伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

クリムトへの招待

2020-03-30 21:39:58 | 趣味の本・暇つぶし本
 朝日新聞出版の美術初心者向け入門書のクリムト版。
 この本でクリムトの最高傑作と断言されている(14~17ページ)「接吻」よりも、私が好きな絵の「ダナエ」の解説で、「ダナエの股間近くに描かれた、黒い長方形は男性、金の雨の円は女性を象徴しているといわれます。《接吻》にも見られるように、クリムトはこのような性別の表現を多用しています」と書かれています(95ページ)。「接吻」では、抱き合う男女のともに金色の衣装が境界も定かでなく融合するのを区別するように男性側は黒い長方形等の四角と直線、女性側は円と曲線で表現しています。しかし、「ダナエ」ではそういう描き分けの必要性があるようには見えません。確かに「ダナエ」の股間の左側の空間に配されたちっぽけな黒い長方形は、必然性なく不自然に存在し、あえて白い線で囲ってあることからして、クリムトが何らかの意図を持って書き込んだものと解されます。しかし、「ダナエ」では、金色の雨がゼウスを意味しているのですから、そこにあえてゼウス以外の「男性」を存在させる意味があるでしょうか。また、圧倒的な存在感のあるダナエ自身がいるのに、ゼウスを意味する金色の雨の中に小さな円を多数描いてそれに女性を象徴させる意味があるでしょうか。黒い長方形が男性を意味するというのであれば、「ダナエ」とほぼ同時期に描かれた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」(絵画競売史上最高額で落札されて一気に有名になった絵)のアデーレの腰周りに6つ、足元に2つ描かれている黒い長方形にも同様の解説をすべきなのではないかと思いますが、そういう言及はありません。ダナエをゼウスに寝取られたダナエに思いを寄せる男を描くのだとしたら、ムンクの「マドンナ」のように脇に描いた方がよいように思えますし、クリムトも主題の人物以外を周囲に配して対比させる手法を、この頃で言えば「希望Ⅱ」(あるいは「希望Ⅰ」や、「水蛇Ⅰ」の魚とか)でも採用しているのですからそうしたんじゃないかと思います。昔から、釈然としない思いを持っています。解説する人は十分に検討して書いてるんでしょうか。


朝日新聞出版(編集・執筆の記載はありますが、「著者」は朝日新聞出版と表示されています) 2019年4月30日発行
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老いては夫を従え

2020-03-29 21:07:45 | エッセイ
 老化をテーマにしたエッセイ集。
 私にとっては、20代前半に「女ともだち」を読んで驚き、その後恋愛の語り手として一世を風靡した柴門ふみが、今や老化を語ることに、時の流れを感じ、3つ年下の自分(些細なことですが、英語の聞き取りを、「リスニング」ではなく「ヒアリング」と書いてしまう:176ページあたり、同世代なのだと思ってしまいます)もまた、老化を言われる時期にいるのだと改めて認識しました。
 「歳をとると、頭で立てた計画の半分も実行できれば上等なのだ。どうやら脳は、衰える肉体のスピードを認識できてないみたいだ。三十代の肉体がこなした仕事量を五十代にも当てはめようとするのは、きっとそのせいだ」(61ページ)というのは、そのとおりだと思います。私も、1日にできる量も、健康なときの疲れのとれ具合も、そして体調が悪くなったときの回復の具合も、数年前とは違ってきていることを実感しています。
 「定年退職した男性の最悪のケースは、企業でそこそこの地位にあった人間だ。他人に上から指示する癖から抜け出せない。しかも会議で発言することが自分の優秀さの証明だと思い込んでいるので、この手の人間がマンション管理組合の理事になったら大変である。問題のないところに無理やり問題を提起し、騒動を大きくして、反対派をやり込めることに全精力をつぎ込む。彼らは自転車置き場で洗車を禁止するといった類いの小さな規約を嬉々として作り上げる」(28~29ページ)というのは、実にリアルですが、ひょっとして実体験でしょうか。私は、マンション関係は専門ではありませんが、近年相談を受けていて、マンション管理組合とマンション住民(の一部)の対立で、どうしてそんなことでそこまで意固地になってるのかと思うことが少なくありません。こういう指摘を見ると、あぁなるほどと膝を打ってしまいます。


柴門ふみ 小学館文庫 2020年2月11日発行(単行本は2016年12月、「本の窓」2013年1月号~2016年5月号連載)
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鉄の門

2020-03-28 23:08:23 | 小説
 16年前に非業の死を遂げたミルドレッドの夫アンドルー・モローと再婚した隣人ルシールは、先妻ミルドレッドの子マーティンとポリー、アンドルーの妹イーディスとともに暮らしていたが、夫以外とはギクシャクした関係にあったところ、ポリーが婚約者を連れてきた日から事件が続き、ルシールが失踪し…というミステリー。
 それほどひねりやトリックを考えようとはしていない感じで、なんとなく見える方向に淡々と地味に進行していくので、今風のスピーディーで派手な展開とどんでん返しを好む読者には向いていません。心理描写を味わいのんびり読める人が読む手堅い感じの作品かと思います。


原題:THE IRON GATES
マーガレット・ミラー 訳:宮脇裕子
東京創元社(創元推理文庫) 2020年2月14日発行(原書は1945年)
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#柚莉愛とかくれんぼ

2020-03-23 00:10:11 | 小説
 売れない3人組アイドルグループ「となりの☆SiSTERs」のセンターの青山柚莉愛が、宣伝のために行っているネット動画配信の際に、マネージャーの指示により血を吐いて倒れたと見える演技をしたことから、ファンとアンチのツイートが錯綜し、翌日の配信で柚莉愛がドッキリの演技だったと明かして新曲のCDの発売を発表したため、炎上に至るという設定のミステリー。第61回メフィスト賞受賞作。
 手の届くところにいるアイドルとして、CD等の購入により握手券等を配布してお話や握手等の接触ができることを売りに、売名と利益確保を図るアイドル商法の下で、アイドル間、アイドルとファン、アンチの間の愛憎、思い上がり、錯覚等が描かれています。ファンの側の勘違い、思い上がりの見苦しさが目につきますが、その錯覚をさせることで、そういう人たちをターゲットに商売をしている者の存在を考えると、そう簡単な話でもないように思えます。
 比較的シンプルな構造のミステリーなので、どんでん返し部分を書いてしまうのはよろしくないと思います。しかし、ミステリーとしては、ちょっと反則気味に見えますし、ラストは今ひとつスッキリしない感が残ります。


真下みこと 講談社 2020年2月10日発行
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情人

2020-03-22 18:09:56 | 小説
 阪神・淡路大震災の日、母親が若い親戚の男と密会していたことを知り、神戸から逃げるように大学入学とともに京都に移り住んだ笑子のその後の男性関係を描いた官能小説。
 第1章で描かれる阪神・淡路大震災が、母親の不貞を暴き、知人の死と故郷・日常の崩壊・喪失により笑子の思考とその後の人生に大きな影響を与えていることが見て取れ、災害・事件被害が及ぼす影響の深刻さが感じられます。当初は、それがテーマかなとも思えましたが、東日本大震災でも被災した場面は、東京が舞台で被害の程度が大きくないこともありますが、「あれ以上の災害はないと、何の根拠もなく思っていたのは私だけではないだろう。だからまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった」(346ページ)と、東日本大震災を阪神・淡路大震災以上の惨事・この世の終わりと書きながら、笑子にとって、この作品にとっての東日本大震災は、爛れたセックスの背景として、東京での人間関係の変化の誘因として用いられているに過ぎません。惨事の現場で経験した阪神・淡路大震災の影響の方が深刻な人も当然いるわけで、それはそれとしてはっきりとそう言えばいいと思うのですが、なんとなくスッキリしないものを感じました。
 笑子の母親に対する蔑みと敵愾心の強さ、兄に対する蔑みと憎しみの強さには驚かされます。別段虐待・暴行をしたわけでもない家族に対してどうしてここまでの悪感情を抱くことができるのか、それも自分の行動を棚に上げて、そこまで思えるのか、私にはとても不思議に思えます。そして、家族だけではなく、他の者に対しても、笑子の視線は、社会活動に対する意識を持ちまた自ら行動しようとする者に対して反発し、蔑むという点で一貫しています。この笑子の、他者を蔑み、社会活動・社会貢献を志す者に対して反発と冷笑を投げ続ける姿勢が、この作品への没入を難しくし、読み苦しく共感を呼ばないものにしているように、私には思えました。


花房観音 幻冬舎文庫 2020年2月10日発行(単行本は2016年10月)
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労働法実務 労働者側の実践知

2020-03-14 15:42:52 | 実用書・ビジネス書
 労働事件で労働者側の弁護士として訴訟等にどのように臨みどのように対応すべきかということについて、実務的な立場から著者の経験を踏まえて解説した本。
 同じく専ら労働者側で労働事件を取り扱う弁護士として、共感し納得するところの多い本です。裁判のさまざまな場面、特に準備書面の作成と書証提出、尋問の場面で、試みうることのアイディアとともにそれにより得られる可能性がある成果とそれにより逆効果となるリスクがさまざまに指摘されているところに経験豊かな弁護士が書いたものとしての重み、奥行きを感じます。裁判等での弁護士の実務は、通り一遍のマニュアル的な対応ではうまくいかず、それぞれの事案での事実関係、証拠の状態、それまでの展開、裁判官の反応等を踏まえて格別に考えて行う必要があります(ただこなせばいいのではなく勝ちたいのならば)。「勝訴に向けた糸口が容易に見つからない事案では、『逃げて』しまいたくなることもある。しかし、事案が困難であればあるほど、証拠や事実経過を精査して、勝訴に導くストーリーを描き出せるよう、『考え抜く』ことが求められる。」(34ページ)としているのは、至言だと思います。それをもしその勝つことが難しい(つまり労働者側にかなりの問題がある)事件の依頼者から言われたらうんざりしますが。
 解雇事件で裁判官が解雇無効(判決なら労働者側勝訴)の心証を持っているときの和解水準として、地裁段階では「バックペイに、半年ないし1年分程度の賃金相当額を加算する例が多いように思われるが、地裁段階で、3年分程度の水準で和解が成立することもある」、1審勝訴して高裁段階では「バックペイに加え、3~5年分程度の賃金相当額で和解に至る例も珍しくない」と書かれている(212~213ページ)のは、実際は著者のように労働事件の経験豊かでかつ意識の高い弁護士の場合は、と読むべきであり、著者はおそらく他の労働者側の弁護士もこの程度の線で頑張るべきだという思いを込めて書いているのではないかと思います。私は、著者と同様に、勝ち筋の解雇事件で労働者側が合意退職和解でよい(どうしても復職という意向でない)場合はバックペイ+1年分とか、バックペイと関係なく総額で2年分とかは取るべきだと考えて和解に臨んでいますし、1審で4年分以上の賃金相当額で和解した経験もあります(当然、いろいろな有利な事情があったからであって、普通にそんな額が取れるわけではありません)が、まわりで見聞きしていると勝ち筋の事件でもずっと低い額で和解している例が多いように見えます。勝ち筋なのに低い水準で和解する弁護士が多いと裁判官の意識水準も下がりがちになるので、労働者側の弁護士が全体として意識を向上させなければ、という思いは私も日頃感じており、著者もたぶん同じ気持ちを持っているのではないかと思うのです。
 1冊で、労働事件全体を解説しており、特に解雇事件、残業代請求、労働条件の切り下げについては、相当に高い水準の解説がなされていて、弁護士が労働事件の実務を学ぶためにはとてもいい本としておすすめできます(私が編集代表を務めた「労働事件ハンドブック」2018年版 第二東京弁護士会労働問題検討委員会編 労働開発研究会 に匹敵するものと評価します)。


君和田伸仁 有斐閣 2019年12月30日発行
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最後の授業

2020-03-01 08:15:39 | Weblog
その朝は学校へ行くのがたいへん遅くなったし、それにかごいけ先生が幼稚園児でも覚えることができた「安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです。日本がんばれ。エイ、エイ、オー」の宣誓を私たちも暗唱してくるようにと言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。

空はよく晴れて暖かった!

街中をオリンピックのテーマソングが流れている。街中でスマホを手に佇む人が輪を作っている。今日はこの辺に何か新しいキャラクターが現れるのだろうか。どれも宣誓の暗唱よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走っていった。

交差点を通った時、ビルの壁面の大きなディスプレイの前に、大勢の人が立ちどまっていた。7年前から、テポドン発射とか国難とか机の下への避難訓練とかいうようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。

『今度は何が起こったんだろう?』

そして、小走りに交差点を横ぎろうとすると、そこで、マスクをして暗い目をしてディスプレイを見つめていた人たちが、私に言った。

『おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校はもう終わりだ!』

大人たちが私をからかっているんだと思ったのて、私は息をはずませてかごいけ先生の小さな庭の中へ入って行った。学校のまわりでは、警察の人たちが何やらたむろしてこそこそと囁きあっているのが聞こえた。

ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、

『もう少し静かに!』と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。

私は気づかれずに席に着くために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、かごいけ先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!

ところが、大違い。かごいけ先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。

『早く席へ着いて、のりゆき。君がいないでも始めるところだった』

私は腰掛けをまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、安倍昭恵名誉校長の来る日か桜を見る会の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、かつて権力者のお友達だった人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。拉致被害者家族会の元代表、桜を見る会に招待された反社の人、宛名のない領収書など出さないと言い切ってしまったホテルの支配人、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。拉致被害者家族会の元代表は「私の政権で拉致問題を解決する」と書かれた7年前のチラシを持って来ていて、ひざの上にひろげ、大きなめがねを、開いた紙の上に置いていた。桜を見る会に招待された反社の人は「反社にも定義くらいある」とつぶやいていた。

私がこんなことにびっくりしている間に、かごいけ先生は教壇に上り、私を迎えたと同じ優しい重味のある声で、私たちに話した。

『みなさん、私が授業をするのはこれが最後です。日本中の小中学校は、一斉休校するようにとの「要請」という名の命令が、官邸から来ました…… 今日はこの学校での、そしてとりわけ日本語の、最後の授業です。どうかよく注意してください』

この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。ビルの壁のディスプレイの中でしゃべっていたのは、例の人で、このことだったのだ。

日本語の最後の授業!……

それだのに私はやっと書けるくらい! ではもう習うことはできないのだろうか! このままでいなければならないのか! むだに過ごした時間、自分の気に入らない質問は黙って聞いていられなくてヤジを飛ばすくせに選挙で自分がヤジられると「あんな人たちに負けるわけにはいかない」とムキになる小心者のために動員されて日の丸の小旗を振るために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう! さっきまであんなに邪魔で厄介に思われた本、憲法や役所が作る公文書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。かごいけ先生にしても同様だった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。

気の毒な人!

彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜかつての権力者のお友達だった人たちが教室のすみに来て座っていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔んでいるらしい。また、それは先生に対して、40年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった……

こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗唱の番だった。覚えていないということもあったが、今では素直に口にできない恥ずかしい言葉の羅列に最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛けの間で身体をゆすぶっていた。かごいけ先生の言葉が聞こえた。

『のりゆき、私は君をしかりません。もうこんな暗唱はしなくていいのです。「安倍首相頑張れ」と忠誠を誓い続けても、官邸から利用価値がなくなれば、簡単に切り捨てられるのです。充分罰せられたはずです……そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。日本語も、そして政治や社会の仕組みも、明日勉強しようって。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう…… ああ! いつも勉強を翌日に延ばすのが日本の市民の大きな不幸でした。今あの官邸の人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちは日本人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!…… 「云々」は「でんでん」と読むと閣議決定された。尊敬する人に対して「ご健康を願ってやみません」という言葉はふさわしくないと閣議決定された。「募る」ことと「募集する」ことは違うことだと閣議決定された…日本語は今では常人には理解できないとても変な規則に支配されている。この点で、のりゆき、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです』

『官邸の人たちは、君たちが教育を受けることをあまり望んでいない。わずかの金で企業や経営者に奉仕するように、畑や紡績工場に非正規労働者として働いて疲れ果てることを望んだ。君たちの両親だって、日本語をろくに読めもしない学も品もない政治屋に「日本を取り戻す」なんて言われて、あっさり騙されて投票したんだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか? 勉強をするかわりに、君たちに、たびたび「国難だ」などと言って、机の下に避難する訓練をさせたりしてはこなかったか? そんなことをしていてもアメリカ大統領が北朝鮮の首領と仲良くなれば官邸も気が変わって国難などなかったことになるのに?……のりゆき、でも権力者の不興を買ってしまった私やこの教室の後ろにいる人たちだけではなく、君も気を付けなければならない。さもしい権力者は、自分のスキャンダルから国民の目をそらさせるためには、2年も前のちっぽけな犯罪を理由に人を逮捕させることをも、これっぽっちもためらわないから』

それから、かごいけ先生は、日本語について、つぎからつぎへと話を始めた。日本語は世界中でいちばん美しい、いちばんあいまいな、いちばん柔軟な言葉であることや、ある民族が奴隷となっても、その国語をきちんと保っているかぎりは、その牢獄の鍵を握っているようなものだから、私たちの間で正しい日本語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課題のところを読んだ。「云々」は「うんぬん」と読む。尊敬する人には「健康を願ってやみません」と正しく伝える。もし本心では「願っていません」と思っているのでなければ。そして、もちろん、「募る」とは「募集する」ことだ。間違った閣議決定がなされても、日本語は正しく使うべきだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことをすっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。

日課が終ると、習字に移った。この日のために、かごいけ先生は新しいお手本を用意しておかれた。それには、みごとな丸い書体で、「本当の国益、本当の日本語、本当の日本の美しい国土」と書いてあった。小さな旗が、机の釘にかかって、教室中に翻っているようだった。外国の軍隊に駐留をお願いしてそのために美しい海を埋め立てたり、外国の大企業に儲けさせるために水道も農業も売り渡すような連中の言う偽物の「美しい国」などではなく、本当に美しい私たちの国土を守りたい。そこに放射能をまき散らした企業を延命させたり、ましてやその従業員を褒め讃えるようなキャンペーンに騙されずに。みんなどんなに一生懸命だったろう! それになんという静けさ! ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度カメラを付けたドローンが飛んできたが、だれも気を取られない。小さな子どもまでが、一心に線を引いていた。まるでそれも日本語であるかのように、まじめに、心をこめて…… 学校の屋根の上では、鳩が静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、

『今に鳩まで安倍首相頑張れと鳴かなければならないのじゃないかしら?』と思った。

ときどきページから目をあげると、かごいけ先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ…… 無理もない! 40年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変らない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛けと机が、使われている間に、こすられ、磨かれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり、彼の手植えのプラタナスが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべてのものと別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りをしている妹が2階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう! もうここを出て行かねばならないのだ、国策捜査を受けて獄中に囚われてしまうのだ。

それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。拉致問題に続いて、北方領土問題も、自分で解決すると見得を切った権力者の手により大きく後退して、今や北方領土を我が国固有の領土だと公言することさえできなくなった。それから、小さな生徒たちがこれまで教えられてきた「君が代」を歌おうとするのをかごいけ先生が、もうその歌は歌わなくていいんだと諭した。うしろの、教室の奥では、もう桜を見る会に呼ばれなくなる反社の人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない……

とつぜん正午の時報が鳴り、続いて下校の放送音楽が響いた。と同時に、学校のまわりを取り囲む警察官らの笛が私たちのいる窓の下で鳴り響いた…… かごいけ先生は青い顔をして教壇に立ちあがった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。

『みなさん、』と彼は言った。『みなさん、私は……私は……』

しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終ることができなかった。

そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。

『本当の美しい日本ばんざい!』

そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図をした。

『もうおしまいだ…… お帰り』

(了)

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