伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

麻酔はなぜ効くのか? 〈痛みの哲学〉臨床ノオト

2013-06-30 19:40:07 | 自然科学・工学系
 手術の際の麻酔の重要性と怖さ、麻酔科医の職務などについて、著者の経験を元に説明し論じた本。
 麻酔科医は、手術の際に患者に麻酔を施し、麻酔の結果生命維持にまったく無防備となっている患者の状態を監視し特に呼吸と血液循環を維持しつつ、外科医の手術を見守るという役割で、その立場からの経験で書かれた前半が、大変興味深く読めました。
 2004年には世界中で約2億3000万人が手術を受け、外科手術全体の3~17%で合併症が発生し、手術の合併症で動けなくなる患者数は世界中で700万人にもなり、手術で亡くなる患者数は100万人にも上る(47~48ページ)。手術自体の危険性も相当程度ある訳です。以前は手術室に入る前に麻酔をしていたが、患者の取り違え事件を契機に手術室に入ってから麻酔をかけるようになった(46~47ページ)。1960年代は数%、1970年代も10%以下だった帝王切開が最近は15%を超えるようになった。その原因は母子の安全をより重視するようになったことにあるが医療事故・訴訟を恐れて増加しているという一面もある(87~88ページ)。最近はナビゲーションシステムを利用して手術が行われるようになっている。手術中にどの場所にメスを入れてどの方向に切り進んでいけばよいかをコンピュータ処理した大がかりな装置が教えてくれる。レーザー光線が道筋を教えてくれるのでそれに従って進めばよい。外科手術の確実性と安全性の向上に技術革新が果たしている役割は計り知れない。それにしても、最近は、徹夜が続こうが、泥まみれになろうが、自分が患者さんを救うのだ、自分が責任を持って患者さんの命を預かっているのだというような責任感や執念があまりに希薄になっているようにも思われる(99~100ページ)。内視鏡手術は切開が少なく出血も少なくて患者の負担が小さく画面を拡大することで細かい手技ができる、画像で情報を共有できるので参加者の知恵を集めやすい、録画により客観的な評価や患者への説明の透明性も確保できるなどいいことづくめに見えるが、腹部の鏡視下手術では腹腔内にガスを注入しておなかを膨らませて手術を行う必要があり、ガスの引火や静脈内への誤注入によるガス塞栓、胸腔内への流入による気胸、徐脈や血圧低下などのリスクはあり、またガス注入のために全身麻酔をかけるので麻酔そのものによるリスクはあり、麻酔科医はカメラの撮影範囲外で何が起こっているかへの注意を怠ってはならない(104~107ページ)などの指摘は頭に入れておきたいところです。
 巨大頸部リンパ管腫で呼吸困難な患者の手術を吸入麻酔後気管挿管する計画で実施したところ咽頭部が腫瘍に押されて変形していて気管の入り口が確認できず気管挿管に失敗し気道確保もできず患者が亡くなって、落ち込み、麻酔科医の道を続けるべきか迷った経験を述べる部分(65~68ページ)は、命を扱う仕事の辛さと重圧を実感させます。帝王切開で採りあげた赤ん坊が呼吸せず気管挿入にも失敗した後に呼ばれた件で、すでに呼吸停止が長いことから気管切開しても脳の後遺症は避けられないのではないかと迷った末に気管切開して蘇生した結果、後遺症もなく育ち、20年後に再会した話(68~72ページ)も、この仕事の重さを感じさせます。
 後半は次第に哲学的な話になって行き、好みの分かれるところかもしれません。痛みを取ることを重視しすぎて安易に麻薬を処方する傾向に苦言を呈し、ある程度の範囲で痛みと共存することの意義を述べるあたりは、私は共感しました。


外須美夫 春秋社 2013年4月20日発行
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誰も知らない「添加物」のカラクリ

2013-06-29 21:35:25 | 自然科学・工学系
 食品添加物について、巷間流布されている誤解をただすことを目的として説明した本。
 著者は長らく東京都立衛生研究所に勤務し、日本食品衛生学会会長、厚生労働省薬事・食品衛生審議会添加物部会委員などを歴任し、基本的に行政の立場から、食品添加物の許可は慎重になされており、「安全性の確認はこれ以上ないほど厳密に行われています」(149ページ)、1日あたり摂取量は人間が毎日一生食べ続けても健康への悪影響がないと認められる量(152ページ)で、実際に食品メーカーが使用する食品添加物は許可量よりも少ない量しか使われていないことが多い(153ページ)、検査機関が抜き取り検査を常時行っており検査件数は東京都だけでも年間5万件近くに上るが過去基準値オーバーで回収・廃棄された国内製品の例はほとんどありません(153~154ページ)などと、食品添加物と市販されている食品の安全性を強調しています。
 しかし、検査で違反がほとんどないといっているのに、東京都内で食肉へのニコチン酸添加(鮮度のごまかしのため)による中毒が発生したので食品衛生検査員が調査したら30軒の食肉店からニコチン酸を使用した肉が発見されたという話が紹介されています(164~166ページ)。これはまさに実際には違反例があるのに被害が出るまで検査では発見されなかったということを意味しています。
 そして、著者は、天然の食品由来の化学物質でも化学的合成品でも体に入ればまったく同じ(26ページ)、「添加物の亜硝酸も、自然の作物の亜硝酸も体に入ればまったく同じだということがはっきりわかっています」(120ページ)と断言し、遺伝子組み換えも品種改良も同じだ(88~91ページ)としています。その化学物質だけを取ってみればそうかもしれませんが、天然の食品にはさまざまな物質が組み合わされて含まれ微量元素も含めてその組み合わせでの摂取が長年続けられて、その過程で安全性が試されてきています。工業的に合成した化学物質は、製造工程で食品由来とは異なる不純物を伴うこともあり逆に不純物・微量元素なく純粋に製造されたりします。その人体への影響は天然の食品としての組み合わせで摂取したときと必ず同じとは限らないと、私は思います。品種改良も、10年20年とかけてなされる過程で生物としての安定性や安全性が確認されていくわけで、ごく短時間の操作で特定の遺伝子のみをいじる遺伝子組み換えよりも安全性についての信頼度が高いと考えることを誤りだという気には、私はなれません。
 また、食品添加物の相乗作用について「何種類もの食品添加物を同時に摂取した場合、その毒性が『足し算』で増えることはあっても、『掛け算』で増えていくということはありません」(145ページ)としています。しかし、食品添加物を複数同時摂取した場合の健康影響についての実験は行われていないと思いますし、少なくともすべての組み合わせの実験が行われているとは到底考えられません。この著者は、なぜこのように言いきれるのでしょうか。
 ビタミンなどは食品添加物名(ビタミンB1はチアミン塩酸塩、ビタミンB2はリボフラビン、ビタミンEはトコフェロールなど)で記載すると敬遠されるのに、同じ物質がサプリメントや健康食品としてありがたられる(22~24ページ)とか、微生物は水が好きなので濡らすと繁殖するため洗ってない手より雑に洗った手の方が微生物数が多い(79ページ)という指摘には、なるほどと思いましたけど。


西島基弘 青春新書 2013年5月15日発行
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死刑囚弁護人

2013-06-28 21:30:43 | ノンフィクション
 アメリカでも突出して死刑執行が多いテキサス州で死刑囚の弁護をする非営利事務所で100人以上の死刑囚を弁護してきた元弁護士が、死刑囚弁護の現実を語るノンフィクション。
 作品としては、最初の方は、いくつかの死刑囚のケースをつぎはぎしつつ、仕事上の都合で息子との約束を果たせず妻に批判され、他方で同業者だった妻の理解と抱擁に慰められる家庭生活を描いて、著者の日常スタイルを固めた上で、後半は無実を主張する死刑囚ヘンリー・クエーカーのケースに収斂していきます。前半は少し散漫な感じがしますが、後半はリーガル・サスペンス小説さながらの展開で一気読みしたくなります。
 1審で死刑が宣告された死刑囚の弁護という、頑張れば頑張るほど世間とマスコミに嫌われるとともに、自分の弁護活動に人の命が直接にかかっているというプレッシャーがかかるとてつもなくストレスを受ける業務を、長年にわたり多くは複数件を同時並行でこなしてきた著者の職人魂にまず脱帽です。
 負けるのが当たり前の死刑囚弁護で、大半が無駄な手続と書類作成を執念深く繰り返し、ギリギリまでまだ何かできることがあるか、忘れていることはないかと自らに問い返し続ける徒労感・絶望感と胃が痛くなるような焦燥感の描写は、同業者として身につまされます。業務の都合で家族との約束をすっぽかし恨まれる下りは多くの弁護士が身に覚えのあるところと思えますが、それでも理解を示し深い愛情を注いでくれる元弁護士の妻に慰められるシーンが多々あるのは多くの弁護士には夢のような…死刑囚とかの事件関係者については守秘義務の関係で設定を変え事実関係も複数を組み合わせるなどしているでしょうけど、家族については実名のようです(謝辞と同じですし)から、現実にはあったであろう修羅場が相当に省略されているだろうと想像しますけど。
 ノンフィクションとして気になるのは、著者が、弁護する死刑囚の死刑執行停止を担当する女性裁判官から誘惑されるシーン。ホテルのバーに呼び出され、部屋の鍵まで示され、「来て」と彼女は囁いた。幸か不幸か、私にはそういう経験はとんとないが、もしこういう局面に立たされたらどうするだろう。このシーンの中で著者も「私は、自分自身のために命乞いをすることはないと思う。しかし、生き延びるべき人間のためにだったら懇願するだろう」と引き合いに出しているように(240ページ)、弁護士は、依頼者の運命を人質にされると、とても弱い。その申立が退けられれば依頼者の死刑が執行されるという申立を担当する裁判官の不興を買うようなことができるだろうか。
 司法制度と司法文化に違いはありますが、弁護士としては、共感し身につまされ考えさせられるところの多い1冊でした。


原題:THE AUTOBIOGRAPHY OF AN EXECUTION
デイヴィッド・ダウ 訳:鈴木淑美、増子久美
河出書房新社 2012年8月30日発行 (原書は2010年)
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日本文化の論点

2013-06-27 20:22:04 | 人文・社会科学系
 インターネットやサブカルチャーが持つ「日本的想像力」、著者のいう「夜の世界」の文化が、旧来の昼の世界の文化を凌駕していくという方向性を志向しつつ文化批評を行おうとする本。
 日本は、ソフトではなく、作品を楽しむ消費環境・舞台装置(マンガ・アニメとの関係でコミケ、ボカロ・初音ミクとの関係でニコ動など)をまるごと輸出することで勝負すべきだという指摘(31~37ページ)は、なるほどと思いました。
 しかし、この本の中心的議論は、AKB48が現代の日本文化の最大の論点(113ページ)であり、巨大な文化運動(123ページ)であるという点にあり、この著者の設定する枠組(前田敦子なき後のAKB48の未来こそが「人類史的な問題」である:28ページ)にどれだけ違和感を待つ/持たないかでこの本の評価はほぼ決まると思います。著者の「推しメン」という横山由依(160ページ)って誰?としか反応できない私の評価はいうまでもないでしょう。
 「アイドルをはじめとするこの種の性的な魅力に訴える文化現象をジェンダー論的な視点から擁護することは難しい。そこには多かれ少なかれ、性暴力的な要素が確実に存在してしまうことになる」(143~144ページ)といいながら、「ポップカルチャーにおける性の商品化については『自分はその暴力性に自覚的である』という自意識をいくら訴えても、そうした行為はむしろ自己反省のポーズを取ることで批判を回避する防衛としか機能しない。それよりも、むしろ多様な消費のかたちを肯定し、推進することで、多様なセクシュアリティの表現を獲得する戦略を僕は考えたい」(144~145ページ)というのはどういうことでしょう。自己反省のポーズを批判して反省さえせずに開き直ることが問題の解決となるのでしょうか。暗い問題点を隠蔽し「多様な」という言葉でポジティブなイメージを作りたがる人々の手口は、例えば労働者派遣業法を作り派遣対象業務を拡大する過程で女性が「多様な」働き方を選択できるという宣伝文句を並べ立てたやり方(その結果は正社員のリストラと非正規労働の拡大、格差社会の確立と拡大だったことが今では明らかだと思います)を思い起こします。著者がそういう方向性を志向しているとは思いませんが。


宇野常寛 ちくま新書 2013年3月10日発行
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二重生活

2013-06-26 01:13:03 | 小説
 父親の仕送りで生活する25歳の大学院生白石珠が、一方で向かいに住む45歳の大手出版社児童書籍編集部長石坂史郎を執念深く尾行してその不倫を覗き続け、他方で53歳の女優の運転手のアルバイトをする27歳の同棲相手卓也の女優との浮気を疑い妄想する様子を描いた小説。
 主人公は、石坂を尾行するに当たって「文学的・哲学的尾行」であるなどと言って正当化し、自分は別居中だったとはいえ妻子ある男とそれをわかって不倫の関係を持ちその男がスキルス性癌で死んだことで茫然自失して大学を留年し就活をする気力もないことから大学院に行きその学費・生活費をすべて父親に依存しつつ母親が死んだ後に水商売上がりの女性と暮らす父親(少なくとも不倫ではない)を軽蔑し批判し、自分はゼミの教授及び石坂にモーションをかけたが相手にされなかったために浮気・不倫に至る行動は踏みとどまったというレベルなのに何の根拠もなく同棲相手の卓也には母親世代の女優との浮気の疑いをかけて妄想しなじるという、自分に甘く他人に厳しいダブルスタンダードの価値観を、それと意識せずに持ち続けるとても身勝手な人物です。読んでいると、ここまで自分を客観視できないものかと呆れます。でも、読んでいるうちに、人間多かれ少なかれこういう身勝手さを持ち、自分が見えていないところはあるかなと思えてきて、そういうところに思いをいたすべき作品なのかなと、終盤には思いました。


小池真理子 角川書店 2012年6月30日発行
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ガチ! 少女と椿とベアナックル

2013-06-25 23:00:09 | 小説
 「前座の鬼」と呼ばれたうだつの上がらない実直なプロレスラー宝来弾の娘でブラジリアン柔術のジムに通う高校生宝来尽子と、宝来弾に心酔する若手プロレスラー吉野が、宝来弾が唐突にチャンピオンに本気で挑みあっさり倒されて控え室で心不全で死亡した事件に不審を持ち、尽子の同級生も被害者となった少女連続殺人事件の謎を追ううちに両者がつながるというファイティング・ミステリー小説。
 スポーツ根性ものにありがちな荒唐無稽な精神論的なファイトと青春小説らしいあっけらかんとしたつくりが、陰惨になりかねない設定を軽く読ませていて、読み味は悪くないとは思います。しかし、ミステリの構造というか、組織の思惑とか犯行の動機とかの部分が、一方で大仰な印象を与えるとともに、それにしてはどこかせこいというかちゃちな印象もありちぐはぐ感があります。組織の全貌や尽子の同級生の事件もきちんと明らかになった形ではなく、ミステリーとしてやや欲求不満が残る感じがしました。
 章題が、チャレンジマッチ、オープニングセレモニー、第1試合、第2試合…というふうに続いていくのですが、そこにプロレスの試合が描かれているとは限らず、そのあたりにも違和感を持ちました。


伯方雪日 原書房 2013年2月25日発行
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ふる

2013-06-18 23:05:52 | 小説
 大阪生まれで今は東京でアダルト動画配信会社のWebデザイナーアシスタントの池井戸花しす28歳の2011年12月下旬の日々と過去を行き来させながら家族・知人との関係と連帯感を描いた小説。
 花しすとまわりの人々にまといつく白いものが、花しすには子どもの頃から見え、それを猫たちも気づいているという設定が、冒頭から示されています。これが何でどこに結びついて行くのだろうということが、ずっと気になるのですが、なかなかそれがわかるような書き方がなされず、ちょっとイライラします。終盤にそれが示されはしますが、花しすの祖母、母、朝比奈、さなえら女性への、女性の体と生理への連帯感として説明され、そうすると花しすにだけ見えるとか猫にも見えるという設定とどう符合するのか、理解できませんでした。
 もう一つの、この小説で不思議な設定となっている、花しすの人生のどの場面でも「新田人生」という男性が絡んできて、しかもそれが同一人物ではあり得ないという点。これも、読み終わってみてなんだったのかわからない。
 花しすのある種のコンプレックス、人間関係の間合いの取り方・避け方、祖母や母との関係や寄せる思いから女性たちへの連帯感へとつなげるテーマと展開を見ると、奇をてらわずストレートにそれを書いてもよかったと思いますし、むしろ白いものと新田人生を落とした方がすっきりとテーマに迫れたのではないかと思いました。
 それにしても花しすの仕事、テーマとの関係では必要で適切な設定とは思いますが、そしてインターネットの現状を見れば別に何とも思わなくなるかもしれませんが、日本でそれやってて大丈夫か?と、弁護士としては気になります。


西加奈子 河出書房新社 2012年12月30日発行
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花酔ひ

2013-06-17 21:53:28 | 小説
 老舗の呉服屋の一人娘で新たにアンティーク着物の店を始めた麻子と麻子の元同僚のブライダル企画会社のサラリーマンの夫誠司、父が創業した葬儀社チェーンの一人娘で幼い頃伯父に強いられた倒錯的な性行為のトラウマと性癖に囚われる千桜と逆玉となったやり手の営業部長の夫正隆の4人が、千桜の伯母が残した古い着物を麻子が買い付けに京都を訪れたことから知り合うようになり、麻子と正隆、千桜と誠司が肉体関係を持ち互いに入れ込んでいく様子を描いた恋愛・官能小説。
 互いにちょっとしたことで不満を持ちすきま風が吹きつつ、淡泊な性生活を続ける2組の夫婦が、お互いに他方の夫婦を仲がいい夫婦とうらやみながら他方にこれもまたちょっとしたポイントで惹かれのめり込んでいく様子が、いかにもありそうで考えさせられます。不満に思っていることはそれほどのことでもなく、だから夫婦として続いているけれども、それでも心は離れてしまっている。惹かれる相手の魅力もたいしたことではなく(現にその伴侶には魅力なしと見切られている)、おそらくはつきあって何か月かすればあらが目立ってくることも予想されるのに、思いを遂げる前には不倫に踏み出すほど魅力的に見える。性生活上の好みや希望を夫婦であるが故に伝えられない/聞けないで、不倫の相手にはそれができる故に魅力的に見え最高のパートナーとさえ思える。冷静に振り返れば、今の伴侶がやはりよいと見える場合でも、思い込んでいるときはそうはとても見えない。それが男と女、それが人生、だからこそ味わいがあるんじゃないですかと作者にいわれているような気がします。
 ありがちに見えながら深い問いかけをされているような気がして、官能小説(と分類してしまうほどには濡れ場が多いわけでもないですが。表紙は持ち歩くには恥ずかしいですけど)の割には、いろいろ考え込み、また感じ入ってしまいました。
 「きれいだ…などとロマンス映画のようなセリフは御世辞にも言えない。千桜に限らず、女の秘所とはどれも凶暴でグロテスクなものだ」(217ページ)という感性はやはり女性の作家ならではかなと思います。千桜の幼い頃の性的虐待への受け止め方には、どうかなという思い(本当に被害を受けた人の傷はそういうものではないんじゃないか)と切なさを感じ、戸惑いました。この作品のように千桜と正隆が最後にはわかりあえるとすれば、ちょっと胸が温かくなりますが。


村山由佳 文藝春秋 2012年2月10日発行
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傾国子女

2013-06-16 20:14:31 | 小説
 父親が失踪して母親とともに父親の友人の医師に預けられた絶世の美女白草千春が、医師に言い寄られ、街頭で演奏するドラマーや早朝の歌舞伎町で出会ったヤクザに思いを寄せながら、京都の政財界の黒幕に気に入られて世継ぎを産むことになり…といった具合に次々に男に言い寄られ愛人になっては別れ娼婦となっていく半生を描いた小説。
 作中で白草千春の半生を「好色一代女トゥデイ」と呼んでいるように、独自のテーマ設定が感じられず絶世の美女で男に翻弄された女の半生を描くことが自己目的化しているような印象でした。設定・展開ともに荒唐無稽で、といって白草千春のキャラがぶっ飛んでたり切れてたりもせず、千春の友人の甲田由里のキャラが少し跳んでいるのが慰めですが、コメディとしておもしろいという感じもしません。
 男・人生に翻弄される白草千春の対応が、今ひとつ女としてのリアリティも感じにくい。読んでいて最初に違和感を感じたのが、「我が家の家系は逼迫していて、母のパートで何とかやりくりしていました。豊かではなかったけれど、親子三人暮らしてゆくには充分な収入があるはずでした。それでも家計のやりくりに苦労していたのは、母が浪費家だったからです」(18ページ)という下り。その後母が贅沢品を買っていた等のエピソードは何一つ出て来ません。母親のパートで一体どれだけの収入があるというのか。倹約してもやりくりは苦しいでしょ。この作家には中年女性のパート収入がいくらかわかってないのか。それにそういう家庭で娘がふつうに考えるのは、家計が苦しいのは父親がろくに稼がないからの方でしょう。これは娘の視点じゃなくて中年親父の愚痴と願望でしょう。既にこのあたりで主人公の性格設定なり状況の受け止め方にリアリティがないというか大きなズレを感じました。率直に言うと、このあたりでもう投げ出したくなったのですが、著名作者で私としてはこの作者の小説を初めて読み始めたという事情もあり、読み続けました。文体とか内容には特段の難点はないのですが、リアリティも主人公への共感も感じられず、コミカルなという意味でのおもしろさも考えさせられることもほとんどない400ページ近い作品を延々と読み続けるのは、私には苦痛でした。


島田雅彦 文藝春秋 2013年1月15日発行 
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崩れる日 なにおもう 病葉流れてⅢ

2013-06-15 20:38:19 | 小説
 博打と女に明け暮れる男の青春時代を描いた無頼小説。
 Ⅲにあたるこの本では、博打と女に明け暮れる学生時代を送った主人公が社会人となり、関西で電機メーカーに勤めたが関西でもさっそく雀荘のオーナーの妻と関係を持ち高レートの賭け麻雀に浸り、勤務先を3か月と持たずにやめ、借金の形に悪徳先物取引業者に勤めることになるという展開で進みます。このⅢで完結しましたが、後に「新・病葉流れて」と題して続編が書かれたことは2013年6月14日の記事で紹介した通り。
 「新・病葉流れて」を読んだ時に、チェックしてみたら、この読書日記を始める前の2005年に「病葉流れて」「朽ちた花びら 病葉流れてⅡ」を読んでいて、この「病葉流れてⅢ」は読んでいなかったことに気づき、ついでに読んでみることにしました(これが連載されていた頃、どういう事情だったかは忘れましたが事務所に「週刊ポスト」が毎号置かれていたので、大部分は読んだ覚えもありましたけど)。
 前半は麻雀、後半は先物取引の話が中心で、麻雀小説ファンには後半はちょっと物足りないかなと思えます。しかし、先物取引業者の手口については、一般向けとしては非常にわかりやすく説明されていて、感心しました。消費者側の弁護士としてはこういう小説の読者が増えると先物取引等の勧誘に引っかかる人が減っていいなと思います。


白川道 小学館 2004年9月20日発行
 
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