《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
それではここからは賢治関連の四つ目の不思議である関登久也の『昭和五年 短歌日記』発見
平成15年7月29日付『岩手日報』の20面に次のよう見出しの記事、
が載った。このような報道があった訳は、関徳弥(関登久也)の『昭和五年 短歌日記』が発見されたからだ。そしてその報道内容は以下のようなものだった。
賢治に結婚話あった
親せきの日記に記述 北上の古書店が入手
歌人で宮沢賢治の親せきに当たる関徳弥(一八九九-一九五七年)が、生涯独身を通した賢治の結婚話について記した日記が見つかった。日記を入手した北上市花園町の古書店経営、高橋征穂(まさお)さん(六一)が二十八日、発表した。
相手は小学校教諭
関が一九三〇(昭和五)年に書いたとみられる日記に、羅須地人協会の唯一の女性会員で小学校教諭の高瀬露との結婚話の記述があった。盛岡市の賢治研究家、牧野立雄さん(五四)は「(賢治が亡くなる三年前の)昭和五年まで、露との間に結婚話が続いていたことを示す証拠」としている。
賢治の結婚話は、市販の短歌日記(昭和五年用)に書かれていた。日記に署名などはなかったが、中に昭和六年度版の「年刊歌集」(日本歌人協会編)に収録されている関の短歌が一首つづられており、関の日記と考えられる。
賢治と露について触れた文章は二カ所。昭和五年十月四日の欄に「夜、高瀬露子(露のこと)氏来宅の際、母来り怒る。露子氏宮沢氏との結婚話。女といふのははかなきもの也」、二日後の六日の欄に「高瀬つゆ子氏来り、宮沢氏より貰ひし書籍といふを頼みゆく」とあった。
四日の記述は「露が関を訪ねた際、関の義母ヤス(賢治の叔母に当たる)が来て怒った」というもの。賢治の親族が、露のことをよく思っていなかったことが背景にあると推測される。六日の「露が来て賢治からもらった本を預けて行った」との記述について、牧野さんは「二人の関係が断たれたことを意味するのではないか」としている。
日記は今月初め、花巻市内の個人から高橋さんに持ち込まれた。内容を確認した牧野さんは「賢治と露の間に具体的な結婚話があったことを示す同時代の貴重な資料。賢治の恋愛や結婚について見直すきっかけにもなりそうだ」と話している。
<平成15年7月29日付『岩手日報』より>親せきの日記に記述 北上の古書店が入手
歌人で宮沢賢治の親せきに当たる関徳弥(一八九九-一九五七年)が、生涯独身を通した賢治の結婚話について記した日記が見つかった。日記を入手した北上市花園町の古書店経営、高橋征穂(まさお)さん(六一)が二十八日、発表した。
相手は小学校教諭
関が一九三〇(昭和五)年に書いたとみられる日記に、羅須地人協会の唯一の女性会員で小学校教諭の高瀬露との結婚話の記述があった。盛岡市の賢治研究家、牧野立雄さん(五四)は「(賢治が亡くなる三年前の)昭和五年まで、露との間に結婚話が続いていたことを示す証拠」としている。
賢治の結婚話は、市販の短歌日記(昭和五年用)に書かれていた。日記に署名などはなかったが、中に昭和六年度版の「年刊歌集」(日本歌人協会編)に収録されている関の短歌が一首つづられており、関の日記と考えられる。
賢治と露について触れた文章は二カ所。昭和五年十月四日の欄に「夜、高瀬露子(露のこと)氏来宅の際、母来り怒る。露子氏宮沢氏との結婚話。女といふのははかなきもの也」、二日後の六日の欄に「高瀬つゆ子氏来り、宮沢氏より貰ひし書籍といふを頼みゆく」とあった。
四日の記述は「露が関を訪ねた際、関の義母ヤス(賢治の叔母に当たる)が来て怒った」というもの。賢治の親族が、露のことをよく思っていなかったことが背景にあると推測される。六日の「露が来て賢治からもらった本を預けて行った」との記述について、牧野さんは「二人の関係が断たれたことを意味するのではないか」としている。
日記は今月初め、花巻市内の個人から高橋さんに持ち込まれた。内容を確認した牧野さんは「賢治と露の間に具体的な結婚話があったことを示す同時代の貴重な資料。賢治の恋愛や結婚について見直すきっかけにもなりそうだ」と話している。
たしかに、賢治にこのような露との結婚話があったなどということはそれまで知られていなかったし、もちろん露が関徳弥の家に出掛けて行ってこんなやりとりがあったなどということも知られていなかった。一方で、巷間、賢治は下根子桜時代の昭和2年の夏頃から露のことを拒絶し始め、しかも昭和3年8月に下根子桜から撤退して実家にて病臥するようになったので露との関係は自然消滅したといわれているのだから、この日記に書かれている露の言動は不自然であり、少し慎重に対応せねばなかろう。まして、昭和52年に『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)が、「昭和4年と思われる高瀬露宛であることが判然としている賢治書簡の下書が発見された」と銘打ってそれを活字にして公にした。ところがそれは殆ど判然としていないものであり、検証も裏付けもないままに安直に決めつけたものであったし、露の帰天を待って公にしたものであったということを堀尾青史や天沢退二郎氏の証言が教えてくれるから、なおさらにである。
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本書は、拙ブログ『宮澤賢治の里より』あるいは『みちのくの山野草』に所収の、
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