伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

オードリー・ヘプバーンの言葉

2017-02-25 22:11:51 | エッセイ
 著名な女優であり、晩年はユニセフの特別親善大使として活躍したオードリー・ヘプバーンの生きざまに焦点を当て、オードリーの言葉を紹介しその背景を語った本。
 6歳の時に両親が離別し父親に捨てられたことを「父に捨てられたことは、私の一生で、最もショッキングな事件でした。」(118ページ)と語るオードリー。栄養失調になりやっと生き延びた戦時の苦難やバレリーナになる夢破れた挫折、(さらには2度の離婚)などを超えて、父親が見捨てて去ったことが打撃を与えたということを見るにつけ、父親の責任の重さを痛感します。
 そして、オランダで第二次大戦期を過ごしたオードリーが、「私たちはすべてを失いました。家も、家財も、お金も。でもそんなことはどうでもいいのです。肝心なのはただひとつ。私たちは生きのびた、ということです。」(124ページ)と述べ、その体験から「ナチスに関しては、聞いたり読んだりする恐ろしいことを、割り引いて考えてはいけません。それは、想像をはるかに超える恐ろしいことなのです。」(120ページ)と語り、のちに「私は、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのかはっきり証言できます。なぜなら私自身が、第二次世界大戦の直後に、食料や医療援助を受けた子どものひとりだったのですから。」(162ページ)と言い、湾岸戦争中のユニセフの会議で戦争が終結したらイラクの子どもたちに何ができるかが議論されているとき、戦争が終結したらでは遅い、「このような戦争を引き起こした不正に対して抗議するのがユニセフの義務ではないでしょうか。」と発言した(176~177ページ)というエピソードと構成は素晴らしい。この国を戦争へと駆り立てようとする連中が政権を取りマスコミを牛耳って黙らせている今、このような本が多くの人に読まれるといいなと思います。


山口路子 大和文庫 2016年8月15日発行
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「あきらめる」のが上手な人、下手な人

2017-02-01 21:56:27 | エッセイ
 過去の経緯や決定、他人との比較や意地から方向転換ができないことの愚かさを説き、「あきらめ」て損害を最小限にとどめて出直すなどした方がいいということを勧める人生論・処世術の本。
 過去の努力や投資が無駄になることを恐れて方向転換ができないという事態は、よく見られます。ここまで頑張ったんだからと、引き返せなくなって傷を深めるというやつ。損切り・見切りができるかという話ですね。私は、基本的に、これまでにどれだけのものをつぎ込んだかよりも、これから先続けることのメリットとデメリットを重視して決めることにしていますので、これから先続けるのがものすごく疲れるもので、続けることで得られるメリットが少なくて自分の価値観としてそれほどの意味を見いだせないことなら、過去にどれだけの労力をかけていても関係なくあっさりやめます(仕事だと、契約した範囲はよほどのことがなければ終わりまでやりますけど、その範囲が終われば、次の契約をするかの段階では過去には囚われません)。そういうあたりの話では、著者の意見と同感ですし、実践できていると思います。
 しかし、ビジネス書にありがちですが、「あきらめる」というキーワードで多くのものというか何でもかんでも語ろうとしすぎて、メッセージがごちゃごちゃしているような印象もあります。「あきらめる」のは、何かを実現するためで、大きなものをあきらめないために、目の前のものをあきらめるということであったり、二兎を追えないから片方はあきらめろということで、そこでは「あきらめない」ことに意味が見いだされたりしているわけです。その何をあきらめ、何をあきらめないかの選択が大事なのに、そこがきちんと語られていないというか、ポリシーが見えにくいように感じるのです。
 また、女性については結婚か仕事かの二者択一を論じたり、正しいことの自己主張をするのではなく長い物には巻かれろと諭したり、旧世代の支配構造に都合のいい傾向を持つ本でもあります。
 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」という啄木の歌を引いて、足るを知るを説くのは共感します。友がみなわれよりえらく見ゆる日以外でも、妻と親しみたいと思いますけど。


斎藤茂太 角川文庫 2014年8月25日発行(単行本は2009年9月)
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国境のない生き方 私をつくった本と旅

2016-12-27 09:29:28 | エッセイ
 「テルマエ・ロマエ」でブレイクした漫画家の著者が、幼い頃に北海道の原生林に囲まれて女手一つで育てられたところから、14歳でヨーロッパを一人旅したり17歳でイタリアに渡って極貧の生活をするなどの半生を題材に、旅とボーダー越えをテーマとして人生を語るエッセイ。
 イタリアで詩人と同棲しいつも電気・ガス・水道のどれかは切られた状態というビンボー生活をし借金に追われる(母親が訪ねてきて、電気もガスも止められているこんな極寒の家にはとてもじゃないがいられないと、1泊しかしないで別の町へと発って行ったとか)経験をした著者が、失敗はダメ-ジ・ポイントではない、それだけボキャブラリーが増え時がたてば「経験」になると語るのは重みがあります。
 なんとなく力が湧いてくる感じの人生論です。


ヤマザキマリ 小学館新書 2015年4月6日発行
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ジャズをかける店がどうも信用できないのだが…

2016-08-31 00:17:44 | エッセイ
 1958年生まれ作家姫野カオルコが、世間の「そういうことになっている」について首をかしげる意見を綴ったエッセイ集。
 男女対比型エッセイへの疑問、著者が思う男女の違い、エロなどに関する第1章「不確かな性差」、化粧(世間では化粧をした方が美しいとされているが、著者は化粧はしない方が美しいと確信している)、小悪魔という評価(金持ち老人男をたぶらかす若い女など評価する価値がない、金持ち男をたぶらかす年上女がいればそれこそ小悪魔と評価すべき)、似ている顔などに関する第2章「落とし穴」、表題にあるジャズ喫茶ではなく何となくジャズをかけている照明の暗い料理店、文学界、出版界、映画賞などへの疑問に関する第3章「いかがなものか」からなっています。まとまりとテーマがあるような、ないような。
 冒頭の男女対比のステレオタイプへの疑問は、同感で、入りやすい出だしです。次の、男女差は鼻くそにこそで、公共の場所で鼻くそをほじって擦り付けるのは男性だけというあたりで、う~ん…そう、かな、ぁ…と、私自身、近年は(うら若い)女性が人前で鼻をほじる姿を少なからず見ていて…と思っていたら、著者も、文庫版リニュアル特典で、同じことを書いていました(32ページ)。やはり近年は鼻をほじる女性が増えて、ますます性差は不確かになっているのですね。ということで、そうだねぇと思いながら一気読みしました。高校の同級会でドキドキした製薬会社勤務の元同級生に「○○くんの会社が発売しているコンドームはポリエチレン系でラテックス臭がなくて性能がいいんだよね」(66ページ)といえる感性/度胸は、私は持ち合わせていませんが。


姫野カオルコ 徳間文庫 2016年3月15日発行(単行本は2008年11月、筑摩書房)
 
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「自分の働き方」に気づく心理学 何のために、こんなに頑張っているんだろう…

2016-07-03 00:07:20 | エッセイ
 ニッポン放送のテレフォン人生相談のパーソナリティを長らく務める著者による仕事と生きがいについての人生論的エッセイ。
 この本の多くの部分で言っていることは、自分の基準を持ち、社会に他人に認められたいという姿勢ではなく、自分が持って生まれた能力や与えられた条件、仕事を受け入れて、努力し、足るを知る人が、生きがいを感じ充実した人生を送ることができるということだと思います。社会的承認の欲求、人に認められたい、ほめられたいという欲求は「退行欲求」なのだそうです(31ページ)。そういう一方で、「『人はどうでもいい』というのはまず何よりも社会への帰属意識がない。つまり劣等感が深刻な人々である。冷たい利己主義者である。冷たい利己主義者が働いていることの意味、生きていることの意味を感じることはできない。」(200ページ)とも言っています。
 タイトルに「心理学」の語を用いていますが、心理学の実験等の引用はありませんし、学問的な記述はなく、著者の人生論雑感みたいなフレーズが、「哲学的」という感じではなく「詩的」に並んでいます。私としては、「人生論的エッセイ」と位置づけるしかないかなと。
 他人の言葉が自説の根拠として、出典の明示もなく思いつき的に引用される部分が多く、文章として鼻につくのが、字数のわりに読むのに時間がかかった原因と思います。


加藤諦三 青春出版社 2016年6月5日発行
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オカザキ・ジャーナル

2016-06-08 01:34:56 | エッセイ
 1991年~1992年「朝日ジャーナル」に連載され、「朝日ジャーナル」を看取った「週刊オカザキ・ジャーナル」と、1992年~1993年「広告批評」に連載された「植島啓司と岡崎京子のFAX通信 コトバのカタログ」を二十余年を経て単行本化した本。 
 1980年代後半から1990年代前半に一世を風靡し、1996年に交通事故で重傷を負い表舞台から姿を消した漫画家岡崎京子のエッセイ。ちょっとアヴァンギャルドでちょっとエッチっぽい時代のアイコンとして、私が社会人になりたての頃に秘めた憧れめいたときめきを覚えた著者への懐かしさで、手にしました。「週刊オカザキ・ジャーナル」の方は、朝日ジャーナル連載中たぶん読んでいたと思うのですが、忘却の彼方。今読むと、イメージと違って、意識的にノンポリを押し出してケーハクを演じているようで、思ったよりは入れない。「コトバのカタログ」の方は、字数が倍くらいあるのと書簡(FAX?)形式がうまくはまって、今読んでも、かつて抱いた岡崎京子のイメージに浸れました。私には、こちらの方が自然体で書いている印象です。
 最後に付いている「解説」が蛇足で興ざめ。筆者から岡崎京子が現役漫画家していた時を共有した同時代的な愛/憧憬/畏敬/共感がまるで感じられない。おそらくはこの本を手にする読者の多くはあの頃の岡崎京子とあの時代の記憶とノスタルジーを持っているはずですから、それを共有できないよそ者に偉そうな解説などされたくないと思います。こういう解説をつけた/解説者を選択した編集者のセンスに驚き呆れます。


岡崎京子 平凡社 2015年1月30日発行
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レンアイ、基本のキ 好きになったらなんでもOK?

2016-05-10 21:40:21 | エッセイ
 恋愛、交際、性的関係、同棲、夫婦などの男女関係(たぶん、同性愛は除かれている)に関して、束縛、支配、暴力の面から望ましくない行為、関係、そのサインを説明して注意を呼びかける本。
 恋すると、相手も自分も見えなくなって束縛、嫉妬、付きまといといった行き違い、行き過ぎがままあるけど、それで自分は幸せか、相手はどう思うかというあたりから、恋愛を考える、恋愛の指南書の趣で入っていきます。マンガやライトノベル(島本理生とかはライトと呼ぶには重めですけど、若者向けの)を題材にした語り口も、読みやすいと思います、たぶん。そして、言っていることは大部分、そうだそうだと思います(まぁ傾向の似た弁護士ですからね)。
 しかし、読み物としてみたとき、5章に分けられているのに、最初の入り方が違うだけで、後半は結局、DV(ドメスティックバイオレンス:夫婦・同居者への暴力)かストーカーの話になり、話の行き着く先が同じ感じがして、章を分けている意味があまり感じられません。法律の説明も、そういう手続があるよということは紹介しているのだけれども、どういうケースでどう使えるのかがイメージしにくい感じがします。とにかくそういう手続があることを覚えといていざとなったら警察か弁護士に相談してねって、その情報自体は大切なんですが、それが繰り返されそこで説明が止まってしまう印象です。むしろ、恋愛のあり方の話(相手は2次元でも犬猫でもなくて自分とは違う思想と習慣を持った人間なんだから、思い通りにならないのが当たり前だし、そうだからこそつきあってドキドキできるでしょ。自分を一人前の人間と認めてもらえないなら楽しくないだろうし、楽しくないなら「恋愛」することが「必要」ってわけでもないじゃない。恋愛は何のためにするの?世間体や友だちに自慢するために恋愛するなんて、しんどいだけでしょ:なんてあたりを、たぶん著者は言いたいのだと思いますけど)、ちょっと行きすぎの行為、暴力、レイプ・強制わいせつ、精神的暴力、ストーカーくらいの分け方で、著者の立ち位置とアドバンテージのあるDVやストーカーの相談・取扱事例を挙げて、何がDVやストーカー行為の入口になるか、そのサインはどう見るべきか、そしてどういうケースで(どういうことをされたら)法律をどう使えるかを1か所でまとめて説明した方がよかったんじゃないかなと思います。単純に法律の規定、特に罰則を挙げることで、現実には警察が動きそうにないケースまで処罰されるかのような印象を与えることには、私はあまり賛同できません。それで加害行為を思いとどまってくれればという願いはあるのでしょうけれども、被害者に現実離れした期待を持たせることにもなりかねません。
 マンガやライトノベルを多用した説明は、親近感は沸くでしょうけれども、登場人物を説例として上げるときとその人物が行動した結果を模範とする(読者への説得材料とする)ときが混在しているのが、私のようなひねくれた読者には逃げに思えてしまいます。マンガや小説の主人公だからその行動が正しいというわけではないでしょうし、現に著者が批判する場合も何度もでてくるのですし。引用は説例として、善し悪しは、法律か、著者の弁護士としての経験か、自分の意見として述べるというスタンスを貫いた方が、説得力があるんじゃないかと、私は思うのですが。マンガやライトノベルが度々登場するので、37ページで『その後の不自由-「嵐」のあとを生きる人たち』という本が登場した時、私は「嵐」追っかけおばさんの嘆きを書いた本かと思ってしまいました。 (^^ゞ


打越さく良 岩波ジュニア新書 2015年10月20日発行
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望遠ニッポン見聞録

2016-04-21 01:10:40 | エッセイ
 イタリア、シリア、ポルトガル、シカゴなどで暮らしてきた、イタリア人夫をもつ日本人漫画家が、日本の文化、日本と比較したイタリアの文化などを語ったエッセイ。
 トイレ(ゴージャスなやつ)、ビール、電化製品、美容師、歯医者、テレビ番組(海外紹介もの)、CMについては、ほぼ手放しで日本の文化、製品を褒め讃えています。こういう読み物は、「海外の目」から褒められることで日本人の自尊心をくすぐり、自己満足的に読めて、私はひねくれ者なのでそういうニーズへの媚びを感じてしまいます。著者が文庫版あとがきで、「どうも日本についての思いを外側という立場から書こうとする時、それが具体的に"褒める"という形態の表記でなければ、単純な他国との比較論ですら『自己否定』と解釈してしまう傾向が日本の人にはある」(228~229ページ)と書いているようなプレッシャーを感じてのことなんでしょう。著者は「読者の方にどのように受け取られようと」(229ぺーじ)と言ってはいますが。
 私には、日本についての部分よりも、日本の男性ファッション誌に出てくるようなイタリア人男なんていない、イタリア男はイタリア女の怖さを知りそれでもそのおっかなさへの切ない欲求と諦めをもってこその渋みや色気なのだ、イタリア女性はキレる時は完璧にキレるとかの、イタリア人の紹介の方が興味深く読めました。著者がベルルスコーニを相当嫌っているというあたりも…


ヤマザキマリ 幻冬舎文庫 2015年8月5日発行(単行本は2012年3月)
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辺境生物はすごい! 人生で大切なことは、すべて彼らから教わった

2016-04-07 23:03:31 | エッセイ
 「科学界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれているらしい(3ページ)「辺境生物学者」を名乗る(4ページ)著者が、北極や南極や氷河、砂漠、深海などの極限的な環境で生きる辺境生物を題材にしながら、自分の人生や研究歴、処世訓等を語るエッセイ。
 タイトルや最初の方の記述から、極限的な環境で食べ物やエネルギーを節約しながら生きる微生物の生態の紹介をメインにする本かと思って読み始めたのですが、著者の言いたいことを、様々な生物を引き合いに出して正当化するという本で、引き合いに出される生物も最初の方はタイトル通りの著者の研究対象の辺境生物ですが、後の方では普通の猿やネアンデルタール人とか何でもありになってきて、様子が変わってきます。
 最初の方の海底火山の熱水噴出口付近の環境とそこに住む生物の話とか、ダイオウグソクムシは5年間絶食しても生きていられる(34ページ)とか、興味深い話は多数ありましたけど。


長沼毅 幻冬舎新書 2015年7月30日発行
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逆転力 ピンチを待て

2015-11-15 21:59:43 | エッセイ
 AKB総選挙で2013年と2015年に1位に輝いた著者のエッセイ。
 大分では自信があったが東京に出て来て自分は正統派のアイドルにはなれないと悟った著者が、与えられたキャラを受け入れ、悪役であれ話題になればいい、ピンチを活かし、気持ちの切替でこなしていくというような考えでここまでやれてきたというようなことを語っています。
 小5のときから2ちゃんねらーだったというエピソード、大分から東京へ出て来たときのギャップ、研修生時代の元彼に週刊文春に売られた事件などのエピソードを材料に、それなりに読ませるように書かれていますが、逆転に持っていくのに無理もあり、アイドルの処世術的に読んだ方がいいかなと思います。
 「意見は伝えるけど、すぐ折れる」その方が後々得だから(113~115ページ)というのも、自分で計算高いだけといっていますが、人生論としても含蓄があるように思います。
 この本、図書館で「AKB新書」なんてあるんだと驚いて手に取ったのですが、読んでる最中にフジテレビの「日本のダイモンダイ」とかいう生放送番組(2015年11月8日)で「安全保障関連法が成立して、まもなく2か月/Aこの国際情勢では、成立して良かった。B廃止すべき。」といういかにもAに誘導したフジテレビらしい2択の質問に、ゲスト出演していた指原莉乃が、松阪桃李、長嶋一茂らとともに「B」と回答(視聴者回答でも65.7%がBの「廃止すべき」だったそうですが)したという情報が流れ、見直しました。本人は、それが大騒ぎになってすぐに、「あー難しかった!知識のない指原には難しい質問がたくさん。自分の意見がなく、国民の意見はこうなんだろうなっていう多数派のほうにボタン押した問題も正直あって、改めて自分って何も知らないなって思った。たくさんテレビ見よう 」と tweet して火消しに走っていました。これも「すぐ折れる」「へたれキャラ」の実践なんでしょうね。したたかなんだと、さらに見直しておきましょう。


指原莉乃 講談社AKB新書 2014年8月11日発行
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