まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

報恩講さん

2017-10-17 | 暮らし

「ほんこさん」と、婆さんたちはいう。この時期「報恩講」が、お寺であり、檀家はお布施を持ってお寺へ出かける。いつも姑が行っていたが、年をとったので、もう行かないという。年配の友達がもういないのである。かと言って、わたしもお寺仲間はいない。お布施を持っていかなくてはならないので出かける。住職は同級生である。殿の法名に住職の字をひと字頂いた。

寺の境内のテントのところで、お布施の封筒を渡すと、「おとき」と、書いた木の札を渡される。「おとき」とは「お斎」と、書く。法事での食事である。それを持って寺の中へ入ってお弁当をもらう。と、弓道の先輩に会った。先輩は、調理場の手伝いをしていて、一緒におときについた。小豆汁がでる。

その後、先輩と落語会を聴く。福井のパン屋さんで、「はやおき亭 貞九郎」さんで、素人というが、演目は創作50、古典50という事。玄人裸足だった。大いに笑って帰る。

 


収穫

2017-10-17 | 暮らし

父の見舞いの後、実家の銀杏を拾って洗って乾した。大粒で綺麗だ。

里芋も、二株だけ掘ってみたら、思いのほかたくさんの芋が付いていた。

このところ寒くなってきたが、今日は小春日和。虫も花も似合う日だ。

コスモスの時期も、もう終盤。衣替えの10月も、もう半ばとなる。時が羽根をつけているように飛ぶ。そういえば、お札も羽根がついているようだ。よく飛ぶ。

 

 


今日一日

2017-10-17 | 暮らし

今日、父が笑った。母が持ってきたボーロを、わたしが指でつまんで、父の細くなった手に持たせた。父は、か細い手で口に持っていき「ひとりでいると、ごっつぉも食べれんなあ。」と、言う。風呂に入れてもらった後で、ひげもきれいに剃ってもらって、「ありがたいねえ。」と、言う。本当は家族が世話をすることが一番いいのだろうけど。父にボーロを渡そうとして、父がつかもうとする手から逃げてくるくる回すと、父は歯がない口を閉じて、嬉しそうにくく・・と、笑った。楽しそうに笑う父を見て泣けた。

時折、「はよ、うちに帰るぞ。着がえあるか。」とか、「車をまわしといてくれ。」とか言う時がある。

同じ病院に入院していた同級生のM君のお母さんが一昨日亡くなった。時々、病院で会って、お互いを労い言葉を交わしていて、先日、「もう駄目なんや・・」と、言っていてすぐだった。99歳とのこと。そうして、見送っていかなくてはならない。

殿が、自分の父親が89才から年を取らなくなってから、父親とあまり話をしなくなった。その頃、殿もガンと闘っていたことと、父親が92才になっても、自分が89才だと言い、殿が入退院を繰り返していたときも、「どこが悪いんや?」と、毎回聴くので少し腹を立てていた。親が弱っていくのを見たくないのだと思った。そして今、わたしは、親が弱っていくのを見守りながら、非力な自分を思う。

母が、風邪気味だというので、牛肉と、しいたけと、たっぷりねぎに、卵を落として、煮込みうどんを作って、久しぶりに一緒に食べた。いわしの梅干し煮も、いわしが新しかったので、脂がのって美味しかった。ひとりでいることは寂しいだろうと思うので、なるべく足を向けるようにしているが、いつも忙しそうにしているわたしに、母は、たまにゆっくりして行けばいいのにという。今日は、早めの時間に一緒に食べたが、すぐに帰って姑に昼食の用意をしなくてはならない。

午後は、歯の定期検診と、先日、急性中耳炎になったので、耳鼻科に行って診てもらい、4時になってしまった。

中庭の工事の話で〇建設の部長と話をして、5時半にkenを学童へ迎えに行く。

月の半分、パートで働いて、残りは父の見舞いと、母の様子を見に行く。そして、合間を作って、せっせと山行きと、弓道へ行っている。なので、休みの日でも殆どうちにいない。たまに家にいるところへ、用事があって訪れる人は、家にいるわたしを見て、「奇跡的に会えた。」と、興奮する。

のんびり温泉とか、旅行とかいうのではなく、遊ぶのも一所懸命の遊びをしているなあと思う。息を切らして山に登り、荷車を押して山に登るような修行の弓道をしている。ちょっと手を緩めると、ダダっと荷車ごと登山口まで落ちるような弓道である。賽の河原みたいに、何年たっても上達せずに、それでも少しずつ段は上がったので、相撲のように角番がないことに安堵するというような消極的な弓引きである。でも、山も弓も友達がいることが楽しい。

一所懸命遊ぶことが心のよりどころである気がする。