。つまり、男は陰毛が見えない方向から女性の体を抱いたと想像が出来ます。それも何らかの事情でせわしない短い時間でのHです。
 この集歌3530の歌を下敷きに集歌3531の歌を見て下さい。歌には同じ男が詠ったような雰囲気があります。

集歌3531 伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流
訓読 妹をこそ相見に来しか眉(まよ)引(ひ)きの横山辺(へ)ろの鹿猪(しし)なす思へる
私訳 愛しいお前だからこそ逢いに来ただけだのに、まるで眉を引いたような横山の辺りの鹿や猪かのように扱われる(追い払われる)と思ってしまう。
注意 この歌は教室の授業で鑑賞しない場合は、集歌3530の歌を受けて男女が野良で「鹿や猪のようにする」と鑑賞します。

 集歌3530の歌では男がどのような体位で女を抱いたのかが想像できるかと思います。その体位を想像しながら集歌3531の歌を鑑賞して下さい。「相見る」とは、相手の女性の合意の下、体を抱くと云う意味があります。その時の男の感想が「鹿猪なす思へる」です。つまり、「お前とおれとはまるで鹿や猪みたいだなあ」と云う意味です。林の中で男女が愛の行為をしています。その時の姿が「まるで鹿や猪みたいだなあ」です。さて、貴女はどのような体位を想像しましたか。ここは東国の林の中です。日光街道や箱根の山のような立派な木々が立ち並んでいたかもしれません。地面は湿度たっぷりの苔むす状況かもしれません。もし、そのような場所ですと、女は大きな木を抱えてその身を支えたかも知れません。そのような女の姿に対して「鹿猪なす思へる」であったのではないでしょう。当然、そのような体位では男は女性の陰毛は手触りで確認が出来ますが、眺めることは出来ません。
 もう一つ、次の集歌3388の歌を見て下さい。女と男とは同じ村人か、男は里人に仲間として受け入れられる関係です。その信頼関係があるからか、二人はみんなに囃したてられながらもゆっくりと愛の行為をすることが出来ます。それも愛の行為をするのに相応しい場所を選ぶことが出来ます。ところが、先に見た集歌3531の歌では、歌を詠う男はどこか他の里からやって来たようですし、人目を忍んで女と逢引きをしなければいけない男だと推定されます。およそ、男は女の属する里人に見つかれば袋叩きにされるような立場ではないでしょうか。その緊張とわずかな時間での愛の行為だったとも考えられます。インターネット検索では、昭和初期の出来事ですが、よそ者の夜這いは見つかれば袋叩きが決まりですが、それが殺人までに発展して警察が夜這いの風習を止めさせたと云う記事を見ることが出来ます。そのような背景があるのだと想像し、歌を鑑賞して下さい。古代、庶民は住宅事情から屋内ではなく、男女の合意の下、屋外での夜這いや逢引きです。

集歌3388 筑波祢乃 祢呂尓可須美為 須宜可提尓 伊伎豆久伎美乎 為祢弖夜良佐祢
訓読 筑波嶺(つくはね)の嶺(ね)ろに霞居過ぎかてに息(いき)づく君を率(ゐ)寝(ね)て遣(や)らさね
私訳 筑波嶺の嶺に霞が居座って動かないように、あそこで居座って動かず、貴女に恋してため息をついている、あの御方を連れて来て抱かれてあげなさいよ。

 次に紹介する集歌3440の歌はある意味で非常に有名な歌です。ご存知のように日本の女性がアンダーウエアーを身に着ける風習が出来たのは大正から昭和初期、それも都会からでした。つまり、それ以前、着物姿の女性が洗い物で小川の前にしゃがめば必然的に前が開き、奥が見える状態になります。太陽の光の射す向きによっては陰毛までが覗けるような姿となります。それで歌の詠う朝日と云う太陽の高さが利いて来ます。その状況を詠ったのがこの歌です。女は朝食の準備中のようですから自宅のそばです。声を上げれば家の人たちがすぐに駆け付けて来るでしょうから、女に声を掛けている男もまた近所に住む顔見知りの男です。そのような男女の風景です。そして、情景を想像すると男は女が小川に来るのを期待して待っていたような気がします。

集歌3440 許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊弖兒多婆里尓
訓読 この川に朝菜(あさな)洗ふ子汝(なれ)も吾(あれ)も同輩児(よち)をぞ持てるいで児給(たは)りに
私訳 この川にしゃがみ朝菜を洗う娘さん。お前もおれも、それぞれの分身を持っているよね。さあ、お前の(股からのぞかせている)その分身を私に使わせてくれ。

 紹介する次の集歌3553の歌ですが、一応、ある程度の身分ある男と女との関係を想像して「入りて寝まくも」を「床に入り込んで」と解釈しています。もし、この男と女とが庶民階級ですと、「家に入りて寝まくも」と云う情景はあり得ません。もし、そうなら一間しかない竪穴式住居で娘の親が見ている前でその娘と性交をすることになります。では屋外での逢い引きで「入りて寝まくも」の「入りて」とはどういう意味かと云うと、女と争うことなくスムーズに挿入してHがしたいと云うことを示していることになります。当時の住居環境などを想像するとこのような解釈も可能となります。

集歌3553 安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母
試訓 安治可麻(あぢかま)の可家(かけ)の水門(みなと)に入る潮(しほ)の小手(こて)たずくもが入りて寝まくも
試訳 安治可麻の可家の入江に入って来る潮がやすやすと満ちるように、やすやすとお前の床に入り込んで共寝がしたいものだ。
注意 原文の「許弖多受久毛可」は難訓です。ここでは「小手+助ずく+も」の意味で試訓を行っています。

 一方、次の集歌3407の歌は東国でも上流階級の娘とその妻問う男との情景を詠うものです。親は娘のために、男が通う為の部屋を用意しています。そのような立派な屋敷を持つ娘が男に抱かれた朝を詠うものです。野良での男女の愛の行為とは違い、気持にも時間にも余裕があります。

集歌3407 可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆
試訓 髪(かみ)付(つ)けぬ目交(まぐ)はし間門(まと)に朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
試訳 私の黒髪を貴方に添える、その貴方に抱かれた部屋の入口に朝日が射し、お顔がきらきらとまぶしい。こうして貴方に抱かれていると。
注意 原文の「可美都氣努麻具波思麻度尓」を「髪付けぬ目交はし間門に」と歌の裏の意図を想定して試みに訓んでみました。一般には「上野(かみつけ)ぬ真妙(まくは)し円(まと)に」と訓み「上野国にある円」と云う地名と解釈します。

 今回は、おおらかな性について話を進めています。そこで飛鳥・奈良時代の貴族階級の性について少し、雑談をしたいと思います。
 不思議なのですが性について書かれた中国の古い時代の書籍のほとんどは中国には残っていません。現代に残る唐時代中期以前の性に関わる書籍の多くは日本にだけ残されています。そのため、中国古典医学の研究は日本が中心であると云う面白い状況があります。その書物の渡来が遣唐使が主な輸入ルートだったとしますと、遣唐使の人々が大真面目で性に関わる書物を掻き集めて日本へと命がけで持ち帰ったことになります。逆に見ますと、遣唐使の人々がそのような書物を持ち帰るだけの需要や要求があったと云うことになります。そこに奈良時代の貴族たちの趣味が透けて見えると思います。
 もう少し説明しますと、当時、性交をすることは立派な医療行為でもありました。医学書では中年以上の男には若い女性の愛液が滋養や保養の薬とされ、一方、中年以上の女性には若い男の精が保養や美貌の薬とされました。そして、医学書の玉房秘訣に載る房中術と云う処方では若い女性の愛液を得るために男は五徴十動を学ぶ必要があると説かれています。この五徴十動の教えを現代の言葉に置き換え説明すれば、それは女性への性愛の方法とその反応の観察法です。中国医学では俗に云う女性が「イク」という状態で溢れ出る愛液が最良の薬とされていましたから、女性が「イク」と云う状態であることを確かめるため、性行為を五段階で表し、女性が示す体の動きの意味を十の動作に区分してそれをしっかり観察することを勧めています。このような書物としては他にも素女経や洞玄子などがあります。なお、洞玄子に詳しい、その薬の摂取方法はここでは紹介しませんのでインターネットで検索をお願いいたします。ただし、原文は手強いです。
 万葉の時代とは、一方で、貴族階級の男女が大真面目でこのような性戯の指導書を読み、実践していた時代であると云うことを知っていて下さい。また、添伏の風習から男性貴族は若い時から実技指導でこのような五徴十動の法を教え込まれていたと思われます。このような背景を知ると万葉集の歌の鑑賞の時、ある種、別な大人の鑑賞を楽しめるのではないでしょうか。個人の感想で、万葉集や源氏物語の鑑賞法を教える大人への教養講座や大学での授業で、なぜ、このような重要な基礎情報を示さないのか、それを不思議に感じています。
 ここで、集歌3532の歌を見てください。私訳は標準的な解釈の方を採用しています。ただし、万葉の時代、人々は鳥の「カッコウ」の鳴き声を「カツコヒ=片恋」と聞き、「カァーカァー」の声を「コロク=子ろ来(く)=恋人がやって来た」と聞きました。また、秋の夜、鹿が「ケーン」と啼く声に雄鹿の妻問いを想像しました。しかし、この歌には鳴き声はありません。歌はただ、馬が長い舌をはっきりと伸ばし、もぐもぐと口を動かす動作を示すだけです。その馬が一生懸命に舌を伸ばし口を動かす動作で、なぜか男は故郷に残して来た妻を思い出しました。当然、馬は懸命に草を食んでいますから鳴き声を上げたとは思えません。現代に情景を置き換えた時、夜を共にする関係の女性が夜の食事の時、思わせぶりにフランクフルトソーセージを縦にしゃぶる姿を相手の男に見せたとしたら、貴女はどのような心理をその女性に想像しますか。そのような解釈の可能性のある歌です。その時、歌は三句切れとなります。

集歌3532 波流能野尓 久佐波牟古麻能 久知夜麻受 安乎思努布良武 伊敝乃兒呂波母
訓読 春の野に草食(は)む駒の口やまず吾(あ)を偲(しの)ふらむ家の子ろはも
私訳 春の野で草の新芽を食べる駒が常に口をもぐもぐと動かし止めることがない。(その駒のようにいつも口を動かし=しゃべっていたお前よ、)私を恋しく思っているでしょう、家に残した愛しい貴女よ。
注意 教室で鑑賞しない場合は、歌は妻が口で夫を楽しむと鑑賞します。

 集歌3532の歌は想像力を目一杯に広げましたが、次の集歌2925の歌は直線的です。ただし、この歌は何かの宴会で詠われたものと思われますから、この歌から直ちにおっぱいを口で愛撫していることにはなりません。ですが、宴会のバレ歌として詠われるテーマですから、当時の男女でもこれが標準的な愛撫の一つだったと思われます。想像でこの歌を詠った女性は当時の美人の基準の一つでもあった「胸別け広き」と称されるような胸の豊かな女性だったと思われます。ですから、宮中であっても言い寄る男たちは多かったのではないでしょうか。

集歌2925 緑兒之 為社乳母者 求云 乳飲哉君之 於毛求覧
訓読 緑児(みどりこ)し為こそ乳母(おも)は求むと云ふ乳(ち)飲めや君し乳母(おも)求むらむ
私訳 「緑児の為にこそ、乳母は探し求められる」と云います。でも、さあ、私の乳房をしゃぶりなさい。愛しい貴方が乳母(乳房)を求めていらっしゃる。

 さて、万葉時代、男も女も特定のパートナーだけとセックスをしたのではありません。妻問いと云うゆるい婚姻の風習では男女ともに複数のセックスパートナーを持つことになります。その風習を前提とする歌が次の集歌3486の歌です。隣に住む男と今夜に夜這った男の、どちらがHが上手だったでしょうか。今夜に夜這った男は、いろいろなことをして「おれの方がいいだろう」と聞いているような、そのような雰囲気の歌です。

集歌3486 可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
訓読 愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並(な)へ巻き如己男(もころを)の事(こと)とし云はばいや扁(かた)益(ま)しに
私訳 かわいいお前を、弓束に藤蔓をしっかり巻くように抱きしめるが、それが隣の男と同じようだと云うなら、もっと強く抱いてやる。

 集歌3486の歌が色々と試したHの感想を男から女に聞く歌としますと、次の集歌2949の歌は女性の方から男性の方にマンネリではないHを求めています。集歌3465の歌は東国の歌ですから集歌2949の歌の応歌とはなりませんが、雰囲気的はこの答えの方が男女、喧嘩にならなくて良いと思います。復習ではありませんが、当時の医学書では二十数種類の体位がその方法と共に推薦されていました。 ところで、その「いつもとは違うやり方」とはどのようなHだったのでしょうか。色々と想像させてくれます。

集歌2949 得田價異 心欝悒 事計 吉為吾兄子 相有時谷
訓読 うたて異(け)に心いぶせし事(こと)計(はか)りよくせ吾が背子逢へる時だに
私訳 どうしたのでしょう、今日は、なぜか一向に気持ちが高ぶりません。何か、いつもとは違うやり方を工夫してください。ねえ、貴方。こうして二人が抱き合っているのだから。

集歌3465 巨麻尓思吉 比毛登伎佐氣弖 奴流我倍尓 安杼世呂登可母 安夜尓可奈之伎
訓読 高麗錦(こまにしき)紐解き放(さ)けて寝(ぬ)るが上(へ)に何(あ)ど為(せ)ろとかもあやに愛(かな)しき
私訳 高麗錦の紐を解き放って、お前と寝る。それ以上に、お前は何をしろと云うのか。とても、かわいいお前よ。

 万葉集の歌に「劔 鞘納野(つるぎたち鞘に入りの)」と云う言葉があるように男女の関係を詠う歌で剣や太刀の言葉は男根を暗示する隠語です。これを前提で集歌2636の歌を見て下さい。この歌はその次に紹介する集歌2498の歌を元歌とするような本歌取りの歌です。ただし、女性の積極性は大きく違います。集歌2498の歌は「男根が触れて」と解釈するのが良いと思いますが、集歌2636の歌は「上に行き男根に触れたい」と解釈するのが相当と思います。それも「去觸而所」と解釈する場合、「行き触れにそ」と訓みますから、「にそ(にぞ)」と云う語尾には強い願望や強調したい原因があるという心理があると思われます。その時、取る体位で云うと集歌2498の歌が正常位を示すなら、集歌2636の歌は騎乗位です。自ら積極的な騎乗位の形を取りたいと望む女性の言葉ですと、この「にそ」と云う語尾表記は的確にその状況を示す言葉ではないでしょうか。
 さらに、歌に歌人の個性が出るとしますと、集歌2498の歌も集歌2636の歌も共に女性が詠う歌です。そこには、思わず、歌に日頃の癖や好みが出たとも解釈が出来ます。

集歌2636 剱刀 諸刃之於荷 去觸而所 殺鴨将死 戀管不有者  (殺は、煞-灬の当字)
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)し上(うへ)し行き触れにそ死にかも死なむ恋ひつつあらずは
私訳 床に置く貴方の剣太刀の諸刃の上に行き触れたい。貴方の“もの”でこの身を貫かれ、その男女の営みで死ぬなら死んでしまいたい。この恋と云う「愛の営み」を続けることが出来ないならば。

集歌2498 釼刀 諸刃利 足踏 死ゞ 公依
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)し利(と)きし足踏みて死なば死なむよ君し依(よ)りては
私訳 貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に足が触れる、そのように貴方の“もの”でこの身が貫かれ、恋の営みに死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。
注意 万葉集の歌には「下半身」を「脚」の漢字で表記したものはありません。原文の「足踏」の「足」には女性の下半身(内股)の意味も含まれるようです。参考に、当時の流行歌に「劔鞘納野(剣太刀、鞘に入りの)」なる言葉があります。そこからの妄想です。

 なお、集歌2498の歌と集歌2636の歌とは共に巻十一に載る歌で、共に詠み人知れずの歌です。ただ、集歌2498の歌は人麻呂歌集に分類される歌ですので、場合により人麻呂とその恋人、軽里の妻との相聞歌なのかもしれません。そうした時、集歌2498の歌と集歌2636の歌との間に、その表記の類似性や作歌時の発想の共通性を想像する時、集歌2636の歌は集歌2498の歌の推敲であるのかもしれません。もしそうであるなら、二人の関係において夜を共に過ごす回数が増すに連れ、女性は好きな男に抱かれると云う行為だけでは物足らず、次第に、心を満たされるだけでなく、体も満たされることを求めるようになったのかもしれません。俗に云うと「欲深い女の性」ということでしょうか。
 遊びの最後にその「欲深い女の性」に焦点を当て、初々しい時代から、もっと、お願いという時代までを並べてみました。解説は無しで、意訳のみです。

集歌2655 紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座
訓読 紅(くれなゐ)し裾引く道を中置きに妾(われ)や通(かよ)はむ公(きみ)や来(き)まさむ
私訳 紅色の裳裾を引いて歩く道を奥の部屋に置きました(=成女式の裳着の儀式が終わりました)。もう、女となった私へ貴方は妻問いが出来ますよ。さあ、貴方はお出でになるでしょうか。

集歌2627 波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解
訓読 はね蘰(かつら)今する妹しうら若み笑(ゑ)みみ怒(いか)りみ着(つ)けし紐(ひも)解(と)く
私訳 成女になった印の「はね蘰」を、今、身に着ける愛しい貴女は、まだ、男女の営みに初々しいので、笑ったり拗ねたりして、着ている下着の紐を解く。
注意 「慍」の文字には怒りの意味がありますが、これは怨むと云う感情を含む怒りです。男女の営みに慣れない若い女性が性交の時に相手の男性に対して示した態度を表した漢字です。潤いが不足していたり慣れていなくて、楽しみより痛みの方が勝っていた時期と思って下さい。

集歌2916 玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠爲
訓読 玉かつま逢はむと云ふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面(おも)隠しする
私訳 美しい竹の籠(古語;かつま)の中子(身)と蓋が合う、その言葉ではないが、貴方と夜に逢いましょうと云ったのは誰ですか。こうして抱き合っている時でも、貴女は顔を隠す。

集歌2554 對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳
試訓 対(こた)ふ面(つら)面(おも)隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲(ほ)しき公(きみ)かも
試訳 貴方にまじまじと見られると、恥ずかしくて私の顔を隠してしまうのですが、これからもずっと夜床を共にしたいと私からおねだりする貴方です。
注意 原文の「對面者」は、一般に「あひみては=相見ては」と訓みます。ここでは「對面」の語感を尊重して試訓を行っています。

集歌2650 十寸板持 盖流板目乃 不令相者 如何為跡可 吾宿始兼
訓読 そき板(た)以(も)ち葺(ふ)ける板目(いため)の合(あ)はざらば如何(いか)にせむとか吾(あ)が寝(ね)始(そ)めけむ
私訳 薄くそいだ板で葺いた屋根の板目がなかなか合わないように、私の体が貴方に気に入って貰えなければどうしましょうかと、そのような思いで、私は貴方と共寝を始めました。

集歌2683 彼方之 赤土少屋尓 霈零 床共所沾 於身副我妹
訓読 彼方(をちかた)し赤土(ひにふ)の小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)ともそ濡れ身に副(そ)へ我妹(わぎも)
私訳 遠くの野辺の土間敷きの小屋に激しい雨が降り、床までも濡れる。そのように滲み出し濡れたお前の体を私の身に寄せなさい。愛しい貴女。

集歌2610 夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨
訓読 ぬばたまし吾(あ)が黒髪(くろかみ)を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
私訳 漆黒の私の黒髪の束ねを引き抜き髪を解き放ち、貴方の手で私の髪も体も乱れて、そして恋と云う愛の営みをしましょう。

集歌2718 高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死
訓読 高山(かくやま)し岩もと激(たぎ)ち行く水し音には立てじ恋ひに死ぬとも
私訳 天の香具山の岩の淵に水しぶきを上げて流れ行く水のように、音(=声)を立てません。床で貴方に抱き伏せられ、愛の営みで死んだとしても。

集歌1328 伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾将戀也毛
訓読 膝(ひざ)に伏す玉し小琴(をこと)し事無くはいたく幾許(ここだく)し吾恋ひめやも
私訳 膝に置く美しい小さな琴の、(貴女の)音を聞くことが無かったならならば、これほどひどく、私は恋い焦がれるでしょうか。

集歌2962 白妙之 袖不數而 烏玉之 今夜者不寐 明将開
訓読 白栲し袖數(な)めづてぬばたまし今夜は寝ずも明けば明けなむ
私訳 白い栲の夜着の袖を交わした数(=貴女と情を交わした回数)を数えず、また、漆黒の今夜は寝なくても、夜が明けるなら明けるがよい。

集歌2807 可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未厭君
訓読 明けぬべく千鳥(ちどり)數(しば)鳴く白栲(しらたへ)の君し手枕(たまくら)いまだ飽かなくに
私訳 もう夜が明けると、千鳥がしきりに鳴く。白い栲の夜着を着る貴方が私の体を抱くことに、私はまだ満足してもいないのに。
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1 コメント

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性を楽しむ歌 (作業員)
2014-03-18 18:38:14
人気としては「初夜の儀」やここでの「おおらかな性を楽しむ」ですが、同様に「猥歌」を楽しむものも載せていますので、そちらもよろしくお願いいたします。

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