伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

労働組合とは何か

2021-04-30 22:17:49 | 人文・社会科学系
 ヨーロッパとアメリカで産業別労働組合が誕生し発展した歴史と日本で企業別労働組合や年功序列賃金が生まれた歴史を説明し、日本でも産業別労働組合を創るべきことを論じた本。
 欧米ではさまざまな「職務」に就く労働者の賃金はその熟練度が同等であればどの企業においても職務ごとに基本的に同じ賃金(「職務給」と呼ばれる)が適用され、企業横断的な産業別労働組合が経営側と労働条件を交渉し決定していく仕組みが基本的に確立されています。これに対して、日本では、かつては企業横断的な労働市場があり「渡り職工」と呼ばれる労働者が争議で中心的な役割を果たしていたが、これを嫌った経営側がうち続く大争議での勝利(労働組合側の敗北)を契機に工場委員会と企業内技能養成を進めて労働者を子飼い職工化し年功賃金で企業内に囲い込むという政策を進め、労働市場と労働運動が分断され、企業別労働組合が一般化し産業別労働組合が成長しなかったとされています。
 この本では、日本の労働組合(企業別労働組合)は本当の労働組合ではなかった、これからでも本当の労働組合を創るべきだと主張します。では、そのための戦略はということになりますが、現在の企業別組合が産業別労働組合に成長するということはあり得ないので、企業別組合はそのままで、非正社員、職種が限定されている非年功型正社員、昇給があってもすぐ頭打ちになる弱年功型正社員らの「非年功型労働者」=下層労働者が戦闘的な集団行動で産業別労働組合として成果を勝ち得た関生(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部)を見習って立ち上がれというのです。立て飢えたる労働者(失うもののない労働者)、関生を見よ/関生に続けというは、アジテーションとしてはいいでしょうし、実現できればいいなとは思います。しかし、巨大企業のセメント会社とゼネコンに挟まれた中小企業が多数を占める生コンの産業構造やストライキが功を奏しやすい労働内容と労働市場等の条件がなくてもそのような闘いができるのか、そして激しい刑事弾圧を受け続ける関生の姿を見てこれに続けと名乗りを上げられるものか、道はあまりに険しいと思わざるを得ません。
 産業別労働組合化の主張は、欧米型の職務給への転換を志向するものですが、果たして日本でこれから職務給への転換がなされた場合に、きちんと最初から生活できるような高賃金とできる(職務給では最初から高賃金でその後の昇給はない)でしょうか。日本ではむしろ日経連が職務給を主唱して拡がらなかった経緯があります。労働側の力量が十分でない状態で、十二分な警戒心を浸透させた上でなく職務給への転換をいうことが、経営側にいいように利用されて単に昇給のない低賃金化へと絡め取られないように十分に注意する必要があると思います。


木下武男 岩波新書 2021年3月19日発行
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学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド

2021-04-28 23:52:19 | 人文・社会科学系
 「あなたを大切にしてくれない場所にいてはいけない」というメッセージを発しつつ、不登校でかまわないことをさまざまな人の話を使って論じた本。
 著者自身が、10代には絶対に戻りたくない、人生で一番つらかった時はと聞かれたら迷わず中学時代と答える、今私はこの時期に不登校をしなかったことを悔いている、無理に無理を重ねて学校に行き続けたことによってしなくてよかった嫌な思いをしたことを私は今も悔いている、今私はあの頃の自分に「すぐに逃げろ!」と言いたい、いじめから約30年が過ぎ45歳になっても人が怖いし人間不信は消えていない、実家に帰っても決してひとりで外を出歩かない、いじめっ子にもし会ったらと思うとそれだけで目の前が真っ暗になるからだなどと語る「はじめに」(11~26ページ)のアピールが強烈に刺さります。
 世田谷区立桜丘中学校で10年かけて校則をゼロ(小テストはするが定期テストは廃止、宿題もなし、登校時間は自由でチャイムもなし)にしたという元校長の話、赴任直後に朝礼で生徒がざわつくと怒鳴る教師達に「もし生徒がうるさくしても、それは私の話がつまらないせい。だから生徒を怒鳴ることをやめましょう」といったというエピソード(59ページ)、授業中に生徒が寝ることも自由として教師に「授業中に寝ている子どもがいたら、起こさずにそのまま寝かしてあげなさい。もし自分の授業で寝られるのが嫌だったら、起きていたくなるような面白い授業をしなさい」といったというエピソード(66~67ページ)、なんだか力が抜けていいなと思う。区立中学でこういうことができたということが素晴らしいと思います。それはこの本では触れられていませんけど、「中学全共闘」で内申書裁判を闘った人が世田谷区長を務めているという事情と無縁ではないと思いますが。
 学校は以前より管理的になっている、他方で親も踏ん張れないような社会状況になっていて、不登校が増えている、それは2000年頃からそういう傾向が強くなった(105~106ページ)とか(2000年というと、森政権・小泉政権の頃ですね)、今コロナ禍で授業なんかオンラインでやればいいという人が多いがこの国にはパソコンやネット環境がない子もいる、そんな家庭があることの想像もつかない人が「オンラインで」というとき貧しい家庭の子どもたちは排除されている(88~89ページ)とかの指摘にも、なるほどと思います。個人的には、コロナ禍で何でもリモートだオンラインだZoomだという勢力に、とても反発を感じている天邪鬼なもので。
 大人のただの失敗談、その失敗を乗り越えたという自慢じゃなくてただ情けない失敗談を聞きたい(153~159ページ)というのも、そのとおりだなぁと思います。自分が話す側になるのは厳しいですが。


雨宮処凜 河出書房新社 2021年1月30日発行
14歳の世渡り術シリーズ
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世界の美しい地図

2021-04-27 21:35:17 | 人文・社会科学系
 主として中世から近世にかけて作成された地図を紹介する本。
 よく言われることではありますが、紀元前2世紀の頃ローマ帝国時代のエジプト・アレクサンドリアで活躍したプトレマイオスが地球が球体であることを前提にそれを地図に表す方法を論じていて(13~14ページ)、その著書は最も古い写本でも13世紀のものしか残っていないためプトレマイオス自身が地図を作ったか否かは定かではありませんが、それでもプトレマイオスの著書を元に作成された世界地図(24~25ページ)を目にして、他方で中世のヨーロッパではキリスト教の原理の下いわゆる「TO図」(平面にアジア・ヨーロッパ・アフリカの3大陸がナイル川・タナイス川(ドン川)・地中海に分割されて描かれる)が作られ続けた(14~15ページ、20~22ページ等)のを見せられると、文明・文化というのは決してまっすぐに進むのではない、過去よりも現在の方が科学的真実に近づいているとは限らない、過去の人たちよりも私たちの方が賢いとは限らないということを改めて実感します。
 掲載されている地図の選択は、編集者の趣味によるものと思われ、著名なものが網羅されているわけではなく、見たこともないものが多数見られて、その点がいいと思います。個人的には、初見ですが、クラース・ヤンス・フィッセルの16~17世紀のオランダをライオンの姿に描写した「レオ・ベルギクス」(121ページ)が一番気に入りました(ちょっと癒やされる)。


MdN編集部編 エムディエムコーポレーション 2021年2月1日発行
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旅が教えてくれた人生と仕事に役立つ100の気づき

2021-04-26 21:41:24 | エッセイ
 旅作家の著者が、これまでの自分の旅と仕事について綴ったエッセイ。
 「はじめに」にも「おわりに」にも初出などの記載がないので、書き下ろしなのかなと思うのですが、お話がつながっているところもありますが、全然関係ない話に飛んだり、特に中盤はブツブツだったり1~2ページの断片的なものが多く、100にするのに苦しんだのかと感じます。
 スケッチブックを持っての旅(65~66ページ)は、かつて私も憧れていましたし、今どきでも/今どきだからかえって、いい感じに思えます。
 アジアの街角というか貧民街/スラム街で出会う貧しい人たちを見てかわいそう、不幸と思う自分にどこか違和感を持っていたことに、著者が編集者として関与した元新聞社写真記者の本のエピローグの指摘から、自分は自分より不幸な人たちがいるはずと思って不幸を見つけようとしていたのではないか、そういう卑しい心を持っていたと気づかされたというエピソード(70~72ページ)には、ハッとさせられました。


小林希 産業編集センター 2020年10月29日発行
わたしの旅ブックス
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夫が知らない家事リスト

2021-04-25 23:43:51 | エッセイ
 家事には掃除、洗濯、炊事、育児というような大括りの見えやすいものの他に細々とした雑用が無数にあって終わりがないこと、それを家事を主として受け持たない相手方が理解していないと腹が立つということをアピールする本。
 そういう嫌みを言うために家事を書き出し始めたら止まらなくなって148項目のリストを作って夫に突きつけたら夫は「離婚届突き付けられるより怖かった」と思ったとか(6ページ)。そうでしょうね。こんなにたくさんやってて大変だねと思うよりも、こんなに私は大変なんだと言うために148項目も書き連ねる執念・怨念におののくでしょう。たとえば「洗濯」の中で「洗濯洗剤を買ってきて詰め替える」「柔軟剤を買ってきて詰め替える」「漂白剤を買ってきて詰め替える」が別項目として1つずつカウントされて列挙されていたり、「お風呂場の掃除」の中で「浴槽を洗う」「壁・ドア・鏡・手すりを洗う」「フタを洗う」「洗面器・椅子などを洗う」「床を洗う」「取れるパーツを外して洗う」「排水溝を洗う」「排水溝のフタを洗う」が別項目として1つずつカウントされて列挙されていたりして(14~21ページ)、そういうことを積み重ねて148項目だ211項目だと言われたら、まぁそういうやり方なら211項目といわず、すぐに1000項目にでもできるでしょうから、挙げられた項目の多さよりも、とにかくそうまでして自分は大変だとアピールしたい心理状態なんだな、怒っているんだなということは理解できると受け止めるしかないでしょう。
 料理は「水面下で24時間稼働している家事」「基本的には主婦はいつも頭の片隅で常に献立を考え、足りない物を買う段取りを、自分のその日の行動の流れに取り組みながら動いているのだ」と書かれていて(51ページ)、それはそういう面があると思いますが、文字通りいつも頭の片隅にあるというのも言い過ぎでしょうし、仕事はある程度そういう面があるものではないかとも思います。よくニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したという逸話があるが、それはニュートンがずっと引力・重力のことを考えていてそれがたまたまリンゴが落ちるのを見て頭の中でひらめいたというか整理されたのだという解説がなされます。ニュートンも文字通り四六時中引力のことを思い詰めていたということではなく、疑問に思い時々・思い起こして検討していたのだと思います。弁護士の仕事でも、それぞれの事件の自分と相手の主張、証拠、類似のケースの裁判例などを頭に入れた上で、今ひとつモヤモヤしていたものが、あるとき何かの拍子でいい理屈、いいフレーズが思い浮かんだり、すっと頭の中で整理されることがあります。そういう形で多くの事件について、頭の中で発酵させているというか、おぼろげに潜在的に考えています。他人の指示に機械的に従う肉体労働でない限り、仕事というのはそういう性質をある程度持っているものだと思います。この本の著者は放送作家だということですから、本業では当然いつも頭の片隅で仕事のことを考えているのだと思います。そちらについてはいつも頭の片隅で考えているんだと偉そうに言ったり文句を言ったりはしないでしょう。そこは、家事が楽しくないから、評価してもらえないという怨みを持っているからそう言いたくなるということなのでしょう。
 家事のありよう、現実の対応は夫婦・家庭によりさまざまなところでしょう。著者は「はじめに」では、家事の項目ごとに担当者を決めない、どちらかできる人がやればいいと述べています(8~9ページ)。しかし、使った物は元の場所に戻せというところで、「テーブルやテレビ台の隅とかに、ずーっと置きっぱなしの細かいものがあると、『いつ片づけるねん』とイライラしてしまうのだ。え?住所が決まってるのなら私が帰らせて上げたらいいんじゃない?だと?なんでやねん!それやってもうたら、こっちの“負け”やろ!今後ずっと帰らせるのは、私の役目になるかも知れないのは嫌なんじゃー!」と主張しています(111ページ)。妻がこう考えている場合、夫が妻がやって欲しいと思っていることをやらない心理も同じなんじゃないかと思います。
 と言っても、夫婦関係は理屈を言えば悪化するもの。世の妻の(たぶん)多くは、こういうふうに思い憤懣を募らせているのだ(こういう本を読んで共感しているのだ)と認識する好材料ではありましょう。


野々村友紀子 双葉社 2019年9月22日発行
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医者は患者の何をみているか プロ診断医の思考

2021-04-24 21:20:02 | 自然科学・工学系
 内科医・臨床医である著者が、診断のあり方、診断の際の思考方法などについて論じた本。
 検査をする前の医師の見積もりが重要で、その際にそれぞれの可能性に入れ込まない(1つの可能性に突き進まずにさまざまな可能性を考えておく)方がいい、闇雲に検査をしてもいけない(くも膜下出血のCT検査ですら、くも膜下出血を疑って医師が読影しても見逃すようなくも膜下出血もある。ならば、くも膜下出血の疑いも持たずにとりあえずCT検査をするというようなことをしたらなおさら見逃す)などの説明(14~19ページ)は、なるほどと思います。
 素人とプロの違いについて、素人がネットで調べて思いつくくらいのことはプロはすでに検討済み、プロの思考、視野は素人が見ているものとは広さ、桁が違う、プロと素人の差は圧倒的、草野球と大リーガーくらいの差がおそらくある、プロが本来のパフォーマンスをするためにしている努力は素人に言われなくても平素やっているわけで素人はプロにとってnoisyになるようなことはあまりしないほうがいい(43~54ページ)という著者の言には、別領域ですが、同感することはよくあります。しかし、内心そう感じ、うっとうしいなぁと思っても、ここまではっきり言い切るのは、この著者がよほど自信家で短気なのだなぁとも思ってしまいます。
 診断を向上させるために、自分の経験だけでなく症例報告を多数読み込みそれを元に考えるクセを付ける(198~203ページ:弁護士の場合だと裁判例の雑誌の要旨ではなくて事実認定とそれに基づく評価部分の読み込みと応用思考ですね)、頭の中に師匠の視点と監視を想定する(205~207ページ)などの提言は、別の分野でも使えそうです。
 後半になると、時間圧とか四次元とか説明が観念的になり、独自の世界に入っていく感じでよくわからなくなり、投げ出したくなるのが、残念ですが、いろいろためになる思考方法が語られていたと思います。


國松淳和 ちくま新書 2020年11月10日発行
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百人一首うたものがたり

2021-04-23 22:59:13 | 人文・社会科学系
 百人一首のそれぞれの歌を解説し、時代背景や作者の他の歌などを紹介する本。
 歌そのものの解説はごく簡単にして、歌人である著者の感想・感覚が語られていて、そちらの方が読みどころかと思います。かの有名な阿倍仲麻呂の「天の原…」の一首を望郷の歌として紹介することに疑問を示し、妻とHして、いや「妻と優しい営みを交わして眠りに就こうとした時」、妻の寝顔を眺めた後、ふと窓の外の月の光に涙して詠んだ(27ページ)という想像力には感嘆しました。
 選者の藤原定家が、なぜこの歌を採ったのか、この歌の次にこの歌を配したのかについての著者の言及も度々あり、ライバルにはもっといい歌があるのにそれを採っていないなどの指摘に、考えさせられます。
 百人一首には採られなかった歌として紹介されている歌が多数あり、凡河内躬恒の「わが恋はゆくへも知らずはてもなし あふを限りと思うばかりぞ」(71ページ)とか、権中納言匡房の「つねよりもけふの暮るるを惜しむかな いまいくたびの春と知らねば」(159ページ)とか、小説で使ってみたいと思いました。


水原紫苑 講談社現代新書 2021年3月20日発行
講談社PR誌「本」連載
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時代を撃つノンフィクション100

2021-04-22 21:48:32 | 人文・社会科学系
 著者が、会社国家のタブーへに挑んだ(おわりに:208ページ)ノンフィクション100冊を紹介した本。
 おわりにで、「あまり知られていないけれどもドキドキするような作品を選んだつもりである」と述べられている(208ページ)からいいのかも知れませんが、100冊のうち4冊しか読んでない (-_-;)
 採り上げた作品またはその著者の紹介が半分くらいで、その話に絡めた著者自身の経験や意見が半分くらいという感じです。
 「田中角栄」では、「ロッキード事件の時などには私も田中の金権政治を批判した。しかし、その後、小泉純一郎などが登場し、彼が主要敵とした田中と比較してみた時、ダーティかクリーンかという軸のほかに、ハト派かタカ派かというモノサシで政治家を測らなければならないのではないかと思うようになった」「具体的に言えば、小泉純一郎や安倍晋三が(比較的)クリーンなタカであり、田中角栄がダーティなハトの象徴になる」「たとえば軍人などクリーンなタカの典型と言ってもいいが、それよりはダーティでもハトのほうがいいという視点を得て、私は田中を見直すようになった」(110~111ページ)とか、まぁそうだと思いますけど、岸信介をこの本でも繰り返し批判する著者が、小泉純一郎が出てくるまでハト派かタカ派かというモノサシを重視していなかったのか、大丈夫かと思ってしまいますし、採り上げたノンフィクション自体がどういうものかほとんど紹介されていないように感じます。
 「鞍馬天狗のおじさんは」の嵐寛寿郎が戦時中に前線を巡業して関東軍のエライさんが毎晩のように芸者を抱いて遊んでいるのを見て戦争は完全に負けだと思ったという下り(126ページ:あえて孫引きすると「戦争こんなもんか。“王道楽土”やらゆうて、エライさんは毎晩極楽、春画を眺めて長じゅばん着たのとオメコして。下ッ端の兵隊は雪の進軍、氷の地獄ですわ」。伏せ字にしないとエロサイト認定されるかも)や「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」で米軍のファントムが住宅地に墜落した際の犠牲者の幼児の今際の際の言葉を紹介し(ここ、目頭が熱くなります)海上自衛隊が米軍兵士の救助を優先して被害者は無視し証拠品も米軍が回収し得て警察には手も触れさせずパイロットはまったくお咎めなしで帰国したことに言及する(158~159ページ)など、軍に対する批判は読んでいて共感します。


佐高信 岩波新書 2021年3月19日発行
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あなたがはいというから

2021-04-20 21:24:07 | 小説
 市立病院の院長の娘として生まれ何不自由なく育ち、親の要望に背いて文学部(比較人類学類)に進学し、クラスの懇親会で浴びるほど酒を飲んで気を失い学生寮の部屋まで運んでくれだ飲んだくれの同級生和久井亮と恋仲になるが、和久井がバイトや先輩の研究の手伝いで部屋を空けることが多くなると、和久井の友人で隣の部屋に寄宿する男とデキてしまい、その男とも別れて学生寮を出てアパートに移ってそこへやってくる同級生の男に積極的に告白してつきあい飽きると別れるということを繰り返し、大学を卒業すると医者を婿養子にとって予定どおり院長夫人に収まって、専業主婦としてブランド品を買いあさり優雅な暮らしを続けていた柊瞳子が、作家になった和久井亮の講演会を機に行われたプチ同窓会で和久井と37年ぶりに再会し、自分は半ば強制的に結婚させられた、夫も息子も医師として忙しくて構ってくれない、自分は空っぽなどと不満に思い、和久井に言い寄るという小説。
 恵まれた境遇にあり、和久井と別れたのも自分が今達成したものや打ち込めるものがないのも自業自得というしかないジコチュウの主人公に、還暦を過ぎて、私は空っぽなどと不満を言って自分探しをされても、わがままな金持ちの贅沢な悩みとしか見えず、全然共感できません。どんなに恵まれた生活をしている人にも悩みはあるでしょうし、世の中には自分が一番不幸で大変な思いをしてると思い込んでいる人がたくさんいるのは理解してはいるつもりですげ、それにしても…という読後感です。
 主人公の目からは、冷酷さが前に立ちますが、むしろ和久井亮と、柊進(瞳子の夫)の方に誠実さを感じてしまうのは、私が男だからでしょうか。
 恋愛ものの仕立てですが、作者の意図はむしろ、文学とは何か、文学で何ができるか、というテーマの方にあるように思えます。
 作者が同い年のため、大学入学がキャンディーズが解散した年だとか、東海大に原辰徳がいたとか、学生時代に山口百恵が引退し、ジョン・レノンが銃殺された、「ルビーの指輪」と「恋人よ」が大ヒットしたとか、ノスタルジーを感じます。そういう読み方ができるのは特定の世代だけですけど。


谷川直子 河出書房新社 2021年1月30日発行
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ケースブックアメリカ経営史[新版]

2021-04-18 19:14:37 | 人文・社会科学系
 独立後近年に至るまでのアメリカの主要産業とその頂点をなす企業の栄枯盛衰をたどりながら、企業の組織・戦略を紹介し論じた本。
 企業組織のあり方(特に集権的か分権か)、商品・サービスの提供の範囲(多角化か、選択と集中か)、商品のラインナップ(製造の合理化を優先してコストダウン・低価格化を進めるのか、顧客のニーズ・マーケティングを優先して商品・サービスをそろえるか、ハイエンドかローエンドかフルラインかなど)が議論のテーマですが、その点が中心的に書かれているのではなく、大企業の沿革・社史と経営者の伝記を読まされる中にそういう検討分析もあるという感じで、アメリカの「偉大な経営者」にあまり関心がない私には、読むのがなかなかに辛く思えました。
 その中で、J.P.モルガン、アマゾン、アップルに対しては、比較的はっきりと批判がなされています。「富豪の中で、ジョン・ピアポント・モルガンほど、その傲慢さ、尊大さ、エリート主義のゆえに、一般大衆から憎まれ、非難され、怨嗟の的になった人は少ないであろう」(153ページ)、「アップルで『週に80時間働く』という標語があったように、アマゾンも仕事に関して猛烈主義である。採用試験で、ワーク・ライフ・バランスを口にしたものはそれだけで不合格だった」(243ページ)、「従業員は低賃金、配送センターにおいては過酷な労働環境(たとえば12時半に家を出て、帰宅は深夜零時)という状況がある。かつてウォルマートが、最低賃金をも下回る低賃金、健康保険などが与えられない劣悪な労働環境によって社会的批判を浴びていたのと類似した状況である。その後、ウォルマートは若干改善され、同社に対する批判は緩和した感があるが、それに代わってアマゾンの労働環境の酷さがたびたび指摘されるようになった」(253ページ)、アップルにジョブスが復帰した後のアウトソーシング先のアジア企業について「そこでの労働条件は過酷で、09年には自殺者が相次ぎ、大きな社会問題、国際問題となった、また、環境にも負荷をかけすぎていると言われている」(320~321ページ)などの記述は、ダラダラとした社史・経営者の伝記の記述で眠くなったところで目が覚める思いがしました。基本は企業と経営者を持ち上げる本の中でこれらの企業が批判されているのはよほど悪辣だからなのか、特定の執筆者が勇気をふるっているからなのか…


安部悦生、壽永欣三郎、山口一臣、宇田理、高橋清美、宮田憲一 
有斐閣ブックス 2020年12月25日発行(初版は2002年2月) 
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