みちのくの山野草

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賢治関連七不思議(花巻農学校の辞め方、#2)

2017年07月15日 | 賢治に関する不思議
 そこで言えることは、残念ながらおのずから次のような仮説
    賢治の花巻農学校退任式については行われなかった。………①
が導かれるということである。

 そして実際に次のような証言等も見つかる。
◇大正15年3月の春休み:同僚堀籠文之進の証言
 大正十五年三月の春休みに入ってから、――こんど、私学校をやめますから……とぽこっといわれました。学校の講堂での立ち話でした。急にどうして、また、もう少しおやりになったらいいんじゃないですか、といいましたら、新しく、自営の百姓をやってみたいからといわれました。
◇愛弟子菊池信一の証言
 高野主事と議論したことが原因のようだが、国民高等学校の卒業式が大正15年3月27日に賢治は同日退職しているよ。この年の四月から、花巻農学校が甲種に昇格して生徒が増加するのに、退職するのはおかしいと思っていた。
同僚白藤慈秀の証言
 宮沢さんはいろいろの事情があって、大正十五年三月三十一日、県立花巻農学校を依願退職することになった。あまり急なできごとなので、学校も生徒も寝耳に水のたとえのように驚いた。本意をひるがえすようにすすめたけれども聞きいれられなかった。退職の理由は何であるかとといただす生徒も沢山居たが、いまの段階では、その理由を明らかに話されない事情があるからといって断った、という。
◇大正15年4月:柳原昌悦の証言
 私たちが二年生になるとき、何人かが中心になったと思いますが、鼬幣の稲荷さんの後ろの小高い所ある小さな神社の境内に集まって、宮沢先生退職反対のストライキ集会を開いたのでしたが、宮沢先生の知るところとなり「おれはお前たちにそんなことされたって残るわけでもないから、やめなさい」との一言で、それはまったく春の淡雪のように、何もなかったかのようにさらりと消えてしまいました。
 さらには、
◇大正15年4月:教え子小田島留吉の証言
 花巻農学校の入学式の日に、「私は、今後この学校には来ません」という賢治自筆の紙が廊下と講堂の入口に貼ってあった。………②
もある。したがって、これらの証言等は仮説〝①〟の妥当性を裏付けこそすれ、何一つ反例たり得ない。

 その一方で、これは先にも触れたことが、賢治が「年度途中」で花巻農学校の教諭となった際の赴任式は大正10年12月3日(土)に行われ、『新校本年譜』によれば、
 養蚕室で赴任式があり、校長に紹介され「只今ご紹介いただいた宮沢です」といって礼をし、段を下りた。丸坊主に洋服である。
             <『新校本宮澤賢治全集16巻(下)年譜篇』(筑摩書房)228pより>
と、簡潔にではあるがその際の挨拶の内容、服装などの記述がある。
 となればまして、賢治は「年度途中」ではなくて、大正14年度の「年度末」に退任したのであるから、普通であれば必ずや退任式が行われていたはずだ。そして、花巻農学校の『校務日誌』(あるいは『教務日誌』)は〝永年保存〟の性格を持っているから、それが行われていればその日誌の記録からその事実は確認できることである。逆な言い方をすれば、この時の賢治の「退任式」の記述が同年譜にないということからはそれが行われなかった蓋然性が極めて高いということになる。
 あるいは視点を変えて、賢治の「退任式」が行われていたとすれば、その際の賢治の挨拶、様子などはとりわけ印象深いものであり、教え子の中には痛切な思いで賢治の挨拶などを聴いた者が多いはずであり、後々までも心に留めておいたいたはずだ。ちなみに、賢治の「赴任式」については例えば鈴木操六の、
 南側の開け放された養蚕室で、畠山校長が、先生を紹介された。その後に先生は壇の上に立って、至極簡単に、ただ今ご紹介いただいた宮沢ですといって礼をして壇を下りられた。
         <『宮沢賢治 その文学と宗教』(山田野理夫著、潮文社新書)61p~より>
という証言があるくらいだから、もし退任式が行われていたとすればこの鈴木のような内容の教え子たちの証言があってしかるべきだが、管見ゆえかそのような証言や資料を私は知らない。

 したがって、これらのことととりわけ前掲の小田島留吉の証言〝②〟等とを併せて判断すれば、先の仮説〝①〟の妥当性はほぼ裏付けられたと言えるだろうし、まして今のところその反例も見つからないから、この反例が見つからない限りはという限定付きの〝①〟は「真実」となる。
 それは言い換えれば、
 賢治は大正15年3月末、年度末になって花巻農学校を突然辞めた。……③
ということになる。
 それは取りも直さず、賢治が花巻農学校を辞した理由は、
 賢治は生徒に対しては「農民になれ」と教えながら、自らは俸給生活を送っていることの葛藤から、自分も百姓になるから生徒諸君もなってくれという強い態度を示すために花巻農学校を辞めた。
と巷間言われているようだが、真相はそうではなく、そこには私達がまだ知らされていない大きな理由があったのではなかろうかというこということであったり、あるいはそれこそ不羈奔放な賢治の性向が遺憾なく発揮されたものだったのかもしれない、などということを私はついつい考えたりしてしまう。いずれにせよ、賢治の農学校の辞め方はあまりにも不思議だ。

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