みちのくの山野草

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賢治関連七不思議(花巻農学校の辞め方、#4)

2017-07-17 10:00:00 | 賢治に関する不思議
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
 さて、前回私は、
 有り体に言えば、行き当たりばったり、あるいは成り行きで辞めてしまったという蓋然性も低くないということを私は否定できなくなってしまった。
とついつい口走ってしまった。それは、例えば
◇大正15年4月4日付森荘已池宛書簡
 お手紙ありがたうございました。学校をやめて今日で四日木を伐ったり木を植えたり病院の花壇をつくったりしてゐました。もう厭でもなんでも村で働かなければならなくなりました。東京へその前ちょっとでも出たいのですがどうなりますか。
            <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)より>
中の、「もう厭でもなんでも村で働かなければならなくなりました」という賢治の一言が雄弁に語っていると私には思えたからだ。とりわけ、年下の詩友森荘已池に対しての「厭でもなんでも」という心情の吐露は本心であり、そこからは、少なくともこの当時の賢治は「本統の百姓になります」と決意していたということは窺えない。また続いての一言「東京へその前ちょっとでも出たいのですがどうなりますか」からは、結構早い時点から賢治はしばしば「本統の百姓になります」教え子たち等に伝えていたわけだが、そのための周到な準備と綿密な計画があり、 確たる見通しがあって職を辞したとはとても言えそうにない。勢いで農学校を辞し、下根子桜の宮澤家別宅で暮らし始めてはみたものの、「木を伐ったり木を植えたり病院の花壇をつくったり」するはめになった、と賢治は森に本音を漏らしてぼやいていたとも言えなくもなさそうだ。

 それは、大正15年4月1日付『岩手日報』の報道の仕方の不自然さや記事の内容からも言えるのではなかろうか。よく知られているように、同日付『岩手日報』には、「新しい農村の建設に努力する/花巻農學校を辞した宮澤先生」という見出しの次のような新聞記事、
 花巻川口町宮澤政治郎(ママ)氏長男賢治(二八(ママ))氏は今囘縣立花巻農学校の教諭を辞職し花巻川口町下根子に同志二十餘名と新しき農村の建設に努力することになつたきのふ宮澤氏を訪ねると
 現代の農村はたしかに経済的にも種々行きつまつてゐるやうに考へられます、そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したいと思ってゐます そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないしづかな生活をつづけて行く考えです
と語つてゐた
             <『岩手日報』(大正15年4月1日付)>
が載った。だが、賢治の花巻農学校の辞め方は退任式等さえも行われなかったという唐突なものであったということを知った今は、この報道のされ方についてもまたちょっとおかしいぞと訝ってしまう。それはまず、賢治が花巻農学校を突然辞めるという私的な行為が、なぜ『岩手日報』という公器に間髪を入れずに載ったのだろうかということがである(言い換えれば、この報道の仕方は、賢治の花巻農学校の辞め方はあまりにも不自然なものであったということの証左となるのかもしれないのだが)。

 ちなみに、前回リストアップした中の菊池信一の証言等からすれば、賢治が花巻農学校を辞めることが公的に知られ出したのは、早くとも国民高等学校の終了式の行われた日(大正15年3月27日)であろう。一方、この新聞報道は大正15年4月1日だし、記者は「きのふ宮澤氏を訪ねると」と書いているから、賢治が取材を受けたのは3月31日だと推測できる。とすれば、その期間は
  3月28日、29日、30日
のたった3日間しかないこととなる。
 ましてこの時期は年度末だから、あちこちで人事異動が数多ある中、この短期間の間に当時のマスコミが単なる個人的な退職を知り、なおかつそれをわざわざ新聞報道をするほどのニュースバリューがこの賢治の退職にあったとは常識的には考えられない。かなり不自然なことである。すると考えられる可能性は次のいずれかであろう。
(1) まずは、実は賢治が積極的に『岩手日報』に取材を働き掛けたという可能性である。というのは、年度が改まっての花巻農学校の入学式の日に、「私は、今後この学校には来ません」という賢治自筆の紙が廊下と講堂の入口に貼ってあったという小田島留一の証言がある(板垣寛著『賢治先生と石鳥谷の人々』所収の板垣亮一の「賢治と私」より)から、このような行為が事実あったとするならばそれは普通「当てこすり」に類するものであり、これと同様な意図で取材を依頼したという可能性がある。
(2) あるいは、この時の賢治の退職の仕方は普通のものとはかなり違ったものであったことが一部の人の間にたちまち知られてしまって、それを知った『岩手日報』はニュースバリューがあると判断して報道したという可能性である。
 もちろん、このどちらでもあったという可能性も当然あろう。つまり、この衝動的な賢治の退職にはやはり私たちが知らない何らかの大きな事情があり、実は賢治は辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまって不本意ながら退職したという可能性も一概に否定できないということである。そして『岩手日報』は、そういうことであればニュースバリューがあると判断して報道したという可能性も否定し切れない。

 そして次がその記事の内容が、である。賢治が記者から直接取材を受けて答えたのであろう、「そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したい」からもそれは窺える。実際に賢治が「羅須地人協会時代」にそのようなことを為したということはあまり伝えられていないからだ。
 もう少し説明を付け加えると、賢治が農学校を辞めた際の「理由」としては、
 賢治は生徒たちに対しては「農民になれ」と言いながらも、自分自身は俸給生活をしているということには当然矛盾があるので、実際に農民になって生徒たちに範を垂れようとして賢治は花巻農学校を辞めた。
というのが「通説」のようだが、「羅須地人協会時代」の賢治がそのような範を如何ほど示したのかというと、私のここ10年間に亘る検証作業の中からはあまり見出しにくいので、どうもこの「通説」はおかしいと常識的には判断せざるを得ない。言い換えれば、これは後の誰かが後付けした「理由」だと判断した方が妥当だということを教えてくれる。

 さりながら、この「判断」は荒唐無稽かなと私は内心思っていたのだが、実は萬田努氏も、
 農学校を依願退職した翌日、四月一日の岩手日報朝刊に、「新しい農村の/建設に努力する/花巻農学校を/辞した宮沢先生」の見出しの記事がでた。退職した翌日、それも実践活動が始まっていない時点で、何故このような記事が出たかは不思議である。常識的に考えてみて、まず、誰かがそのように吹聴しないかぎりこんなことはあり得ない
           <『孤高の詩人宮沢賢治』(萬田務著、新典社)、219p~>
と論じていることを私は知って、「実践活動が始まっていない時点で……不思議である」という萬田氏の指摘に首肯し、実はそれ程荒唐無稽なことでもなかったのだと少し安堵した。

 とまれ、賢治の花巻農学校の辞め方はあまりにも不思議であり、どうやらそれは尋常な辞め方ではなかったということである。それゆえ、私達が知らない本当の理由が実は別にあったのだとすれば、その不思議さをある程度払拭してくれそうだということも視野に入れておくべきなのかもしれない。以上が、私にとっては不思議なことの二つ目である。

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