《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
消されていた曜日欄さて前回、「少し慎重に対応せねばなかろう」と私は述べたが、危惧していた通りだった。なぜならば、この記事の中に載っている日記の写真を見て『何だこれは?』と目を疑わざるを得なかったからだ。ただし『岩手日報』の場合はその写真が小さいのでいまひとつはっきりしないから、同日付の他の新聞も見てみたところ、『盛岡タイムス』の同報道の日記の写真はかなりはっきりしていて以下のようなものであった。
【関徳弥の『昭和五年 短歌日記』の10月5、6日の日記】
<平成15年7月29日付『盛岡タイムス』より>
お判りのように、曜日欄の曜日の部分が両日とも明らかに消された形跡がある。特に左側「十月六日」の曜日欄の“[ ]”の中などは、消された跡だということが歴然と判るし、その消し方からして、後で誰かの手によって消されたということもほぼ明らかだ。そして再び『岩手日報』の方の四日分の写真も見直してみて、やはり同日記の曜日欄は皆消されているということが確定的だった。
そこで私は、関徳弥の子息とは私の恩師を通じての以前からの知り合いだったので徳弥の日記等が北上市の『日本現代詩歌文学館』に寄贈されていたことは前々から知っていたので、まずは同館を訪れてみた。すると、残念ながら『昭和五年 短歌日記』そのものは所蔵されておらずそれは見ることが出来なかったが、『昭和三年 短歌日記』は見ることが出来た。
その結果、同日記の筆跡と上掲の写真の筆跡とは私から見ればその崩し書きがそっくりだったので、新発見の日記は徳弥のものに間違いがないということを確信した。さらに、その『昭和三年 短歌日記』の枠組は以下のようなものだった。
【関徳弥の『昭和三年 短歌日記』の一部】
<関徳弥の『昭和三年 短歌日記』より(『日本現代詩歌文学館』所蔵)>
ところで、こちらの『昭和三年 短歌日記』は『紅玉堂書店』が昭和2年12月に発行したものであり、この枠組みと新聞に載った日記の枠組みは全く同じだし、ともに徳弥が使った日記であれば、どちらの『短歌日記』もともに『紅玉堂書店』発行のものだろう。
しかも『昭和三年 短歌日記』の曜日の欄には曜日がきれいに印刷されている。ということは、『昭和五年 短歌日記』の曜日欄の曜日は誰かの手によって消されたということはもはやほぼ疑いようがない。なぜこのような不自然なことはことが為されたのだろうか不思議だ。もしかすると、発見された徳弥の『昭和五年 短歌日記』は、実はそれが書かれた年は昭和5年でなかったとでもいうことなのだろうか……。
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