伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

刑法総論[第5版]

2013-03-31 01:08:47 | 人文・社会科学系
 刑法総論の教科書。
 刑法における「違法性」の概念に行為者の行為態様や内心(意図)に対する評価を取り込むことを避けて、違法性を裏付けるのは「法益侵害」であることを貫こうとする「結果無価値論」をかなり純粋に貫く立場で論じています。結果無価値論は、違法性については客観的に、つまり法益(生命・身体・健康・財産・名誉等)を侵害する結果やその具体的危険があったかどうか、違法性阻却事由では優越する法益の保護等があるかによって判断し、責任の議論で行為者の主観的事情を考慮することになり、結果的には処罰すべきパターンが狭くなります。主観説や「行為無価値論」が処罰すべきでないものをできる限り「違法性がない」として排除しようとするのに対して、結果無価値論は違法と評価しても責任で救えばいいじゃないかという姿勢をとることになります。
 昔、学生時代に、当時少なくとも教科書を出していた刑法学者の中で最も徹底した結果無価値論の立場をとる中山研一先生と自主ゼミを持ち議論させていただいた経験では、中山先生でさえ、結果無価値論の立場をとりつつ主観的違法要素を認めるやや妥協的な立場で有力説でありながら実務では無視ないし敵視されていた平野龍一説に誘惑されがちでした。一学生として刑事実務とか学会のことなど考慮する気も必要性もなく、単純に理論的一貫性から、もっと純然たる結果無価値論を貫くべきではないかと論じていた私の議論と、この著者の説はほぼ同じに思えます(私自身、学生の頃隅々の論点でどう言っていたか、今や忘却の彼方なので、厳密には言えませんが)。当時中山先生が逡巡した論点でもあっさり結果無価値論の必然的帰結と説明する著者の姿勢には一種の悟りの境地さえ感じてしまいました。
 刑法学者として1991年にこの本の初版を刊行した後に一時は大阪地裁で裁判官となり、現在の研究テーマとして学説と実務の架橋を挙げる立場でこの学説を維持することは大変だと思います。健闘をお祈りします。


大越義久 有斐閣 2012年12月5日発行(初版は1991年)
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日本を滅ぼす消費税増税

2013-03-30 19:40:34 | 人文・社会科学系
 財務省主導の均衡財政目標はデフレ政策であり、そのデフレの下で消費税を増税すればさらにデフレが進行して所得税・法人税の税収が減少しさらなる消費税増税という悪循環に陥り国民の首を絞めてゆくことになると警告する本。
 消費税を導入した1989年から2010年までの消費税総額が224兆円でその間の法人税の減税(税率の引き下げ)とデフレによる減収が208兆円で、結局消費税は法人税の減収分を補填する役割を果たしてきたし、今後も法人税の減税(税率引き下げ)を消費税増税で穴埋めしようというのが「社会保障と税の一体化」の実態だという指摘(24ページ)、消費税の税率を上げれば輸出還付金が増えて輸出額の大きい大企業の益税となり輸出企業にとっては法人税は下がり消費税益税は増え、消費税増税は庶民から取り上げた消費税が大企業の利益となる仕組みになっているという指摘(同)はまったくその通りと、私は思います。
 他方、国内金融機関へのBIS規制の導入や時価会計の導入などの銀行への規制を批判し、銀行の貸しはがしや貸し付けの減少などのデフレ促進方向の行動もすべて政策のせい(49~50ページ、63~68ページ)で銀行には責任がないかのような物言い、銀行への公的資金の導入は褒めそやす姿勢(54~55ページ、109~110ページ)を見るにつけ、銀行出身の人にこう言われてもねぇという思いがあります。そして、代案はとにかく公共投資を増やせですから、またしてもコンクリートへの回帰、土建国家への回帰というのでは、歴史に学べと繰り返す著者の姿勢とあわせても「いつか来た道」かなぁと感じてしまいます。
 なお、本筋には関係ありませんが、弁護士としてひと言しておくと、2004年1月1日から労働基準法が改正されて解雇が自由化された(62ページ)というのは、法的には明らかな誤りです。労働基準法(現在は労働契約法)の解雇権濫用法理に関する規定は、裁判所の判例で確立されていた考え方を条文で明文にしたもので、解雇について裁判所で判断される基準は改正前後でまったく変わっていません。むしろ、改正前は民法の規定で解雇が原則自由であり、判例でそれが限定されていたものが、明文で合理的理由を要するようになったのですから、法律の条文上は解雇規制が強化された形になります(最初に説明したように、実態は改正前後で変化はないのですが)。


菊池英博 講談社現代新書 2012年11月20日発行
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トラウマ

2013-03-26 22:36:14 | 人文・社会科学系
 過去のできごとによって心が耐えられないほどの衝撃を受け、それが同じような恐怖や不快感をもたらし続け、現在まで影響を及ぼし続ける状態(3ページ)を意味する「トラウマ」について、さまざまな観点から解説した本。
 人々がトラウマとトラウマを抱えた人に対して持つ先入観や思い込みに対して、トラウマの影響がさまざまであり得ることを、誤解を受けないようにいろいろ気を遣いながらアピールしています。危険な状況に追い込まれたときに瞬時に闘争か逃走かを選択できずむしろ固まってしまうことは自然なことで、意識や記憶を一時的に失ったり失禁してしまうことは珍しくないとか、「裁判などで『事件の次の日も平気で仕事に行ったのは不自然』ということで犯罪被害の事実が否定されることがありますが、被害者が事件の次の日に仕事に行くというのは珍しいことではありません。どうしていいかわからず、とりあえずは誰にも知られたくないので、予定通りの行動をこなすという人もいます。事件の衝撃のために思考能力が落ち、習慣的になった行動をとり続ける人もいます。あまりに衝撃が強く、感情が麻痺してしまうために、事件後の被害者や遺族が『冷静』に見えるということは、少なくありません」(12ページ)というのは、裁判関係者として頭に置いておきたい指摘です。
 医師として被害者と向き合う中でトラウマが語られることの難しさ、医師・支援者・友人の立ち位置の難しさも随所で語られています。「話をする中で、彼女は時々ぽろっと、私に話していなかった被害内容を打ち明けてくれます。私はそのたびに打ちのめされてしまいます。被害内容の重さやグロテスクさ、その果てしなさ。自分がそこまで聞けていなかった未熟さ。彼女がそれらの記憶に一人で耐えてきたこと。彼女自身も、私に語れるようになるまで、時間をかけながら、少しずつ消化を進めていったのだろうと思います。けれどまだまだ語られていない内容が多くあるに違いなく、彼女の抱え込んだ(抱え込まされた)<内海>の深さに途方に暮れそうになります」(51ページ)。そして被害者の「ただそばにいることの難しさ」を指摘し、傷ついた人のそばに「たたずむ」(寄り添うですらない)ことを語る著者の姿勢に、この問題に長く関わってきた者の経験から来る謙虚さ・慎重さそして優しさがにじみ出ているように思えます。
 後半はさまざまな観点からトラウマと被害者を固定観念から解き放って語ろうとする意図からでしょうけれども、著者の専門・経験からはみ出して無理に拡げすぎた感があり、ぼやけた印象で、前半の鋭さ、周到さとのアンバランスな感じがあります。
 はじめにで「震災のように目立たなくても、心に傷を抱えた人は、あなたのすぐそばに必ずいます。その人たちを無視しながら、震災や事件の直後だけ、被災者・被害者の『心のケア』の必要性を訴えても、あまり意味はありません」「幸い、トラウマは、誰かわかってくれる人がいて、きちんとサポートを得られ、心身の余裕が与えられれば、時間はかかるものの、少しずつ癒えていきます。…もちろん、心の片隅に傷痕や痛みは残り続けることでしょう。起き上がれない日もあれば、誰にも会わずに心を閉ざしておきたいときもあるでしょう。痛みや苦しさをなくすのが目標ではなく、それらを抱えながらも少しずつ生活範囲が広がり、生きる喜びや楽しさを時々でも味わえるようになることが、回復の現実的な目標と言えるかもしれません」と語られているのが、胸に染みました。


宮地尚子 岩波新書 2013年1月22日発行
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とうへんぼくで、ばかったれ

2013-03-25 19:32:10 | 小説
 職場で50過ぎのおばちゃんから影が薄くてセクシーじゃないと断言されてしょぼくれる42歳独身の榎又辰彦が、札幌で広告代理店で働いていた時代に撮影で立ち会ったことがあるデパートの契約社員23歳の吉田苑美から知らぬ間に一目惚れされる中年恋愛小説。
 最初の章が榎又が話者で、次の章が吉田が話者なので、その後交互に続くかと思ったら、ずっと吉田が話者の章が続き、おいおいとかあれあれとか思います。
 前のめりになり、ストーカーまがいののぼせ方をする吉田を、親友の重量級の前田と軽量級のりえぽんが抑えたりすかしたりのバランスが読みどころかと思いました。
 23歳処女に憧れられ入れあげられた榎又さんの力の抜けたマイペースさ加減というかマメになれないというかずぼらさというかは、元々が「影が薄い」と評価される42歳男としてはそんなもんだろうなぁと思いますが、それに対する吉田の思いを見ると…あぁそうだよね、人の振り見てわが振り直せだなぁと、ちょっと背筋を伸ばしてしまったりします。


朝倉かすみ 新潮社 2012年5月20日発行
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自殺の国

2013-03-24 21:12:10 | 小説
 家庭では受験生の弟にかまい続ける母と弟から不倫中と聞かされた父親に囲まれ、学校ではいつも一緒の5人グループとのつきあいに疲れ、特段虐待されているわけでもいじめられているわけでもないけど疎外感を持つ高1の市原百音が、掲示板の自殺スレで知り合った人々と自殺を試みるという小説。
 甘え気味やしらけ気味のお子様言葉が交じり、女子高生ってこういう文章書くよなぁという気もするし、いゃこういう物言いはしないだろという気もして、どちらにしても読んでて恥ずかしい気持ちになります。
 小説全体の半分くらいが、駅や電車のアナウンス、テレビ等の音声、周囲の知らない人々の切れ切れの会話などのノイズで、それは主人公の心象風景なり気分の描写の側面もあって、一定の効果はあるのですが、読んでいてどこか水増し・手抜きの印象が残りました。


柳美里 河出書房新社 2012年10月30日発行
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6日目の未来

2013-03-23 01:00:38 | 物語・ファンタジー・SF
 イケメンの陸上部の先輩に憧れつつチャライ男とつきあっている高校2年生のエマと、隣に住む幼なじみの高校1年生のジョシュが、1996年に15年後の未来のfacebookを発見し、そこでエマは結婚生活に絶望し、ジョシュは学校一の美少女と結婚しているという未来を見て驚愕・動揺して悩むという青春恋愛小説。
 15年後の未来がわかるという設定はSFですが、エマが何かをする度に15年後のエマのfacebookのプロフィールや書き込みが変わっていき、バタフライエフェクト(ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こす)が現実のものとなるのを目の当たりにし、それに一喜一憂する様子の方がテーマになっています。未来を知ることの驚きや絶望も、未来がこれだけあやふやなものなら、知っていても知らないのと同じことじゃないかと思えます。結局は、未来を知るというのは素材・道具となっているだけで、普通に青春している男女の恋愛小説とも読めます。
 作者が男女のペアで、語り手はエマとジョシュが交代で担当しています。私は自分が男性なので、ジョシュの側の視点で読みましたが、この分担がどちらの読者にも入りやすくしているかもしれません。
 ジョシュの立場で、幼なじみの1つ年上のエマを好きな気持ちがあり、半年前に思いを打ち明けてキスしようとして親友なのにと断られて気まずくなったことを後悔し続けているという状態で、学校一の美少女と結婚している未来を見せつけられて現にその美少女から誘われた場合、悩ましいでしょうね。しかも、その美少女も、小説でありがちな、美人だけど性格が悪いという設定じゃなくて、いい子だということになると。そういう実生活では味わえない贅沢な悩みを考えさせてくれるのが青春小説のいいところでしょうか。


原題:The Future of Us
ジェイ・アッシャー、キャロリン・マックラー 訳:野口やよい
新潮文庫 2012年12月1日発行 (原書は2011年)
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頼むから、ほっといてくれ

2013-03-22 22:47:24 | 小説
 トランポリンのオリンピック日本代表選手とそのライバルたちの少年時代から青年期、社会人時代と引退、その周辺のコーチや審判員、協会の広報担当者らの人生の選択と思いを切り取る形でつなぐ短編連作群像劇風の小説。
 競技での、そして人生での勝者と敗者、ある局面での選択とそれについての思いを、それぞれの視点から描いたショートストーリーで、ちょっと鼻がツンとくるような切なさを感じさせてくれます。その切り口は、巧いなぁと思います。
 他方、連載でもないのに、視点と時期が跳んでいるのは、読んでいて生まれた感情と感傷がぶつ切りになり居心地の悪さを感じさせます。スポーツをテーマにしていながら、大一番の競技会のクライマックスの描写を避けているのは、あさのあつこの「バッテリー」同様、スポーツではなくスポーツの選手・関係者の人間を描きたいんだという主張でしょうけれど、読者としてはフラストレーションがたまります。


桂望実 幻冬舎 2012年8月1日発行
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結婚

2013-03-21 21:27:41 | 小説
 結婚詐欺師古海健児とその周囲の女たちの関係と執着と怨念を描いた小説。
 誠意のかけらもない結婚詐欺師をめぐって騙された女たちが同じように騙された女に見栄を張り争う様子や、騙されたことが明らかなのにそれを認めたくなくて結婚詐欺師を捜し求め、あるいは待ち続ける女たちの様子は、痛ましくまた寒々としますが、まぁこれは想定内です。結婚詐欺師に騙された既婚の女たちが捨てた夫と崩壊家庭も同様です。結婚詐欺師とうすうす感づきながら素知らぬ顔で結婚生活を続ける妻と詐欺の相棒を続けながら結婚詐欺師に飽きられて女としては相手にされなくなったことに嫉妬して妻に嫌がらせ電話をかけ続けるるり子も、小説としてはそういう設定に行くかなとも思えます。しかし、10年も前に結婚詐欺師に妻を奪われ、2年前からバツイチ同士でつきあっている女性と円満な関係を続けながら、なお自分を捨てた元妻の電話を待っている月島恭輔は、いくら小説の中でも哀しすぎる。いや登場人物がみんな哀しさ・侘びしさを背負ってはいるんですが、多くの人はどこか自業自得と思えますから、まぁしかたないんじゃないのって思うんです。月島の場合、どうして10年も前に男を作って出て行った妻に引きずられるのって、そう思ってしまう。それは、自分がおじさんだからなのでしょうけど。


井上荒野 角川書店 2012年3月30日発行
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ウェブでの<伝わる>文章の書き方

2013-03-20 20:01:10 | 実用書・ビジネス書
 「Yahoo!知恵袋」での経験等からウェブサイトで、「伝える」のではなく相手に「伝わる」(読まれかつ理解される)文章の書き方を論じた本。
 ネットでは書かれた文章がいつ読まれるかわからず、特に用済みになっても消されずに残ることが少なくないことから「いつ」について注意して年月日を記載すべきこと、本等のように全体をざっと眺めたりぱらぱらめくることが困難なので最初の方で全体の見通しやステップを説明することがわかりやすさに通じるなどの、ウェブ特有のアドバイスはなるほどと思います。
 その他の点は、ネットに限らず文章全般かなと思うことが多いですが、文を短くする、改行を増やす、箇条書きを活用する、画像を活用する、変化を明示するなど、心がけておいた方がいいところかなと思います。現実にサイトで記事を書くときどれくらい実行できるかは心もとないですが…


岡本真 講談社現代新書 2012年12月20日発行
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原発アウトロー青春白書

2013-03-19 19:57:10 | ノンフィクション
 福島原発で地震前から働き、原発事故後復旧作業に従事する作業員4名の話で現場の状況や作業員の心情などをレポートした本。
 インタビューの中には、地震直後に原発内で配管が破裂するような音が聞こえた(59ページ)などの話もあり、東京電力が聞き取って都合のよさそうなところをつまみ食い的に報告書に掲載した「現場の声」で吸い上げられていない現場の情報がまだ相当埋もれていることが垣間見えます。
 作業員たちは、事故後の原発で復旧作業に従事する動機を金のためと述べてはいますが、原発で作業してきた者として復旧のためにできることをしないと、自分たちがやらなくてどうするみたいな使命感が感じられ、生まれ育った故郷の地への思い、家族への思いがそれを支えているのだと思います。負い目とかしがらみという言い方もできますが、ある種愚直な誠実さがあって、損なことやってるよなと思いつつ笑える人々がいて、それで社会が成り立っているところがあるのだと思います。それで、人間、捨てたもんじゃないとも思えるのです。
 そうした作業員の故郷の汚染と共同体の崩壊を嘆く声、帰還への絶望感には、読んでいて胸をかきむしられるところがあります。私には、それはストレートに彼らから、そして十数万人の人々から故郷を奪った東京電力への怒りとなるのですが。
 4名の作業員への取材だけで書かれていることから、作業員の多くの置かれた状態を代表するといえるかはわからず、基本的には、作業員の労働環境と心情の実例の1つという位置づけで読むべきですが、現場の作業員に目を向ける契機として貴重なものだと思います。


久田将義 ナックルズ選書 2012年2月24日発行
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