広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

去りゆく列車たち

2014-03-16 20:34:36 | 秋田のいろいろ
15日のJRグループのダイヤ改正(概要等は以前の記事)を前に、秋田では3つの大きな変化があった。
寝台特急「あけぼの」の定期運行終了、秋田新幹線におけるE3系電車の引退(完全E6系化)、秋田県内での485系電車による定期列車の消滅(=秋田発着特急「いなほ」のE653系化)
である。
※この記事では、最終列車の写真等は掲載しませんのであしからず。

誤解がないようにしておきたいのは、
・「あけぼの」は今後も臨時列車としては運転される(いずれにしても先は長くないとは思うが…)
・E3系は山形新幹線では引き続き使われ、秋田新幹線用だった一部が転用される
・さらに、秋田新幹線用だったE3系の一部は、そのままの塗装(「こまち」の表示は撤去)で、東北新幹線盛岡以南においてE5系と連結して「やまびこ」「なすの」として改正後も営業運転している(秋田から仙台へ転属ということか?)
・「いなほ」で秋田まで来るものはすべてE653系化されるが、酒田止まりでは485系の列車も残る
ということ。

秋田でのJRのPR、一般人と報道の盛り上がりは、あけぼのとE3系が圧倒的。あけぼの≒E3系>>>>>485系か。(マスコミは、E3系よりあけぼののほうが優勢か)
大館の駅弁「鶏めし」製造元の花善は、あけぼのの写真入りの掛け紙に替え、以前行っていた車内販売を復活(鷹ノ巣→弘前間)した。秋田の関根屋でも釜めし(掛け紙写真の機関車はEF81ではなく、上野側を担当していたEF64でもなく、EF65形。福島回りだった頃の写真ということか?)を出したり、JRもグッズ(ストラップ類から本荘のごてんまり、さらにはA寝台個室で配られるアメニティセットを限定200個1300円等)や写真集を発売したりした。
あけぼのとE3系の最終列車では、秋田駅ホームでセレモニーも行われた。
「日本海」の時よりもかなり盛大なのは、東京との結びつきの深さ(つまり東京志向)なのか、あけぼのがなくなれば、東京と東北を結ぶ寝台列車がすべてなくなるためか。

青森では、大鰐温泉-石川間の弘南鉄道大鰐線と交差する地点(弘南鉄道が上)において、下りあけぼの通過時に、その上に弘南鉄道のラッセル車を走らせるイベントを行ったとのこと。(先週だか先々週も試みたが、あけぼのの遅延で実現せず)


しかし、485系が秋田に来なくなることについては、鉄道愛好家以外はほとんど気にかけていない。
これは、酒田以南では引き続き485系が残ることや、485系といっても塗装変更やリニューアルで原型と違ってしまっていること、車両が新潟支社の管轄であることが原因かもしれない。
個人的な思い入れでは、485系>E3系>>あけぼの くらいだけど、去りゆくものを静かに送ることにして、見に行ったりはしないことにした。(ほんとうは面倒だったからです)


ネット上の情報によれば、秋田へ来た最後の485系「いなほ」である5号→14号は、リニューアル車(3000番台)の「R28」編成。※秋田新幹線のE3系R編成とは別の、いわば“同姓同名”
2005年の脱線事故で廃車となったR24編成の代替として、新潟で余っていた車両と青森にいた車両を転属させて組成された、最後のR編成。
国鉄色のT18編成でも使うかと思っていたが、いちばん新しい(組成順として)編成を使ったのは意図的なのか、偶然なのか。

ただ、その正面LEDのヘッドマークが、点灯していなかったそうだ。
新潟のR編成では、2011年のR21編成もそうだった。(片側の先頭車のマークが、白い紙状のもので塞がれていた)
R28編成では、
2013年8月に撮影したR28編成
R28編成は、既に昨年8月の段階で両端とも消灯していた。(側面は正常に点灯)
正面の列車名がなくてもあまり困らないかもしれないが、本来あるものが半年以上もないままなのは、いただけない。

秋田総合車両センター(旧・土崎工場)の昨秋の一般公開では、いなほに使われていた485系電車の「T11」「T14」編成が展示されており、間もなく解体されるらしかった。
先週の奥羽本線の車窓から
工場の敷地では、床下機器を取り外された485系が解体を待っている。


「あけぼの」にさほど思い入れがないといっても、やはり報道は気になってしまう。
2月頃から、秋田のローカルニュースや新聞では、いくつものレポートや連載が行われた。
さらに、14日発の最終列車は上りの青森駅発車をテレビ朝日が、秋田駅発着(10分ほど遅れた)をNHKが、15日の下りの大館発着は日本テレビ系(よみうりテレビ「ウェークアップ!ぷらす」)が、それぞれ全国放送で生中継したらしい。どれも見てないですが。


新聞やテレビのレポートからいくつか。
上り最終列車で秋田から酒田まで担当した運転士は、秋田運輸区の日景さん(54)という方だったそうだ。
この方を、朝日新聞秋田版、読売新聞秋田版、NHK秋田放送局が取り上げていた。
朝日は、連載「さよなら東京夜行 あけぼの 秋田とつないだ43年」のうち、3月9日付「4号車(=4回目)ぽっぽや ラストラン 29年の集大成 赤い機関者 操る職人」。読売は連載「青い夢 あけぼの」の3月6日付「(5)感慨胸にラストラン」。
NHKは3月5日初回放送のミニ番組「コトノハ」の「第34章 “大好きな 列車です”」。(「ニュースこまち」内等で何度か再放送あり、ネットでも視聴可)

朝日によれば、日景運転士は、北秋田市出身で大館工業高校卒後国鉄入り。
「弘前市で機関車整備を4年ほど担当した後、「あけぼの」の運転士になった。」そうだが、それだと運転士歴31年、あけぼの運転29年、54歳というのと辻褄が合わない気もするが…
秋田運輸区であけぼのを運転する「最古参の1人」。3媒体とも電車より複雑な操作が求められる機関車牽引の客車列車で、さらに寝ている人を起こさないよう慎重な運転を心がけていることを伝えていた。
NHK「ニュースこまち」によれば秋田運輸区所属の運転士110人のうち、機関車を運転できるのは50人。後進の育成を進めていて、昨年は新たに4人が運転できるようになったとのこと。
あけぼのが臨時列車化されれば、定期列車で機関車を使う列車はJR東日本秋田支社管内からなくなるはず(貨物列車はJR貨物担当なので別)だけど、臨時・団体列車や工事用の資材を運ぶ列車(貨物とは別扱い)などのために、機関車を運転できる人は確保しておかないといけない。


車掌も取り上げられた。秋田魁新報社会面の連載「さよなら夜行列車 寝台特急「あけぼの」廃止」の14日付「下・車掌」。
まず、元車掌の笹元さん(72)という方。国鉄秋田車掌区に赴任した1977年から秋田新幹線開業の1997年まで、首都圏方面の夜行列車に乗務していた。1997年には、上り「こまち」の開業一番列車にも乗務したとのこと。※笹本さんはこの後、2017年のこまち20周年時には、花束贈呈をされた。

「夜行の中で、あけぼのはステータスが高かった。政治家や芸能人も多く、ホテルマンのような気持ちでお客さんに接した。」が、急行「津軽」では、親しく接したほうが「喜ばれた」。
昔は秋田からの夜行列車が多く、「上野の乗務員宿泊所に、秋田車掌区の車掌だけで20人近く泊まっていたこともあった」。(今は「こまち」の車掌として、秋田からそれなりに東京に行っているでしょうけど)

笹元さんは、「昼の特急などの車内放送で(略)車窓から見える名所旧跡を紹介する「名物車掌」として知られた。」
あけぼのでも「今朝の関東平野は、まさにあけぼの、美しい朝焼けでございます」「列車のネーミングにふさわしく、東の空が明るく見えてまいりました」などと放送したという。
それを読んで思い出した。
たしか1993年の急行「津軽」の定期運行としての最終列車の車掌もこの方だったような気がする。当時のテレビで取り上げていた。
さらに、その頃、僕が特急「こまくさ」に乗った時の車掌もたぶんこの方だった。時期は春で、「本日は車窓から、新緑の中に咲くフジやキリの花がご覧いただけます。新緑の色はJR東日本のシンボルカラーでもあります」といったアナウンスをしていて、珍しい車掌さんだなと印象に残っている。

そして、14日の上り最終列車の車掌は堀野さん(57)。(複数乗務のはずだから、他にもいたのだろう)
「19歳で接客担当の「列車ボーイ」から始まったあけぼの勤務」で、(一時期あけぼのから離れた後)28歳から車掌として乗ってきたそうだ。
昔は「列車ボーイ」なんてのがいたとは、初めて知った。(青函連絡船に「ボーイ」さんがいたのは聞いていたが)
詳しくは分からないが、「乗務掛、乗務係」「車掌補」とも呼ばれた車掌の1つ手前の職種だそうで、1970年代中頃まで存在【2016年6月3日補足・正式には1976年10月で廃止。以後しばらくはOBが乗務した場合もあったとのこと】したらしい。(ということはこの方は最末期の列車ボーイだったのだろう)
案内、朝夕の寝台整備(ベッドメイキングと撤収・解体。3段式では上のベッドをたたまないと頭がつかえて座れない)、ドアの開閉(当時は手動式)などを行っていたようだ。客車1~3両に1人の割合で配置されていたそうで、今思えば、なんて効率が悪く、人件費がかかっただろうと思ってしまうが、当時はそんな時代だったのだろう。

ブルートレインの車掌といえば、子どもの頃(1980年代初め)に読んだ学研や小学館の「ものしり百科」の類によれば、ブルートレインには、車掌長、乗客専務車掌2名、さらに朝刊などを輸送していた荷物車に荷扱専務車掌が乗っているということだった。

【17日追記】読売秋田版の連載でも、1日付「(1)寝台特急 最後の合図」で堀野車掌を、3日付「(3)朝の名物アナウンス」で笹元さんを取り上げ、魁とほぼ同じ内容。
すなわち、JR側から各マスコミに働きかけて(売り込んで)実現したのかもしれない。NHKでは、最近では珍しく、走行中の機関車の運転台での撮影(しかも夜間)を行っていたし(もちろん、安全上照明は使えないから、暗い中で増感しての撮影らしく、ざらざらして画質は良くない)。
昨今問題になっている、R研究所のS細胞の疑惑では、疑惑発覚前には女性研究者の研究とは直接関係ない部分(割烹着だとか室内の装飾だとかW大学の学生時代の話だとか)が必要以上にクローズアップされていた。それは、マスコミが興味本位で飛びついたということではあるが、一方でR研究所やW大学側が、マスコミに積極的に取り上げるよう働きかけていたという話もある。マスコミが自分で情報を探すのではなく、当事者の言いなりで取材・報道していたという側面もあるのだ。
そんなことをちょっと連想してしまった。※あけぼのとS細胞は何ら関係はありませんよ

新たに分かったことは、堀野車掌のあけぼの乗務は「月4回ほどのペース」。最終列車は車掌2人乗務ということ。
笹元さんの名調子ではほかに「春はあけぼのと申しますけれども、この列車にふさわしい朝焼けが東の空に見えてまいりました」。1960年国鉄入り、1977年からあけぼのの車掌。「文学好きで、万葉集や古今和歌集を取り入れる車内放送を思いつく。」
名調子から「乗客ら1000組以上の結婚式で司会を依頼された。」
秋田新幹線の「開業約1年半後、定年を数年後に控え、車掌職から退く。」
(以上追記)


戻って朝日の連載記事にひとこと。
一般紙地方版としては、けっこうな頻度で鉄道の記事を書く、朝日新聞秋田総局O記者によるものだったと思ったが、気になるというか適切ではなさそうな表現があった。
そういえば、昨日・今日の紙面にはO記者の記事がなかったはず。乗車レポートでも執筆中か?
ちなみに、東京で秋田版の紙面構成を担当する記者(そういう業務もあるのか)にも鉄道好きの人がいて、あけぼのに乗ったら雪で途中で運転打ち切りになり、そのレポートが載ったこともあった。

まず、「酒田駅に到着すると、次の運転手に交代する。」という文。
一般に、鉄道を運転する人のことは「運転士」と呼ぶのが正式。この連載でも、他は「運転士」で統一されていたが、この1か所だけ「運転手」になってしまっていた。見落としか。

もう1つ。添えられた写真の1つに、運転席に座った運転士が、前方を指さしているものがあった。
そのキャプションは「運転席から「出発進行」の合図を出す運転士」。
これがおかしいというか、意味が分からない。
運転士が、出発進行の合図を出すことなど、あり得ない。自動車に置き換えれば、「運転席に座ったドライバーが、信号機が青になった合図を出す」のはあり得ない(というか意味不明)のと同じこと。

「出発進行」というのは、「出発」という名称の信号機が、「進行」状態=青信号になったという意味。
運転士は、「信号が青になったよ」ということを確認するために、信号を指差して「出発進行」と喚呼するのだ。指差喚呼は自分で確認するためであって、それを誰かに伝えるのが目的ではない。
運転士に信号を青に変える権限などないし、誰かに青になったという合図を送る必要もない。

正しくは、「運転席から「出発進行」の確認をする」とかじゃないだろうか。


そして、ひどいのが、昨日15日付の秋田魁新報社会面。と思ったら、今日の26面の下に「訂正」が出ていた。
実は、今回ばかりは魁に指摘してやったのだ。JRや他の読者からも指摘があったのかもしれないし、それを受けての訂正だったのだろう。
毎度言いますが、記者が間違ったとしても、上司や校閲を行う人さえ見落としてしまうのが情けない。

15日31面では、大きくあけぼのラストランを取り上げていて、男女2名による署名記事。
その中に、「先頭電源車の車体に掲げられた「あけぼの」のヘッドマークは」「最後尾の寝台車の光が見えなくなるまで」という言い回しがある。これは何なんだ!

まず、「先頭電源車」。このような言葉は存在しないし、誤用でも聞いたことがない。まったくの造語だ。
前後の文脈あるいは常識的に判断すれば、列車の先頭でひっぱる機関車を指していると思われる。
あけぼのの場合「電気機関車」ではあるが、「電源車」ではない。電源車といえば、電気を供給する(送り出す)側のニュアンスだが、電気機関車はむしろ、架線から電源の供給を受ける側である。
現代では機関車の存在が稀少だとしても、新聞記者なら「機関車」という言葉くらい知らないのだろうか。じゃあ、この記者たちは「蒸気機関車」のことは何と表現するのだろうか?

しかも、同じ記事中のインタビュー部分では「機関車がブルーの車体をけん引する姿」という言葉があるし、隣の上野発車を伝える囲み記事(共同通信からの配信か?)では「青色の電気機関車「EF64形」が」と妙にマニアックに伝えている。


もう1つは「最後尾の寝台車」。
これは少々解説が必要で、新聞記者が知らなくても仕方ない気もするが、だとしても勉強不足ではあろう。
ブルートレインでは、客車内の冷暖房や照明に使う電力は、ディーゼル発電機で発電してまかなっている。架線もしくは機関車から供給を受けるのではない。
あけぼのに使われる24系客車では、「電源車」もしくは「電源荷物車」というのが1両連結され、列車全体の電力供給を担っている。ホームや踏切でブルートレインが通過する時、大きなエンジン音を轟かせる窓の少ない車両が、先頭(機関車の直後)か最後尾に連結されているのを見たことがないでしょうか。
電源車には、乗客が立ち入ることはできないし、ベッドがないから「寝台車」ではない。(寝台列車に欠かせない車両であるから、広い意味では寝台車の一種と言えなくもないか?)
再掲)下りあけぼの。機関車の直後が電源車
新聞記事にある上りあけぼのでは、電源車が最後尾となる。
したがって、ホームから出発していく上りあけぼのを見送るに当たって、「最後尾の寝台車」ということ自体がウソになってしまう。
あるいは、「電源車を除いた寝台車としての最後尾」という意味だとしても、それだと電源車に遮られてしまって「光が見えなくなるまで」以前の問題。

訂正文では、「先頭電源車」を「先頭機関車」に、「最後尾の寝台車」を「最後尾の電源車」に訂正するとのこと。これなら文句はないが、文章としては回りくどいかも(←結局文句を言ってる)。
日本では機関車は先頭に付くのが原則。あえて「“先頭”機関車」なんていうと、特別に重連(2両目にも機関車がいる)だったり、後補機(後ろから押す機関車)が付いたのかという誤った推理をしてしまう鉄道好きもいるかもしれない。
「最後尾の電源車」は、要は「遠ざかる列車が見えなくなるまで見送った」ということを伝えたい文脈なんだから、それではくどい。単に「列車の明かりが見えなくなるまで」で良かったのではないでしょうか。

ともかく、最終運転が無事に終わったのは良かった。E3系については、後日、間接的な話題を少々



関連で2つ。
快速深浦
今改正では、五能線から奥羽本線青森方面へ直通する快速「深浦」も廃止された。
東奥日報によれば「半世紀近くにわたり古里の名前を冠して走り続けた列車が姿を消すことに住民は「寂しい」と惜しむ。 」そうだ。
14日の下り最終列車では、始発の深浦駅で地元の町づくり応援隊「いいべ!ふかうら」のメンバーが、「ありがとう」などと書かれた横断幕を持って見送りをしたとのこと。

去りゆく名優
14日、俳優の宇津井健さんが亡くなった。1931年生まれ82歳だったので、永井一郎さんと同じ年に生まれて同じ年に亡くなったことになる。
報道では、代表作として「赤い」シリーズや「渡る世間は鬼ばかり」がよく挙げられているようだ。僕は「赤い」は知らないし、「渡る世間は鬼ばかり」は藤岡琢也さんの後任ということで違和感があり過ぎて、しっくりこなかった。

個人的には宇津井さんといえば、テレビ朝日で1988年から1995年まで放送された「さすらい刑事旅情編」。(「はぐれ刑事純情派」と半年ずつ交互に放送。終了後もよく再放送されていたが、最近の秋田朝日放送ははぐれ刑事ばかりで、さすらい刑事はやらない)

鉄道警察隊をテーマにしたもので、ちょうど1987年の国鉄分割民営化で「鉄道公安職員(鉄道公安官)」から各都道府県警察の鉄警隊に制度・組織が変わったタイミングで始まったのだろう。
2000年に若くして亡くなった三浦洋一さん演じる「香取達男」が主役かと思っていたが、主役は宇津井さん演じる香取の上司「高杉俊介」だったそうだ。(タイトルにある「さすらい」をするのは、高杉警部よりも香取刑事が圧倒的に多かったけど)

「さすらい刑事旅情編」には、残念ながら「あけぼの」が登場することはなかった(少なくともタイトルでは)が、「北斗星」はよく出ていた。
「香取ぃ。今夜の北斗星で、札幌へ向かってくれ」という宇津井さんのセリフが、よくあったようなイメージがある(実際にはなかったかもしれませんが)。

あと、「宇津井健氏は神経痛(うついけんしはしんけいつう)」という回文も、宇津井さんあってのものであった。
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高校合格特集

2014-03-13 23:58:48 | 秋田のいろいろ
昨日、秋田県内の公立高校の一般選抜の合格発表が行われた。
秋田では高校入試においても、昨年記事にしたような、全国どこでも同じではなさそうな“風習”がいくつかあり、今年も続いている。
昨年も触れたように、以前は合格者の氏名がテレビや新聞で流れていたので、受験生の家族以外も含めた一種のイベントのような雰囲気があったのかもしれない。番号だけがひっそりと発表される今でも、その名残が秋田魁新報にある。

今日の魁は32面構成で、そのうち13~18面が「高校合格特集」に割かれていた。
13面が表紙
たしか数年前までは別刷り(タブロイド版?)だった気がする。さらにさかのぼれば、合格者名簿の別刷りといっしょになっていたのかもしれない。
「高校合格特集」の中身は、13面が「表紙」、最後の18面が2つの高校の部活動の紹介。残りの大部分(4面)が「県内高校紹介」。
14・15面
今回の合格発表とは関係のない私立高校(県内には5校しかない)を含めたすべての高校に、7センチ×9センチほどの枠を割り振って、高校の紹介をしている。
※中卒者が入学する国立秋田高専や秋田公立美術大学附属高等学院は掲載されないが、両校は制度上「高等学校」ではないためだろう。
【14日追記】一方で、高等学校の扱いではあるものの、中卒者の募集を行わない完全中高一貫校である秋田市立御所野学院は掲載されている。同校には、中学・高校それぞれに校長が置かれ、電話番号も異なるが、紙面のデータではどちらも高校のものが掲載されている。「2年」生の生徒会長のメッセージには「新入生の皆さんと充実した高校生活を送れることを楽しみにしています。」とあるが、これは必然的に内部進学者に向けたものになる。
「高校“合格”特集」としてはどこか辻褄が合わない掲載内容になってしまっているが、御所野学院でも開校当初は高校からの入学者も受け入れていたため、その当時を引きずってしまっているのだろう。学院側、新聞社側とも、記載内容や方法に一考の余地がありそう。(以上追記)

内容は、校訓、校章、校長氏名、所在地、電話番号、創立年、そして生徒会長の顔写真とメッセージ。
校長氏名が出ているものの、退職や異動で入学時には別の人に変わっている場合があって無意味に思えるけれど、生徒会長の名と顔を出して校長を載せないわけにもいかないでしょうからね。
統合で4月に新しく開校する角館高校は、校長氏名は記載なし。所在地は統合後当面校舎が置かれる角館南の所在地、電話番号は現・角館高校のものを記載(4月以降も使われるようだ)。生徒会長メッセージは、現在の(統合前の)角館、角館南両高校の生徒会長が半分ずつ使っていて、きゅうくつだし文章が短い。


気になったのが、創立年。凡例には「創立や開校年(前身を含む最もさかのぼった年次)」とある。
見てみると、秋田明徳館高校は1942年とあり、前身の秋田東高校よりもさらに前身の「私立秋田夜間中学校、秋田県立秋田中学校に附設」された年になっているようだ。
秋田中央高校は大正時代の土崎港町立実科高等女学校 、明桜高校は秋田短期大学附属高等学校までさかのぼっている。(開校時の校名はWikipediaより)

ところが、男鹿海洋高校は2004年、大館国際情報学院高校は2005年、秋田北鷹高校は2011年、能代松陽高校は2013年、横手清陵学院高校は2004年、湯沢翔北高校は2011年、そして角館高校は2014年となっている。
つまり、近年の統廃合で誕生した(する)県立高校は、前身校は無視して、統合時をもって新規開校として扱っていることになる。これでは「伝統を捨てた」ことになる。

過去のしがらみを捨ててということかもしれないが、統合時によく言われる「統合前の各学校の伝統を活かして云々」とは真逆のことに感じる。しかも、角館高校では校章や校歌は統合前の両校のものが残るというのに。
魁は「前身を含む最もさかのぼった年次」を求めたはずなのに、揃って伝統を捨てたということは、各学校でなく県教委の方針なんだろう。

卒業生あるいは地域住民からすれば、いい気持ちはしないんじゃないだろうか。


紙面に戻って。
記事としては学校紹介に大部分が割かれる特集だが、もっと大きな面積を占めるのが、広告。学校紹介の面も含む各面の半分が広告になっている。これがこの特集の本当の狙いだろう。(上の写真も参照)
表紙の13面では、秋田銀行と北都銀行が仲良く半々。14~17面の学校紹介の下は学生服の店を中心に、書店、生花店、大館の美容室、大館の食べ放題の店など。
最終18面は、魁系列の秋田放送と秋田テレビが仲良く半々だが、秋田テレビは「ヤクルトVS巨人戦」、秋田放送は「小椋佳 歌談の会」と、なぜかいずれも6月28日に行われる自社企画事業の宣伝。

学生服店の広告の中で、西武秋田店とともにいちばん大きいのが、秋田市大町の「辻兵(つじひょう)商事株式会社」。
秋田経済界を代表する辻グループの企業で、現在はイー・ホテルの1階の片隅に店を構えている。(1本向こうの茶町通りに別に事務所もある)
かつては、イーホテル向かいの秋田ニューシティ(ダイエー秋田店が入っていたビル)の中に店があった。(ニューシティ自体が、辻グループのもの)
今回の広告では、
「秋田ニューシティ跡地向かい」
「跡地向かい」ってのが、なにか哀しい。自らの過去の栄光にすがっているようで。

産業会館が解体されて何十年も経つのに「産業会館跡地」と呼ばれるのと同じことで、昔を知る人にはそれで通じるが、建物があったことを知らない人には通じにくい。
単に「イーホテル1階」で通じると思うけど。
ついでに地図も、道の太さが同じで、一方通行の向きが記されていない(「一方通行」の文字だけ)など、分かりにくい。あの一方通行路は逆走車がけっこういるんだよね。
※2年後の2016年の特集号の辻兵の広告も、この時とほぼ同じ。

2020年の高校合格特集について。



ついでに、魁の記事から。
3月12日付の秋田市地域面の「冷静な避難呼び掛け 臨港署 土崎港で初の訓練 大津波警報を想定」という記事。
東日本大震災の日に合わせて、秋田臨港警察署が「大地震と津波を想定した避難誘導訓練を初めて実施した。」そうで、「地域住民ら約150人が参加し、(略)秋田港湾公園から津波避難ビルのホテルルートイン秋田土崎まで避難した。」とのこと。

その様子を伝える部分。
「地震の発生後、パトカーはサイレンを鳴らしながら無線で大津波警報の発令とホテルへの避難を呼び掛けた。」
この「無線で(略)呼び掛けた」というのが、僕には理解できない。

目の前に、避難すべき(避難させるべき)人がいるというのに、無線を使って呼びかけるの?
じゃあ、その人たちにはウーウーというサイレンしか聞こえなかったことになる。
その無線を受信する人は誰?
【15日追記】「防災行政無線」というのは存在するが、それは警察が直接使用することはできないし、そもそも秋田市には装置が設置されていない。

憶測だが、「パトカーに車載されたマイクとスピーカーを使って避難を呼びかけた」ことをなぜか「無線で」としてしまったのではないだろうか。
何度も言っているけれど、記者が間違って書いてしまったとしても、上司や整理部の人が気づけないのだろうか。
コメント (3)
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今年も並ぶ/やっぱり中古

2014-03-06 23:06:02 | 秋田のいろいろ
秋田ニューシティ解体後の跡地は、西半分が辻不動産の月ぎめ駐車場。東半分はイベント会場などに使われる、基本的には空き地。
2月下旬
2月下旬には「マックスバリュ駐車場」という小さい表示が出ていた。この辺でマックスバリュ東北関係の催しがあり、その関係者向けの臨時駐車場になったということらしい。(表示はすぐになくなった)

先週末には雪が隅に寄せられて、あとは空き地状態だったが、現在は、
雪山の向こうに並ぶのは…

バスとトラック!
昨年同様(こちらこちら)、辻さんが経営する秋田いすゞ自動車の新車置き場(?)に使われているようだ。

昨年は北側の道路(東西方向の一方通行路)ギリギリにトラックが置かれていて、イタズラや通行車両がはね上げた水や石で新車が傷むのではないかと心配した。今年は、道路際には雪山があるので、その恐れは低そう。

後列(西側)には緑ナンバーを付けて、ISUZUロゴのない白いパネルバンが3~4台、ナンバー・ロゴなしのコンクリートミキサー車が1台、そしてハイブリッドトラックが1台。
前列には、
中型バスが4台
ナンバープレートも車体も真っ白で、「スクールバス」のマークだけが付いている。
いすゞっぽくない顔の車なのは、日野自動車との共通車種で、実質的に日野からいすゞへ供給される形。日野「メルファ」をベースにした、いすゞ「ガーラミオ」で、車種名の表示があった(エンブレムでなくシール)。

どうも、横手市へ納車されそうな感じ。

【3月12日追記】その後、3月12日には、スクールバスは右端のバスがいなくなって(雪のタイヤ痕から判断。11日にはあった)3台に。
後列のパネルバンなどはおおむね変化なし(若干入れ替わりあり?)。
【3月19日追記】さらにその後、15日まではバスは3台のまま。19日昼過ぎにはバスが1台に減っていて、さらに16時前にはそれもなくなっていた。後列のトラックも計3台に減った。

翌2015年の様子



さて、小田急バスの中古ノンステップバスを大量に導入していた中央交通だったが、最近は落ち着いていた。
中古の中型車としては昨年春頃のいすゞエルガミオ「976」、大型車では昨年夏のいすゞエルガ「10-04」が最後。
その後、昨年末に、新車でエルガミオの10-27~10-29の3台を導入している。

そう思っていたところ、
エルガミオ「10-34」が登場!
臨海営業所所属で、新車ではなさそう。座席は青い柄入りは「キサラブルー」かな?)

やっぱり中古も引き続き入れていくようだ。
その分、古いバスは消えていくのだろうが、完全になくなるのはもう少し先の気がする。
秋田市交通局からの譲渡車は1994(平成6)年以降の車はほとんどが健在だし、1994年まで製造されていた富士重工の古い「6Eボディ」の車(いずれも他社中古)も今年に入ってから確認できただけで9台がまだ走っているので。

なお、先例を踏まえれば、10-34の前後のナンバーも同型車の可能性があるが、次の「10-35」は秋北バスの貸切だか高速用の新車が付けているとのこと。「10-33」は不明。

※車内の様子はこの記事中ほどに少々
【7月1日追記】
ネット上の情報によれば10-34は、小田急狛江営業所所属「00-D314」だったそうだ。
2000年に導入され2013年秋まで運用され、2000年式では小田急でいちばん長く(最後まで)残った車両とのこと。
一方で、一時期は故障が頻発していたらしい。中央交通さん、秋田いすゞさん、メンテナンスをよろしく頼みますよ。(以上追記)


ここで、現時点での中央交通のノンステップバスを整理しておく。
中型車22台(すべていすゞエルガミオ)
 うち、新車での導入6台、小田急中古16台
大型車・小田急中古5台(いすゞエルガ4、三菱エアロスター1)
ということで少なくとも計27台のノンステップバスが秋田市周辺を走っていることになる。
※これに加えて、EVバス「ELEMO-AKITA」もノンステップのエルガミオだから28台としてもいいかもしれない。ただし、これは秋田県主導の事業であり、中央交通はコンソーシアムの一員として車両を預かって運行している形。中央交通の所有ではないはず。

※この後、2014年4月下旬に、小田急中古と思われるエルガがさらに1台増えたのを確認。この記事末尾参照。
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ひし羊羹?

2014-03-04 23:49:48 | 秋田のいろいろ
昨日の記事で少々触れた、一見ひし餅に見える、たけや製パンのお菓子。
今日、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店で、残ったのが投げ売り(「おすすめ品」という名目で)されていた。
小さいのが50円、大きいのと2段重ねのが各80円。小さいのを購入。
「ひし菓子」
「Takeya」のロゴがなく、「株式会社たけや製パン」と表示されている。
秋田では月遅れでひなまつりをするところもあるから、3月3日が過ぎたからといって、あわてて処分しようとしなくても良さそうなものだが、賞味期限が3月11日に迫っているためだろうか。

裏面のシールを見ると、
「品名 ひし羊かん(小)」
落雁かと思っていたら、羊羹なの?!
包装をはがすと、
上下はザラザラ、中は質感が違う?
上のピンクと下の緑のは落雁だが、間の白い部分が羊羹だった。3色の幅は均一でなく、白だけ厚い(均一でないひし餅なんてあるだろうか…)。

分量とか原材料の都合で「ひし羊かん」という品名表記、商品名は「ひし菓子」になったのだろうか。
何も知らない人が、「ひし菓子」「ひし羊かん」という言葉だけを聞けば、ひし餅をモチーフにしたお菓子だとイメージできないかもしれない。
一辺5.1センチ、厚さ3.2センチほど。

食べてみた。
甘さはしつこくなく、(思ったよりも)けっこうおいしい。
落雁部分は、一般的な落雁よりも粒が粗く、比較的柔らかいもの。こういうのを秋田では「山科(やましな)」と呼ぶはず。

たけや製パンが、ひし餅を秋田らしくアレンジしたのが、このひし菓子ということだろうか。
 工藤パンのひし餅といっしょに
工藤パンのひし餅はこれで「小」だが、たけやのひし菓子の大きいのと同じくらいのサイズ。
工藤パンのひし餅。各色はくっついていて分割はできない
工藤パンのひし餅は、触感としては柔らかく、見た目もふにゃっとしている。
口にしてみると、けっこうコシが強いというかアゴが疲れる。味はまさに「すあま」。


たけやのひし菓子と工藤パンのひし餅を比べてみると、形がカキッとしている点はたけやのほうが美しい。だけど、たけやのは表面がザラザラしていて見るからにひし餅ではない(餅はやっぱり餅肌だ)し、色も少しキツイ(赤い毛せんが敷かれた雛壇に置いた時は映えるかもしれないが)。
やっぱり「ひし餅は餅」であるべきじゃないかな。
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あけぼのでソチへ!

2014-02-22 23:12:12 | 秋田のいろいろ
3月14日発で定期列車としての運行を終える、寝台特急「あけぼの」。
現在は、最後の乗車や撮影をしようという人たちで賑わっていると聞くが、今週初めは関東地方の大雪のため連日運休し、やっと運行が再開されたところ。

一方、ロシアのソチでは明日まで冬のオリンピックが開催されていて、3月7日からはパラリンピックが開会する。
雪国秋田だけど、秋田出身者で冬のオリンピック・パラリンピックに出場する選手はそう多くない。そんな中、(実感としては)突如、秋田県民がパラリンピックに出場することが発表された。
ノルディック距離女子「シットスキー」の江野麻由子選手で、県立秋田南高校1年。今大会の日本選手の中で最年少。
秋田市役所正面玄関
ソチ大会出場者で秋田市に関係するのは、オリンピックの男子スケルトンで22位になった笹原友希選手(秋田市は出身地。現在は長野の株式会社システックス所属)と江野選手の2名だけのようで、秋田市役所前に応援の看板が出ている。
2枚でデザインは同じだけど、笹原選手は「健闘を祈る!」、江野選手は「頑張れ!」と違っている。その違いはいいけれど、名前の角ゴシック体が微妙に違う(太さなど)のはどういうことだろう。出場決定時期は別だから、看板も別々に発注したのだろうけれど、他の部分は同じデザイン・書体にしてあるのに、大事な名前の書体が統一されていないのが惜しい。


さて、江野選手は高校での壮行会や知事などへのあいさつを今週までに済ませ、イタリアでの直前合宿を経てソチへ入り、3月12日と16日が本番とのこと。

昨日の秋田テレビのニュースでは、イタリアへ向けて秋田を出発したことが報道されていた。
てっきり、秋田空港から飛行機、でなければ秋田駅から秋田新幹線で行くのかと思っていたが、映像を見るとそうではない。

なんと「あけぼの」!
じゃあ、A寝台個室でも取って、ゆったり行くのかと思ったら、おそらく普通の(開放式)B寝台で、付き添いもなしで。

車椅子を使わずに(というかあの車両の構造では使えない)段差のある出入口から車内に入り、B寝台の下段に座るシーンが映っていた。(夕方のニュースでは出入口のシーンまでで、車内はカット)
向かいの寝台は空いていて、寝具が置かれていたので、寝台料金不要の「ゴロンとシート」ではなく、正規料金のB寝台。


まず、廃止まで1か月を切ったのに、さほど混雑していなさそうだったのが意外。空席情報では連日「×」かたまに「△」が並んでいるのだけど。
そして、パラリンピックに出場しようとする選手が、寝台特急で旅立つというのも、今の時代としては異例に感じた。(日本を代表して世界へ旅立つ人であり、かつ移動に制約がある体の人であるという2つの意味で)甲子園に行く高校の野球部でさえ、公私立問わず飛行機を使う時代なのに。

秋田テレビホームページより
映像では、江野選手が入線するあけぼのの機関車にスマートフォンを向けていた。これを踏まえると、実は彼女は「鉄子さん」で、本人の強い希望で「あけぼの」を選択した可能性はある。高校入学前は大館市にいたそうなので、「あけぼの」になじみがなかったわけではないだろうし。帰国後には「あけぼの」の運行は終わっているため、乗るなら今が最後のチャンスだ。
ブルートレインは古い車両だけに、車椅子の人では車内の移動や居住性に制約が少なくなさそうだが、パラリンピック選手になり、高校では水泳部に所属するくらいの人なら、(乗車時の映像のように)大したことないのかもしれない。(だとしても、若い人、まして女性が一人で開放寝台を使うとすれば、なかなか珍しい)

一般に、遠方の人が成田空港発の国際線に乗る場合、時間の都合で東京や成田で前泊することがあるが、それを嫌って寝台特急を利用する人も少なからずいるという話は聞いていた。夜行列車で睡眠不足だったとしても、機内で補えるし。
たけど、天候が不安定で運休・遅延の可能性が高い時期に、あえて「あけぼの」から国際線へ乗り継ごうというのは、リスキーすぎる選択に思える。

他に何らかの事情があったのかもしれないが、何も「あけぼの」で行かなくても、秋田新幹線で行って東京や成田で一泊してからイタリアへ向かっても誰も文句を言わないだろうに。費用だってそんなに違わないはず。

秋田駅での見送りも、お母さんと秋田テレビだけ(他のマスコミでは報道されていないはず)だったようで、秋田県唯一のパラリンピック選手の旅立ちとしては寂しく思えた(ご本人の希望だったのかもしれないが)。
「はずむ! スポーツ都市宣言」だとか「スポーツ立県」だとか言っている地域、そしてオリンピック・パラリンピック誘致に成功して浮かれている国ならば、もうちょっと大きく送り出しても(そして出迎えも)いいんじゃないでしょうか。(などという、スポーツに興味がない者の意見です)
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旧AD/秋銀秋田支店

2014-02-20 23:39:11 | 秋田のいろいろ
20日付秋田魁新報経済面(4面)に、秋田市大町のニュースが2つ出ていた。

「名古屋の経営コンサルタント/イーホテルのビル取得/閉鎖モール活用検討」
1987年にできて、元々はショッピングモール「ファッションアベニューAD」と「秋田ワシントンホテル」が入っていた大町二丁目のビル。
2007年にホテルは「イーホテル秋田」に代わって、ショッピングモール部分もイーホテル管理下(一部を除く)に置かれて「イーホテルショッピングモール」となっていた。
昨年春までには、不採算を理由にショッピングモール部分はごく一部を除いてテナント撤退・閉鎖されていた。

新聞記事によればビルの所有権は、第一生命保険→(2005年)みずほ信託銀行→(2007年のホテル交代時)新生信託銀行と変遷。
昨年6月に、新生信託銀行から経営コンサルタント「みらい経営」が購入したという。(それが今になって分かって報道されたのか?!)
現在は、民芸品店などの「藤木」部分は引き続き藤木の自社所有、秋田観光コンベンション協会はみらい経営から賃借、他は空きテナントの状態。

「みらい経営」は「不動産管理や企業の事業再生を手掛ける」そうで、「(ホテルの稼働率は良いので)安定した賃料収入が見込めるため、投資の価値があると判断」し「向かいの秋田ニューシティ跡地がどう利用されるのかも見ながら、大規模なテナントの誘致などをしたい」そうだ。
茶町通りから秋田ニューシティ跡地越しにイーホテルショッピングモールを見る。まだ「AD」表示が残る
まあ、“拾ってくれた”企業があっただけ、秋田市中心市街地も見捨てられていなかったんだな…というのが率直な感想。
ただ、過剰に期待するのもどうなんだろう。
何度も繰り返して恐縮ですが、この一帯では中華街構想、秋田ニューシティ(旧ダイエー秋田店)解体時の辻社長の商業施設を作りたい発言、プロバスケ施設構想、地元商店会による新たな商業施設構想等があったが、いずれも実現していない。
ニューシティ跡に大型文化施設ができるとかいう話もあるが、現段階では未定。
期待はしたいけれど…
※その後、2020年時点でもイーホテルもニューシティ跡地も大きな変化なし。ニューシティ跡地の文化施設はなくなりイーホテルについては医療モールにする話が出た。

大町五丁目付近の大町通り
もう1つは小さい記事で「秋銀秋田支店/大町支店に統合/7月22日から」
大町五丁目にある秋田銀行秋田支店を7月18日で営業終了し、7月22日から大町二丁目の大町支店に統合するという。
「秋田支店の店舗が老朽化している上、両支店が約600メートルの近距離にあることから、統合して営業力の強化を図る。」
「秋田支店の店舗は残し、統合後も現金自動預払機を設置する。」
19日付で秋田銀行からニュースリリースもあった。
2013年12月末現在、大町支店は行員14、総預金額363億円、総貸出金92億円。秋田支店は行員11、預金183億円、貸出77億円。

2012年に新屋支店と新屋駅前支店が統合して新しい新屋支店になったような合理化が、秋田市中心部の店舗でも行われるということか。
ちなみに統合前の新屋支店は行員13、預金206億円、貸出60億円、新屋駅前支店は行員6、預金141億円、貸出22億円。これらと比べると、現・大町支店は顧客に比較的大きい企業が多いだろうから、さすがに金額が大きいし、秋田支店は意外に小規模だったようだ。
大町支店が近いとはいえ、秋田支店側からは竿燈大通りの横断が必要になる。秋田支店がなくなれば、近くの川反の飲み屋さんなんかは、不便になるかもしれない。

「秋田銀行秋田支店」とは、秋田(市内にも県内にも)にたくさんの店舗がある銀行なのに「秋田」支店という、奇妙というか大雑把な名称の店舗だった。
偶然なんだろうけれど、かつては同じ通りに北都銀行の秋田支店も存在したが、現在は本店営業部に吸収されて消滅(建物は現在は居酒屋グループが店舗として使用)。
秋田銀行秋田支店
秋田銀行秋田支店は、建物が特徴的。
近くの旧本店などであった「秋田市立赤れんが郷土館」には及ばず、リフォームもされているが、レトロな趣きがある。
ずっと前に記事にしたように、スチーム暖房を使っていて、寒い日には建物周辺に湯気が漂う。
 
この建物は「秋田貯蓄銀行」の本店として建てられたそうだ。
1921(大正10)年に辻兵や本金(→今の西武秋田店)の経営者らが設立した銀行で、この建物は1934(昭和9)年12月に竣工したという。
戦中~戦後にかけて、秋田貯蓄銀行は秋田銀行と合併。ここは秋銀「本町支店(当時は「本町」だった)」となるも、短期間で廃止。
その後、今の赤れんが館で営業していた秋銀「秋田支店」が、進駐軍に建物を接収されたためこの建物に移ってきて以後、現在まで「秋田支店」を名乗り続けている。

なお、赤れんが館の建物は、進駐軍から返還された後は、本店→大町支店などとして使われてから、秋田市へ寄贈されている。
したがって、今回統合される秋田支店も大町支店も、どちらも発祥の地は赤れんが館だったということになるはずで、赤れんが郷土館の歴史の長さと時代に翻弄された様子をうかがい知ることができよう。

※参考:Wikipedia、「二〇世紀ひみつ基地」2007年3月31日「旧秋田貯蓄銀行本店・昭和レトロ建築(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-292.html)」


魁の記事によれば、秋田支店の建物はとりあえず残るようだけど、店舗統合の理由に建物の老朽化が挙げられていることからすれば、先行きは分からない。
旧北都銀行秋田支店のように、リフォームして他用途に使うことも考えられるが、古い建物を残したがらない秋田の気質(?)からしても。
湯気が立ち上る秋田支店を見られるのは、この冬が最後かもしれない。【2015年1月30日追記】閉店後の2015年1月の時点では、湯気が上がっていることがある。ATMコーナーの暖房用なのか、店舗だった部分で何かをやっているのか。【2015年3月12日追記】2015年3月12日も湯気が上がっていたが、店舗だったスペース内で蛍光灯が点灯しているのが、ブラインドの隙間から確認できた。店舗後で何かやっているようだ。

※続き(閉店時)はこちら
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閉・痛!

2014-02-02 23:45:41 | 秋田のいろいろ
新しいタイプのドアボタンが登場した701系電車の半自動ドアの続き。
半自動ドアは車内保温の効果は絶大であるが、乗客としては「ボタン操作をさせられる」ことになり、それに伴うトラブルが発生しかねない。その1つが「乗降する人がいるのに、ドアを閉めてしまう」こと。

701系以外・JR東日本以外も含めて、ボタン式半自動ドアを備えた鉄道車両では、「車外のボタンは開けるだけ、車内のボタンは開閉両方できる」ものが多数派。ちょっとヘンな気もするけれど、エレベーターの外(上下の呼び出しボタンを押しっぱなしにする)と内側と同じ分け方ではある。

今のような寒い時期などは、ドアを開けっ放しにするのは大ひんしゅくだから、乗った客は後ろに人が続かなければ「閉」ボタンを押して閉めるし、途中駅において乗る客がいない場合に、最後にそのドアから降りる客も車内の「閉」ボタンを押しつつ降車していく(※危険な場合があります。後述)。誰かが開けっ放しにした場合は、ドアの近くにいる乗り降りしない客が「閉」ボタンを押して閉めることも多い。
これが、秋田では冬以外のシーズンも通しての暗黙のルール・マナーになっている。(秋田ほど寒くない地域では、閉めない人のほうが多い場合もある)
【2018年7月31日】夏場は冷房効果向上になるが、それに加えて、特に夜間は虫が車内に入ってくるのを防ぐ効果も大きい。

問題は、周りを確認せずに「閉」ボタンを押してしまい、そこに乗り降りしようとする他の客がいた場合。
701系電車のドアは、モノを挟んでも簡単に開かない構造(もちろん「開」を押せば開きます)らしく、挟まれたらかなり痛そう。自分がボタンを押したばっかりに、見ず知らずの人を痛い目に遭わせてしまったら、申し訳ない。
また、「閉」を押すタイミングが早すぎて、 自分で自分を挟んでしまうという、恥ずかしいことをしてしまうこともある。

JR東日本側でも、ドア操作の注意喚起をしてはいる。
20年前の701系導入当初は、ほとんどやっていなかったはずだが、ある時期から、ワンマン電車の自動放送で「ドアの『トジ』ボタンを押す時は、後ろのお客さまにご注意ください」というフレーズを入れている。
「閉」を送り仮名なしに「とじ」と読ませているのはちょっと無理があるが… 秋田支社以外のワンマン放送でもほぼ同じ内容が流れているが、「ドアを閉じるボタンを押す時は…」と言っている所が多いはず。

車掌は以前(ワンマンで言い始めた頃)はほとんど言わなかったはずだが、今は同じ趣旨の注意を放送する人が多いようだ。以前から半自動ドアの説明を行っていた大館運輸区の車掌も、注意を付け加えるようになった。
【11日追記】大館運輸区のある車掌は「『あける』のボタン」「『しめる』のボタン」と言っていた。
【2018年6月14日追記】その後2018年には、秋田運輸区の車掌だろうか、複数の人が「(閉める時は)周りのお客さまにご配慮ください」という言い回しをするようになった。「後ろ」に続いて降りる人だけでなく「前」から乗りこんで来る人にも気をつけろというニュアンスを持たせ、かつ「注意」より柔らかい「配慮」としたのだろう。

数年前、ボタン式半自動ドアが使われる、JR東海の身延線のワンマン電車に乗った。真冬の(現地としては)寒い時期だった。
発車前の自動放送では、「車内保温のため、半自動ドアの操作にご協力ください」という、東日本エリアでは聞かないフレーズが入っていた。(実際に閉めている人は僕以外いなかったけど)
東日本では「閉める時に注意」する案内はしても、積極的に「閉めましょう」とは言わないことに気付かされた。
寒冷地の東日本エリアこそ、「車内保温のため閉めましょう」と言えば良さそうなものだが、やたらと閉められて人を挟んでは困るから、東日本では積極的に言わない方針なんだろうかと思ったりした。

701系のドア
いつの頃からか(少なくとも2011年夏にはあった)、秋田地区701系電車のドアのガラスの車内向きに、こんなステッカーが貼られている。
「他のお客さまに注意して『閉』ボタンを押して下さい。」
吹き出しに「閉」とある人と、ドアに挟まれて「痛!」となった人が青いシルエットで描かれている。
「閉」は実際のドアボタン(従来型)を模したようなデザイン。

ところで、青森の第3セクター鉄道・青い森鉄道(以前の記事)の「青い森701系(JR東日本701系と同設計)」電車のステッカー。
JR東日本盛岡支社から譲渡された車両もあるため、JR時代に貼られたステッカーも残っているようで、バリエーションが豊富。
秋田支社のとそっくり(2011年)
サイズが小さく、背景が透明でない以外は、まったく同一。
さらに、
青い森鉄道のキャラクター「モーリー」版!(2012年)
挟まれたほうのモーリーは痛そうな表情で、既に手に包帯を巻いている。閉めたほうのモーリーは、気付いていないのかうれしそうな表情。
吹き出しやドアなどは、人のシルエットバージョンと極めてよく似たデザイン。

秋田支社、盛岡支社、青い森鉄道の間で、注意喚起ステッカーのイラストデータが共有されていたと考えられる。

ほかには、
「痛!」がっていない(2012年)
挟まれる人と注意喚起する(?)モーリー。

まったく別バージョン(2011年)
「あっ!」「危ない!」「ドアを閉めるときは周りのお客さまに注意して…」
挟まれた薄っぺらな男と、目撃した女だろうか。挟まれた人は腕の先がしびれているのか?



ところで、701系のドアの開閉動作は、実は2種類あって、閉まるタイミングが異なるため、そのせいで挟まれたり挟んだりしやすくなっているとも言える。
開閉動作は、2両編成と3両編成で異なるのだ。
※701系の最小単位は2両、3両(秋田地区のみ)、4両(仙台地区のみ)の3種類が存在し、常に同じ車両どうしでユニットを組んでいる
秋田地区では、2両編成は24本(N14~N18、N102~N104編成)【2018年2月13日訂正】28本(N14~N38、N102~N104編成)、3両編成は14本(N1~N13、N101編成)が在籍し、どのダイヤでどちらが走るかは固定されている。
701系の3両編成と2両編成
2両編成では、開閉予告のチャイムが搭載されており、ボタンを押すとチャイムが鳴ってから開閉動作に入る。
3両編成にはチャイムがなく、ボタンを押すと直ちに開閉する。
さらに、ドアが閉まりかけている時に「開」ボタン/開きかけている時に「閉」ボタンを押した時も、2両編成ではチャイムが鳴ってから次の動作に移り(チャイムが鳴っている間は前の動作を続ける)、3両編成では直ちに開/閉動作に移る。

この違いによって、次のようなケースが発生しやすい。
・降車する人が「閉」ボタンを押す場合、2両編成では余裕で降りられるタイミングであっても、3両編成では早く閉まるため挟まれてしまう(降り際にボタンを押した人自身が挟まれるのはほとんどこのパターン)
・「閉」ボタンが押された直後、乗り降りする他の人がいて「開」ボタンを押した場合、3両編成ではただちに開いて問題がないのに、2両編成では時間が経って(チャイムが鳴って)から開くため、閉まりかけたドアに突進した形になって挟まれてしまう
【4日追記】挟まれなくても、乗り降りしようとしてボタンを押したのに、目の前でドアが閉まるケースも2両編成である。

どうしてドアチャイムの有無があるのか。
今は新幹線や山手線など長い編成の列車にもドアチャイムが設置されているが、701系導入当時はその思想はまだなかった。
路線バスの中ドアの開閉ブザーと同じ意義で、ワンマン運転時の注意喚起のために、ワンマン対応の2両編成にのみドアチャイムを設置してしまったため、このようなちぐはぐなことになったのだと思う。※2両編成ではワンマン運転かどうかにかかわらず、常にチャイムが鳴る。
701系でドアチャイムが鳴らないのは、秋田の3両編成14本と仙台にある4両編成4本だけ(盛岡や青森には2両編成しかない)。これらにもドアチャイムを追加設置して動作を変更することはできないものだろうか。

2両と3両を連結して5両編成で走るような場合でも、それぞれの開閉のタイミングは、それぞれ固有のまま。
つまり、開けっ放しで発車時の車掌の操作で一斉に閉まる場合、3両編成側はすぐに閉まり、2両編成側のほうがチャイムが鳴る分遅れて閉まることになる。
701系に乗り慣れた人でも、いつもと違うダイヤ・車両に乗った時はご注意を!

ちなみに、男鹿線のキハ40系の一部も半自動化改造されているが、これはボタンを押すと直ちに開閉し、開閉しながらチャイムが鳴るという、いかにも後付け改造らしい仕様のはず。【2015年12月4日追記】五能線用のワンマン対応・デッキ撤去のキハ40系で、「チャイムが鳴らない」半自動ドアにも遭遇した。


ドアを閉めないのも迷惑だけど、他人様を挟むのも迷惑。ドアを操作する時は、次の点に注意すればいいと思う。
・車内外の人の動向を確かめてから「閉」は基本
・降り際に閉める時は、体と荷物がホームに完全に降りてから、手だけを車内に入れて「閉」(特に3両編成)
・閉まりかけたドアを再び開ける時は、「開」ボタンを押してすぐに乗り込まず、完全に開くまで待つ(特に2両編成)
・周りに乗降に時間がかかる客がいる場合など、ドアが閉まってしまうのではないかと不安な時は、「開」を押しっぱなしにすると周りの客としては親切(「閉」ボタンや車掌の操作よりも優先して閉じないはず)
・開け閉めしてもらったら「ありがとう」、挟んでしまいそうになったら「すみません」など、乗客どうしお互いにコミュニケーションを



最後に、今まで701系電車に乗っていて見かけた、「半自動ドアあるある」もしくは「半自動ドアトリビア」。
・半自動ドアであることを知らず、ドアの前で突っ立っていたり、ホームで乗務員に「乗りたいんですけど」と訴える人
→旅行客など半自動ドアを知らない人なんだから仕方がない。見たら教えてあげるか、そっとボタンを押してあげましょう。

・ドアを開けて乗り込むことはできても、閉めない人(そしてドア付近の他の客が閉める)
→列車のドアは勝手に閉まるのが常識の人には、知らないのだから仕方ないかも。だけど、真冬にこれをやられたら大迷惑。【追記・夏も冷房効率低下と虫の侵入につながる】
しばらくの間、同じ空間で移動する者どうし、自分で開けたのなら「閉める」ことにも気配りを!

・車外の「開」ボタンを押して、必死に閉めようとする人
→車内に残った客のために気を使ってくれるのはうれしいけれど、車外のボタンは「開ける」専用。外からは閉められない。

・車内から開けようとして、なぜか「閉」ボタンを必死に押す人
→そそっかしい方ということになるけれど、下手すると降り損ねて乗り過ごしてしまうから、注意。
もし周りにいて気付いて、手が届けば、「開」ボタンを押しっぱなしにするといい。上記の通り、「開」ボタンが押されている限り、車掌が閉める操作をしても、ドアは閉まらないはずなので。

・ワンマン列車において無人駅で乗降しようとして、開かないドアのボタンを押して乗ろうとする人
→放送や表示があるのだけど…

・自分の後から歩いてくる人が、同じドアから乗ると思って開けっぱなしにしていたら、その人は乗らなかった(他のドアから乗った)
→タイミングと見極めが難しいんだよね。乗らなかったのなら、閉めましょう。

・走行中に「開」ボタンを押せば、ドアが開いてしまうんじゃない? と心配する人
→昔の客車列車じゃないんだから、それはない。
車掌(またはワンマン運転士)がドア操作をした時だけ、ボタンが有効になる。かつ、走行中はその操作ができない(一定速度以下でないと)仕組みになっているはず。
考え方としては、車掌が鍵を開けて、初めてドアボタンが有効になるという感じなので、ご心配なく。

・自分が「閉」ボタンを押さないで開けっ放しだから、電車が発車できないのでは? と心配する人
→これもない。ただ、車内保温のためには閉めていただいたほうがよろしいです。
車掌が閉める(つまり施錠)操作を行った時は、開いているドアは自動で閉まるのでご心配なく。

・駅に到着する前、ドアボタンを連打する主に若者
→無意味な行為だし、ものは大切に扱いましょう。
一刻も早く降りたいのなら、停まる直前から「開」ボタンを押しっぱなしにすると良い。そうすると、車掌が解錠操作をすれば直ちに開く。(電車が動いている間は押しても無意味)
なお、上記の通り、2両編成よりはチャイムが鳴らない3両編成のほうが早く開く。

・ワンマン運転最後の駅は、開けられるようになるまで時間がかかる
→車掌がドア操作する時は、左右それぞれの開閉装置(車掌スイッチ)から行うが、ワンマン運転時は運転台のスイッチからドア操作をしている。
ところが、ワンマン運転での最後の駅(終着駅もしくは車掌が乗り込む駅)では、運転台でなく車掌スイッチを使うことになっているらしい。
したがって、運転士は電車を停めて、席から立って、車掌スイッチに鍵を挿して、安全確認後に操作して、というステップが必要になり、停車してからドアボタンが使えるまで、10秒近くかかることもある。(特に運転席の逆側でフタが付いている、進行方向右側が開く場合など)
気長に待つしかありません。※701系以外の車両では、最後の駅でも運転台からドア操作できるものもある模様。
【2018年9月3日追記】ただし、終着駅が無人駅(または無人扱いの時間帯)の場合は、運転席からの操作でいいらしく、右側であってもすぐにドアボタンが使える。

・寒くて吹雪く日、長い距離・時間に渡って1度も開かなかったドアが久々に開く時、「バリバリ」と雪や氷が音を立てて落ち、車内にも入り込む
→下手をすれば凍結して開かなかったり、雪を挟んで閉まらなくなったりもするかも。

・実は701系も、ドアボタンを使わない“全自動”で開けることができる
→車掌スイッチに「自動」「半自動」の区別があり、「自動」側にすれば可能。【4日追記】2両編成側では、ドアチャイムも鳴るはず。
車両基地での清掃や通風の時には使っているはずだが、ずっと前、1度だけ営業運転中の列車で遭遇したことがあった。
全部のドアが一斉に「ドン!」と音を立てて開閉して、びっくりしたけれど、あれは何だったのだろう…
【2020年4月15日追記】その後2020年に、新型コロナウイルス流行の対策として、秋田でも自動扱いがされることになった

もう少し続きます
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新ドアボタン

2014-01-28 23:48:07 | 秋田のいろいろ
奥羽本線・羽越本線などを走る普通列車用701系電車のドアは、乗客がボタン(ドアボタン)を押して開閉する。
 701系電車。赤丸がドアボタン
首都圏などからの旅行客・帰省客、あるいは地元でも普段電車を利用しない人などが、この方式を取り上げて「手動式」と呼んだり「田舎だから」としているのを目にするが、それらはちょっと違うと思う。

まず、「手動」だとドアそのものをボタンでなく手で動かすようにも受け取れてしまうし、実際にそういう方式も存在する(後述)。正しくは「ボタン式半自動ドア」と呼ぶ。まあ、一般の人には通じにくいだろうから「ボタン式」と呼べば、多くの人に誤解なく通じるだろう。
そして、半自動ドアが採用されている理由は、根本的には「車内保温のため」。停車中の外気の侵入を防ぎ、冷暖房効率を上げること。
特に秋田のような寒冷地では、冬の寒風・吹雪の吹き込み防止には欠かせない装備なのだ。701系以前の車両にはあった「デッキ(出入り部と客室の間に仕切りがあった)」が廃止されたことも半自動が採用された一因ではあるが、使う時に使う所だけを使うのは、理にかなっていると思う。

半自動式ドアは、昨今のエコ・省エネの風潮に合致しているし、最近は街中のお店などの自動ドアでも、ボタン(タッチスイッチ)を押すタイプの自動ドアが以前より増えている。(あれは実は中に乾電池が入っていて、タッチすると赤外線信号が出てドアが開くという、リモコンの原理)

とはいえ、停車時間が比較的長く、乗降客が少なくないと半自動式にする意味がないだろうから、結果的には「田舎だから」でも間違いではないか…


鉄道車両においては、昭和50年代頃までは、開閉とも乗客自身が手で行う(=走行中でも開きっぱなしのこともある)、いわば「完全手動式ドア」を備えた客車列車がほとんどだった。
一方で、通勤電車のドアは戦前から自動化されていたそうだが、寒冷地を走る電車では、(ボタンでなく)手で開ける「手動式半自動ドア」(発車時は自動で閉まり、走行中は開かない)が国鉄時代から存在した。現在も新潟や長野では使われていて、旅番組の出演者が戸惑うことがある。
ディーゼルカー(気動車)でも同じものが存在し、2007年頃まで花輪線でも一部使われていた。花輪線では完全自動の車(キハ58系)と手動式半自動の車(キハ52形)が混在して使われており、大館運輸区の車掌は「本日は、後ろ(or前)寄りの車両のドアは、自動では開きません。駅に着きましたら、手でお開け願います」と放送していた。※その名残か、今の701系電車でも大館運輸区の車掌は「この電車のドアはボタンを押して開閉する半自動式です。駅に着きましたらボタンを押して…」という放送をよく行っている気がする。【2月11日追記】ある車掌は「この電車のドアは自動では開きません」と表現していた。

ボタン式半自動ドアという仕組みが登場したのは、1972年に川越線・八高線の気動車で既存車両の改造により設置されたのが初めてらしい。
その後、民営化・第3セクター化や客車列車の衰退なども影響したのだろう。1990年代以降は、寒冷地の地方鉄道の新車両には必須のアイテムになっているのではないだろうか。

現在は、古い車両を後から半自動化改造(弘南鉄道や男鹿線の一部など)したり、大都市圏郊外や暖かい地方の列車にも設置されたりしている。使い方は、利用実態や気候に合わせて、通年・全駅で半自動、季節や駅を限定して半自動、ボタンはあるけど基本的に一切使わないなど、さまざま。
JR東日本では、さすがに山手線にはないけれど、中央線や東海道本線の車両には設置されていて、例えば高尾以西や熱海駅での発車前などに使用されている。(ただし、発車直前にいったん全部のドアが自動で開くので、さほど意味がない)

以上を踏まえれば、半自動式のドアはそれほど珍しくも・田舎臭いものでもないと思うのだが… 実際に使う機会があるかどうかは別として。


前置きが長くなりましたが、ここから本題の半自動ドアの「ボタン」について。
ボタンのデザインや設置位置は鉄道会社や車両によってまちまち。そのため、不特定多数が使うものだから大事なはずの、操作性や見つけやすさは違ってしまっている。

改造で設置した弘南鉄道では、ホームセンターで買えそうな壁スイッチを流用したみたいなもの(分かりやすさとしては良好。この記事最後に写真あり)。
JR東海やJR西日本では、特に車内側がドアからやや離れた位置に設置されており、しかも「開」「閉」が左右に並んでいて区別がしづらかった。

1993年に製造が始まり、真っ先に奥羽本線・羽越本線に投入された701系電車では、こんなボタンが設置されている。(記事冒頭の写真も参照)
当時としては標準的なもので、同時期の第3セクター車両や、後付けされた男鹿線用キハ40系でも、ほぼ同一(微妙に違う?)のものが使われている。→キハ40系のボタンと同じものは、この記事中ほどにて
車外側は、ドアに向かって右側の腰の上くらいの位置に、車体に埋め込まれたように白いボタンがある。ボタンが使える時は上部に赤文字で「ドア」と点灯表示される。
 車外側
ランプ点灯中に押せば開く旨の説明はあるとはいえ、白くて目立たないボタンだし、表示灯も見にくい。
ボタン自体は、防水のためか、厚いシリコン風のカバーの下に本来のボタンが収まっているような押し心地で比較的力を要する。僕は親指でぐいっと押し込む感じで操作している。
ドアの位置によって、ボタンの地のパネルが横向きのものと縦向きのものがある。

車内側
車内側は、ドアに向かって右の胸より上くらいか。こちらは、「ドア」表示灯、「開」、「閉」ボタンが縦に並び、壁よりも出っ張って角度を付けて設置。
ボタンは直径2.5センチくらいだろうか。銀色の縁に収まった白くて硬いプラスチック製。「開」「閉」の文字がそれぞれ緑と赤で書かれている。
「開」「閉」の文字は、当初は角ゴシック体だった気がするが、今は丸ゴシック体と彫るタイプの名札で使われるような手書きっぽい書体の2種類があるようだ。「ドア」表示灯の文字も、今は細い丸ゴシックだが昔は角ゴシックのものがあったはず。→現在も角ゴシックの「ドア」表示がありました
 丸ゴシック体と手書き風書体
ボタンの押し心地は軽いが、ある程度の深さ押し込む必要がある。感じとしては押しボタン式信号のボタンに近い。
下に手すりがあるためか、ボタンがわりと高い位置にあるのと、開・閉が読めない人にはどちらを押せばいいのか分からないのが、難点ではあった。


登場から20年が経つ701系電車では、ここ数年、さまざまな機器や装備の更新が行われている。
パンタグラフ、インバーター、吊手(つり革)、座席の色、行き先表示、各種ワンマン機器等々であるが、昨年末、2両編成の「N32」編成において、ドアボタンが更新された。また、今週頃から2両編成「N27」編成も更新されて運行しているとのこと。
※その後、6月10日には「N31」編成でも新ドアボタンを確認。

新しいドアボタンは、2002年に改造された仙石線用205系電車、2007年に登場した仙台地区用E721系電車などとほぼ同じ、“最新型”。
N32編成にやっと巡り会えた
「ドア」表示灯とボタンが一体化して、ボタンが使える時はその縁がLED(開くほうが緑、閉まるほうは赤)で光る。ボタンはエレベーターでおなじみの(かえって分かりづらいけど)横向き三角のアイコン。さらにその外周を、巨大な黄色い輪が取り囲む(これはボタンではなく、飾り。踏切の非常ボタンの赤い輪の色違いみたいなの)。
※首都圏の列車でも同じものが設置されているが、車内側には黄色い輪がない。使用頻度を考慮して、あえて目立たなくしているのか。

車外側は、従来のボタンと同じ位置で、パネルの縦横が混在するのも同じ。パネル自体がやや大きくなったようで、ネジ止め箇所は4つから6つに増えている。
 
パネルは「あける Open」が赤い文字で彫られているだけで、「ドア」ランプと「ご注意 ランプ点灯中ボタンを押せばドアが開きます」の注意書きがなくなったので、スペースが余っている。

国鉄秋田鉄道管理局のマスコットキャラクターだったヒョウの「アッキー」くんが、JR化後に作られたステッカーに残っていたのだが、ドアボタンが更新されてもまだ残っているのがすごい。
キライじゃないけれど、「ボタン」の文字が薄れて読めないよ…


車内側も、取り付け位置は従来と同じ。
デカい!
ボタンが大型化して従来の台座では収まらないため別のものになり、ボタンがある面だけが樹脂から金属に変わった。ボタンの角度はわずかに外向きになったか。
外のボタンと同じ赤で「Open」「Close」が彫られているが、日本語はラベルライターで作った「ひらく(あける じゃなく)」「とじる」が貼ってある。【2015年8月5日追記】この後に更新された編成では、ラベルではなく外側と同様に彫った赤文字。開くほうはやはり「ひらく」。(N17編成で確認)
車内には「ご注意 ランプ点灯中…」の表示があるが、以前はプラスチックの板だったのにシールに替わっていた。

新しいボタン自体は車内外ともおそらく同じもの。黄色い縁取りで巨大に見えるだけで、ボタン自体のサイズは従来よりわずかに大きい程度のようだ。
指先でも楽に押せ、わずかな手応えがあるだけで押しこむ深さはほぼゼロ。特に車外側では、従来よりずっと扱いやすくなったと思う。大きな改善と言えよう。
乗客たちは見慣れぬボタンに一瞬戸惑っていたが、それは分からなくて戸惑うのでなく、今までと違うことへの戸惑いのようだった。20年間同じボタンだったのが別のものに変わったのだから、無理もない。

欲を言えば、車外側にも「ランプ点灯中ボタンを押せば…」シールはあったほうがいいと思うし、車内のボタンの位置を少し下げたほうがいいと思う(手すり移設や配線も必要で難しいけど)。あと、点字もしくは見なくても開閉の区別がつく突起(電話やリモコンの「5」みたいな)はないようだけど、なくていいんだろうか。
なお、開閉予告チャイムなどは従来のままで、今回更新されたのはボタンだけのようだ。


考えてみれば、秋田総合車両センター(旧・土崎工場)では、仙石線用205系など他地域向け車両の改造で、既に多くの新しいドアボタンを設置した実績がある。それを地元の701系にも施したに過ぎないのかもしれない。配線はそのままでボタン部分だけを交換したようだから、さほど難しくもないのかもしれない。
現在進んでいる、行き先表示や運賃表示器の更新については、工場に入ったのに更新される場合とされない場合があるようで、ドアボタンももしかしたら同じことになるかもしれないが、新しいドアボタンが増えていくのは間違いないだろう。

半自動ドアについては、続きます

※2017年の仙台地区のドアボタン事情はこの記事にて。
※最初に新ドアボタンが採用されたであろう、仙石線205系3100番台について。
※秋田地区などでは少し違うボタンも登場
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学校給食

2014-01-23 23:46:07 | 秋田のいろいろ
1月24日は月遅れの「学校給食記念日(学校給食感謝の日)」で、同日から30日までが「学校給食週間」。
2012年の記事で紹介した通り、1946年12月24日にアメリカからの救援物資を使った学校給食が始まった(戦時中の中断を挟んでの再開)ことにちなむのだが、12月24日は冬休み中の学校が多いため、1か月後にした経緯がある。

2012年に昭和末期から平成初期の秋田市立学校の給食の思い出をアップしたところ、懐かしさに共感するコメントをいただいた。
今は知らないが、当時の秋田市の学校給食は、多くの児童生徒にとって学校生活や食生活における大事な思い出のひとコマであったようだ。


それから2年。気になった学校給食に関するニュースがいくつかあった。
東京都の小学校でアレルギー対応の給食を食べている児童がおかわりをした際、担任教員が確認せずに通常の給食を渡してしまい、児童が亡くなったのはいたましい。
あとは異物混入が多く報道された気がする。秋田市立の学校でも連続して発生したものの、給食室の調理具の部品だったり、業者が納入した加工済み食品の加工時に混入したものもあり、原因はさまざま。これは昔からあったけれど、報道されなかっただけなのかもしれない。
【2月4日追記】秋田市の異物混入は、2013年10月から11月末までの間に小学校で5件発生した。

そして、食中毒。
静岡県浜松市のものが記憶に新しい。やっと落ち着いたようだが、1000人超が欠席した。原因は食パンに付いたノロウイルス。
ノロウイルスは怖い(症状よりも感染力が)と思うとともに、素人考えでは、おかずでなくパンで食中毒というのが意外だった。考えてみれば、焼き上がった後、そのままの状態で口に入るわけだし、給食室でいくら気を配っても防ぎようがない。

秋田市の給食用パンは、たけや製パンが製造しているわけだけど、最大手・山崎製パンの系列で同社のノウハウを使っているだろうから、衛生面では安心していい、のかな?



さて、学校給食とは直接関係ないが、昨年末、秋田市でノロウイルスによる集団食中毒があった。
※企業名を出しますが、特に批判する意図はありません。過去には他の業者でも食中毒が発生しており、現在は以前同様に親しまれている所もあります。今後の一層の衛生管理を期待するものです。
秋田市や潟上市の県庁職員など61事業所240名が症状を訴えた。原因は昼食の仕出し弁当で「秋田米飯給食事業協同組合」が製造したもの。

秋田米飯給食事業協同組合(以下「米飯給食」)といえば、元々は学校給食のご飯を製造・納入している業者。以前の記事でも触れたが、昔は暗赤色の弁当箱で1人分ずつ配膳されていた。普通のご飯以外にも、手巻き寿司用に酢飯、ゆかりごはん・わかめごはんも作っていたし、コンビニ弁当のような「カツ丼」が「カツ弁当」という献立名で赤い弁当箱に入って出たこともごくまれにあった。
また、昔から、一部コンビニやスーパーで販売される弁当や惣菜類を「べいはんデリカ」のブランドで製造もしていた。
それに加えて、オフィス向けの昼食宅配もやっていたようだが、こんなに大々的だったとは知らなかった。(他の宅配弁当業者は、一般家庭でもエリア内なら届けてくれるはずだが、米飯給食は事業所専門。家庭はダメで事業所なら1個から届けるというのが、なんかヘン)

今回も他の食中毒事例同様、原因解明・行政処分が出る以前から、自主的に営業を取り止めた。
オフィスの昼食の代わりはなんとでもなるが、学校給食への影響が出てしまった。
12月21日付秋田魁新報社会面によれば「(食中毒を起こした業者は、)市内の小中学校計67校にも米飯給食を提供している。業者の自主休業を受け、51校が20日に米飯を別業者のパンに切り替えた。」とある。
「市内の小中学校計67校」とはすなわち、すべての秋田市立小学校・中学校。冬休み前だったので、おそらく20日の1回だけだったはずだけど、献立変更や奇妙な組み合わせの給食(カレーにパンとか。まさか手巻き寿司の具にパンとか?)を食べさせられた学校もあったかもしれない。

「別業者のパン」とは、たけや製パンだろう。
そういえば、たけやと米飯給食は、関連がある企業・組織どうし。たけやの社長が米飯給食の理事長を務めているのだ。
11月に開設されたのを発見したたけやのホームページにも、控えめながら「秋田米飯給食事業協同組合」が関連会社であることが出ている。1979年4月設立だそう。

一方、米飯給食のほうもホームページができていて、それによれば昨年10月に開設されたようだ。
ホームページのデザインというか構造(リンクなどの配置)がたけやと米飯給食でそっくりで、同じ制作会社に依頼したものでしょう。

米飯給食のホームページには、たけやとの関係は記されていないようだ。また、サンドイッチや調理パンを製造する「株式会社リベール」については、簡単な紹介が米飯給食のホームページに出ている。(たけやのホームページにも、米飯給食と並んで名前は出ている)
所在地は米飯給食と同じ町内で、設立も1979年12月と近い。社長もたけや社長、米飯給食理事長と同じ人。

ちなみに青森の工藤パンにも、「幸福の寿し本舗」という、米飯給食やリベールのような位置付けの子会社が存在する。


とにかく、給食でもそれ以外でも、すべての食品を扱う企業やお店には、細心の注意を払って、安全でおいしいものを提供し続けていただきたいものです。

【2018年12月4日補足】2018年11月30日付朝日新聞社会面によれば、
1976年に全国で米飯給食が始まったが、「パン業者の一部は米飯給食の開始時に炊飯組合を作り、ご飯の提供を始めた。だが、給食室の建て替えなどに合わせ、自前でご飯を炊く学校が増え、炊飯組合の利用は減っているという。」
秋田米飯給食も、そうした流れで設立され、(秋田市は最近は茶碗盛り付け方式になったそうだけど、どこで炊いているのかは不明)そこそこうまくやっているということなのだろう。

ちなみに、秋田市の学校給食での米飯は、1976年に一部学校で、1979年に給食実施の全学校(=当時は全小学校+一部中学校)に拡大。本文の通り、秋田米飯給食は1979年4月設立なので、本格実施に合わせてできたことになる(その前3年間はどうやっていたんだろう?)。

【2023年9月6日補足】同日付朝日新聞「しつもん! ドラえもん」より。
全国的に米飯給食黎明期には、製パン業者がパン釜を使って炊飯したところが多かったらしい。その場合、容器に制約があって、惣菜のグラタンが入っているような、使い捨てのアルミ製容器(蓋もアルミ)で炊飯して、それが配られたのだという。2020年代でも、浜松市など静岡県では存続しているとのこと。

全国各地で、製パン業者やその系列組織が米飯を扱うようになった理由は、パンの売上が減る分の補償的意味合いや、いわゆる既得権益の維持だったのではないかと勘ぐっていた。でも、パン釜炊飯を知れば、大量に炊飯して輸送できる体制やノウハウを持っていたのが製パン業者で、他業種が参入するのは難しかったという側面もあったようだ。
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学校の話

2014-01-21 22:58:29 | 秋田のいろいろ
学校の話。
●御野場中の校歌
詩人の吉野弘氏が15日、87歳で亡くなった。山形県酒田市出身で、亡くなったのは晩年移住したという静岡県富士市。
以前の記事では取り上げなかったけれど、吉野氏は、秋田市立御野場中学校の校歌を作詞している。
秋田県立新屋高校や私立秋田和洋女子高校の校歌の作曲者・三善晃氏が昨年亡くなった際は、地元紙に死亡記事は掲載されても、秋田とのゆかりには触れていなかった。

今日の秋田魁新報では、社会面で吉野氏の死亡記事を顔写真入りで比較的大きく掲載。そこでは「校歌や社歌の作詞を手掛けた」とするに留まった。(共同通信からの配信そのままだろうから。なお、葬儀後の発表だったようで、出遅れたわけではない)

ところが、1面コラム「北斗星」。
こちらでも吉野氏の逝去を取り上げ、さらに御野場中の校歌にも言及している。ちょうど30年前、地域の悲願だった開校に際して、住民や教職員から「せっかくなら立派な校歌を」との声が上がり、「当時の教頭先生が、旧知の仲だった吉野さんに依頼した。」という。
こういうことを伝えてこそ、「郷土の新聞」だ。しかも、亡くなったことが明らかになってすぐに御野場の話と結びつけるとは、かなり迅速。
今回は魁を評価しましょう。


さらに、御野場中学校の公式ホームページ。
今年度は頻繁に更新しており、今日付で「校長だより 校長室の窓」の「No.43」が掲載された。(配布している印刷物の転載か。ユニークな校長先生の後任ということになる)
それによれば、魁の記者から「吉野氏が亡くなったので、校歌が作られた経緯を教えて」という電話があったそうだ。そこで、校長先生が当時のPTA会長に問い合わせ、それを元に北斗星に掲載されたとのこと。吉野氏は御野場中創立10周年記念誌に寄稿もしていた。
魁も迅速だったが、御野場中の迅速な対応も、今日の訃報記事と同日の紙面への掲載につながったようだ。


●はじめてのこうちょうせんせい
亡くなったといえば、秋田では、学校の校長経験者が亡くなった時にも、社会面に死亡記事が掲載される。吉野氏の場合と同様なスタイル(内容は簡単な経歴、校長を務めた学校名と期間程度だけど)で。
※遺族による「死亡広告」や、死亡届に基づく「おくやみ」欄とは別物。

遺志や遺族の意向なのか、掲載されない方もいらっしゃるようだが、亡くなった年齢(退職後長期間経っていても)や勤務校の規模などに関わらず、元校長先生なら原則として掲載されるようだ。

ここ最近、お2人の校長経験者の死亡記事を目にした。僕が小学校に入学した時の校長先生と教頭先生だった方々(のはず)。(=教頭先生は後に校長に昇進・異動して退職したことになるので、経歴には未掲載だった)
【14日追記】ただし、校長として1校にしか勤務したことがない人の場合、「○○学校教頭を経て、平成xx年から××学校長」などと、教頭の経歴も付記されることがある。
【2015年1月5日追記】魁では年末に「墓碑銘」という国内外のその年に亡くなった人やその概要を、分野ごとにまとめた記事が出る。2014年は12月30日に掲載。※この記事後半参照
2面のうち1面が秋田県関係者で、さらにその3分の1ほどが教育関係者。小中高校の学校長経験者も掲載されており、亡くなった時とその年末と、2度載ることになる。

入学したての子どもにとって、「初めての校長先生、教頭先生」というのは、特別な存在感があった。まして当時の50歳代の外見は、今にして思えばだいぶ「年寄り」だったから。
お2人とも日本人男性の平均寿命を越えておられた(吉野氏と同年輩か)とはいえ、もうそんなに月日が流れたのかと、改めて感じた。



●校名は?
話が変わって。昨年、秋田市にある県立秋田南高校が、中高一貫校化されることが明らかになった。

昨年春には、同校の校長が県教委宛てに「一貫校にしたい」という要望書を提出した。
自ら一貫校になりたいと申し出るとは唐突に感じたが、その直後の教職員の定期異動では、同校の教頭2名のうち1名に、秋田市立中学校の教頭を充てるという、異例の人事(中学校と高校間で教員の異動自体、かなり珍しいはず)があり、着々と一貫校化の準備が進んでいたようだ。
【3月24日追記】↑「教頭2名のうち1名に」ではなく「副校長1名と教頭1名のうち、教頭に」かもしれない。秋田県立高校・支援学校のうち、かつて教頭を2名配置していた学校の一部において、現在は副校長と教頭を1名ずつを置く学校もある。教頭2名にするか副校長を置くかの基準がいまいち分からないのだが。(以上追記)
ちなみに、その異動した教頭先生は吹奏楽指導で実績のある方だそう。秋田南高校も吹奏楽全国大会の常連校なので、その辺の配慮もある異動だったのだろう。


そして昨年末、県から具体的な中高一貫化の計画が発表された。今年度末までに基本構想を完成させ、2016年4月の開校を目指す。
詳しく知りたい方は、県のサイト等でご覧いただくとして、概要を簡単にまとめると、
・現在の普通科(複数クラス)・英語科(1クラス/学年)を解消して普通科のみとする
・「併設型中高一貫教育校」で、中学校は1学年80名、高校は同240名(うち80名が中学校から進学)
・中学校は全県から募集(高校も、今は学区制が撤廃されたので全県からってことでしょう)
・現在の秋田南高校の校風や伝統を活かしつつ、国際教養大学との連携など国際的・グローバルな教育を行う
・施設は現在のものを活用(中学校用特別教室の設置などは必要でしょう)
といった感じ。
【25日画像追加】(再掲)国道13号線沿いの秋田南高校
秋田県内では、私立秋田聖霊女子短期大学付属中学・高校(※)、秋田市立御所野学院、県立横手清陵学院、県立大館国際情報学院に続く中高一貫校となる。
※聖霊は2013年度から中学校の募集を停止。


さて、となると気になるのが、新しい中高一貫校の学校名。
最近の秋田県立高校の統合を振り返れば、公募などにより新たな校名になるのが恒例のようなので。
清陵、国際情報のほか、ひともんちゃくあった湯沢叡陵を撤回して湯沢翔北、能代松陽といったように。
以前も書いたけれど、個人的には「県立秋田明徳館高校」の名称が好きになれない(というか紛らわしい)。ずっと前からある「秋田市立明徳小学校」や「秋田市立中央図書館・明徳館」と名前が似ている上、場所も近くて困るのだ。

秋田南高校を一貫校化した際の学校名を妄想してみる。
・秋田南中学校・高等学校?
現校名を踏襲したもの。
いくらなんでも、さすがにこれはないでしょう。秋田市立秋田南中学校と紛らわしくてしょうがない。
いや、明徳館高校の一件があった秋田県教育庁のことだから、あり得るかも?!【下の追記参照】

・秋田国際学院中学校・高等学校?
先に開校している県立一貫校はどちらも「所在市名+○○+学院」。
それを踏まえて、「国際」に重きを置くようなので。大館国際情報学院と似てしまうけど。

・「仁」「雄」「蕗」高校?
完全に妄想。
学校の所在地は雄物川下流の沖積平野に広がる仁井田(にいだ)地区。
そこからイメージ的に良さそうな「仁」や「雄」を取って校名にするのも悪くないかも。
さらに仁井田は秋田蕗の産地であり、南高校の校章にもあしらわれている。「能代松陽」だって「風の松原」からの着想なんだろうから、「蕗」を使ってもいいんじゃない?
問題はどんな文字と組み合わせて、何と読ませるかですが…

いずれ、公募や検討が行われて決まることでしょう。
校歌も新たに作るんだろうか。現校歌には「秋南(しゅうなん)の若人」というフレーズがあるので、校名が変わればそこがネックとなる。
※開校時は「秋南」を校名の略称にしたかったようだがまったく定着せず、「南高(なんこう)」が一般的な略称。
英語の歌詞になったりして。

【2015年3月14日追記】2015年3月14日の秋田魁新報1面の下のほうに「校名変えず「秋田南高」/中学は「中等部」」との記事が出た。
一貫校化を1年後に控え、県教委が校名の方針を固めたという。6月県議会の議決後、正式決定。
・高校は「秋田南高校」のまま
・中学校は「秋田南高校中等部」とする
 ※正しくはどちらも「秋田南高等学校」でしょう
・「高校教育課が昨年、校名に関して在校生や教員、OBらに意見を聞いた」結果、現校名を残してほしいとの「要望が多かった」。
・「「新一貫校は現在の秋田南の伝統と実績を引き継ぐことからも、変えないほうが適切」と判断」。
・「「中等部」の名が付く中学校は県内初。」高校教育課は「中高一体での学校運営を示すため『秋田南高』の名を付けつつ」「秋田南中や秋大付中と混同されないよう心掛けた」と説明。
といったもの。

ありそうだけど、まさかないでしょうと思っていた「秋田南」が残ることになりそう。
叡陵騒動の反省なのか、角館と同様に控えめの命名とも言える。公募や校歌・校章の変更の手間や費用を抑えたのかも?!

「高等学校中等部」とは、考えてみれば不思議な名称。中高一貫校に不慣れな我々(古い世代の地域住民など)にしてみれば、ある意味分かりやすいかな? かえって分かりにくい??
高校本体のほうを区別のために「高等部」などとは呼ばないのだろうか?

でも、やっぱり気になるのが秋田市立秋田南中学校との混同。
「南高校中等部」という名称にすることで「混同されないよう心掛けた」とは言うけれど。
在校生や卒業生、地域住民は、略して呼ぶだろう。「南高校中等部」は「南高中」?
秋田市立秋田南中から南高へ進学した人と、一貫校で内部進学した人が混同されたり、同窓会に間違って参加したりといった、ちょっとした(?)行き違いが起きるかもしれない。
(余談だが、県立秋田高校は、終戦直後の一時期「秋田南高校」と称していたことがある。南高開校とは10年ほど差があるので大きな混乱はないが、若干の勘違いは招く)

中等部の部活動が全国大会などに出た際、その主催者や他県の学校関係者たちは、「秋田市には『秋田南中』と『秋田南高中』の2つが存在する」ということは知らないだろう。だから、秋田南高中等部のことも「秋田南」と呼んでしまって、区別できなくなりそう。
場合によっては「秋田南高」と略されて「中学校の大会に高校が出てるの?」と混乱されるかもしれない。

秋田市と秋田県の教育機関の名称としては、上記本文にもある「明徳館」のように、「秋田市がずっと先に名前を使って市民に定着しているのに、県が後から同じ名を別に使ってしまって紛らわしくさせる」事態になりそうなのが、やっぱり心配。
立地的に「秋田南」にはあまりそぐわない、市立秋田南中のほうの校名を変えれば…というのは筋が違うし。
県民や県議会がどう反応・判断するかだけど、どんなもんでしょう?(以上追記)※続きはこちら


●角館統合校
秋田県仙北市角館(旧角館町)には、男女共学の県立角館高校と女子高の県立角館南高校が存在する。角館が柳葉敏郎、角館南が藤あや子の母校である(他にもそうそうたる卒業生がいらっしゃるが、割愛)。
角館が舞台の武田鉄矢主演の1980年の映画「思えば遠くへ来たもんだ」では、男子校の「角館東」と女子高(校名?)が存在する設定だったが、現実はそれと微妙に異なる。【けっこう複雑な経緯があった。末尾の2019年12月6日の追記参照】
今年春、その2つの高校が統合される。

その校名は「県立角館高等学校」。
両校を閉校して、新たな角館高校が開校する形。
上記の通り、昨今の秋田県のやり方からすれば、「仙北桜ナントカ高校」なんていう校名になりそうなものなのに、角館高校で落ち着いた経緯は、地元の声が大きかったようだ。
PTA、同窓会などからの意見聴取、生徒、職員へのアンケート(9割が賛成)の結果、「角館」に決まったという。
校章は現・角館のものとし、画家・平福百穂による角館南の校章も「略章」として存続。
校歌はそれぞれを第一校歌、第二校歌として継承する。なお、現角館校歌→第一校歌は、島木赤彦と斎藤茂吉が関わっている。

校舎は、工事期間を経て最終的には、全日制が現・角館の位置、角館南の位置を「駒草キャンパス」として定時制と県立大曲養護学校の分校が設置される。

両校にだいぶ気を遣った統合のやり方のように感じなくもない。教育庁としては叡陵騒動の反省を踏まえたのかもしれない。
でも、大きくない町に2つあった高校が統合し、これからは地域唯一の高校として地域と共存していくには、これでいいのではないだろうか。
関連記事(新聞の高校合格特集)
教職員異動について


【22日追記】
●都市名+方位
秋田南や角館南のような「所在自治体名+方位」を名乗る高校は昔はたくさんあったけれど、統廃合によってだいぶ減ってしまった。
現在は、能代西、秋田西、秋田北、秋田南、角館南の5校。
能代西も将来的には能代工業との統合が計画されているそうなので、最終的には秋田西と秋田北だけになってしまう。

【7月21日追記】2014年夏の高校野球秋田県大会で、(新)角館高校の応援団が一世風靡セピアの「前略、道の上より」を演奏していた。
一世風靡セピアには、(旧)角館高校OBである柳葉敏郎氏が所属していたから、それにちなんだのか?(他にも演奏する学校があるらしい)
【8月17日追記】その後、角館高校は統合前からの悲願だった甲子園出場を果たすも、一回戦で敗退。
対戦相手は、鳥取県立八頭(やず)高校。試合では、八頭高校側が「前略、道の上より」を演奏していた(いわゆる「チャンスタイム」用らしい)。対戦相手がこの曲を歌っていた人(のうちの1人)の出身校であることを知ってのことだったのだろうか?
見ていた限りでは、角館高校側では演奏されなかった。

【2019年12月6日追記・角館2高校の戦後の変遷について】
学制改革の1948年時点では、角館北高校と角館南高校という学校名で、1951年に統合して角館高校に。
しかし、1951年度は、合併前の学校がそのまま「北校」と「南校」に分かれていた。秋田魁新報の連載「時代を語る 安藤恭子8」によれば、北校が男子、南校が女子と実質別学だった。
1952年に両校が再び分離して、また角館北高校と角館南高校。北高は1954年に角館高校に改称し、その体制と名称で2013年度まで続いたことになる。※角館北→角館が、いつ男子校から共学に変わったのかは不明。
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県内外のバスの話題

2014-01-20 23:41:52 | 秋田のいろいろ
秋田県内外のバスの話題をいくつか。
●もう1台
昨年末、秋田中央交通が2年ぶりに新車のノンステップバスを導入していた。いずれも中型のいすゞエルガミオ「10-27」「10-28」の2台を確認済み。

今日、大寒の風景を伝える秋田朝日放送のニュース映像に、「10-29」というナンバーの中央交通のいすゞ製のバスが映っていた。一瞬だけ、部分的に映ったので詳細は分からないが、「ノンステップバス」表示があり、ISUZUロゴの位置からすれば新車のエルガミオではないかと思われる。
ということで、少なくとも3台も新車を購入していたのだった!

【2月15日追記】10-29は臨海営業所所属だった。したがって今回導入した3台は、秋田営業所2台、臨海営業所1台の配置。

●検索機能
使う側の立場からすれば、いまいち使いづらい、中央交通ホームページの時刻表検索。※以前の記事
運賃については、「秋田駅(西口、東口とも)から任意の停留所まで」の時刻を検索した場合しか表示されず、途中停留所相互や「秋田駅まで」の運賃はホームページ上では知る術がなかった。

それが、いつの間にか(正月に発見)、時刻検索結果のどの区間においても、運賃が表示されるようになった
告知はなく、見かけも以前と変わりなかったけれど、わずかながら進化していた。
秋田駅を通らない新港線の運賃も分かる
新屋高校→飯島北は660円か(ちなみに駅-飯島北は550円)

複数経路がある区間では、時刻だけでなく運賃でも比較できる
組合病院→自衛隊入口では、高専前経由とサンパーク経由で100円も違う

消費税増税を控えて、運賃を調べやすくしようという配慮なのかもしれない。
また、全国的な流れとして、車内の運賃表示器が「運賃が変わる停留所までの運賃」を表示する方式から、「次の停留所の運賃」を表示する方式に変わりつつあり、中央交通では両方のタイプの表示器が混在している現状。
そのため、乗り慣れない区間では、降りるバス停の直前で運賃が上がってしまって、「これだったら1つ前で降りれば良かった」と後悔することが、ケチな乗客としてはたまにある。
事前にネットで調べておけば、そういう後悔はしないで済むのがありがたい。ケチな乗客としては。

できれば、検索システムを全面リニューアルしてほしいところ(バス停名のフリーワード検索、バス停ごとの表形式の時刻表生成など)ではありますが。


以下は秋田県外。
●バス旅最新作
この記事などで取り上げた、テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。
その最新作・第16弾が、1月4日にテレビ東京系では放送されていたらしい。

秋田の民放各局はどうせ放送しないだろうから、BSジャパンかケーブルテレビで見られるIBC岩手放送での放送を待っていたところ、岩手放送が19日・日曜の午後にさっそく放送してくれた。
BSジャパンでは2月3日・月曜日18時30分から放送だそうなので、今回もまた、岩手放送は早い。

テレビ東京では3時間半スペシャルだったようだが、岩手放送では3時間で放送。
14時から15時24分の前編と15時30分から16時54分の後編に分けられていて、前編の終わりにもエンドロールが流れた。全体としてはテレビ東京よりは30分程度はカットされたのかもしれない(CMが短い気もしたので、そこでも調整したのかもしれない)が、2時間などの短縮版のようなせせこましさがなくて、やっぱり長いバージョンのほうが見応えがある。それを購入して放送してくれる岩手放送に感謝。


今回はちはるをゲスト(マドンナ)に、千葉県館山から福島県会津若松を目指すも、郡山で接続がなく断念。夏に続いて2回連続の未到達となった。
気づいた点。
・江戸崎から土浦まで乗ったJRバス関東「11-60」
外見はありふれた路線バス用三菱エアロスターだけど、非常口そばの座席が、向かい合わせで4人座れる(つまり2人は後ろ向きに着席)、列車のボックスシートのような配置だった。(座席自体は一般的な路線バスのものを逆向きに設置しただけ)
太川さんたちも初めて見たと言っていたが、僕もこんな座席配置があったとは知らなかった。酔いそう…

調べたら、ノンステップバスのタイヤハウスによるデッドスペース解消の目的で採用されていたことがあったらしく、このバスは東急バスの中古だそうだ。

・黒磯の東野交通営業所で2時間粘って聞いたシーン
東野交通は「とうや」と読むそうで、初めて聞いたバス会社名だったが、運転士や営業所員たちがかなり親切に教えていた。
日光から松島へ向かった2009年の第5段と同じルートを取れば良いことになり、その旨を運転士から指摘されて知った。

・須賀川から乗った福島交通のバスが終点・郡山駅に到着する時の車内放送
この番組では、車内放送の音声をメインで流すことは少ないが、結果的に番組内での最終到着地となるためか、珍しく明瞭に聞き取れた。
女声なのだが、おそらく合成音声ではないだろうか。
一般的になった人間の声をパーツで録音して組み合わせて再生するタイプではなく、コンピュータでイチから合成するタイプの。
テレビ東京「モヤモヤさまぁ~ず2」では、元々はナレーターの手配が間に合わずやむなく使ったという、HOYAサービス「VoiceText」というソフトの「ショウ君」の声を使っているが、それと同じような。

人の声を使った音声合成では、後々のバス停名変更などにも従来より簡単に対応できるとは言え、その収録の都度、同じナレーターを起用しなければ、おかしくなる。
コンピュータの声なら、そんな心配はなく、費用もさらに節約できるのかもしれない。現段階では、肉声と比べて全体的に違和感があるけれど。

・郡山駅前に全のりばの時刻表をまとめて掲載するスペースがあった
他の都市でもたまに見られるが、乗り場=時刻表が分散しているターミナルにおいては、分かりやすくて親切。
秋田駅前にもあってもいいのではないだろうか。(検索できる端末を秋田市が設置しているが、紙の時刻表ならではの見やすさには代えられない)

●バス旅DVD発売
その「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」のDVDが4月2日に発売されるそうだ。
京都から出雲大社を目指した第8段(2011年3月26日放送、マドンナ川上麻衣子)、松阪から松本城の第12段(2012年9月1日、加藤紀子)で、各税抜き3800円。
ジャケットは蛭子さんによるイラスト(そういえば蛭子さんは漫画家だった!)で、それぞれ出演者した3名によるオーディオコメンタリーが特典だそう。
オーディオコメンタリーはちょっと気になるけれど、買うまでは…かな?
※オーディオコメンタリーとは「副音声を使ったおしゃべり」みたいなの。数年前に出たNHK教育テレビ「たんけんぼくのまち」のDVDでも、チョーさんなどによるオーディオコメンタリーが収録されていた。当時を振り返る思い出話的なものだったけど、なかなかおもしろかった。


●バス会社のテレビCM
地方のバス会社はある意味「独占企業」であるから、広告宣伝はさほど行わないことが多いのではないだろうか。(バスツアーなどは別として)
秋田中央交通では、昨年、秋田駅西口のバスターミナル建て替えに伴う乗り場変更などの告知を新聞とテレビでやって、珍しいと思った。

岩手県でおそらく最大手の「岩手県交通」では、最近テレビCMを流していて、IBC岩手放送で年明け以降何度か見た。日曜11時15分頃の「サンデー・ジャポン」内や、今回のバス旅のタイトル画面の直後に流れていた。Youtubeにも公式にアップされている。
15秒で「わたしたちの務めは、『行ってきます』から『ただいま』までの橋渡しをすることです」とかいう企業メッセージ的なものと運転士募集を兼ねた内容。
最後のシーンは岩手銀行中ノ橋支店前
モデル(?)を複数起用したり、走行シーンが複数盛り込まれていて、ローカルCMにしては手が込んでいるように感じた。

気になったのが、走行シーンとハンドルを握ってギアチェンジする運転士のシーンの場面。
橋を渡るバスは、富士重工ボディ・国際興業新塗装の車両(岩手銀行前の車両も同じ形かな)

車内ではハンドルに「NISSAN DIESEL」と表記がある
外と中で同一の車両かどうかは断定できないが、同一車両の可能性もある。(外観はいすゞもしくは日産ディーゼル製のどちらか)

特に車内のシーンで、日産ディーゼル製であることが分かる車両で撮影を行ったことについて、ちょっと引っかかる。

なぜなら、岩手県交通は国際興業グループ。
国際興業グループに、いすゞの販売会社(北海道いすゞ)が属している関係上、国際興業グループの各バス会社では、長らく、原則としていすゞ製の車両しか購入・使用していなかった(「できなかった」のか?)。
最近は、その縛りも緩んできているようで、特に中古車では他メーカー製も増えつつあるバス会社が多いようだ。岩手県交通の場合、東日本大震災で失った車両の代替として、東京都営バスから譲り受けたり、ヤマト運輸と提携した車両整備会社が発足したりして、いすゞ一色ではなくなっているらしい。

とはいえ、国際興業グループの一員の企業のテレビCMならば、純正ボディ・最新型のいすゞ製車両で撮影を行ったほうが良かったのでは? 国際興業側が見たら、心象を悪くするんじゃないの? なんて余計な心配をしてしまう。

また、日産ディーゼル(現・UDトラックス)も富士重工も、現在はバスの製造から手を引いている。つまり、両社の車両=「新しくない」ということになる。あえて、それを撮影用に選ぶ必要があったのだろうか。

※この時点で、国際興業と岩手県交通(や十和田観光電鉄、秋北バス)との関係に変化が生じていた。この記事参照。


【21日追記】
●弘南バス2月改正
以前アップした2月からの弘南バスの一部路線の改廃の詳細が判明。リンク先末尾に追記しました。
おおむね予想通りだったが、茂森線減便の代替措置として、久渡寺線が上りだけ2本も増便されるのが意外。久渡寺まで回送して、茂森線区間まで6キロも走るのでは、けっこうなロスになりそう。だったらその時間も茂森線を残したほうが効率的にも思えてしまう。
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なかいち

2014-01-19 20:26:14 | 秋田のいろいろ
秋田市中心市街地にある日赤病院・婦人会館跡地の再開発事業によって2012年7月にオープンした「エリアなかいち」と周辺から。※オープン直後の記事

●やっぱり
なかいちの商業施設の核テナントである食品スーパー「サン・マルシェ」が、今年3月で退去(賃借契約解除)する意向であることが先週分かった。

整理すると、商業施設の所有・運営者が「秋田まちづくり」。
そこに2550平方メートルの核テナントとして入るのが、卸町で同名のスーパーを経営している「秋田まるごと市場」という企業。なかいちのスーパーは「サン・マルシェ」という店名。さらにその中に「北野エース グロッサーズ」などがサン・マルシェのテナントとして入って営業しているという形。のはず。たぶん。

今回は、昨年末、秋田まるごと市場から秋田まちづくりに対して、「売り上げが見込みに届かない」ため契約解除したいと文書で伝えられた。
これを受けて秋田まちづくりは、後継テナントを複数社と交渉中。
一方で、秋田まるごと市場側は契約解除は「完全撤退」ではなく、4月以降は別の形で関わりたいとしており、秋田まちづくりの社長も「まるごと市場にアイデアがあるなら話を聞く」と話している。


やっぱりこうなったか、という感想。夕刻の見切り品が並ぶ時間帯には、勤め帰りの人で賑わうけれど、それ以外は…という状況のようだし。開店から1年半、さらに2013年3月にリニューアルして1年で、というのは、ちょっと早いかなとも思ったけれど。

(以下、以前も書いたと思いますが…)
2013年3月にリニューアルしてやや庶民的にはなったとは言っても、まだ高級志向だし、秋田でそれを求める顧客は多くないはず。
車ならそう遠くない卸町に同経営・同コンセプトのまるごと市場がある。それになかいちから500メートル歩いて駅前のザ・ガーデン自由が丘西武(旧イトーヨーカドー秋田店)へ行けば、食料品や生活用品なら同価格かそれ以下で購入できるのだし。
この場所に、この店が必要なのか、必要とする客がどれほどいるのだろうか。せめて(立地的にやや離れて周辺にスーパーがない)大町のニューシティ跡にでもあれば、必要とする客は多少はいそうだけど。

あと、できてしまってはどうしようもないが、大々的に取り沙汰されたわりには、狭い店舗面積。それに外周から見ればほとんどが壁面で、内部を窺ったり出入りしたりできる箇所(駐車場出入口を含む)が少ないという閉鎖的なレイアウトも入りにくさ・利用しにくさを増長していると思う。
作った人たち(再開発組合)には、オープン前にもっと周辺住民や客の要望を聞いてほしかったと、改めて感じてしまった。

【3月28日追記】3月21日放送の秋田朝日放送「トレタテ!」によれば、商業施設の1日の来店客数は、オープン当初は3000人だったのが、最近は平日の少ない日は1600人程度まで減っていたとのこと。

※続きはこの記事後半



●もうすぐまた
なかいち内に移転した秋田県立美術館
目玉展示である藤田嗣治による大きな絵「秋田の行事」は再注目されており、秋田の民放局はそれが作られた経過や背景の特番などをやっていた。

今朝放送のNHKEテレ「日曜美術館」では、「永遠の異邦人~藤田嗣治・知られざる実像~」として取り上げていた。齋藤孝明治大学教授をゲストに県立美術館で収録したもので、秋田の行事以前を含めた藤田嗣治の生きざまが紹介されており、おもしろかった。(26日夜に再放送予定)
秋田魁新報が自らを批判しながら報道した企画展「レオナール・フジタとパリ 1913-1931」に連動したものなんでしょうけど。秋田では2月2日までで、今後は岡山県立美術館へ巡回するらしい。

ということで、日曜美術館を見て、全国から秋田県立美術館を訪れる人が増えるかもしれない。
奇しくも、「大人の休日倶楽部パス」今年度最後の利用期間が1月21日から始まる。パスの最終日は企画展最終日の2月2日なので、前回ほどはせっかく来たのに見られなかったという事態は少ないかもしれないけれど、美術館以外の観光関係各業界も含めて、お迎えする準備は大丈夫でしょうか。



●多少は改善
秋田駅西口から西へ伸びる仲小路は、エリアなかいちによって分断された。
それ以前から、なかいち西側のキャッスルホテル前に秋田中央道路地下トンネルの出口ができたため、北側・仲小路を渡る東西方向の横断歩道が1つ廃止され、さらに東西方向の横断距離が長くなってしまった。
これによって、歩行者の心理としてはなかいち側と木内側の間に大きな障壁ができたような状態になっていた。※以前の記事

なかいち着工前は「コ」の字(北側が横断不可)に、着工以降は仲小路の一部廃道に伴って東側が歩道化されたので逆「L」字に横断できた。
歩車分離式ではなく、さらにトンネル出口側の車両用青信号が別になっているので、歩行者がここを横断する時の待ち時間は短くなかった。
特に、なかいち側からキャッスルホテル前へ横断する時は、幅ほんの数メートルの仲小路(南北方向)横断にだいぶ待たされたものだった。(車はさほど通らないから隙を見て信号無視すれば…というのはナシで)
なかいち方向。横断歩道は手前の南北と右の長い東西の2か所
昨年末、その交差点で「改造」が施された。
信号機のサイクル(「現示階梯」と呼ぶらしい)が一部変更になり、歩行者の待ち時間が短縮された。
長い東西方向が青の時に、同時に仲小路を渡る南北方向の歩行者用も青を示すようになり、待ち時間なくL字に横断できるようになった。

なお、南北方向の車両用が青の時も、従来同様、同方向の歩行者用は青なので、「歩車分離式」ではない。
青信号の順番としては、従来は[トンネル出口(車)]→[南北(歩・車)]→[東西(歩・車※車両用は一方通行入口向き)]だったのが、
現在は[南北(歩・車)]→[トンネル出口(車)]→[全歩行者用]。
なかいち側から
待ち時間短縮はうれしいけれど、ややクセのある(?)サイクルなので「見切り横断」や、車両が歩行者用信号機を誤認してしまう恐れはありそう。歩行者もドライバーも、信号をよく見ましょう。
どうせなら完全な歩車分離式にしたほうが、安全なような気もしてしまうが、中央道路出口の存在がネックでできないのだろうか。
正面の信号機が撤去された
階梯変更に伴い、なかいち側の柱に西向き(つまり一方通行の入口向き)に設置されていた車両用信号機は、使用停止となりカバーが掛けられ、年明けに撤去された(新しいLED式だったので予備用として倉庫へ収まった模様)。
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気付いて伝えましょう

2013-12-30 20:53:34 | 秋田のいろいろ
エリアなかいち完成に合わせて、歩道がきれいになった仲小路。
敷かれているタイルは、「TOYOユニバーサルペイブ」という表面に滑り止めの溝が入ったもので、融雪装置と相まって冬でも安心して歩行できるようになった。
しかし、部分的にイラスト入りのツルツルのタイルがはめられていて、その上は比較的滑ることに気付いたので、念のため道路管理者である秋田市へ報告したら、その上にコーンを置いてくれた。(それはそれでコーンが少々ジャマだし、ズレてしまうこともあった)
【2014年1月11日追記】2012年7月4日付秋田魁新報によれば絵入りタイルは「300メートルに、30メートル間隔」で設置されていた。

その後しばらく、仲小路をタイルに意識して歩いたことがなかった。
雪が積もってから、久々に注意して見てみると、イラスト入りタイルがなくなっている?!
今まで絵入りタイルがはまっていた場所にも、他と同じTOYOユニバーサルペイブが敷かれたようだ。

じゃあ、絵入りタイルは撤去されたのかと思ったら、
駅側から見える花壇の側面に
平面だった花壇の側面に額縁のような台座を取り付け、そこにタイルが移されていた。
(再掲)以前はただの壁状だった部分
花壇の数が限られているので、
2枚のタイルが並ぶ箇所もある

これなら、踏んづけて滑る恐れは絶対にない。
反対側(なかいち方向)から来た時は、まったく目に入らなくなるものの、これがベストの方法ではないだろうか。絵を踏んづけることに対して、なんとなく抵抗感もあったし。


タイルが路面にあったものより大きく感じたが、それは錯覚で、路面にあったものをそのままはめ込んでいる。なぜなら、ヒビ・割れ・欠けが以前と同じ位置に入っているから。
路面にあったタイル(2013年4月撮影)

移設後
破損した位置が同じで、そこが補修されているのが分かる。

実はこのタイルについて、滑ることのほかにヒビなどの破損の発生も気になっていた。設置後1年でこの状態はひどい。
原因は、施工方法や温度変化・凍結もあるかもしれないが、大きな可能性としては上に車が載っかったことではないだろうか。
タイルが敷かれた場所は、あくまでも歩道。車は通れない場所。しかし、仲小路は元々「コミュニティ道路」として整備されたからなのか、歩道と車道の境に縁石がない。それをいいことに、歩道部分に入り込んで駐停車する車が多いのだ。
本来車が停まるとは想定していない場所なのだから、車の重さに耐え切れず、ヒビが入るなどしたのではないだろうか。
※哀しいことに(他県・他都市は知らないけれど)秋田市では、仲小路以外においても、歩道上に平然と駐停車して歩行者の通行を妨げたり、点字ブロックを塞ぐ車が珍しくない。

このままではさらに悪化して粉々になるかもしれないし、タイルを補修や交換したところでいたちごっこだろうし、その費用を税金で賄うのもおかしいこと(“故意に損壊”しているも同然なのだから)。
かといって、秋田駅に近い中心市街地で、ヒビ入り粉々の絵入りブロックが並ぶというのも、恥ずかしい話。
この件についても勝手ながら秋田市にお知らせした。もしかしたらそれを受けて検討し、あのままではいけないと判断して設置方法を変えたのかもしれない。だとすれば、一個人の意見を真摯に受け止めてくれたことに感謝。
※ただし、歩道上に駐停車する車がいるこという根本的問題は解決しておらず、安全面や長期的にはブロックや融雪装置の寿命を縮めることにつながるかもしれない。これはまた別の問題。



そういえば、以前、楢山の旭川沿いの藤棚のフジがおかしいことを取り上げた。
たかが木だから放っておこうかと思ったが、人の管理下にある植物なんだし、伸びるだけ伸びて何年も花が咲かないのはかわいそう。近隣の植物へ伝染させる可能性もあり得るので、県に連絡した。
すると、その週のうちにコブの除去・消毒作業を行ってくれた。今は「消毒中です」という旨の掲示と、コブの跡にパテのようなものが塗られている。バッサリ伐られるかもと思っていたが、丁寧な対処がうれしい。
来年以降の開花に期待
【2014年5月22日追記】翌春、数は多くないものの、美しい花が咲いた! コブ除去の効果なのかは分からないが、久々の開花だろう。
【2015年5月25日追記】その後、2015年春にも多少花が咲いた。相変わらず葉は旺盛に繁茂していた。
ところが、2015年5月20日頃、この河川公園の藤棚を含むすべてのものが撤去、更地になり、25日までにはアスファルト舗装で道路の一部のようになってしまった。河川公園自体がなくなってしまった。


あと、目印の旗竿が折れてしまった消火栓を発見。気付いてから3日くらい経ってもそのまま。
連絡しなければいつまで待ってもこのまま(消防署が定期的に巡回しているでしょうけど)
よそ者が申し訳ないが、このまま雪に埋もれてしまったら忍びないし、竹の破片でケガをする人が出るかもしれない。秋田市へ連絡。
これも、迅速に新しい竹竿に交換してくれた。(新タイプの表示板にせず、竹竿の予備ってあるんだ)


偉そうで申し訳ないけれど、秋田だけなのか、日本人全体の傾向なのか分からないけれど、公共物に異変があっても、無関心なのか、気付いても黙っているのか、結果的に放置されていることが多いものだ。
直接的に自分に影響はなくても、誰かが困っているかも/後々困ることになるかもしれない。早めに対処してもらえれば、安全になったり、税金の節約になるかもしれない。
また、きっと管理者側では把握していてあえてそのままにしているのかと思うようなものでも、藤棚の迅速な対応を見れば、管理者が把握していない事象は少なくないようだ。職員の数や時間には限りがあるのに対し、管理・把握すべき箇所は無数にあるのだから、これは仕方がないこと。だからこそ、身近な住民や利用者の視点が必要。
もっと多くの人が公共物に関心を示し、異常や改善すべき点を伝えるようになれば、もっと安全で快適な街になるはずです。

【31日追記】書き忘れていたこと。
そういえば、今年はエリアなかいちの敷地内に設置された、マスコットキャラクターのキツネ「与次郎」の石像のヒゲが、4度にわたって抜かれるという“事件”が発生。
秋田市が警察に被害届を出したところ、老若男女3名が別々に名乗り出て、異口同音に「触っていたら抜けてしまった」といった趣旨の“供述”をした。(もう1件は“未解決”なんだろうか?)
当初、運営会社の担当者だったかは「ちょっとやそっとじゃ抜けない材質のヒゲだ」とか言っていた気もして、矛盾するが、3人が3人(年齢や性別からして)怪力の持ち主とは思えないし…
※現在はヒゲの材質を抜けにくいものに変更し、監視カメラを設置している。また、報道されていないが、交換された新しいヒゲは、さらに別のものに交換されている。最初はヨレヨレのウェーブがかかったようなヒゲだったが短期間に終わり、一直線で先端にボール状の丸いものが付いたヒゲに替わっている。

これにしても、意図せず抜いてしまった当人は驚いただろうけど、ニュースになるより前に、どうして申し出なかったのだろう。触ることは禁じられていないのだし、故意でないなら責められることはないだろうし。

一方ですぐそばの仲小路。上記の通り、与次郎の伝説が記載されているタイルはボロボロ。石像のヒゲがあんな大騒ぎになったのに、どうしてこちらは放置されているのか。どちらも公共物が壊されたのに。そんな思いもあって、秋田市にタイルの件を伝えたのだった。
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新車導入

2013-12-26 21:29:25 | 秋田のいろいろ
連日バスの話で恐縮ですが、速報。
最近は小田急バスの中古車ばかりを続々と導入していた、秋田中央交通の一般路線バス。

新たなバスが現れた。
いすゞエルガミオ「か 10-27」
客席の窓ガラスに色が付いているから、小田急の中古ではなさそう。
さらにフロントガラス下に「ISUZU」ロゴがあるので、ここ数年のモデルのはず。(中央交通では「か904」1台だけが該当)

ということは、久々に、一般路線バスに新車が導入された!
おそらくノンステップバスだと思われるが、正面にも側面にも後部にも「ノンステップバス」を示す表示もシールも一切ない。(後で付けるのだろうか【末尾の追記参照】)
904では後部右灯火下にあった、小さい「ISUZU」ロゴもない【後にリアウインドウに表示された。末尾の追記参照】

床下の配管がピカピカ。すぐに雪で汚れてしまうだろうけれど…
側面後部の社名表示は「中“宍”交通」ではなく「中央交通」。
座席は柄入りの青系統。


一般路線バスの新車は、ちょうど2年前に導入された「か904」以来。またしてもいすゞ。
10-27は904と同形式の可能性もあるが、2012年7月にマイナーチェンジ形式が発売されて併売されているのでそちらかもしれない。
いずれにしてもエンジンの音は以前のエルガミオとは異なる、軽い音だった。

この10-27は、愛宕下橋経由雄和線で運用されていたので、秋田営業所所属。
この5年くらいで購入したノンステップバス(904、818、819)も、EVバスもすべて臨海営業所所属なので、秋田営業所に新車が配置されるのはかなり久々。
次に新車が導入されるのは、いつになるだろうか?

【29日追記】29日に同型で同仕様と思われる10-28」が秋田営業所担当路線を走っているのを確認。
10-28は正面とドア側側面に従来と同じような「ノンステップバス」の表示あり。後部にはなし。
29日には10-27と思われる車両(駅西口経由イオンモール行き)を遠目に見たが、正面に「ノンステップバス」表記がされていた。やはり後から文字を入れたようだ。

【2014年1月1日追記】2014年元日の秋田魁新報「第4部・企画特集トップインタビュー」という名の別刷り広告(魁の営業局企画・制作)において、中央交通社長の話も掲載されている。以前と同じような話もしているが、その中に、「昨年12月には、乗り降りしやすいノンステップに加え、車いすの利用者にも配慮したバスを導入。」という一文があった。
「ノンステップバス」表示がない状態で運行を始めたのは、この広告が偽りにならないよう、年内のうちに一刻も早く運行を開始したかったのかもしれない。

【2014年1月21日追記】同型の「10-29」も導入されていた模様。
【2月15日追記】10-29は臨海営業所所属だった。したがって今回導入した3台は、秋田営業所2台、臨海営業所1台の配置。
【2月20日追記】10-29が割山線を走っていた。以前の新車の導入当初のように、(補助金が関係する)市外路線専用車両ではないことになる。
※この車両の側面の行き先表示器は、LEDの矢印部分の色や明るさが若干異なるようだ。この記事末尾参照。

【2015年3月22日追記】中央交通では貼付位置が統一されていない「国土交通省標準仕様ノンステップバス」ステッカー。2015年3月に確認したところ、10-29は、リアウインドウ右下の車種名表記の上、中ドアの右隣のガラス、正面向かって右のヘッドライトの上のボディに貼られている。
2015年時点の10-29では、リアウインドウ下辺の中央に「ISUZU」、右下に「ERGA mio」の表記が貼付されている。しかし、本文中の導入直後の写真では、貼られていない。こういうのも後付けのようだ。
2015年3月に乗ったところ、ドライブレコーダーの設置と側面窓の着色が従来より薄く、車内から見ると色が付いていないようにも感じたのが、既存車との違い。
【2015年8月24日追記】10-29の後部の標準仕様ステッカーは、リアウインドウ左下(外から見て)・車種名の反対側にあった。3月とは逆側に移動したが、これは右下にシール式の広告が掲出されたため。車内はまだ新車のにおいがした。
10-27のほうは、リア、側面ともシールは見当たらなかった。
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気になる車

2013-12-24 23:53:49 | 秋田のいろいろ
秋田市内で見かけた、ちょっと気になる車たち。
●ほかにもあった太帯
まずは中央交通の路線バス。以前の記事で、三平バスから塗り替えられたいすゞエルガミオのうち1台や中古の三菱製の一部で、フロントガラス下の塗装の濃い緑の帯が、他より太いものが存在することを取り上げた。
他にも、
これも太い
モデルチェンジ前のいすゞ製中型車(ジャーニーK)「766」。
2009年頃に京浜急行バスから来た中古車で、765と766の2台が在籍(どちらも秋田営業所所属かな?)で、2台同じ塗装。
上の写真ではほとんど分からないけれど、京急時代の名残で、正面の行き先表示器が向かって左に寄って設置されているのが特徴的。そちらに目を奪われてしまっていたようで、その下の帯も特徴的だったとは、最近まで気付かなかった。

●黒くなった
同じく、いすゞジャーニーK。
今度は中央交通が新車で買った車で臨海営業所所属の「792」。先週、変化に気づいた。
こんな姿に変わった
窓周りが黒い、中央交通のバスとしては特異な配色に変わった。

中央交通の現行の塗装では、側面の窓より上の色は、古くに塗られたものは白、最近塗られたものはベージュ色。(上の766のように)
どこかから来た中古車のごくごく一部では、以前の塗装を活かしたのかこんな配色のものがあった程度。

この車は、以前は白かった。
こんな感じに(別の車両)
塗装がだいぶ傷んでいたが、今はきれいになっているので、板金塗装されたのだろう。正面に書かれていた社名(ラッピングバスだった名残か)もなくなった。窓周囲の柱や屋根は白いままなので、そこはいじらなかったのか。

エルガミオなど新しいバスと印象を揃えて(似せて)、新しそうに見せるために黒くしたのだろうか。でも、この車の窓枠は銀色だから、ちょっと印象は違ってしまう。

今後は他の車両にも波及するのか、それとも、中央交通お得意の気まぐれに終わるか?


●緑だけど
こんなバスを見かけた。
日野リエッセ
フロントガラスの下が濃淡の緑色。これだけ見ると中央交通っぽいけれど、中央交通なら濃淡の上下が逆。
しかもバンパーに青色が入っているし、白い部分が多い。ナンバーも白ナンバー。
中央交通じゃないですね
側面には、
黒い秋田市章と「天然温泉岩見温泉」
秋田市河辺三内にある日帰り温泉施設の送迎バスのようだ。
旧河辺町の施設で合併時に秋田市に引き継がれ、指定管理者制度で民間会社へ委託されている。

このバスは、正面の行灯が白いのも、秋田市章がなぜか黒いのも、「天然温泉岩見温泉」の表示が取ってつけたようなのも、なんとなく不自然。以前からずっと温泉専用の車両ではないように思える。
バスの後部は、
「KAWABEMACHI」
ということは、元々は河辺町所有のバスだったのだろうか。
今もあるはずだけど、「せせらぎ号」という町→秋田市所有の大型貸切タイプの自家用バス(間接的な関連記事)があり、それと同じ塗装のような気がするし。
バスについてはここまで。


●気になるトラック
こんなトラックをたまに見かける。
警察車両
白に青系統の斜め線とオレンジの線が入るデザイン。両側面と後部に小さな窓があって、キャンピングカーのようにも見える。
赤色灯と「秋田県警察」の文字で、警察車両だと認識できる。
正面の赤色灯の両端には照明のようなものが見える。

写真の車は秋田中央警察署に配置されているようで、比較的頻繁に出入りしている気がする。サイレンを鳴らしたところは見ていない(写真は赤色灯点灯のみ)。
オレンジ色がちょっと目立つし、交通安全だったか年末警戒だったかのパレードにも加わっていたので、特に秘密の任務があるというわけでもなさそうだが、何に使う車なんだろう?
【2019年4月4日追記】2019年4月現在も、このトラックを見かける。任務の1つとして、道路標識の維持管理があるようで、標識や支柱、工具類を積みこめるようになっているのかもしれない。


●ラジオとテレビ
一瞬の邂逅
秋田朝日放送(AAB)のテレビ中継車と秋田放送(ABS)のラジオ中継車「ラジPAL」(以前の記事)が一瞬、重なった。
AABのほうは、ずいぶんと控えめな社名表示(警察よりも小さい)だけど、いまだに旧ロゴなんですね…
コメント (5)
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