伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

くちばみ

2020-11-29 19:47:28 | 小説
 戦国時代を象徴する人物の1人、マムシの道三こと斎藤道三の生涯を題材にした時代小説。
 戦国時代ではありますが、戦の場面は終盤になるまではほとんどなく、周囲の人間との関係、どのようにパトロン・庇護者、敵対者を籠絡していくか、親との関係、庇護者との関係、そして女性関係・濡れ場に多くの紙幅が割かれています。
 全体としては、道三(幼名峯丸)の父基宗に対する思い、義龍の父道三への思いという親子関係が基調をなしているように思えます。その点では、前半で父を慕い続け強い/全幅の信頼を置いていた峯丸/道三が、後半でそれは父の支配であり承認欲求を満たすためであったと不信感/敵愾心を募らせるに至る変化の経緯部分が今ひとつ描かれていないように思えて、残念でした。人間の気持ちというのは、明確なわかりやすい理由があって変化するとは限らず、さしたる理由もなく何かの拍子で、あるいは自分でもそうとはわからぬうちに変化するものということかもしれませんが。
 「権力を握っている者が、知らぬ存ぜぬで通せば、取り巻きから下々までもやもやしたものを抱えはするが、時間がたてばなんとなく収まりがついてしまう」「これは現代の政治における廉恥に欠ける二世、三世議員にも通じることである。なにしろ日本語もまともに喋れないのだから、如何ともしがたい。二世三世は、そのまま二流三流に通じるのだ。二世もだめだが、三世ともなると取り柄の欠片もなくなる」(320~321ページ)というのは、やはりそーりだけでなくて議員も辞めていただいた方が喜ばしいあの方のことなんでしょうね。共感いたします。


花村萬月 小学館 2020年10月20日発行
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プロブレムQ&A 化学物質過敏症対策 [専門医・スタッフからのアドバイス]

2020-11-27 21:10:54 | 自然科学・工学系
 化学物質過敏症の診断と治療、食事等について解説した本。
 化学物質過敏症の診断について、問診票QEESIによる患者自身の回答のスコアでの診断(36~41ページ、148~152ページ)の他に、化学物質過敏症では安静時の末梢静脈血の酸素分圧が高くなる(化学物質過敏症患者以外では通常10~20mmHg、35mmHg以上だと有意に高い。重症・難治性の化学物質過敏症患者で50mmHg以上。ただし化学物質過敏症で静脈血酸素分圧が上昇する機序は未解明)のでそれを静脈血ガス分析で検査するそうです(44ページ)。不定愁訴が多い疾病と認識していましたが、そういう他覚所見・検査による診断が可能というのは診断、疾病の判定上心強く思えます。もっとも、それがすべての患者に当てはまるのか、その判定基準に当てはまらない症例は認定上不利になるのではないかという危惧はつきまといますが。
 香り付き柔軟剤ダウニーの販売で化学物質過敏症患者が有意に増加した(68~69ページ)という話は、気にとめておきたいところです。多数人が感じる「よい香り」が、一部の人には、それこそ「スメハラ」になっているわけですね。
 基本的には、専門医が専門医以外の医師や医療スタッフにアドバイスする本で、専門用語、専門的な概念が多くとっつきにくい本です。終盤には、障害年金診断書の書き方(119~128ページ)、それに対する日本年金機構からの照会書(155~158ページ:化学物質過敏症専用の照会書があるんですね)、民事裁判用の意見書を書く際の注意(128~132ページ)など、私たちの業界向けの専門的な記述もあり、私はとっても興味深く読み、また勉強になりましたが、このあたりはますます業界外の方にはお手上げかも知れません。訴訟での意見書については「現在まで筆者が関わった化学物質過敏症訴訟の結果は、敗訴3、和解受諾1、勝訴1、結果報告なし1でした。困難な道であることがお分かり頂けると思います」と書かれています(129ページ)。判例雑誌で読むときは患者勝訴例ばかりなので、化学物質過敏症でも意外に原因物質の特定や発症原因が立証できるものなんだと思っていましたが、勝訴が珍しいから勝訴例が紹介されているわけで、全体にはやはり厳しいのでしょうね。なお、執筆担当が書かれていないのに「筆者が」と言われても困ります(症例の患者の年齢は国立病院機構高知病院初診時の年齢だと書かれているので、ここは小倉英郎氏の執筆ということかと思われますが)。


水城まさみ、小倉英郎、乳井美和子著、宮田幹夫監修 緑風出版 2020年9月30日発行
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結婚不要社会

2020-11-24 00:06:16 | 人文・社会科学系
 高度経済成長期には、女性が自分または自分の父親よりも経済力がある男性を容易に見つけることができ、結婚によってより収入の高い家庭をつくることができたこと、つきあったら結婚するのが当然(つきあって問題もないのに別れることが許されない)という圧力があり、多くの人が結婚していた/できていたが、男性/特に若い男性の収入が減少したために女性が結婚により生活レベルを上げる可能性が低くなって結婚したい相手がまわりに見つからず、恋愛しても結婚するとは限らないということが社会的に許容されて今よりもいい結婚相手が見つかるかも知れないと思うと結婚に踏み切れないという事情で結婚が少なくなり、現在では経済力の低い男性は結婚したくてもできないことがはっきりしてきたこともあり、恋愛をしたいとも思わないようになっているというような論を展開した本。
 著者は、女性が「男は仕事、女は家庭」という従来型の結婚観にこだわり、「いまよりも、親よりも、よい生活ができると思える相手」を結婚の条件とすることが、結婚困難な状況をもたらしたと主張しています(30~32ページ、112~116ページ等)。自分のことで考えても、私の親世代は戦争体験もあり、子どもには自分の人生よりもよい条件をという思いが強く、学校も親よりもよい学校に入れと言われてきましたが、そう言われて育った自分は、子どもにそういうプレッシャーをかけたくなくて、そういったことは間違っても口にしないようにしてきました。今の若い世代は、果たして経済的に親よりもよい生活をと思って人生設計をしているのでしょうか。研究者や官僚、マスコミは高学歴の自分のまわりの声しか聴いていない、自分は非エリート層のフィールドワークをやってきたという(26~30ページ)著者の思考が、私にはそれほど柔軟にも的を射ているようにも見えないのですが。
 前半で、2000年以降、さまざまな調査から恋愛をしている人が減っていることがわかり、今日では、恋愛が不活発化しているがゆえに結婚が減っているというロジックの方が正確、要するに、結婚難という状況が一般に知れ渡った今日では、結婚につながらない恋愛は無駄だという雰囲気になっているのですが、恋愛をめぐる変化については、あとでさらに詳しく述べることにしますと書かれています(34ページ)。結婚したい人が結婚できないという社会情勢はよく耳にしますが、さらに恋愛自体が減少ないしは不要のものとされているという言説には興味を持ち、その後はここでいう「あとでさらに詳しく」だけを追い求めて読み続けたのですが、その点についての詳しい記述を、私は見つけることができませんでした。その点が、とても残念でした。


山田昌弘 朝日新書 2019年5月30日発行
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あの場所の意外な起源 断崖絶壁寺院から世界最小の居住島まで

2020-11-23 21:03:12 | 人文・社会科学系
 著者(この本では著者紹介がまったくありませんが、作家・文明評論家だそうです)の好みにより選ばれた45の「思いがけない場所」を1か所4ページで紹介した本。
 邦題の「あの場所の意外な起源」だと、有名な場所について、その起源を説明しているように見えますが、原題は " Atlas of the Unexpected " で、思いがけない場所の紹介をしているものです。
 紹介されている場所は、ポンペイやガラパゴス諸島、ラスコー洞窟などの有名なものもありますが、多くは、私には初めて聞くような場所で、それ自体で興味深く読めました。1か所4ページで原則として地図が1ページ、本文が1ページ半~2ページ、写真が1~2ページ(写真に本文がかぶっているものもあるので)となっています。構成として地図が無駄に大きいというか、地図から得られる情報が少ないものが多く、地図を工夫して半ページくらいにした上でもっと見やすくしてもらい、その分写真をもっと増やしてもらった方がいいと思いました。ナショナルジオグラフィックなんだし、写真はもっといいのを載せられると思うんですが。
 自然環境による絶景中心ということではなく、人工的な場所が多くなっています。権力者の政治家や富豪の愚かな行為のなれの果てや、欲望の夢の跡が紹介されているのもいいところかと思います。世界のあちこちにありそうな話ですが、地上げに頑として応じずに大きな百貨店の建築を歪めさせた事例として紹介されているシュピーゲルハルター宝飾店(108~111ページ)も、「庶民にとって不朽の偉業」と呼ぶべきかはさておき、庶民の弁護士としては、なんとなく快哉を叫びたいところです。


原題:Atlas of the Unexpected
トラビス・エルボラフ、マーティン・ブラウン 訳:湊麻里、鍋倉僚介
日経ナショナルジオグラフィック社 2020年10月26日発行(原書は2018年)
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教育は何を評価してきたのか

2020-11-22 17:07:28 | 人文・社会科学系
 日本の教育は相対的で一元的な『能力』による選抜という垂直的序列化と特定の振る舞い方や考え方を求める水平的画一化が過剰であり、他方において水平的多様性に乏しいという特徴的な構造を持っており、それが『能力』『態度』『資質』という言葉に絡め取られたものだとして、それを乗り越えるべきことを論じた本。
 著者は、冒頭からイギリスで本来的には個人が受けた教育歴や達成した業績を重んじて言及する『メリトクラシー』を『能力主義』と訳してむしろ個人の属性を重んじて用いたことが誤りであることを繰り返し指摘しています。また、日本の教育について論じるに際して中教審答申その他の行政政策文書に加えてそれと同じくらいの比重で教育学者の著書・論文の記載を取り上げています。言わんとすること自体はわかるのですが、その論証は、教育のプラクティスを世間に向けて論じているというよりも学者の世界を向いている感じがします。あとがきで著者の既発表論文を再構成したものだと書かれているのを読んでなるほどと思いましたが、一般人/学界外の者が読むのに適しているかには疑問を感じました。
 著者は、高等学校の専門コースを増やす/普通科中心にしないことを水平的多様性を確保するものと評価し、1971年中教審答申が正しい道を示していたのに教育学者や教員が誤った批判をしていたかのように述べています(106~113ページ、215ページ~)。しかし、私は、むしろ49ページに示されている表で、分岐型モデル、要するに子どもを早期に選抜して学校別に分離する諸国(中東欧諸国)と受験競争モデルの日本、韓国では職業学校在籍率が高いのに対して、自由主義モデル(英米諸国)と平等主義モデル(北欧諸国)では職業学校在籍率はほぼ0であるというのを見て衝撃を受けたというか、目からうろこが落ちる思いがしました。日本で育つと職業学校があるのが当たり前に思えますが、それは当然ではないのだということですね。そういう視点を加味して言えば、職業高校、高校の各種コースを増やしても、それは子どもの早期選抜による垂直的序列化を促進するだけじゃないかと思えます。
 また、『能力』『能力主義』という言葉で、垂直的序列化が当然であったり正しいものと理解されることの誤りを指摘し、『言葉』の重さを言う著者が、『能力』『態度』『資質』という言葉と闘う本で、『日本型メリトクラシー』『ハイパーメリトクラシー』『ハイパー教化』などという耳慣れない言葉を基本概念としているのでは、最初から勝負にならないように思えます。
 示唆に富む部分もあると思いますが、高校の各種コースを増やすことを改革のポイントにおいている点、使用する言葉や論証方法が内向き(学者さんの中でのもの)という点で、一般読者の支持を得にくい本のように感じました。


本田由紀 岩波新書 2020年3月19日発行
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産婦人科医が伝えたいコロナ時代の妊娠と出産

2020-11-21 20:40:07 | 実用書・ビジネス書
 新型コロナウィルス禍の下で今後の見通しが定まらず流動的な状況で妊婦と出産を考えている人がどのように考えて行動すべきかを論じた本。
 2020年6月時点の情勢に基づいて書かれているため、現時点では事情も感覚も違う点も多々ありますが、不確定情報が多い中でどうするかという点でなお参考になるものが多くあります。
 アルコール消毒よりは手洗いが有効(80~86ページ)、スマホを「清潔」に保つのは難しいので食事中はスマホに触らない、スマホをいじったあとは顔や食べ物を触らない(77~80ページ)などは、当然とは言え、肝に銘じておきたいところです。
 「よく男の人に、出産後の妻にはどんな声をかけたらいいですかと聞かれますが、声で済まそうという時点で間違っています」(148ページ:出産前からちゃんと家事の練習をして出産後家事をやれって)、「最後に、妊婦さんのパートナーに言いたいことは『キャバクラや風俗に行くな』です。ウィルスを持って帰ったら、きっと一生言われ続けますよ。お父さんはあなたがお腹にいるときにキャバクラに行ってウィルスを持って帰って、そのせいで大変だったのよ、と。子どもからも軽蔑されてしまいます」(157~158ページ)。至言ですね。
 著者は、オンラインの問診について、ないよりはいいのだけれども実際に会って診察した方がいいと述べています。やはり実際に会って話をし、全体を見た方がいい、例えば診察の際にドアから入ってくるときの雰囲気や表情も診断の材料になるし、オンラインだと雑談がしにくいけれども雑談が診察の役に立つこともあるというのです(132~133ページ)。裁判手続でも、今、裁判所も弁護士会も、コロナ禍への対応として、期日のWeb会議化を、闇雲にといってよいほど推進しようとしています。微妙な表情や雰囲気、雑談での駆け引きや感触で裁判官や相手方の心証・本音を探るような職人芸は、そんなものに価値を見いださない人(できない若手も…)とそういうものを正面から認めるべきでないという建前に駆逐されていきそうです。何でもオンライン化すればいいというもんじゃないと、古い職人気質の者としては、思っているのですが。


宋美玄 星海社新書 2020年9月25日発行
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罪の声

2020-11-20 22:19:30 | 小説
 グリコ森永事件から基本的な事実関係を借用し、グリコ森永事件の真相がこうだと思わせるような効果を狙って、グリコ森永事件をエンターテインメントとして消費した小説。
 グリコ森永事件を扱った報道や記事には、グリコや森永という企業の暗部にも言及しまた示唆し、犯人にある種のシンパシーを持ったり犯行に快哉を叫ぶものが少なからずあるのとは一線を画して、この小説は、徹底的に対象企業を擁護し正当化し、対象企業が嫌がることは一切触れないという姿勢を取っています。根強くある裏取引説を一蹴して犯人は株価操作以外では一切儲けていない(企業からは一銭も取れなかった)と言い張り、対象企業の行為は大量の首切りも含めすべて正当化(企業には落ち度はない、すべて犯人のせい)しています。作者の姿勢を象徴している事実として、この作者が挑戦状の多くを引用しながら、報道されて有名になった(私の記憶にも残っている)「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」という挑戦状は一度も引用されていないことがあります。対象企業が言われたくないようなことには一切触れないという、大企業には忖度する姿勢が露わに思えます。
 そして、この小説は、犯人グループにシンパシーを持つ者を糾弾するように、犯人グループの残忍さを脅迫状や子どもの声の利用等をあげつらって強調した上で、グリコ森永事件の首謀者が極左であるという根拠はないのに、極左が首謀者だとし、ひたすら極左を悪者に仕立てています。権力に刃向かう者を悪者にしたがる感覚は、先の大企業を徹底的に擁護する姿勢と相まって、この社会の支配体制を守りそれに脅威を与えかねないものは許さないという意思を感じます。
 極左活動家だった者が、イギリスに渡り「ストライキが横行」していることに驚き、サッチャーの民営化と労働組合弱体化を支持する(310~311ページ)。極左の活動家にも変節を重ね右転向した者も多数いますが、少なくとも左翼陣営に踏みとどまっている者は労働者と労働組合に対してこういう姿勢は取らないと思います。この作者は、極左を、その思想や姿勢を知りもせずにただ何でもいいから貶めているように、私には感じられます。
 エンタメとしてのできは悪くないですが、作者の姿勢にただただ疑問を感じる作品でした。


塩田武士 講談社 2016年8月2日発行
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実践 自分で調べる技術

2020-11-19 20:54:58 | 人文・社会科学系
 市民が自分で関心を持ったテーマについて、自分の手で調査するためのノウハウを説明し、様々なことについて自分で調べてみることを勧める本。
 第2章で文献(雑誌記事・論文、本、新聞記事等)調査のノウハウが説明されていて、いろいろと知らなかった検索方法や媒体を知ることができます。この部分だけでも、読む価値があると思いました。
 この本では、文献調査に加えて、関係者への聞き取りや測定等のフィールドワークに相当な紙数を割いています。聞き取りでは、聞き取りという作業自体が聞く人と聞かれる人(話す人)の相互作用であることが指摘されています(126~127ページ)。同じ人が同じテーマで話したとしても、聞く人の聞き方、質問内容、関心のあるポイントや方向性によって、話される内容が大きく違うという指摘は、なるほどと思います。仕事がら、証人尋問の結果が、どこまでの材料がありそれをどう検討して何をどういう順番でどう聞くかでまったく異なるということは常日頃感じていますし、さらに言えば、法律相談も、特に相談者が証拠資料をほとんど見せずに聞くような場合、相談者が話した事実と相談者が聞いた質問に応じて、全然異なるものとなり得ます(だから、役所の無料相談とかどこかの電話相談で弁護士にこう言われたという相談者がいても、それはそう答えるしかないような聞き方をしたんだろうと思うことが多々あります)。
 聞き取り調査に加えてさらに科学的な測定まで、一般人にはかなりハードルの高い調査も、やってみようと勧める著者の志に敬意を持ちます。ただ、本当に実践するのは厳しいかなと感じ、私には、とりあえず『国会図書館サーチ』をブラウザのブックマークバー(この名前で Google Chromeを使ってるのがバレますね)に入れたのが成果というところです。


宮内泰介、上田昌文 岩波新書 2020年10月20日発行
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劇場

2020-11-15 01:01:53 | 小説
 中学高校の同級生野原と2人で劇団「おろか」を旗揚げした自意識過剰・自信過剰の脚本家兼演出家の永田が、渋谷付近の画廊で声をかけて不思議にも言われるままにカフェでおごってくれた青森出身の演劇志望で服飾系の大学に通う沙希と付き合い、いつしか沙希の部屋に転がり込んで暮らし、沙希の親の仕送りや沙希のバイト収入をあてにして公演を続け、若干の観客を獲得しながらも芽が出ないままにダラダラと演劇を続けるという展開の小説。
 何かを目指しつつ何者にもなれずにいる独りよがりな男が、ふつうに考えて絶対引かれるというか相手にされないシチュエーションで若い女性と知り合い、身勝手なことばかりしても相手から嫌われず、笑顔で受け容れ続けてくれるという、男性向けの都合のいいファンタジー・幻想・妄想なのだと思います。しかし、主人公の永田が、そこまで尽くしてくれる沙希にまるで報いず(まぁさすがに暴力を振るったりするところまで人でなしではないのですが)、生活費を全て出させて、沙希にバイトを掛け持ちさせながら自分がバイトして収入があったときも光熱費さえ払わず自分のものを買い込む、それでも笑顔でかまい続けてくれる沙希を思いやるでもなく脚本さえ書けずにゲームをし続けるというあまりのろくでなしぶり、卑屈さ、ひねくれぶりに、読んでいてどうにも心情的に入れないものを感じます。どういう人ならこの作品に満足感を持てるのでしょう。
 永田の自信過剰ぶりを、「永田が考えることは面白いと思うけど、こんな田舎の中学にお前みたいなんがおるってことは、全国のどの中学にも一人ずつくらい、お前みたいなんがおると思うねん。」と受け流す野原の言葉(42ページ)が、至言だなぁと思いました。


又吉直樹 新潮社 2015年5月15日発行
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固定資産税土地評価 ビジュアル地目認定

2020-11-14 20:54:21 | 実用書・ビジネス書
 固定資産税課税のための地目(宅地、田、畑、山林、雑種地等)の認定と、土地の価格の評価について、写真付きの具体例を挙げて解説した本。
 地目認定に当たっては現況(現在の利用状況)が重視されるとしつつ、宅地の建物を取り壊して果樹等を植えた場合には、当分は宅地のままで相当年数が経過しないと畑等には認定されず、他方、農地(田、畑)が転用許可を受けると現況が田畑のままでも直ちに宅地と認定されたり、山林に果樹が植栽されると相当期間の経過を待たずにすぐに畑を認定されるというのは、著者の意見というよりも、不動産鑑定士として市町村の地目認定実務の見通しを述べているのでしょうけれども、基本的に課税当局に都合がいい(多額の課税ができる)ように認定がされていると感じられます。この本では課税の公平性という言葉が多用されていますが、その多くは、課税逃れは許さないという方向で使われているように思えます。そうでない場合も、端的に言えば周囲の土地との均衡ということを言っており、そうするとその土地の現実の利用状況(現況)よりも周囲の土地利用に重きが置かれてしまい「現況主義」というのはお題目に過ぎないのではないかとも思えてしまいます。よかれ悪しかれ固定資産税課税とそのための地目認定はそのようなやり方をしているということを学ぶべきなのでしょう。
 ビニールハウスレベルでない永続性のある建物(鉄骨組の温室等)内で野菜等を栽培しているときに、土を耕して植えていれば畑と認定されるが、プランター等で栽培していれば宅地と認定するというのも、そういう基準が示されているからそう判定するのでしょうけれども、あまり常識的ではない、あるいはいかにもお役所的な発想に思えます。
 土地の価格の評価についても、せっかく不動産鑑定士が写真付きの具体例を挙げるのですから、標準的な土地(標準的な宅地、標準的な田畑等)に補正係数をかけるなどして評価するという場合、具体的にその補正係数の考え方を示して欲しいところです。その点は、パターン化されたものについていくつか一般的な数字が示されているだけで、具体的なケースについて考慮した係数の説明例がわずかしか見られなかったのが残念です。


山本一清 ぎょうせい 2020年7月31日発行
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